15 討伐の成果と帰還
ダルカスパパ、娘との討伐が楽しくてやらかします。
冒険者ギルドの受付終了時間ギリギリの時刻。明日は休みとあって、誰もが終業をそわそわと意識していた夕刻。仕事終わりに飲みに行こうと計画する者もいれば、早く家族の元に帰ろうと机を片付け始める者もいた。
そんな中、『おー! 間に合ったぞ!』という暢気な声とともにギルド内に駆け込んできたS級冒険者と、最近なにかと話題の新人冒険者の組み合わせを見て、ギルド職員たちは全員、非常に嫌な予感がした。
確か、ダルカスとリャーナは朝の遅い時間にギルドにやってきて、『アレーレの森を浅く潜るつもりだ』と申告して出掛けて行ったはずだ。受付をしたギルド職員は、『それじゃあ今日はそれほどの討伐成果はないだろうな』と、親子の様に仲良く出かける2人を見送った。夕方を過ぎた頃にふと思い出して、『それにしては帰りが遅いな』と、ちょっとだけ気にしていただけのはずだったのだが。
「いやー。浅く潜るだけのつもりだったんだけどな。リャーナちゃんの成長が凄くて、ついつい森の奥に進んじゃってなぁ」
「そんな。ダルカスさんがとても丁寧に教えて下さるから、すっごく身体が動きやすくなって! こんなに頑張れたのもダルカスさんのお陰です!」
お互いに褒め合いつつも討伐報告書を書くダルカスとリャーナの手が止まらず、ギルド職員たちの中の嫌な予感は次第に大きくなっていく。報告書を書き終わるのを待つ職員の頬が次第に引きつっていく。その時点で既に終業時間を過ぎていたが、受付時間ギリギリに来た者を追い返すことは出来ない。しかも、報告書の中身を見てみれば、最初は角ウサギとか森オオカミとか、初心者定番の魔獣だったのに、段々とブルースネイク(中級レベル)とかポイズンベア(上級)などととんでもない名が書かれている。数もおかしい。4匹とか3頭とか。群れに遭遇したのか10頭前後とか数がはっきりしていないのもある。受付だけではなくギルド職員全員が帰るに帰れず、報告書が書き上がるのを待つ羽目になった。
ダルカスとリャーナの討伐報告書が二枚目になった頃には、ギルド長のライズが呼ばれた。ライズは今晩、妻と出掛ける約束をしていた。今日は妻の誕生日なのだ。妻の好きなレストランも予約したし、妻好みの宝飾品も準備した。仕事終わりをこちらもそわそわして待っていたところに職員が青い顔でやってきたのだ。何日も前から計画していた素敵な週末ががらがらと崩れ落ちるのを感じた。
「おお、ライズ様。ちょうど書き終わったところだ」
「私も書き終わりました!」
にっこにこで邪気のない笑みを浮かべる2人から報告書を差し出される。真っ黒に塗りつぶされた様な報告書に、ライズは頭の痛みを覚えた。
「やはりこの水袋は凄い! 今までは持ち帰れる魔獣に限りがあったから討伐も制限していたが、これがあれば数を気にせず討伐できる!」
「荷物入れと獲物入れを分けたので血で荷物が汚れるのを気にせずに討伐出来ました! おすすめは2個持ちです!」
「なるほど、たしかに荷物とは分けたほうがいいかもしれんなぁ。荷物を汚すと洗う手間がでてくるしな。リャーナちゃん、それは良いアイディアだぞ!」
「……ダールーカースー」
わいわいと盛り上がる2人の間に、ライズの低ぅい声が響く。
「は、はい?」
瞬時に背筋が伸びた。ダルカスとリャーナは妙に圧の強いライズの笑みに、ひぃっという悲鳴を呑み込む。
「確かに、受付時間内には間に合っていたようだけどよぉ。獲物が多い時は、受付時間の2刻前には戻るっていう暗黙のルールがあるのは、ヤンネの街で長ぁく冒険者をしているダルカス君も、知っているよなぁ?」
「あ……。えっと、はい」
討伐が楽しくて高揚していたダルカスが、そういえばそういうルールもあったなと思い出す。普段の冷静沈着で何事も用心深く計画を練るダルカスにしては珍しい事だ。思っていた以上にリャーナが強かったこと、水袋が便利だったこと、そして付与魔術が楽しくてついつい熱中してしまった事で、うっかり基本的なルールを忘れてしまっていた。
「そういう冒険者の不文律のイロハを、新人冒険者に教えるのも先輩冒険者としての役割だよなぁ?」
「ソ、ソウデスネ」
たとえ凄腕のS級冒険者相手であろうが、言うべきことはきっちりと言う。それぐらい出来ないと、冒険者ギルドの長など務まるものではない。ダルカスに灸を据えたライズは、はーっと溜息を吐いて討伐報告書を眺めた。
「その日に受けた報告はその日の内に処理するのが原則だからなぁ。恨まれるぞぉ、お前ら」
討伐で獲って来た獲物は、その日の内で処理をしないと鮮度が落ちて買取価格が大幅に落ちてしまう。だから獲物が多い時は時間に余裕をもってギルドに持ち込むというルールがあるのだ。折角の週末に残業が確定したギルド職員たちが、ジト目でダルカスを睨んでいた。
「あ、あのぅ。でしたら、報告はお休み明けでもいいです……」
そんなルールは少しも知らなかったリャーナが、しょぼんとしながら申し出るが、ライズは首を振る。
「駄目だ。折角の獲物の鮮度を落とすなんて勿体ない事は出来ないからな」
冒険者が狩った獲物はギルドで買い取った場合、街の飲食店にその肉は卸される。街の食料の一端を担う立場として、大量の食糧を前にしておいて、残業が嫌なので仕事はしませんなんて口が裂けても言えない。
「そ、それなら大丈夫です! 魔術士ギルドのお爺ちゃんたちと改良して、収納の魔術陣に時間停止機能を付けたんです! この水袋に入れておけば新鮮なままで保てますから!」
リャーナは水袋に手を突っ込んでごそごそすると、角ウサギを取り出した。
「これ、午前中に一番初めに狩った魔獣です! まだ温かいですよ!」
ギルド職員たちは水袋から突然出てきた魔獣にギョッと目を瞠る。ライズが慌てて角ウサギに手を伸ばすと、確かに仕留めたばかりの様な温かさと柔らかさを感じた。
「実験では氷菓子を入れても溶けませんでした!」
嬉しそうにキラキラの目で報告するリャーナには、終業間際の大量の獲物持ち込みよりもヤバイ問題を持ち込んだ自覚は無い。
「ええっと。この件は魔術師ギルドの重鎮たちと一緒に臨時学会で発表予定だそうで。収納の魔術陣とともにマルク殿下より使用許可が下りてますので、大丈夫です」
ダルカスからすかさずフォローが入るが、ライズは全く大丈夫だとは思えなかった。現に収納袋から取り出された角ウサギに、経験豊富で滅多な事では動じないギルド職員たちがざわざわしているじゃないか。これが市場に出たら、どんな騒ぎになるのか。それに、滅多に開かれない、魔術師ギルドの臨時学会。もうそれだけで、厄介事の匂いしかしない。
ちなみに、リャーナと魔術師ギルドの重鎮たちによってまとめられた収納の魔術陣と改良版の時間停止機能についての論文を読んだマルク殿下は、どうしてその場に呼んで一緒に研究させてくれなかったのかと、血の涙を流して悔しがっていたらしい。リャーナに怖がられている時点で、魔術師ギルドの重鎮たちが同席を許す筈がないのだが。
「……そうか。よし、それなら、本日の業務は終了とする!」
ライズはリャーナの提案に乗って、ヤケクソでそう叫んだ。
魔獣の鮮度が落ちないならば、報告の処理は当日でなくても構わない。
休み明けに巻き起こるであろう騒動を覚悟しながら、ライズはとりあえず今は妻の誕生日を祝う事だけに集中しようと、心に決めたのである。
◇◇◇
「リャーナちゃぁぁん! 」
ダルカスとリャーナが家に戻った頃、辺りは、すっかり暗くなっていた。
家に着くなり飛び出してきたシャンティに抱き締められ、おいおいと泣かれて、リャーナは目を丸くする。
「遅かったねぇぇ! なかなか帰ってこないからしんぱいでぇぇ! 迎えに行くとこだったわよぉぉ」
そう言うシャンティの姿は動きやすそうな格好をしている。傍らに静かに控えるアンディは厳つい剣を携えていたし、呆れた顔をしているマーサも杖を持ってローブ姿だ。
「だから心配ないって言ったろう、シャンティ。父さんが付いていて、万に一つの間違いがあるものかね」
「でも母さんだってぇ、迎えに行くのを反対しなかったじゃないぃぃ」
涙や鼻水に塗れた顔でシャンティにそう言われ、マーサはふんと照れ隠しに持っていた杖をくるりと回した。
「娘の帰りが遅いんだから、母親のあたしが迎えに行くのは当たり前じゃないか」
「私だってお姉ちゃんだもんんー。私だって可愛い妹を守るのよぉぉぉ」
ぎゅーぎゅーとシャンティに抱き締められ、リャーナは呆然としたままアンディに目をやると。静かな優しい目で見つめられ、無事を喜ぶようにうんうんと頷かれた。
家に入ると、テーブルの上には所狭しと温かな料理がのっていて、どれもリャーナが美味しいと喜んだ料理ばかりで。初めて?の討伐に疲れて帰って来るであろうリャーナを喜ばせたいと、シャンティやマーサが張り切って作ってくれたのが目に見えるようで。
リャーナは抱き締められる温かさ以上に、シャンティたちの温かさを感じて、ツンと鼻が痛くなった。
「……ただいま、お姉ちゃん。遅くなってごめんね」
「お帰りぃぃ! リャーナちゃぁぁん! 無事で帰ってきてくれたら、それでいいのよぉぉぉ」
「ただいま」というのも「お帰り」と言われるのもこんなに嬉しいものなんだと、リャーナはつくづく今の幸運を噛み締めるのだった。
その後、少々遅くなった夕食の席で。リャーナの初めて?の討伐の報告を和気あいあいと聞いていたシャンティたちだったが、次第にその顔が曇っていった。
「……そう。そんなにブラックタイガーが出たの。それは大変だったわねぇ」
「でも、ダルカスさんが殆ど倒してくれたの! 私はほんのちょっと、取りこぼしを狩っただけよ。でもあんなに数が多いのは初めてだったからびっくりしちゃった」
にっこにこと百パーセント善意でダルカスの格好良さを語っているリャーナに、ダルカスは内心、焦っていた。うん、まずい。これは非常にまずい。妻と末娘と未来の義理息子から漂う空気が急速冷凍されている。これはとてもよくない兆候だ。
「父さぁん?」
嫌に迫力のあるシャンティの声に、出来るだけ存在感を消していたダルカスは、ぎくりと身体を強張らせる。
「今日は、森の浅い所を潜るだけって言ってたわよねぇぇ」
ワイングラスを傾けて、上機嫌だが目が笑っていないマーサの声も同じように何故か迫力がある。
「リャーナちゃんの実力を見るだけだから、無理はしないっていってたねぇ」
静かだが迫力のある声で、アンディも続ける。
「すぐに帰るって言っていた」
ジロリと三対の眼に睨まれ、ダルカスは冷や汗をダラダラと流した。
いや確かに、ダルカスも今日は様子見で終わるつもりだったのだ。だが予想以上にリャーナの冒険者としての才能が素晴らしく、教えた事をぐんぐんと吸収して面白いぐらいに成長するものだから、ついつい腕試しの為に森の奥へ奥へと進んでしまったのだ。それにリャーナと試した付与の魔術陣。様々な魔術を付与すると、効果もまた違っていて、試しまくっている内にどんどん時間は過ぎて行って。
でもアレーレの森はダルカスの庭みたいなものだし、もしもの強い魔獣が出た時はダルカスがフォローするつもりだった。そんな必要がないぐらい、リャーナは強かったのだが。
だがそんな言い訳は、この過保護な保護者たちの前では通用しないだろう。頼みの綱のリャーナは、ちょびちょびと舐める様に飲んでいるワインのお陰で頬は真っ赤で、なんだかほわほわしている。討伐の時はあんなに的確にダルカスをフォローしてくれたのに、今のほろ酔いリャーナにそれは期待できない。
「リャーナちゃん、眠そうね。今日は疲れただろうから、少し早いけどもう寝た方がいいかもしれないわねぇ」
「はぁーい」
ダルカスの必死なアイコンタクトに気づく事なく、リャーナは優しくシャンティに促されて、上機嫌でくふくふと笑って頷く。そんなリャーナをデレデレした顔で見ていたシャンティだったが、リャーナが部屋に戻ると途端に冷ややかな目をダルカスに向けた。
「どういうことか、きっちり説明してもらうわよ、父さん」
ダルカスも(主に精神的に)疲れてはいたのだが。
彼にとっての長い夜は、まだ始まったばかりだ。




