21 ある商人の驚き
魔術師ギルドで臨時学会が開かれるという知らせに、リーズ商会のユージンは興味をもった。
リーズ商会は魔道具を専門に取り扱っている、ドーン皇国の中でも大きな商会だ。お抱えの魔術師も多く、他の一般的な商会よりも魔術に対する知識は深いと自負している。故に、実に72年ぶりの臨時学会が開かれるという意味も勿論分かっていた。何か重大な発表が行われるのだろう。
ユージンはすぐに動いた。魔術師ギルドの学会では、優先的に魔術師が参加できるようになっている。だが、数は少ないが一般席というものも必ず用意されているのだ。ユージンは伝手と大金を使ってなんとか、一般席の一つを確保する事が出来た。
その後、ユージンにとっては残念な噂が流れてきた。今回の臨時学会の発表者は年若い平民の娘であり、なんとあの皇太子マルクが目を掛けているのだという。可愛らしい娘でマルクはすっかり骨抜きになっており、妃として迎え入れる時の箔着けのために、今回の臨時学会を開催する事になったのだとか。それが真実ならば当然、発表内容は期待できないだろう。ユージンはその情報を聞いてがっかりした。しかもその情報を教えてきたのは、リーズ商会の商売敵でいつも何かと張り合ってくるダモン商会だ。今回の臨時学会の一般席もダモン商会と競り合った結果、なんとかリーズ商会で手に入れる事が出来たのに。ダモン商会に『いやぁ。今回ばかりはリーズ商会さんに感謝しよう。お陰で大金を失わずに済んだ』なんて嫌味付きで言われて、一層悔しい思いをしたのだ。
大いに気が削がれてしまったが、大枚をはたき、伝手も最大限に使って手に入れた一般席だ。参加しないなどという選択肢はなく。ユージンは大した期待もせず、臨時学会に参加した。
配られた資料を読んでみても、専門用語が並んでいて良く分からないが、『収納魔術』と『付与魔術』とやらの発表らしい。付与魔術は聞いた事も無かったが、収納魔術には既に似た様なものがある。拡張魔術というもので、例えば商品の箱が規格に合わず小さい時に、拡張魔術を掛ける事で箱を少し大きくすることが出来るのだ。何年か前に魔術師ギルドの定例学会で発表された魔術だったが、うっかり箱の大きさが足りない時ぐらいしか使い途がなく、あまり重要視されていない。どうせ今回の魔術もそんな程度だろうと、ユージンは冷めた目で資料を放り投げた。
やがて壇上に、1人の少女が上がった。皇太子の寵愛されているという噂の少女は、予想に反して平凡だった。ちょっときつめの可愛らしい顔立ちではあるが、皇太子が夢中になるとは到底思えない。拍手で観客に迎えられ、緊張している様子で少し震えていた。
「収納魔術とはどういうものか。説明に入る前に、実物を見て頂きたいと思います」
壇上で少女が手にした水袋を指し示す。革製の、何の変哲もない水袋だ。使われている皮の切れ端の色合いがバラバラなので、もしかしたら手作りなのかもしれない。
少女が水袋に手を突っ込み、すっと引き抜く。少女の手がやっと通るぐらいの水袋の小さな口から、ぬっと出てきたのは、椅子だった。
「は? 」
ユージンは己の目が信じられず、何度も水袋と椅子を見比べた。どう見比べても、あの小さな水袋に椅子が入るはずがなく。理解が出来ずに呆然としている内に、娘はどんどん水袋に手を突っ込み、荷物を出していく。4人用ぐらいのテーブル、椅子、椅子、椅子。あっという間に壇上に不似合いな、テーブルセットが出来上がり、その時になってようやくユージンは我に返った。会場中が、ザワザワと騒がしくなる。
「水袋の中は、この会場くらいの広さがあります。収納魔術の発展で、時間停止の機能の付与も成功したため、会場の広さ分の物資を、傷む事無く運べるとご理解ください」
この会場の広さ分の物資を、あの小さな水袋で? しかも時間停止する? なんだその、とんでもない話は。
先ほどまでの投げやりだった気分がすっかり一変していた。なんとも劇的なプレゼンの始まりに、ユージンは全身の血が沸騰しそうな程、興奮していた。ユージンだけではない。魔術師たちも一般席に座る他の客たちも、目を血走らせてリャーナの発表に聞き入っている。ほとんど難しい論文の解説であったが、収納魔術のメリット、デメリット、汎用性などを分かりやすく説明していた。ユージンは指先が真っ黒になるのにも気付かず、夢中でメモを取り続けた。
収納魔術に続いて発表された付与魔術も目を疑うものだった。リャーナが試しにと火魔法を付与した剣は、炎をその剣先から発現し、会場中の度肝を抜いた。驚きはしたが、魔獣討伐に向かう騎士や冒険者たちにとっては、魔術を付与した武器や防具というものは、とてつもない武器になるだろう。騎士や冒険者たちの武力が上がるという事は、皇国の軍事力にも影響があるということだ。こちらもとんでもない発表だった。
この歴史的な素晴らしい発表に立ち会えた幸福を、ユージンは噛み締めた。先ほどまで皇太子のお気に入りなどと侮っていたリャーナという少女の素晴らしさを改めて見直す。確かに、この娘なら、あの魔術狂いの皇太子のお気に入りになるだろう。彼が求めていた魔術に詳しい妃という条件を見事に満たしているではないか。
あっという間に発表は終わり。発表の間中、興奮しっ放しであったユージンは、心地よい疲労を感じていた。本当に、素晴らしい発表だった。世界を変える発表だ。是非とも、ウチの商会で取引をしたい。
ユージンは、興奮の余韻が冷めやらぬまま、席から素早く立ちあがった。壇上から退出したリャーナを追って、魔術士達や一般席の客たちが出口に向かって殺到している。
リャーナとの取引をしたいと感じているのは、ユージンだけではない。一般席の客たちの中には、ユージンも知っている商会の者が多数あった。彼らは獲物を見つけた狼の様に、ギラギラとした目をリャーナに向けていた。彼らの目的は分かりやすく収納魔術や付与魔術で得られる儲けだろう。商人ならば、金の卵であるリャーナと取引がしたい、可能ならば自分の商会で囲い込みたいと思うのが当然なのだ。
だが、ユージンがリャーナと取引をしたいと思ったのは、魔術を語る時のあの純粋なキラキラした瞳故だった。純粋に魔術が好きで、そして誰かの役に立つ魔術を誇りに思う、あのキラキラした目。ああいった目をする若者を、ユージンは大事に守り育てたかった。ドーン皇国でも一二を争う大商会であるリーズ商会ならば、それが出来る。
必ずリャーナとの取引を勝ち取って見せると、ユージンは気合を入れ、リャーナの元へ向かった。




