20 利益管理人からの注意事項
フロスさんは見た目紳士で中身はファンキーなお爺さんです。
利益管理人フロスは、神妙な面持ちの依頼人に静かな目を向ける。万事において冷静沈着。それが利益管理人に求められる、一番の資質だ。
その点、フロスにとっては向いていない職業なのかも知れない。若い頃は正義感が強く、依頼人を守るためならば、迷わず拳を振るったものだ。それでも依頼人に不利益にならぬように立ち回れたのだから、利益管理人としての資質は十分であると、彼は自負していた。
そんなフロスも老いて、丸くなった。年を経て経験を重ねることで、武力に頼らずとも十分に依頼人を守る術が身に付いた。若い頃に付けられた不名誉な二つ名も、最近ではすっかり口にする者は少なくなってきていた。彼の昔を知らぬ者は、フロスのことを冷静沈着で腕利きの利益管理人と評している。
「臨時学会もとうとう3日後に開催されますね。利益管理人として、リャーナ様が斯様な栄誉を賜わられたこと、心よりお祝い申し上げます」
フロスがそう穏やかに祝いを述べれば、依頼人であるリャーナは嬉し気にしつつも、オドオドと視線を彷徨わせた。
「本当に、私には過ぎたお話で……。お受けしてもよかったのかと、未だに戸惑っています」
しゅんと項垂れる姿は心細げで、リャーナの自信のなさが滲み出ているようで。フロスは歯がゆい気持ちになった。
自分の半分も生きてはいないこの年若い依頼人は、国を、世界を変えるほどの偉大な発明をしたにも関わらず、自信だとか自己肯定感だとかが著しく欠けている。だがそれは、決してリャーナ本人のせいではないのだ。
フロスはリャーナの利益管理人となって以来、彼女のことを事細かく把握していた。生まれや育ち、学園でどう過ごしたか、卒業後の王宮での仕事ぶり。リャーナから聞き取るだけでなく、彼女が生国から持参した書類も隈なく読んだ。
そこから浮き彫りになったのは、輝かしい功績とは対照的な処遇だった。学園には特待生で入学できたが、周囲が貴族の子息子女ばかりで、平民のリャーナは侮られる事が多かった。成績が優秀なだけで、身の程知らずだとやっかまれる始末だ。それでも、学生の間はまだマシだった。学園の教師陣はまともな者が多く、リャーナを差別することなく、貴族と変わりない学びを与えてくれたのだから。
文官として王宮に勤め始めたリャーナを待っていたのは、安い報酬、劣悪な待遇、過酷な職務だった。文官であるリャーナが当たり前のように討伐に駆り出されていたことからも、彼女の扱いが相当酷いものだったと察する事が出来る。カージン王国にしてみたら、リャーナは安い報酬で酷使できる便利な存在だったのだろう。
何よりも問題なのは、リャーナがそんな扱いに慣れ切ってしまっている事だ。身分に重きを置くカージン王国で、平民の地位というものはごく一部の富裕層を除いて、あってないようなものだ。ましてや、リャーナの様に親兄弟のいないものは、同じ身分の平民からも見下される存在であり、生まれた瞬間から這い上がる事のない底にいるようなものだ。
そんな環境ではリャーナが『搾取されても仕方がない』と諦めてしまうのも無理はないだろう。
「何を仰いますか。論文資料を私も拝見させていただきましたが、あれほど素晴らしい功績でいらっしゃれば、当然のことでしょう。私も臨時学会での発表を心より楽しみしておりますよ」
リャーナはフロスの賛辞に、顔を真っ赤にして照れている。その余りに純朴な反応に、フロスの危機感が募る。これは、早急に対処していかねばならない。
「リャーナ様。今から大事なお話をいたします」
フロスの纏う雰囲気が急激に変わり、リャーナは褒められて緩んでいた顔を引き締め、背筋を伸ばした。学園の教授を思いださせるようなフロスの厳しい視線に、思わず『ハイ、先生!』と返事をしそうになった。
「臨時学会後、まず間違いなく、リャーナ様を取り巻く状況は一変いたします」
うん? と言わんばかりに首を傾げるリャーナは、シャンティあたりが見たら鼻血を吹きそうなぐらい可愛かったが、フロスはピクリとも表情を緩めなかった。今は大事な話をしているのだ。たとえリャーナが孫娘のように可愛くても、ここで甘い顔をしてはならない。
「……ごほんっ! リャーナ様の開発された収納魔術も付与魔術も、どちらも間違いなくこれまでの常識を変えるものです。皇国全体にその影響は広がっていくでしょう」
リャーナはフロスの言葉に神妙に頷いている。リャーナにとっては収納魔術も付与魔術も必要に駆られて作った魔術だが、マーサや魔術師ギルドの重鎮たちが認めてくれて、しかも臨時学会まで開くことになったのだ。発表後は、色々と騒がれるだろうから気を付けなさいと、皆に口を酸っぱくして注意されているからだ。
収納魔術も付与魔術も、冒険者ギルドだけでなく商人たちの間で情報が広まりつつある。臨時学会への参加は、魔術師が主になるのだが、僅かな一般席を巡って商人たちの間で争奪戦が起こっていた。
だがその争奪戦も、臨時学会の事前会議で皇太子マルクがやたらとリャーナを気に入っていた様子が噂になると、随分と下火になっていた。どうやらこの臨時学会が皇太子マルクのお気に入りである平民の魔術師の箔付けのために開かれるという、根も葉もない噂が流れたせいだろう。72年ぶりの臨時学会だけあって、色々な情報が錯綜して魔術師ギルドでも収拾がつかないようだ。
そんなどうでもいい噂は、フロスもダルカス一家もリャーナが知る必要はないと判断しているため、リャーナには知らされていなかった。どうせ臨時学会でリャーナの論文が発表されれば、碌でもない噂など払拭されるのだから。今はそんな事よりも、臨時学会後押し寄せるであろう嵐から、なんとか彼女を守らなくてはならないのだ。
「ここでリャーナ様に必ず守っていただきたい事は、3つあります」
ピッと指を3本立てて、フロスは厳かに告げる。
「1つ、私がいない時に、貴族や商人と話をしない。2つ、私がいない時に、貴族や商人と約束をしない。3つ、私がいない時に、貴族や商人と契約書にサインをしない」
お菓子をくれる人について行っちゃいけませんと言うような口調で、フロスは分かりやすく注意する。リャーナは目をぱちくりさせた。
「リャーナ様も文官としてお働きになっていたからお分かりになるでしょうが、貴族や商人が相手の場合、例え書面を交わさずとも、口約束で契約が成ってしまう事がございます。彼らは奸智に長けておりますので、相手にそれと気づかれぬ内に自分たちに有利な約束を引き出すことが出来る生き物です」
貴族と証人商人をすべからく詐欺師扱いをしているようだが、フロスの言い分はあながち間違いではない。リャーナも文官時代は商人とは縁遠かったが、貴族と幾度か接したことがあるので、その横暴さは知っている。白いものを黒といえば、平民相手ではそれが通してしまえるのが貴族というものだ。
「臨時学会の前後は、リャーナ様をお一人にする事が無いよう、ダルカス様たちや冒険者ギルド、魔術師ギルドと協力体制を敷いておりますが。やむをえず一人で応対するような場面になりましたら、必ず、『すべては利益管理人フロスを通している。フロスを介さない契約はできない』とハッキリお伝えして下さって結構です」
ドーン皇国でも法が整う以前には、貴族の横暴が通ることがままあった。ある製品を開発した平民の商人が、貴族から『これが国中で広まれば、民が暮らしやすくなりますなぁ。是非我らも応援させていただきたいものだ』と褒められ、『ありがとうございます』と返した事で、製品の権利を全て奪われてしまった事例もある。
今はそんな狼藉をすれば法により罰せられるが、狡猾な貴族や商人は法の隙間をついて立ち回ることに長けている。だから法に詳しく貴族たちへの対応に慣れた利益管理人という存在が必要になるのだ。
今回の様に、世界を動かしかねない魔術となると、貴族や商人も必死になって利益を得ようと食らい付いてくるだろう。中には、非合法な方法を取るものがいるかもしれない。
だが、強者たちから弱者を守るのは利益管理人の真骨頂だ。長い利益管理人人生で、これほどの大仕事を出来る事は、フロスにとって大きな喜びだった。まるで利益管理人になりたての若造の頃の様に、フロスは仕事に燃えていた。
「で、でも。そ、そんな事を言ったら、フロスさんにご迷惑が」
貴族に逆らうなど恐ろしい事をフロスにさせるなんてとリャーナは躊躇ったが、フロスは不敵な笑みを浮かべる。
「リャーナ様。利益管理人は皇帝陛下がお認めになった職でございます。利益管理人は偏に依頼人の益の為に動きます。脅しや袖の下に屈するような者は、恥ずかしくてこの徽章を胸に着ける事などできません」
フロスは胸に着けた利益管理人のバッチを指し示し、誇らしげに笑う。利益管理人の武器であるペンと本が象られたバッチは、きらりと光を跳ね返し、フロスの胸で輝いている。
「よしんば道半ばで私の命が奪われようとも、同じくこの徴を胸に着けた仲間が必ずや仇を討ちましょう。例え最後の1人になったとしても、我ら利益管理人が最後まで必ず貴女をお守りします。ですからどうかご心配なく、全てをお任せ下さい」
落ち着いた態度とは裏腹に、まだ見ぬ敵を見定めて、フロスは目をギラギラさせている。こういう好戦的な所が、冷静沈着さが必須の利益管理人に相応しくないところだと己でも思うのだが、性格というものが簡単に変わるはずもない。仲間たちから、昔の二つ名で揶揄われるのは仕方のないことだった。
一方のリャーナは、そんなことまでフロスに言われては、断ることも出来ず、素直に頭を下げたのだが。
「わ、分かりました。フロスさんに全てお任せします。でも、でも、絶対に危ない事はしないでください。私も、微力ながらお手伝いします! あの、私、結構強いですから! サラマンダーぐらいなら、1人で倒せますから! 」
今のリャーナならサラマンダーの単独討伐も危なげなくこなせる。ダルカスの指導のお陰で付与魔術もより効率よく使えるようになったのだ。
「サ、サラマンダー……」
フロスの顔が引きつった。昔ちょっとばかりやんちゃをしていたフロスですら、サラマンダーの単独討伐が出来る様な輩は敵に回したくない。
「悪い人を跡形なく燃やすぐらい出来ます! フロスさんが危ない時には、絶対に私を呼んで下さいね! 」
熱心に説得するリャーナにフロスはドン引きしていたが、少なくとも武力によってリャーナを攻略するのは無理そうだと、その点は安心できるのだった。




