第四話 剣道の教師・沖田先生 〜先の世と後の世からの先生と学生たち〜
「面」
「「面!」」
初めの掛け声で、皆に気合を入れる。
あとは声と動きを抑え、上下の素振りを二回見せた。
声はかなり抑えた。
自然に出すと気合が入りすぎて、子供たちが怖がらせてしまうからだ。
新撰組撃剣師範として隊士たちを厳しく鍛えてきた時と同じ声は、いくら何でもキツすぎる。文字通り、子供相手に本気で竹刀を振るうようなものだろう。
教え方は、子供に合わせて。
沖田は、菅原先生に言われたとおり行った。
続けて、足捌き。
前に歩き足、後ろに歩き足。
前に送り足、後ろに送り足。
左に送り足、右に送り足、斜めに送り足。
竹刀と構えを崩さず、足の指先で身体を送る。
足を止め、素振り。
上下に、斜めに。繰り返す。
竹刀を振りながら、足捌きを加える。
振り方と動き方は、いつの時代でもそう変わらないはずだ。
剣道のその基礎を、川井に教わって、沖田はすっと体に入れた。
川井と学生たち皆が、沖田を見本とした。
沖田本人は、楽しくなってきた。
とても。
次に学生たちを、横に並ばせる。
自分で素振り、足捌きをさせて、先生が一人ずつ指導するのだ。
「はじめー!」
川井先生の掛け声を合図に、学生たちが素振りを始める。
稽古場の隅っこで、黒猫がゴロンと寝っ転がっていた。
沖田は、素振りを始めた学生たちを見渡す。
まだ八歳ぐらいの子に目が止まった。
小さな体を固くさせ、子供用の竹刀をぎこちなく振るっている。
正座しながら震えていた子だ。
「そう、緊張しないで」
沖田は、優しげに話しかけた。
その子が肩をびくっと震わせ、手を止める。
恐る恐るではあるが、顔を向けてくれた。
「君、名前は?」
「……亀吉です」
言葉遣いは丁寧。
元服前の武士の子だと察した。剣の上達のためにここに来たのだろうか。
「亀吉くん、身体の力を抜いて。こうするんだ」
沖田は亀吉くんの横に並ぶと、持っていた竹刀で手の持ち方、構え方、振り方まで、一つ一つ手本を見せる。
「やってみて」
「え、ええと……こう?」
亀吉くんが竹刀を一振りする。
さっきよりいい。動きが良くなった。
「そうだよ、その調子。それをたくさん繰り返して」
「はい」
亀吉くんがまた素振りを始める。
沖田は、九歳の時に近藤さんに初めて教わった時のことを思い出した。
続けて、皆で防具を着て、二人一組となって、打ち合いをさせる。
「沖田先生、沖田先生」
面を着た十七歳ぐらいの少女に呼ばれ、沖田は向かった。
「どうしたんだい?」
「私、近藤優香っていいます」
少女が堂々と姓を名乗って、ちょっとおどろく。
しかも師兄と同じである。
「あの……コツを教えてくれませんか。どうすれば上達できるのかわからなくて」
彼女の言葉に、周りの子供たちから注目される。
これは先生らしいところを見せなければいけないな、と沖田は張り切る。
「もちろんいいよ」
「わあー、ありがとうございます」
優香は、とても喜ぶ。周りの学生たちも集まり出した。
その中には、さっき手本を見せた亀吉くんもいる。
隊士たちに教えていた時も、皆でこうやって集まったものだ。
面を着た沖田は、優香の相手をしていた少年と一対一で向かい合った。
まずは好きに打たせてみるか。
「さあ、来い!」
おっと、いけない。
沖田は我を忘れ、大声を出してしまった。
いきなりの大声に、子供たちが驚いている。
亀吉くんは、すごく怖がっていた。
皆に歓迎されて、二度とできないと思っていた剣をまた教えることができて、つい気持ちが緩んでしまったようだ。
剣を持てば、人が変わる。その癖がまた出てしまった。
沖田は、気分を落ち着かせ、優しい先生であろうと努める。
「ごめんね。突然大声を出しちゃって」
穏やかに謝ると、子供たちの顔が元に戻った。
「さあ、遠慮なく打ち込んできな」
沖田先生は一人ずつと打ち合って、指導する。
学生たちは、とても喜んでくれた。
稽古の時間は、一刻ほど。
あっという間に過ぎていった。
己を鍛える、誰かに教える。剣を振るうのは、やはり楽しかった。
稽古は、終わりと相成る。
最後に正座した学生たちの前で、川井先生から聞かれる形で、沖田が今日の感想を話して、締めとなった。
「沖田先生、さようなら」
掃除と片づけを終えた学生たちから帰ってゆく。
黒猫は、どこかに行ってしまったようだ。
「はーい。さようなら」
沖田は、教師の仕事をしながら笑顔で見送った。
新撰組の名に関係なく、学生たち皆がこう思っていた。
これは、とんでもない先生が来たぞ。
そのこと、沖田本人は知る由もないが、また別の意味をもってくる。
新撰組の名を知る子供たちにとっては。
川井は、主担任として事務室へ。
沖田は、稽古場と物置き場に残って、最後の点検だ。
道場に忘れ物はないか、用具は欠けていないか。
ここでも、どこでも大事なことである。
「あのう……」
作業を一通り終えたところで、残っている学生たちが話しかけてきた。
なんと、年齢男女問わず、十五人以上もいる。
「おや、君たち。どうしたのかな?」
「沖田先生って……江戸時代から来たんですよね?」
村田章吾という名の十七歳ぐらいの男子が、年長者として皆を代表するかのように聞いてきた。
江戸時代とは、江戸に将軍様がいた頃のことを言っているのだろうか。
「そうだね。江戸に将軍様がいらした頃からだ」
「オレ……鎌倉時代から来ました!」
「私は……信長が生きてる時代から!」
「君たち……そんな昔から?」
「私たちは、平成からです」
「僕は、令和……あなたが生きていた時代から百五十年後になります」
「百五十年!?」
令和から来たというのは、村田が言った。
虎丸から聞かされてはいたが、いざ聞くと驚くばかりだ。
「びっくりだな。昔からだけじゃなくて、そんな先の時代からまで……」
「はい。それで実はですね……僕たち、あなたのこと知ってるんです」
「あっ、みんな、ずるーい! 私がいない間に!」
横から声をかけられて、沖田と村田はそちらの方を振り向く。
髪を茶色に染めた、十七歳ぐらいの女の子。
打ち合いの稽古の時に沖田を呼んだ、近藤優香だった。
「沖田先生! 沖田先生、沖田先生って……新撰組の沖田総司ですよね!?」
優香は、沖田に向かって瞳を輝かせる。
彼女の口から新撰組の名前が出て、沖田は歓喜の念が湧いた。
「そうだよ。よく知ってるね!」
「新撰組一番隊隊長の……本物?」
「うん!」
「やっぱり! やべえ!!」
それを聞いて、沖田は、子供たちと一緒に大喜び。
特に優香たち女の子が、大はしゃぎだった。
「いやあ、嬉しいな。そんな先の時代に私の名が残っているだなんて。土方さんに自慢できる」
「そりゃそうですよ……。あなたたち、メチャクチャ有名人ですから」
村田から聞いた事実は、驚くべきものだった。
なんと先の世において、新撰組の名声は日本中に知れ渡っており、恐れ多いことに将軍様より人気があるのだとか。
「へえ、私たちの名がそんなにね……。昔から”えいが”というものや、司馬遼太郎さんっていう人が書いた小説が人気なんだ」
「はい。特に僕の時代だと、あなたと土方さんが……」
「あのあの……沖田先生! 写真、撮らせてもらっていいっすか!?」
「あっ、オレも」
「私も、私も!」
また優香が話しかけてきて、他の子たちも同じお願いをしてくる。
「私の写真? いいよ」
「やったー!」
沖田の答えに、学生たちは大喜び。
みんなが手に、何か四角い小さなものを取り出した。
「あれ……もしかして、それが写真機? 随分と小さいね」
「はい。スマホっていいます。烏天狗さんがくれました!」
沖田は道着を着たまま、稽古場の壁を背にして立った。
「それじゃあ、撮りまーす。はい、チーズ」
優香が手にする小さな写真機から、カッシャっと光と音が放たれる。
学生たちに一人ずつ、沖田はつき合う。黒猫を抱く写真も撮らせてあげた。
みんなの写真機の四角いレンズの上に、すぐ彼らが撮った写真が現像される。
写真がこんなにもすぐに、しかも色つきで出てくるなんて。
沖田の知る写真とは、色が白黒で、現像に時間がかかるものだった。
「沖田総司の生写真……。沖田総司の生写真……。やべえ」
自分で撮った写真を、優香たちは感動しながら見つめる。
後の世において、沖田総司が写った写真は発見されていない。
沖田は優香から小さな写真機を借りて、自分の指先で画面を動かしてみる。
村田が見ている前で。
「これが未来の写真機か。手紙も送れて、本まで読めるなんてすごいな」
「正確には電話機なんですけどね。そうです。そうやって……」
「沖田のスマホ……」
土方さんのを観たら、どんな反応をするだろう。
「あの、沖田先生……今度は私と一緒に撮らせてもらってもいいですか!?」
「いいよ」
女の子の一人が言い出して、また子供たちが自分のスマホを取り出す。
村田がスマホを手渡され、沖田と優香が壁を背にして並んだ。
「はーい。二人とも笑って。撮りまーす」
カシャ!
みんな、大喜びしてくれた。
「沖田総司とのツーショット写真……! 沖田総司とのツーショット写真……! マジヤベえ……。ぜったい家宝にします!!」
「そんな、写真ぐらいで大げさな」
「いえ、あなたのでしたら……」
もし世間に出回ったら、大変なことになるだろう。
「ニャ~」
見ると、いつの間にか黒猫が戻っていた。
「かわいい」
「この子、今日ずっといたよね?」
一部の学生たちに可愛がられている。
「ああ、すまない。私が世話してるんだ」
「もしかして、先生が斬ろうとして斬れなかった噂の黒猫?」
黒猫のことまで知れ渡っているとは。
「この猫の名前、まだ決めてないんですか?」
学生の一人が聞いてきて、沖田は答える。
「そうなんだ。なかなか思いつかなくてね。なんかいい名前あるかな?」
「それじゃあ……”トシ”なんてどうですか?」
「ええっ?」
沖田は、この日一番かもしれない驚きに見舞われる。
「あっ、それ、いいかも?」
対して、学生たちは盛り上がった。
「土方さん、黒ってイメージだし、さわやかなところなんかも」
「うんうん」
「鬼の副長、可愛いところあるもんね」
土方さんが、黒? さわやか? 可愛い?
そりゃあ密かに俳句をしていたり、愉快に笑うときはあったけど……。
「トシ、トシ~」
「ニャ~」
黒猫が鳴き返し、皆から笑い声が上がる。
「土方さん、みんなに好かれてるんだね」
「そういえば、川井先生から何も聞いていないんですか?」
沖田がそう言うと、村田が横からたずねてきた。
「えっ、何のことだい?」
「それは……」
村田が何か言いかけて、沖田は気づく。
「もしかして、川井先生も……」
「こら、お前ら!」
そこで、川井先生が戻ってくる。
「沖田先生が迷惑してるだろー!」
みんな笑いながら、帰っていった。
「まったく、あいつら……」
「あの、川井先生」
沖田は、ちょっと戸惑いながら話しかける。
「はい、何でしょうか?」
「あの子たちからほんの少しだけ聞きました……。司馬遼太郎さんというお人がお書きになった……『燃えよ剣』というお話しについて」
そう言うと、川井先生は照れくさそうに顔を背けた。
「話の続きは……今夜のお酒の席でいいですか?」
「ええ。いいですよ」
「ニャ~」
黒猫が、お腹を空かしたように鳴いてくる。