第七話 三人の今宵の席で
今夜、沖田、永倉、斎藤の三人は、龍宮京のある料亭に向かっている。
二人を案内するのは、沖田だ。
「いい店なんだろうな?」
永倉が聞いてくる。
「ええ、きっと。遊び人の友達に紹介してもらいましたから」
辿り着いたそこは、物静かな料亭だった。
一階の扉に赤い提灯が飾られ、二階の障子から明かりが漏れ出している。
気の合う者たちと、騒ぐのではなく、心安らかに呑み交わせるそんなところ。
昔を思い、誰かを偲ぶであろう今宵の席にふさわしいと、三人は気づかされる。
「その友達、いいところ紹介してくれたみてえだな」
「今度会ったら、お礼を言っておきます」
店の主は、あたたかく迎えてくれた。
二階の座敷に案内され、奥の席に永倉と斎藤が、手前に沖田が腰を下ろす。
女中たちが、酒と肴を持ってくる。
三人は昔のように、相手の盃の中を酒で満たした。
「それでは、まさかの再会を祝しまして……」
「「乾杯」」
永倉と斎藤の飲みっぷりは、相変わらずだった。
両者の口から出たのは、妻を娶り、今の名前になってからのこと。
杉村義衛の妻はきね、藤田五郎の妻は時尾という人らしい。
酔った永倉が今の生活について自慢や愚痴を口走り、隣で黙々と飲み続ける斎藤に話題を振るうと、彼の口からも家族や今の仕事について語られた。
明治という新しい世の戦や政については話したくないようだ。
そういえば、永倉さんが京に残した娘さんはどうなったんだろう。
「あっ、そうだ……。沖田、聞いておきたいんだけどよ」
沖田に、永倉が酒を飲みながら言った。
「なんですか?」
「芹沢殺ったの、お前らなんだよな?」
聞いた途端に、沖田の胸が締めつけられる。
確か外された永倉さんは、芹沢さんと同じ流派だった。
「……は、はい」
「正々堂々と立ち合って?」
「いいえ、寝込みを……」
それ以上は言えなかった。
永倉も苦笑いして盃を傾けるだけで、何も聞こうとはしなかった。
少し考え込んだ後で、沖田はあのことを思い出す。
「私からも聞いていいですか?」
「おう、なんだ?」
「近藤さんを撃ったの……誰だったかわかります?」
「……御陵衛士の奴らだ。生きてるよ」
沖田の眼が鋭くなる。
沖田が病で臥せっている時に、近藤、土方、永倉、斎藤らが討った者たちだ。
逃げ延びた生き残りが、盟主と仲間の敵討ちのために撃ったのだろう。
「……駄目ですよ」
斎藤が心中を察し、沖田を牽制する。
「わかってる……」
沖田は、盃に入った酒をぐいっと飲み干した。
奴らも、同じ理由。
今の自分は異界の人間、学生たちに剣を教えている身である。
話題は、沖田が異界に来てからのことに移った。
先日の夜、稽古場で行った高倉虎丸との試合について、沖田は語る。
「なに、負けた!?」
試合の結果を聞いて、永倉が怒鳴った。
隣の斎藤は盃を傾けていた手を止め、両目を鋭くしてくる。
「はい……」
そう返しながら、沖田はまた酒をぐいっと飲み干す。先程のこともあって、二人の気迫に触発されるまでもなく、既に剣を持った時の性格に変わっていた。
「ですが、そうなったのは私が病み上がりだったからです。彼がここで最高の剣士だろうと関係ありません。勘を取り戻し、剣を鍛え直した暁には……ええ! 今度こそ勝ちますよ!!」
「当たりめえだ! ぜってえ勝てよ、沖田! 今度も駄目だったら俺がやる!!」
「……いいえ。俺が先ですよ、永倉さん!」
酔いの勢いもあって、三人ともやる気満々である。
二人共もう関係ないことなのに、沖田は頼もしく思ってしまった。
こんなにほろよく酔えたのは、いつ以来だろう。
夜は更け、酒の量も、口数も少なくなってくる。
「……なあ、沖田」
そんな時に永倉が、改まった声で話しかけてきた。
酒が入った盃を手にして、それを見下ろしたままだ。
隣で飲んでいた斎藤が、盃を止める。
沖田は姿勢を正して、二人と向き直った。
「なんですか、永倉さん」
「局長と副長のこと聞いてないのか?」
近藤さんと土方さんについて。
「……はい」
「そっか……」
永倉は、盃を口に運ぼうとする。
しかし途中で思い留まり、口元で止めた。
盃をそっと畳に置いて、沖田に告げる。
「俺と斎藤は、新撰組を途中で抜けた」
少しの間だけ、三人の時が止まった。
「京で敗れ、江戸でお前と別れた後……近藤さんと土方さんに最後までついて行かなかったんだ。お前に後を託されたっていうのに……すまなかった」
二人は頭を下げて、また沖田に目を向ける。
「……二人は、どこまで一緒だったんですか?」
「俺は、江戸で別れた」
斎藤より先に、永倉が話した。
「甲州で敗れたすぐあとで……とうとうついていけなくなってな」
「……俺は、会津で」
斎藤が当時のことをつらそうに思い返しているとわかって、沖田は聞き返す。
「会津で何が?」
「ひどい戦になって……会津を見捨てることができなかった」
斎藤君らしいなと思った。
無口な彼には、こういうところがある。
「……新撰組はその後も続いた」
斎藤の口が、一段と重くなった。
「最後まで戦い抜いた」
宴の席は、沈黙に包まれる。
「……わかったろ、沖田」
しばらくして、永倉が言った。
「俺と斎藤も法度に背いて脱退したんだ。山南さんや藤堂のようにな」
山南は、切腹。沖田が介錯を務めた。
藤堂は、永倉と斎藤が逃がそうとしたが、隊士に斬り殺される始末となる。
「恨むなら恨んでくれていいぞ」
「……とんでもありません」
沖田は言った。
「近藤さんと土方さんのお力になれなくなったのは、私が先です。内弟子であり一番隊隊長であるというのに……」
思うところはある。
「あなたたちは病に倒れた私の分まで、お二人と新撰組を支えてくださった。感謝に堪えません」
だがそれはまごうことなき、目の前の二人に対する言葉。
「永倉新八殿、斎藤一殿……ありがとうございました」
「……胸のつかえの一つが取れたぜ」
永倉と斎藤が安堵する。
己の内に、ずっと重いものを抱えていたのだ。
「聞けよ、沖田。近藤さんと土方さんがどうなったか……聞いてくれないか」
永倉が嬉しそうに笑みを浮かべた。
「しっかり聞いて、ちゃんと向き合ってから二人に会ってこい」
心に沁みる。
「亀吉くんを説得するのはその後だろが」
そのとおりである。
先生が怖がったままでは、教えの言葉など学生には届かない。
沖田にとって、自信に満ちたお二人が、いつだって頼もしかったように。
「今からでも話しましょうか」
斎藤が聞いてくる。
永倉が一緒になって見ていた。
沖田は答える。
「……一日だけ待ってもらえませんか」
「……わかった」
――翌日の夜、沖田は話を聞きに行く。
新撰組局長、近藤勇昌宜。
慶応四年四月二日頃、下総国流山にて新政府軍に捕縛。
同年四月二十五日、板橋刑場にて斬首。享年三十五歳。
新撰組副長、土方歳三義豊。
慶応四年十月に蝦夷に上陸。翌明治二年四月、新政府軍と交戦。
同年五月十一日、箱館五稜郭にて討死。享年三十五歳。
「ごめんください。亀吉くん、いますか?」
沖田は、再び家を訪ねる。
以前はお母さんに門前払いされたが、今度は玄関先で少し話をしただけで、家の中にいる子供を呼んでくれた。
玄関の外で待つ沖田の前に、家の中から武士の幼い子供が出てくる。
「沖田……先生?」
「こんにちわ、亀吉くん」
亀吉くんが元気そうで、沖田は嬉しく思った。
「少し話がしたいんだけど、いいかな?」
「……いいですよ。なんですか?」
やっぱり重なるのは、かつての師と自分自身。
お母さんの前で、子供と話す。
「怖いかい、私のことが?」
「……ちょっとだけ」
確かにちょっと怖がっていたけど、目は合わせてくれた。
「わかるよ。私も同じだったんだ」
今ならばわかる。
「私には、お父さん……いや、お兄さんといえばいいのかな。とにかくそう思える人が二人いてね」
この子も、お父さんの死を怖がっている。
「その人たちと最後まで一緒にいたかったんだけど、別れることになってしまったんだ」
お父さんとまだまだ一緒にいたいと思っている。
死んだなんて嘘だって思いたがっている。
「……先生も?」
「ああ……」
沖田は、子供に寄り添った。
「私は怖かった……その人たちがどうなってしまったのかを知ることすら」
亀吉くんは黙って、目を合わせたまま聞いている。
「何かに対して、怖いと思うのは、きっとみんな同じなんだ。逃げたいのもね。どんなに強くなったとしても……」
人はいつか死ぬ。
二度目の生に恵まれたとて、いずれこの魂は消えて失くなるのだろう。
「……本当に?」
「本当さ。私はずっと逃げていた」
自分と変わらぬ齢で、命を落とした者たちは、新撰組だけで何人といた。
あの時、あの時代を見渡せば、どのぐらいいたことか。
病に倒れた己は、果たして彼らのように死ねたであろうか。
「だけど、教えてもらった。その人たちがどうなったか」
「……どうして?」
「本当は知りたかった。知らねばならなかった。いつまでも目を背けるわけにはいかなかったから」
「知って、どうだったの?」
「つらかった。とても悲しかった……その人たちのお墓の前で泣いてしまったよ」
「お墓の前で……その人たちになんて言ったの?」
「生きるって誓った」
亀吉くんが真剣になって聞いている。
「その人たちの分まで、その人たちが生きてほしいと願っている分まで……自分の進むべき道を立派に生きていくとね」
向き合う沖田たちの前で、お母さんが泣いていた。
「だから亀吉くんも、自分の道に向き合って欲しい」
「自分の道に?」
「ああ」
亀吉の目を見て、はっきりとわかった。
この子は、武士だったお父さんのように強くなりたがっている。
「その道が剣とは限らない。私が教えられるのもわからない……けどもしかしたら君の道は、そこにあるかもしれない。そうでなくても、私が教えられることは何かしらあると思う」
大好きなお父さんとお母さんのために。
――姉さんたち、元気かな。
「……教えてくれる?」
「教える。私が一から教えるよ」
沖田は、先生として約束する。
「だからまずは……試しに剣を取ってみないかい?」
一ヶ月後、稽古場で黒猫が見つめている中、みんなと一緒に竹刀を振るう亀吉の姿がそこにはあった。
「沖田先生、ありがとうございます」
稽古場の扉から息子の姿を見たお母さんが、沖田にお礼を言う。
「あの子が剣道に励むだなんて……これも沖田先生のおかげです」
「いえいえ、私だけではありません。川井先生と他の子たち、杉村先生と藤田先生にも助けてもらいましたから」
みんなには随分と助けてもらった。
新撰組の二人は、今日も学生たちを指導してくれている。
お母さんが帰り、稽古場の側から見守る沖田に、川井が近寄って話しかけた。
「沖田先生……行ってきたんですね?」
「ああ、行ってきたよ」
「全部、行ってきたんですね」
「近藤さんと土方さんのお墓があんなにあるなんてね」
近藤だけで板橋の寿徳寺、大沢の龍源寺、会津若松の天寧寺、米沢の高国寺、岡崎の法蔵寺。
土方は墓が板橋と日野だけでなく、碑が会津若松に一つ、箱館に二つ立つ。
墓前で、初めこそ膝をついて涙を流してしまったが、そんな姿はいつまでもお見せできないと、最後は堂々と胸を張る。
「何の因果か異界へと落ち延び、こうして恥を偲んで参りましたが、あなたがたから受けた教えとご恩は決して忘れません。来世であろうとも決して。剣の伝授の仕方もしかと学んで、教え子たちに受け継がせてゆく所存です」
いかに生き、いかに死のうとも。
「天然理心流塾頭、新撰組一番隊隊長、沖田総司房良改め春政。いかなる世に生まれ、何度生まれ変われようとも、誠に生き、誠に散ってゆきます。ご立派だったあなた方のように」
沖田は、墓の前で膝をつく。
「近藤さん、土方さん――今まで本当にありがとうございました」
私は、多くの人たちの支えと幸運によって生きている。
「それでは、また――」
私も、誰かにそうやって生きていこう。
願わくは、末永く――。
「決めたよ、川井先生」
沖田は告げる。
「異界で、どうやって生きていくのか」
「相わかった」
御屋敷の座敷にて、頭を下げる沖田に、龍宮京の主、高倉浪平が問う。
「龍宮京の武士になりたいと申すのだな」
「はい」
「ならば沖田総司、そなたがここ龍宮京の武士にまことふさわしいかどうか、試し合いにて己の武を示してもらおう――虎丸」
浪平が、そばに控えていた義弟に命じる。
「その試し合い、お前が相手をつとめよ」
「承知」
高倉虎丸との御前試合――願ってもない。