1 文官は逃げられない
新連載を始めました。よろしくお願いします。
カージン王国、第一魔術師部隊に、悲鳴の様な声が上がった。
「はぁぁぁぁ? いやいやいやいや、私、今、遠征から帰ったばっかりなんですけど」
旅装も解かぬまま報告のために登城したリャーナは、己が所属する魔術師部隊のちょび髭上司のあんまりな発言に思わず突っ込んだ。
「うんうん、良く戻ってきてくれたよ。本当に、タイミングが良かった。実はカーラ君が、突き指をしてしまってねぇ」
ちょび髭上司の後ろで、クルンクルンに髪を巻き、化粧バッチリのカーラが、見せつける様に包帯を巻いた指を見せた。その美しいが機能性はなさそうな豪奢なドレスは、カーラが魔術師として外に出て働こうなんて欠片も考えていないことを表している。突き指なんて適当に考えた言い訳だろう。
「だからね、君が東の塔の結界を張り直してきてほしい」
助けを求める様にリャーナが視線を巡らせれば、周囲の魔術師たちは巻き込まれては敵わないと言わんばかりにリャーナたちから目を逸らして仕事に没頭している振りをしている。下手に口を挟めば、ちょび髭上司がこれ幸いと仕事を押し付けてくると分かっているのだ。
「あの! 私、辺境のサラマンダーの討伐で、左半身大火傷を負ったんです! 治癒に魔力を使いすぎて、魔力枯渇で死にかけたんです! まだそれなのに、今度は結界を張れなんて無茶です! 大体討伐も結界も、私の仕事じゃないですよね? 元はカーラさんの仕事じゃないですか?」
サラマンダーの討伐で負った怪我は重傷だった。左半分が綺麗に焼け焦げて、リャーナの薄い茶色の髪や白い肌や吊り目気味の紫の瞳も、元に戻すのはそりゃあ大変だった。治癒後に鏡に元通りの少しキツめの顔が映って、どれほどホッとしたか。
「でも君もできるだろう? あの国立学園の主席卒業者じゃないか」
嫌味ったらしいちょび髭上司の言葉に、リャーナはピキリと額に青筋を立てた。確かにリャーナはカージン王国国立学園の出身で、卒業後はその功績が認められ王家に勤めている。だが。
「国立学園を卒業していようと、私の仕事は文官です。書類仕事が主なんです!」
リャーナの身分はあくまでも第一魔術士隊に勤める文官だ。しかも身分は平民。高位貴族の有力な後ろ盾がないリャーナの立場は、その辺のぺらっぺらな紙より弱い。そしてもちろん、給料は魔術師と比べるのも悲しくなるぐらい安い。それなのにどうして、危険な討伐やキツイ仕事を押し付けられなくてはならないのか。
だがリャーナの訴えに、ちょび髭上司はわざとらしいため息をつき、リャーナを睨んだ。
「君ねぇ、同僚を労ると言うことが出来ないのかい? カーラ君は酷い突き指で苦しんでいるんだよ? 君と違って高位貴族の、深窓の令嬢というのはとても繊細で傷つきやすいんだ」
当のカーラは、ちょび髭の後ろで爪の磨き具合を確認し、侍女にアレコレ命じて手入れをさせている。
カーラ・アウト―ル。アウト―ル公爵家の令嬢で王太子ジェント・カージンの婚約者である。高貴な身分であるだけでなく魔術師としても一流の腕前を持ち、第一魔術師隊に入隊間もないというのに、数多くの功績をあげている才女だ。おまけに艶やかな黒髪と宝石の様な翠眼の美女なので、婚約者である王太子は、片時も彼女を離さずに溺愛していると評判だ。
ちょび髭上司は立場こそカーラの上司ではあるが、身分的にはカーラに遥かに及ばない。いずれ王太子妃になるカーラに全力でゴマをすっており、そのしわ寄せは他の部下たちに押し付けていた。
「そのカーラ様の代わりにサラマンダー討伐をして死にかけた私のことは、同僚として労っていただけないんですか?」
リャーナが怒り交じりに訴えるが、ちょび髭上司は片眉を上げただけだった。
「だって、君、もう治っているじゃないか」
聞き分けのない子どもを相手にしている様に、ちょび髭上司はゆっくりとリャーナに言い聞かせる。
「これはね、リャーナ君。上司命令だよ」
ちょび髭上司のいつもの言葉に、リャーナは口を噤んだ。上司に命令だと言われてしまえば、部下であるリャーナに抗う術はない。抗ったって、減給されるだけなのだ。
結局、リャーナはそのまますぐに東の塔へ行く事になった。
魔力の戻りが完全ではない状態でようやく辿り着いた東の塔では、これまた来るのが遅いとか結界が壊れて魔獣が侵略したらどうすると兵士たちに散々罵倒され、またまた魔力枯渇を起こしながら、何とか結界を貼り直した。魔力枯渇のせいで頭がガンガンと痛み、身体が冷えて震え、目の前が霞んでいた。
「ちっ! 平民の文官の分際で、力の出し惜しみをしやがって。お前は王太子殿下が開発したこの素晴らしい結界維持魔術陣を無駄にする気か? 愚か者がっ」
魔力枯渇で歩くこともままならないリャーナを、兵士たちは塔から放り出した。塔の外は結界のおかげで減ってはいるが、魔獣が全く出ないわけではない。そんな危険な塔の外に、結界を張り直すのが遅れたと言う理由でフラフラのリャーナを追い出したのだ。いつも平民であるリャーナの扱いは酷いが、今日は兵士達の虫の居所でも悪かったのか、最悪な扱いだった。その場に留まれば兵士たちから暴力を振るわれかねないと、必死に足を動かして砦から離れる。
「やばい、これ、死ぬかも……」
意識が朦朧とする中、砦が遠目にも見えなくなった所で、リャーナはいよいよ大きな木の根元にしゃがみ込んでしまった。辺りは暗くなり始め、夜のひんやりとした空気が漂い始めている。
「もう無理ぃ……」
そこで、リャーナの意識はぶっつりと途切れた。
◇◇◇
バチパチパチと、火が爆ぜる音で、リャーナは目を覚ました。リャーナの身体には古いが清潔な毛布が掛けてあり、それがとても暖かかった。
「お、起きたか?」
慌ててリャーナが飛び起きると、人の良さそうな中年の男が、リャーナの側によってきた。茶色い髪と茶色の瞳の、クマの様な大男だったが、物凄く優しい目をしている。ふわっと包み込まれるような男の優しい雰囲気に、リャーナの警戒心は一気に霧散する。
「大丈夫か? 君、そこの木の根元に倒れ込んでたんだぞ?」
「あー、助けていただいて有難うございます……」
ズキズキと痛む頭を押さえ、リャーナはヘロヘロとお礼を言った。
「具合悪そうだなぁ、大丈夫か? 今日はもうここで野宿するつもりだったが、街まで戻ったほうがいいかなぁ。医者にみてもらうか?」
人の良さそうな男は心配そうにリャーナを気遣う。上司や同僚よりも見ず知らずの他人の方が優しいと、リャーナは涙が出そうになった。
「大丈夫です、ただの魔力枯渇ですから。休めば治ります……」
「何? 魔力枯渇? あんた魔術師か? ならばこれが良いぞっ」
男はカバンから細長い水筒を取り出し、リャーナの口元にあてがった。中身をコクリと飲み込むと、不思議な味の飲み物だった。味は殆どないのに、淡い風味がある。水筒の中を覗き込むと、長いキノコが一本、丸々と入っていた。その水を飲み込むごとに、身体にじんわりと温かなモノが広がっていって、リャーナの魔力がぐんぐん戻っていく。
「おっ、あんたすごい魔力量なんだな。普通なら一口で回復するってのに」
男は驚いた様にリャーナを見る。リャーナは水筒の中身をごくごく飲んで、空にしてしまった。
「あ、魔力が全回復してるっ! 何ですか、このお水? はっ! まさか高価なものっ?」
リャーナは身体がすっかり軽くなったのに驚いたが、水筒を全部飲み干してしまったことに青くなった。
「いやいや、大丈夫。こっちの国ではあんまり知られてないが、隣のドーン皇国では一般的な魔力茸を薬草を溶かした水につけたものだ。魔力回復にドーン皇国じゃ普通に使われてて、そんなに高価なものじゃない。気にするな」
血の気さえ引いてしまっているリャーナに何かを察したのか、男はぶんぶんと手を振って否定した。それを聞いてリャーナはホッと胸を撫でた。
「よ、良かった〜。でも全部飲んでしまってすみません、弁償しますね」
「いいって。それより元気になって良かったよ。俺はダルカス。隣国のドーン皇国で冒険者をやっている」
「リャーナです。カージン王国の文官です」
リャーナの自己紹介に、ダルカスは不思議そうな顔をした。
「文官? そんな格好をして、魔力量も凄いのに文官なのか? 魔術師じゃなく?」
リャーナの格好は魔術師が着るようなローブと簡素なシャツとパンツだ。確かに文官というよりは魔術師の様だ。
「カージン王国では、平民は魔術師になれないんです。貴族じゃないと……」
「えっ? そうなのか?」
「はい。魔術師は国立学園で学び資格を取るんですが、そもそも学園は貴族しか通うことが出来ません。ごく一部、特例で素質のある平民が通うことが出来ますが、文官コースしか選択できないんです」
「あー、じゃあリャーナちゃんはその一部の平民枠なのかー。凄いなぁ、俺の娘ぐらいの歳なのに、王宮勤めかぁ」
前途洋々だなぁとダルカスは顔を綻ばせるが、あれ? と再び不思議そうな顔になった。
「でも文官って、俺なんかじゃよく分からんが、王宮内で書類仕事とかするんじゃないのか? こんな魔獣のいる山の中で何してるんだ?」
「あ、東の塔の結界陣を張り直してました」
「結界陣? あのカージン王国の王太子が作った魔術陣のことか? なんでリャーナちゃんが? 文官なんだよな?」
「はい、文官です……」
元々、結界陣はリャーナが国立学園に在学していた5年間の間に開発、研究した魔術陣だった。王太子に発表の仕方を相談しているうちに何故か王太子とその婚約者と側近達との共同開発ということになり、開発の代表者として報告書にデカデカと王太子の名が書かれていた。その次に華々しく婚約者や側近達の名が連なり、最後に小さくリャーナの名が書かれていた。ちなみに、王太子たちがやった事は報告書の書き方を整えたぐらいだ。開発、研究、報告書の執筆まで全てリャーナ一人でやったのだ。
「結局、カージン王国で魔術陣の内容を理解しているのは私か、論文を書くのにアドバイスをくれた学園の先生ぐらいです。魔力を大量に利用するので、陣を保持できるのはこの国では数人いるかどうかで……」
リャーナの先輩で王太子の婚約者であるカーラも陣の維持は出来ないだろう。明らかに魔力が足りていないのだ。魔術陣の張り直しの仕事は表向きはカーラに依頼が来るが、結局はリャーナが出張る事になり、その功績はカーラのものとなる。カーラが魔術師隊に入隊してからの功績も、全てリャーナが上げたものだ。
人の良さそうなダルカスに、リャーナはついつい今まで誰にも言えなかった愚痴をこぼした。王宮には孤児で平民のリャーナの味方など誰もいない。それなのにこんなに親切にしてもらい、ついつい不満や愚痴などを言いたくなってしまったのだ。
「ひっでぇ話だ。なんでリャーナちゃん、そんな仕事を続けてるんだ? 国立学園の学費とか、返すためか?」
ダルカスは顔を歪めて怒り、リャーナに聞く。
「いえ、本来は学園に通う平民は卒業後に何らか国の為に働く義務がありますが、私の場合は魔術陣開発の一員という功績で、そこは免除になっています」
「一員というか、メインの開発者だろうが。まぁ、それは国に縛られる事にならずに良かった。それじゃあどうしてそんな仕事……、あー、もしかして、あのー、王太子と恋仲とか、その、片想いしているからとかか? 絵姿を見るといい男だもんなぁ。身分的に認められない、秘められた恋ってやつか」
ダルカスは気遣う様にリャーナに聞く。王太子に婚約者がいることを知っているせいか、非常に気不味そうで、同じ年頃の娘がいるせいか、非常に心配気だ。
「は? いや、ないない、ないです! あんな男。私と会うたびに顔じゃなくて胸を見てるんですよ!」
ゾワゾワと腕に鳥肌が立って、リャーナは思わず叫んだ。やたらと押しつけがましく馴れ馴れしい王太子にうんざりしているというのに、婚約者のカーラに王太子を狙っていると邪推され、様々な嫌がらせを受けている。理不尽だ。
ダルカスはリャーナの胸に一瞬視線を走らせ、納得した様に頷き、慌てて目を逸らした。リャーナの疑いの目を、焦った様に否定する。
「いや、俺はそんな下心はないぞ、ちょっと確認しただけだ! 俺は神に誓って、嫁さんにしか興味がないっ! どんなにデカくても、嫁さんの胸には勝てんっ!」
「そんなこと宣言されても、私どうしていいか分かりませんが」
余りに必死なダルカスに、リャーナは思わず笑ってしまった。それを見て、ダルカスはポリポリと頬をかく。
「なんだ、リャーナちゃん、笑ったらすげぇ可愛いじゃないか。青白くて悲壮な顔ばっかりしてるより、そっちの方が魅力的だぞ? あぁー、娘と同じ年頃の子が、そんなに苦労してるなんて、やるせ無いなぁ。やっばりそんな仕事を辞めた方がいいんじゃないか?」
「でも文官を辞めたら、私なんてどこにも勤められません。後ろ盾のない孤児の平民なんて、誰も雇ってくれませんよ」
「なんでだ? リャーナちゃんぐらいの実力者なら、どこでだって働けるだろ?」
リャーナはしょんぼりと頭を下げた。
「そんな事ないです。私、文官を辞めたら、路頭に迷うに決まっているんです」