第五話 後の世の名 〜知る者、来る者後を絶たず〜
「お酒、持ってきましたよ」
沖田が待っていた部屋に、川井先生が酒と料理を持ってくる。
「いやあ、いいお部屋ですね」
「そうでしょう」
川井と沖田は、縁側からの庭の夜景を観ながら感想を述べあう。
既に食べ終えた黒猫は、縁側で眠たそうに丸まっていた。
沖田と川井は畳に座り、間に御膳を置く。
互いに相手に酒を注いで、まずは一杯。
「さて、何から話しましょうか……」
「沖田先生……黙っててすいませんでした」
沖田から話すと、川井先生はいきなり謝った。
「あなたを知っていたこと……話せなくて……」
やはり川井も、子供たちのように新撰組の沖田総司を知っていたのだ。
「そんな、私は何とも思っていませんよ。顔を上げてください、川井先生」
沖田に言われて、川井は恐る恐る顔を上げる。
彼から感じるのは尊敬の念であり、沖田は嬉しいと思っていた。
「それで、私についてどうご存知だったんですか?」
「はい。実は僕、『燃えよ剣』を読んで以来、土方歳三の大ファンでして……」
「だいふぁん?」
「すごく憧れているという意味です……」
川井先生は、土方さんに憧れていたのか。
昭和の世に生まれた剣道の先生が、百年前の時代にいた侍に。
「そういうわけでして菅原先生からあなたのお話を伺った時には、もう気が動転しそうになりましたよ……嬉しくて」
「土方さんに憧れてるというのは……いじわるな聞き方をしてしまうと、ここに私ではなく、土方さんに来てほしかったぐらい?」
「はい……っていや、そのですね……」
「土方さんを尊敬する気持ちなら、私だって負けませんよ」
「いやいや、あなたと比べようだなんて、とても……!」
川井が慌ててしまって、沖田はつい笑ってしまった。
「なるほど。川井先生は、土方さんや新撰組について、私から話を聞きたいわけですね?」
「はい……。僕だけではありません。龍宮京であなたたちを知る人、皆がそう思っていますよ」
今では、不思議な気持ちだ。
京で名を上げたとはいえ、いたのはわずか五年。
見廻組など他にも似たものはあったというのに。
自分たちの名が、そこまで広まっていようとは。
近藤さんや土方さんが知ったらどう思うだろう。
沖田は、外の風景をぼんやり眺めながら尋ねる。
「……私たちについて知っていると言いましたね」
「……はい」
沖田が何を言いたいのか察して、川井の口が重くなった。
きっと菅原先生から伝えられて、口を閉ざしてくれていたのだろう。
「それはつまり……近藤さんと土方さんがどうなったかについても、あなたはご存知なんですね?」
彼らの行く末をまだ知らない、まだ聞くことができない自分を気遣って。
川井が、つらそうに顔を背ける。
それが、答えだった。
「やはり……お二人は最期を迎えていたのですね……」
前後はするだろうが、自身の死からそう時を置かずして――。
予感はしていた。何となく察していた。
異界に来てからではない。
生前、現世で病に臥せっていた時からだ。
いつからそう思ったのかは、覚えていない。
自分の元に来てくれる人たちが何か隠すような表情を読み取っていたからか。
情勢が変わるにつれ、自分たちの行く末を思うようになっていたからか。
剣に生き、やっと侍になれたと思えば、武士の時代はもはや終わりかけていたことを知った時からであろうか。
病に倒れた己のように――。
「……沖田先生」
考え込んでいると、川井先生が話しかけてくる。
沖田は振り返ると、彼はさらに口を開いた。
「あの時代を生きたあなたに対し、百年後の世に生まれた僕ごときが何か言う資格がないことは重々承知しています……。ですがどうかこれだけは言わせてください……。お二人は、最後までご立派でした!!」
彼が両手を畳について、熱く語る。
「幕末の世を駆け抜けた、あなたたち新撰組は、武士の生き様を示した本物の侍です! 映画や小説の脚色など関係ありません。あなたたちの生き様が本当に『誠』だったからこそ、後の世の人たちはあなたたちに憧れた! 新撰組の名は、僕たちの歴史に永遠に刻まれています!!」
彼の目から、涙が流れてくる。
「それから世の中が変わっても、あなたの剣でできることはあります。後の世でも、ここであっても……。だから沖田先生、そう落ち込まないでください……」
「……ありがとう」
川井の心からの言葉を、沖田はありがたく受け取った。
「安心してください。剣道の先生、明日もがんばりますから」
「それはよかった……」
川井が嬉しそうな笑みを浮かべて、今度は両手を畳につけながら頭を下げた。
「沖田先生……僕を弟子にしてください!」
川井先生の熱意は、収まらない。
沖田は、微笑ましくなってくる。
「もちろんですよ。私もあなたに剣道を教わっている身ですから」
「あ、ありがとうございます!」
「それでは、互いの師弟の契りを祝して、飲みましょうか」
「はい!」
川井が盃を手にして、沖田が注ぐ。
次は川井が注いで、沖田は酒の一杯を手にする。
「さて、何から話しますかね……」
語れることは、いくらでもあった。
黒猫は寝静まり、夜は更けていく――。
明日の授業は、より多くの学生が集まった。
村田、優香、亀吉、昨日いた子たちは、みんないる。
二人の先生の下、剣道の稽古場に子供たちの気合の入った声が響き渡った。
「子供たちの元気な声が聞こえておる。よいことだ、よいことだ」
そこへ龍宮京の武士、高倉虎丸がたずねてくる。
「やあ、虎君」
「沖田殿、どうやらがんばっておるようだのう」
「見てのとおりさ。君たちご兄弟に薦められた剣道の先生、楽しんでるよ」
「そう言ってもらえるとありがたい。兄者も拙者も甲斐があったというものよ」
「ああ。感謝している。浪平殿にもいずれお礼に伺うと伝えておいてくれ」
「承知した」
「それで、今日はどうしたんだい?」
「ふむ。沖田殿、実はお主に用があって来たのだ」
「私に?」
「うむ……。稽古中だというのに申し訳ないのだが、学校の門まで来てくれぬか。お主に会いたいという方が待っておるのだ」
誰だろう。
沖田は、川井の許可をもらって、虎丸に同行した。
なぜか、後ろから黒猫がついてくる。
「待ってるって、私のことを知っている人かい?」
「いや、どちらかというと……拙者の縁者だのう」
虎丸に連れられて、沖田は校門の前に出る。
そこに、でーんと見るからにご立派な牛車が待ち構えていた。
本当に立派なつくりで、沖田は圧倒される。
しかも数人のお伴付き。
虎丸がその一人であるかのように、彼らの中に加わって、牛車の前で膝をつく。
彼らを従わせているであろう牛車の中の人物だが、屋根付きの車の前には帳となる前簾が下りているため、沖田の目からは誰が乗っているのかがわからない。
高倉浪平ではないようだが、間違いなく偉い方だろう。
自分も跪くべきだろうかと、沖田は悩んだ。
「……よい。突然訪ねてきたのはこちらだ」
そんな思惑を一目で察したかのように、牛車の中から若い男の声がかけられる。
「そちが、沖田総司か?」
人に情けをかける高貴な御方。
そこは同じでも物腰柔らかい浪平と違って、者共を従わせる自尊心の持ち主。
「はい。私が沖田総司です」
「一度だけでよい。刀を振るうところを見せてくれぬか」
意外な申し出であった。
「それは構いませんが、今の私は自分の刀を持っていません。刀を手放したのも久しいですし、あなたのお目に叶うかどうか……」
「存じている。虎丸、貴様の刀を貸してやれ!」
牛車の中の人物が尊大に命じると、虎丸はそそくさと立ち上がり、腰から納刀された自身の鞘を取り、両手に持って沖田に差し出した。
「沖田殿。拙者などに遠慮せず、お主の思うがまま使ってくだされ。兄者が打ってくださった刀だ」
「すまない。借りるね」
沖田は、虎丸から浪平が打ったという刀を受け取る。
手にしただけで、名刀だとわかった。
沖田はその刀を腰にすると、よく見えるように牛車の前に移動する。
黒猫が、校門の上に乗っかって見ていた。
「では……」
そこでゆっくりと腰を落として、沖田は構えた。
――刀を振るうのは、本当に久しい。全身が覚えている。
鞘から刀を抜いて、右へ払った。
何のことはない、ただの居合である。
思っていた以上によく振れたが、やはり昔のようにはいかない。
「……ほう」
それでも技がよかったのか、周りの虎丸やお伴から感嘆の声が上がる。
校門の内側にある校舎の中から、川井先生と学生たちが覗くように見ていた。
沖田は、自身の手で鞘から抜いた刀身に目を奪われる。
かつての愛刀、菊一文字の刃と似通っている気がした。
「貴公の三段突きという技を小耳に挟んだ――見せよ」
牛車の中からのさらなる申し出に、沖田は驚いた。
己の得意技。その技について、誰に聞いたのであろう。
どうする。
虎丸との次の手合わせのために隠したいという欲も出るが――捨てるべきだ。
「……わかりました」
沖田は、刀を前に突き出して、構える。
そして――突く。
一段、二段、三段。
三段突き。
この身から再び繰り出せて、喜びが湧き立つ。
沖田は、ふうと息をついた。
周りから歓声が聞こえてくる。
「……気が変わった」
そのつぶやきは、誰の耳にも届かなかった。
「邪魔したな。もう下がってよいぞ」
その人がそう言うのを合図に、牛車は向きを後ろに変え、伴たちを連れて去っていく。
沖田は、刀を鞘に収めて一礼する。
校門の前に立って、最後まで見送ることにした。
すると、虎丸が何だか嬉しそうに近寄ってくる。
「虎君。これありがとう」
彼から借りた刀を、沖田は丁重に返した。
「素晴らしい刀だね。久しぶりに振れて、本当に嬉しかったよ。浪平殿にもそう伝えておいてくれるかな」
「よかったのう、沖田殿……。お目に叶ったようだ」
虎丸は、何を言っているのだろうか。
「何をしている、虎丸! さっさと戻って、案内せんかー」
牛車の中の方に叱られて、虎丸は沖田に一礼してから、慌てて戻っていった。
本当に、何者だったのだろう。
沖田が校舎に戻ると、川井先生と学生たちから三段突きについてわいわい聞かれるのであった。
――みんなに慕われ、沖田は、ここに来てよかったと思うようになってくる。
翌日の稽古。
「あれ?」
集まった学生たちの中に、亀吉くんの姿がなかった。
「亀吉くんがいないね。どうしたの?」
「それが……」
村田と優香が、ためらいながら答えた。
「亀吉君……沖田先生が怖いからもう行きたくないって……」
子供に合わせたつもりが……やってしまった。
初日に出てしまった大声が、響いてしまったのだろうか。
川井から話を聞くと、亀吉は明治という世から来た武士の子だった。
まだ幼くして父親を失って、母親と共にここに流れてきたのだという。
稽古の後、他の学生たちも連れて、その子の家に会いに行ったが、
「あの子の前で、刀を振るったそうですね?」
出てきた母親に、はっきりとそう言われる。
昨日、牛車の前で披露した時に、校舎の中から亀吉も見ていたのだ。
「はい。それが、何か?」
「父親は……人斬りに斬り殺されたんです」
過去の至らなさと昨日の行いが、思わぬことを生んでしまった。
「それでも強くなりたいっていうから行かせたのに……もう行かせたくありません。帰ってください!」
ぴしゃっと閉められて、門前払いを食らう。
お母さんが子供をとても大事にしている想いが伝わってきて、沖田は消沈しながら学校に戻るしかなかった。
もう一度、川井先生と話し合い、校長先生に相談してみることにした。
「いやあ、やってしまったね」
「……返す言葉もありません」
向かい合った席で、菅原先生から出されたお茶を、沖田は恐縮しながら頂いた。
「それで、沖田先生は、その子をどうしたいのかな?」
「そうですね……」
沖田は、よく考えたことを菅原先生に話す。
「亀吉くんが本当にやめたいのであれば、私から言えることは何もありません。ですが私が怖いからやめるというのは、亀吉くんにとってよくないと思うのです。心が臆したままですから……。できれば剣というものをよく知り、自分にとってどう活かせるかをよく考えてから、あの子には決めてほしい。私はそう思っています」
近藤さんが教えてくれたように、あの子に剣の道を教えたい。
まだあの人たちの最期を知る勇気のない自分では教えられないかもしれないが――私は、あの子たちの先生になったのだから。
「よろしい。そのためのやり方がわからないというのだね?」
「はい……」
「沖田先生、こうしてはどうかな。昔の仲間に聞いてみるというのは?」
「えっ?」
沖田は、理解できない。
「どうやら君と同じように、学校の先生になった者がいるようだからね……」
菅原先生は、何を言っているのだろう。
「何を言うのですか……。私の仲間はここにはいません」
「いや、それなんだかね。君と縁があれば呼べるのだよ……。異界に」