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今日もあなたに届くように

作者: 多賀 花道

家を出ようと思った。大学を卒業したら、実家を出て、新しい環境に身を置きたいと思った。


いつも通る道、いつも通うお店、陽気なご近所さん、近くの小学校から聞こえるチャイム。


いつもの風景が、ここ数年、酷く辛かった。


それでいて、古い家の解体や、近くの喫茶店が潰れるのは悲しかった。


あのお店、あの時あの子と行ったな、とか、空き地になったあそこには前は何があったっけ、とか懐かしい思い出が蘇ったり、霞んで消えていったりしてしまう。


大好きな親友と2人で歩いた鮮やかな日々と、ある日突然1人になった重苦しい日々の記憶。


「いい人を見つけて結婚するまでは家にいた方が経済的でいい」と両親は言うが、私は嫌だった。


二人が今でも私に気を使っているのはわかっていた。


深夜になって、二人で私を心配そうにどうしたものかと悩んでいるのも知っている。


私はこの家に居たくない。二人のそんな不安そうな顔を見たくない。



引越しはしばらく先だが、私は一人で少しづつ荷物を片付けていた。


必要なものは残し、要らないものは捨てる。こういう思い切りはいいほうなので、作業は捗る。


途中でアルバムなども出てくるが、それを見ている暇はない。


……見たくもない。


そこには、人生で一番楽しかった瞬間と一番悲しかった時が収まっている。


暗い思いが過ぎって、すぐにアルバムを棚にしまった。


ドンッ!と大きい音をたててしまったが、その音でハッとして気持ちを落ち着けた。


だいたいの処理が終わって、

70リットルのゴミ袋三つ分の要らないものが私の部屋にあったことに驚いているが、部屋の雰囲気はあまり変わらない。


ついでに掃除もしておこうと思い、ゴミ袋をベランダのゴミ箱に入れて掃除機を持ってきた。


カーペットをめくって端から順に掃除機をかける。


そして押し入れの床もホコリが溜まっているかもしれないとドアを開け、左に見えた大きな箱を動かしてしまった。


箱の後ろにあったのは黒くて取っ手の着いた長方形の箱が2つ。

中身はトランペットだ。1つは私の物であるが、もうひとつは私の物ではない。


親友のものであったこのトランペットを、彼女の両親が私に預けたものだ。



そのトランペットケースが微かに光った気がして手に取る。


そして気づいたら開けていた。


触れたら何かが溢れてしまいそうで、何かが壊れてしまいそうで、トランペットが私の元に来てから1度も中を開けたことはなかったのに。


いつの間にか、手が、動いていた。


金色に輝くトランペット。手入れはしていないのに彼女が吹いていた時と変わらず美しい。


それは少し、不自然なほどに。


その奥に白い紙がはみ出ているのが見えた。


何かと思い手に取ると、驚いた。


……彼女からの手紙だ。


なぜ?どうして?


そんな疑問も抱くまもなく、私は手紙に吸い寄せられるように封を開けて読んでいた。



「私の親友へ。


事故でさよならも言えずに別れてしまったから神様にお願いをして1度だけ手紙を送ることを許されました。


中学校三年間、私と一緒にいてくれてありがとう。一緒にトランペットを奏でてくれてありがとう。


あっという間のような長かったような、そんな時間だった。


あなたの奏でる優しくて力強い音色が大好きだった。


音楽が大好きだってみんなに訴えかけてる音だった。


その音が聞こえなくなってしまったのが私のせいであることが本当に悲しい。


私は、音楽を続けられないことが心残りなの。


だからあなたに、私の分ものせてもう一度音楽を続けて欲しい。


あなたの音をもう一度聞きたい。


もし良かったら私のトランペットで、私と一緒に吹いて欲しい。


もう一度音楽を、愛してほしい。」



そこまで読むと手紙が光になって消えた。


あぁ、そうだ。私は、



音楽が好きだ。

時に心を高揚させ、時に暗く沈んだ心のモヤを取り払う。


音楽が好きだ。

時に大切なものをふと気づかせてくれる。作曲家のメッセージが込められていて、時代も、国も、境遇も、何もかも違う作曲家と聞き手、もしくは演奏者と話ができるような気がする。



そんな音楽が、大好きだ。



大好きだったんだ……。


涙は出なかった。


泣いたら彼女が悲しむんじゃないかと思うと同時に涙はせき止められた。




私は親友のトランペットを手に取り、息を吹き込んだ。


静かな町に、まっすぐで透き通った音が響き渡る。


すると、静かだと思っていた町は様々な音で賑わった。



車のエンジン音、近所の子供のはしゃぐ声、鳥の鳴き声、

風の音、隣の家のテレビ。


町は、静かだったんじゃない。聞こえなかったんだ。

心を閉ざして、塞ぎ込んでいた自分の視野が広がったんだとわかる。





彼女の分も音楽を愛し、トランペットを愛し、音楽の感動をみんなに伝える。


全部、彼女と二人分。


見失っていた自分を見つけられた。





「じゃあ、行ってきます。」


私は大学を卒業して、音楽を一から学ぼうと海外に出た。


中学卒業からの数年のブランクは思っていたよりはるかに大きかったが、元々大好きなことだから苦ではなかった。


海外に出て6年後、私は世界中を飛び回るトランペット奏者になった。


言葉はいらない。音だけでいい。


この音が天国にも届くように今日も私は奏でよう。





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