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最終話 剣の行く先

 朝だ。

 ついに試合の日を迎えた。


 部屋の縁側で、黒猫が寝っ転がっている。

 沖田は道着に着替えて、木刀を持ち、縁側から庭に出た。


 木刀は重たいものではない、普通のものだ。


 黒猫に横から見てもらうように、両手で木刀を持って、中段に構える。

 頭の上に振りかぶって、一振り。


 一振り。また一振り。


 今日というこの日まで、菅原先生と川井先生たちが協力してくれた。

 学生たちみんなが応援してくれている。

 永倉さんと斉藤君には、たくさんつき合ってもらった。


 そこに彼がいると想像して、また打つ。


 木刀を構えたまま、彼が面を打ち込んできたとして右にかわした。


 今度は、左。


 右にかわして、面を打つ。


 勘が戻っている。

 技も、体も、昔のようだった。


 一息つく。

 ふと思い出して、縁側の方を振り向いた。


 あの時のように、黒猫が見ている。


 ――今ならば、斬れるだろうか。


「ニャー」


 勝手な思い込みだったが、その鳴き声は許してくれているように聞こえた。

 試してみなと。


 沖田は、うなずいた。

 木刀を柄から左腰につけて、居合の構えを真似る。


 心を落ち着かせ、刀を抜き放った。


 横に払って、朝の空気を断つ。


 ――斬れた。


 文句無しの一振り。

 自分の中に、沖田総司が戻っていた。


 構えを解き、晴れやかな想いで庭に立つ。


 また顔を向けると、黒猫が見てくれていた。


「ありがとう、トシ」


 自然とそう呼んでしまった。



 場所は、高倉家の御屋敷の内庭である。

 白砂が敷きつめられたそこの広場で、皆が観覧している中、行われる。


 沖田は袴に着替え、荷物を持つ。

 学校の寮を出て、そこに向かった。


 付き添ってくれるのは、永倉と斎藤だ。


 都の中を歩いて行って、屋敷の門の前で別れる。


「それでは、ここで」

「おう、勝てよ」


 永倉が言葉をかけ、斎藤は力強くうなずいた。


「こちらへ」


 門を潜り、屋敷の使いの者に案内されて、控えの間へ。


 そこで一人瞑想して、刻が来るのを待つ。


 皆を代表して、菅原先生が様子を見に来てくれる。


「――時間です」


 目を開け、額にはちまきをかけた。


 木刀を手に、試し合いの場に向かう。


 屋敷の中を歩いて行って、試合場にたどり着く。


 観覧席の主席に座って、龍宮京の主、高倉浪平が沖田に目を向けた。

 その前に設けられた試合場の中心で、高倉虎丸は木刀を手にして待っていた。 


 周りの見物席には川井、村田、優香、亀吉ら、学生と先生たちの姿があった。

 黒猫は、優香に抱かれている。

 永倉と斎藤、菅原先生は、立って見ている。


 他にも多くの者が、試合を一目見ようと集まっていた。


 彼らの想いなど意に介さず、高倉虎丸はただそこに立っている。

 武士として、この試合の沖田の相手を務めることに徹していた。


 ――ありがたい。


 沖田は試合場の真ん中まで歩いて行って、虎丸と向かい合う。


 話すまでもなく、その眼が訴えていた。

 加減は一切無用。全力で来いと。


 皆が見ている中、沖田と虎丸は一礼を交わした。


「これより、沖田総司と高倉虎丸の試合を始める」


 ここの主として、高倉浪平が御前に座じたまま立会人を務める。


「双方とも準備はよいな?」

「……はい」

「いつでも」


 沖田は感謝して、木刀を構える。


「それでは――はじめ」


 虎丸と刀の先を向け合った。

 互いに、中段の構えだ。


 沖田は木刀の先を水面のように揺らして、間合いを計る。

 目を凝らし、相手の剣、手足、目を射抜く。


 虎丸は視線を向けたまま、岩のように動かなかった。


 いつまで待っても来ない気がする。

 相手の強さと腹の内が見えない。


 流れに身を任せ、仕掛けてみることにした。

 決められるものならば、一気に決めてしまえ。


 思い出せ。体で斬る。


 相手に向かって、前に一歩踏み出す。

 間合いを詰められた虎丸が、一歩後ろに下がった。


 また一歩、前に詰める。

 相手がまた一歩、後ろに下がる。


 また一歩。

 詰めた瞬間、虎丸が出てきた。


 伏せた虎が襲いかかるや如し。

 刀を振るって、手首に打ち込んでくる。


 沖田は咄嗟に左に避け、横切る相手の手へ木刀を打ち返した。


 しかし刀を右に振られ、左へ弾かれる。


 向かい合ったまま、虎丸が大きく後ろに下がった。


 一瞬の攻防。

 見物人たちから、どよめきが起こった。 


 相手の初めの一撃、病み上がりのままだったら決められていたことだろう。

 こちらが返した一撃も、京の不逞浪士が相手であれば勝負はついていた。


 高倉虎丸、相手にとって不足なし。


 とはいえ、喜んでばかりもいられない。

 

 相手の腹の内が見えた。


 虎丸は、自分から動く気はない。

 沖田が何をしてこようとも、最後まで待ち構える。


 これは、御前試合。

 とことん試す気でいる、皆に披露する気なのだ。

 沖田の剣を、沖田総司がいかなる武士であるのかを。


 認められているからこそ、そうする。嬉しく思った。

 ただ自分を相手に、それができる自信があるのは少々いただけない。


 向こうの強さが、未だ見えないのは確かだが。


 実力は、あちらが上か――だからどうした。


 万の敵が相手だろうと、近藤さんと土方さんは決して逃げなかった。

 賊軍呼ばわりされようと、時代に取り残されようともだ。


 困難な相手に対し、二人だったらどうする?

 局長なら、真っ直ぐ。副長は、頭を使って。


 昔であれば、ただ二人を信じるだけでよかった。

 今はいない、自分が二人のようにならなければ。


 二人を見習って、出会った人たちから学んで、一歩、二歩その先へ。

 沖田総司は、変わる。変わるのだ。


 試されているならば、存分に見せよう。

 相手が待ち構えているというのであれば、こちらから出向くまで。


 そして沖田がそうしてくることなど、相手は百も承知。


 最初から読んで、ああして誘っているのだ。


 高倉虎丸は、こう言っている。


 沖田殿、あの技で来い。

 拙者が、破ってみせよう――と。


 ――面白い。


 一度見せたことに無論悔いなし。何度見せようと同じ技で挑むのみ。

 それと己の剣が戻った今ならば、一度目とは比べものにならない。


 いいとも。

 見せてあげる、虎君。

 私の、三段突きを――。


 互いの剣が届く、間合いに入った。


 沖田は左の肩を引き、体を少し前のめりにして、右足を前に。

 木刀の刀身をやや右に傾け、切先を相手の左目に向けた。


 天然理心流、平晴眼の構えである。

 相手からすれば、龍が飛びかかってきそうに見えるだろう。


 虎丸はやはり何もせず、左目に突きつけられた切先から目を離さず静観する。

 受けて立つ気だ。


 沖田は、切先に気を集中させる。

 動かず、全身に力が漲るのを待った。


 時が流れる。

 思い通り、振るえると悟った。


 勝負。


 体を、前に押し出す。


 狙いは、鳩尾みぞおち

 刀を、突く。


 同時に、虎丸が一歩下がった。

 届かない。

 互いに、次の動きまで見えている。


 間をおかず、刀を引き、体を出して突く。

 その間、刹那。


 次の狙いは、喉。


 虎丸が刀を交わして、沖田の切先を上に流した。

 すかさず面を打って、仕留める気でいる。


 甘い。


 その後の引きが、相手の先を行く。


 三突き目――決まる。


 沖田の木刀の切先が、虎丸の喉仏の前で止まった。

 虎丸の木刀は沖田の頭上にあったが、相討ちとは呼べそうになかった。


「それまで」


 立会人、高倉浪平の一声で決着となる。

 沖田と虎丸は中央に戻って、木刀を下げたまま向かい合った。

 気づけば、お互い汗びっしょりだ。息を切らす。


「勝者、沖田総司」


 二人は、深々と一礼する。

 見物人から歓声が沸き起こった。


 川井先生と学生たちが拍手喝采と祝福の言葉を贈ってくれた。

 永倉が拳を握りしめ、斎藤は穏やかな笑みを浮かべる。

 菅原先生は微笑した。


「負けたよ、沖田殿」

 虎丸が話しかけてきた。

「頼む。あの技、拙者に教えてもらえぬか」

「いいよ。君の技を教えてくれるならね」

 互いの技と健闘を称え合う。


 虎丸は場外へと下がり、沖田は浪平の前に膝をついた。


「お見事。まことにあっばれ」

 龍宮京の主に賞賛される。

「おめでとう、沖田総司。今からそなたは龍宮京の武士だ」

「ありがたき幸せ」


 武士としてそう言えることが、心から嬉しい。


「さて、沖田殿。さっそく俺からそなたに渡したいものがある」


 そう言うと、浪平が笑って、そばに控えていた使いの者に合図を送った。

 その者が立ち上がり、奥へと下がる。


「私に?」

「ああ。初めて会った時に言うたであろう。そなたが必要になった時に用意できるかもしれないと」

「まさか……」

「きっといつかこうなると思ってな、この日を俺も楽しみにしていた。頭を下げて頼んだ甲斐があったというものだ」


 奥から使いの者が、一つの鞘袋を持ってくる。

 浪平のそばに膝をつき、鞘袋を両方の手の平に乗せて掲げた。

 その鞘袋を浪平は手に取ると、片手で持って沖田に差し出す。


 思い出すのは、侍が褒美として主から刀を頂戴する時の姿。

 沖田はその所作どおり、丁重に受け取った。


「袋から出して、抜いてみよ」


 浪平に言われたとおり、鞘袋の紐を解いて中身を取り出す。

 出てきた鞘は蝋色、鍔は破れ扇の金象嵌、長さは二尺四寸ほど。


 沖田は興奮してその柄を握りしめ、刀を抜いた。


 刀身は細く、腰反り高い。刃紋は、一文字丁字。

 忘れもしない、その形、美しさ。


「本当に……」

「そうだ。菊一文字則宗だ」


 かつての愛刀が手元によみがえったみたいだった。

 いや、それ以上の代物だ。


なかごにはしっかりと、銘と菊の紋と一の文字が入れられている。だがそれだけではないぞ。触れた瞬間にわかったであろう」


 重さ、反り、長さ等が自分の技と体に極めて合っており、硬さと切れ味も、戦うための刀として優れている。


「これは、天然理心流の使い手であり、三段突きを得意とするそなたが振るうために打たれた刀。新撰組一番隊隊長、沖田総司春政のためだけに生み出された正真正銘、唯一無二の菊一文字則宗だ」


 高倉浪平の言うとおりだと、沖田は実感する。

 手の平から伝わる感触、一体感がとにかく素晴らしかった。

 ここまでしてくれたとは。


「何とお礼を言ったらいいか。私のためにどうしてそこまで?」

「なあに。弟が、そなたの腕を見込んでのこと。俺に散々文句を言って笑いながら、快く引き受けてくれた」


 そう語って、浪平が楽しそうに微笑む。


「弟?」

義弟とらではない。俺の……腹違いの弟だ」


 もしかして、あの牛車の中に乗っていた……?



 その後、学校に戻って、みんなに新しい刀を見せてあげることになる。

 杉村と藤田、川井先生、村田と優香たちはもちろん、亀吉くんまで見たがる。

 言うまでもなく刀の取り扱いはとても危ないから、学生たちに触れさせる時は、沖田が刀を持ちながら触らせて、怪我をさせないように気をつけるのであった。



 朝、黒猫がまだ眠っている部屋の中で、沖田は静かに羽織袴に着替える。

 羽織は浅葱色でだんだら模様こそないが、かつての隊服を思わせるものだった。


 起こさないように外に出て、都の待ち合わせ場所まで歩いて行って、そこで高倉虎丸と合流する。

 武士として、共に都の中を巡回するのだ。

 その腰には、菊一文字則宗があった。


「似合っておるのう」

「そう?」


 四刻ほど回った後で、茶店に入って休みを取る。

 茶が出てくるまでの間、沖田は座って借りた本を読む。


「何を読んでおるのかな」

「燃えよ剣」

「……史実と違うのではないか」

「そこも楽しながら読んでるよ」


 茶をゆっくり味わった後で二人は立ち上がり、また都の中を見て回った。

 どこも穏やかで、ゆっくりと時が流れている。


 見回りは、午前まで。

 午後は、綜芸種智院で学生たちに剣道の指導をする。

 どちらも武士として大事な務めだ。


「この刀も、君のおかげだ。感謝しているよ」

「なんの、なんの、沖田殿がまことの侍だったからこそよ」


「もしかして……勝たせてくれた?」

「何を言う。あれは沖田殿の実力……次は拙者が勝つがのう」

「いいや、次も私が勝つね」


 しばらくつづきそうで、喜ばしい限りである。


「ところでさ……君について気になることがあるんだ」

「ほう、聞こう」


「学校の先生と学生たちは、私のことを知っていた。私が幕末の京を生きた新撰組一番隊隊長、沖田総司だとね」

「うむ……」


「そこで思ったんだ。彼らの身に起きたことは、もしかしたら私の身にも起きているのではないかって」

「……なるほどのう」


「虎君、浪平殿や菅原先生がそうかもしれないように……君もかつてどこかの時代を生きた、私の知っている誰かなのかい?」

「左様。おそらく知っておる。名前はないのだがな」


「名前がない?」

「現世で生きた月日がごくわずかだからよ。海に捨てられ、こちらに流れ着いて、婆様と兄者たちが何ともありがたいことに育ててくださった。今の名前も、兄者から頂戴したものだ。あちらの者としての名は、源虎平太みなもとのこへいた晴経はるつね。またの名を義仁よしひと。幼名は、牛虎丸うしとらまるという」


「君は、いったい……」

「ふむ、やはり……九郎と静の子と言えばわかるかの?」


 九郎と静の子――。


「由比ヶ浜に沈められたっていう……」

「いかにも」

「……驚いたなあ」

「お主は、ここでどのような名を上げるつもりかな、沖田総司。やはり新たな新撰組を?」

「やってみたいとは思っているけど、正直まだわからない」


 沖田は、心の内を素直に語った。


「私がやるべきことなのか、局長が務まるのかも見えていないし、まずは仲間を集めないといけないからね。学校で剣道の先生もまだまだ続けるし、道場を開きたいとも思ってる。つまり何をすればいいのかまたわからないでいるんだけど、名を上げたいのは確かだ。あの世にも元の世界にも届くぐらいの立派な名を。それこそ君の御父上に負けないぐらいのね」

「それはそれは、拙者もうかうかしていられないの」

「まっ、とりあえず今は地道に下働きかな。功を積み重ねながら」


 そう言い合って、二人で歩く。


「……拙者も気になってきた」

「何がだい」

「お主の口からぜひ聞かせてもらいたい。近藤勇殿と土方歳三殿……お二方だけではないな。お主たち新撰組はどのような侍だったのだ」

「ああ、それはね……」


 沖田総司は語る。

 あの時代を生きた新撰組の名を――。



「あっ、沖田先生、こんにちわ!」

「こんにちわ」

「ニャ~」


「それでは沖田先生。お願いします!」

「よし、それじゃあ始めよっか」

「「はいっ!!」」


 行く先道を歩みながら。

お読みいただきありがとうございました。

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