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第一話 沖田と黒猫 〜龍宮京へようこそ〜

 庭で黒猫が見ている。


 ――斬らねば。


 沖田総司は刀を抜いて、庭にいる黒猫の前に出た。


 ――そして行かねば。近藤さんと土方さんのところへ。


 何度も教えられてきたとおり、剣を構える。

 何度もそうしてきたように、刀を振ろうとする。

 

 何がなんでも、渾身の力を込めて振ろうとした。

 しかし、躰が動かない。息が苦しい。


 急に体から力が失われ、庭に倒れる。

 労咳の病は、ここまで自分の身体を脅かしていた。


 意識が遠のき、沖田は悟る。

 自分が剣を振れることは、もう二度とないのだと。


 二人に、謝りたい。


 近藤さんと土方さん、今頃どうしているだろう。


 そういえば、あの猫は――。


「あの猫は……来てるかい……」


 それが、最期の――。





「……あれ?」


 気づけば、妙なところに立っていた。


 天から地まで青暗く、目の前を大きな川が流れている。

 川の先は真っ暗で何も見えない。どこまでも広がっているように見える。


 静かだった。

 沖田は辺りを見渡したが、誰もいない。


 自分の格好を確かめると、髪の髷は取れていて、白い袴を着ている。

 そもそも立っていること自体がおかしくないか。


 ――病に侵されて、私は死んだはずなのに。


「ここが……三途の川?」

「ニャー」


 困惑していると、下からかわいい鳴き声が聞こえてきた。

 沖田は見下ろすと、自分の足元に黒猫がすり寄っていた。


 ――あの猫だ。


「なんだい、お前もついてきてしまったのかい?」

 沖田は、黒猫を自分の顔の高さまで抱き上げる。

「ニャー」

 黒猫は、沖田の質問に答えたかのように鳴いた。


 自分が斬り殺してしまったのだろうか。

 いや、斬れなかったはずだ。

 今思えば、とても悪いことをしてしまった。


「……ごめんよ」


 謝っても、黒猫は、猫の眼でじっと見つめるだけだった。


 沖田は口を閉ざして、黒猫の眼を見つめ続ける。

 しばらくそうしていると、背後に誰かの気配を感じた。


「……ほう。人と猫の迷い人とはめずらしいの」


 猫を抱いたまま振り返ると、赤い提灯を持った一人の剣士が立っていた。


 髪を後ろに束ね、青い袴を着た、長身の若武者。

 自分より年少のようだ。


 眼と眉は鋭いが、口元がやんわりと笑っている。

 油断なく構えつつ、自分との出会いを喜んでいるように見えた。


 刀は、腰に二振り。

 ――できる。京で斬り合ってきた誰よりも強いかもしれない。


「君は?」

「拙者は、高倉たかくら虎丸とらまる。この先にある都、龍宮京りゅうぐうきょうで武士をしておる。ここに迷い人がおらぬか見廻りをしておったら、そなたとその黒猫に出会ったところだ」

「とら?」

「うん、拙者の名がどうかしたかの?」

「いや、私を匿ってくれていた植木屋さんのところに同じ名前の娘さんがいてね」

「ほほう、それは奇遇だの。そなたと拙者が出会えたのも何かの縁であろう」


 虎丸という武士がクスリと笑う。悪人ではなさそうだ。


「それで、虎君。迷い人って、私がどうしてここにいるのかわかるのかい?」

「わかるとも。拙者は陰陽師でもあるからの。お主、見たところ、現世で病にかかり、一度死んだのであろう?」

「……おそらくね」


 死んだという実感はあった。


「それじゃあ、ここはあの世なのかい?」

「あの世と言えるが、黄泉の世界ではない。拙者も、そなたも生きておる」

「生きている……私は、死んだのに?」

「ここは異界。お主がいた現世の境を超えた先にある全く別の世界よ」

「異界……」

「左様。そなたは、この世界に転生してきたのだ。現世で死んだ時のまま、病が治った身でな」

「転生……?」

「そうとも。そなたはこの世界で、第二の生を送る機会を得たのだ」


 第二の生……病が治っている!?


 両手に持った猫を、赤子にするように高い高いしてみる。

 猫が、軽い。

 体を動かすことが、信じられないほど楽だった。息だって苦しくない。

 なまっているが、剣も振れそうだ。今すぐにでも振ってみたくなる。


「……こりゃ、驚いた」

 あれだけ多くの者を斬ってきた自分が、そんなものに恵まれるとは。

「ニャー」

 両手に持った猫がまた鳴いた。


「この子も、転生したのかわかるかい?」

 気になったので、抱いた黒猫を虎丸の方に向けてみる。

「ニャー?」

「どれどれ……」

 虎丸が真剣な態度で黒猫の瞳を覗き込んだ。


「……うーむ。わからぬの。死んできたのか、生きたまま迷い込んだのか」

「へえ、神隠しみたいなこともあるんだ」

「ニャー」

 黒猫は気にしていないようだ。


「とにかくここで立ち話もなんだの。拙者の都へ来ぬか?」

「そうだね。案内、頼めるかな」

「心得た。そういえばお主の名前をまだ聞いてなかったの」

「これは申し遅れてしまったね。私は、沖田。沖田おきた総司そうじ房良かねよし


 沖田と黒猫は、虎丸についていった。



 ――第二の生。

 そんなものたった一人で謳歌して、どうしろというのか。

 近藤さんに、土方さん、新撰組の皆はここにはいないというのに。



 虎丸に案内されたのは、京によく似た大きな都だった。


 門をくぐって、中に進むと、多くの人が闊歩する幅広い道に出る。

 その様子は、己の知る京より、絵巻でよく見る平安の京に近い気がした。


 武士、貴族、町人、商人、百姓。身分に関わらずたくさんいる。

 金髪の男女も見かけた。ここには西洋人までいるのか。


 黒猫は、気づけばいなくなるが、また気づけばついてくる。


「驚いたであろう、沖田殿」


 沖田の様子を見て、虎丸が誇り高そうに口を開いた。


「ここが龍宮京。時と狭間を越えて、さまざまな迷い人たちが集いし安寧の都よ。そなたが生きた時代より過去、未来からもな」

「……本当に黄泉の国ではないんだよね?」


 心配になる沖田に、虎丸はにかっと笑う。


「それで、虎君。私はどこへ連れて行かれるのかな?」

「ここの主に会ってもらいたい。拙者の義兄よ」


 連れて行かれたのは、北東の方角にあった御屋敷だった。

 都に入って見た中で最も大きな屋敷で、外の壁の守りがとても厚い。

 大名屋敷のような作りで、京にあったどの屋敷よりも堅牢に感じられた。


 沖田は、奥の座敷に案内される。

 黒猫は、庭の奥へと行ってしまった。


「よくぞ来られた」


 そこの上座に座って、あたたかく迎えてくれたのは、虎丸より年長の赤袴を着た若い男だった。


「龍宮京の主をしている高倉たかくら浪平なみへいというものだ」


 この人の後ろに結った髪はきれいで、顔つきは温かく、物腰は柔らかい。

 高貴な人だと感じられた。

 沖田の右に座る虎丸は、義兄に向けての尊敬と忠義の念を隠さない。


「何の因果か、どこぞの烏天狗の仕業かは知れぬが、そなたがここへ流れ、我等と巡り会えたのも何かの縁だろう。衣食住は用意させる。何でも頼ってくれて構わない。気兼ねなく過ごされよ」

「お世話になります」


 沖田は、自然と頭が下がった。


「とはいえ、正直迷います。第二の生といきなり言われても、何をすればいいのか」

「そうであろうな……。沖田殿は、剣士であられたな?」

「はい。京の都を守るお役目についておりました」


 体はなまっているから、ここで同じことはできないだろう。


「故郷では、道場の塾頭として剣を教える日々を送っていました」

「そうか……」


 皆と一緒に剣を振るっていた日々を思い出す。できれば帰りたいが、それは許されないのだろう。


「沖田殿、こうしてはいかがだろう」

 浪平が、よく考えた後で薦めてきた。

「しばらくの間、どこかの道場で剣を鍛え、剣を教える日々を送りながら、これからについてゆっくりと考えてみるというのは?」


 故郷での同じ日々を送って、自分を見つめ直しては、ということだろうか。


「……そうですね。そうします」

 沖田は気持ちが少し軽くなった。

「どこか空きのある道場はありますか?」

「それなんだが、そなた、子供の面倒はみられるか?」

「ええ、できますよ」

 心がさらに弾んだ。

「京でも、故郷でも、よく一緒に遊んであげました」


 沖田は、そうするのが好きだった。

 それを聞いて、浪平が微笑む。


「ならば菅原先生が校長を務める学校で、剣の先生になるのはどうだろう?」

「学校?」

「寺子屋や藩校のように、子供たちに学問を教えてあげるところだ。剣の塾頭で、子供好きであるそなたに合うと思う。学校自体の名前は、綜芸種智院しゅげいしゅちいんという」

「へえ、そのような場所が……。わかりました。そこでお願いします」


 実を言うと、なんでもよかったのかもしれない。


「決まりだな。虎、あとで案内してやれ」

「心得た」


 親切なこの兄弟に、身を任せてしまっていた。


「あと、そなた、刀がないようだな」

「はい。菊一文字則宗きくいちもんじのりむね。現世に遺していきました」

 死した身である。二度と手にする気はない。

 家宝か、寺社に泰納か、姉夫婦が大事にしてくれるだろう。

「体もなまっておりますし、新たな刀を持つ気にはまだなれませんね」

「菊一文字……。なるほど、そういう縁か」


 なぜなのか、浪平と虎丸が二人とも笑みを浮かべる。


「菊一文字則宗。いずれそなたが必要になった時に、新しいものを用意できるかもしれない」

「本当ですか。古くから伝わる名刀ですよ?」


 沖田は信じられなかった。

 現世の京にて、刀商があげた価格は一万両。

 七百年の時を生きてきた名刀である。


「なあに、俺に任せてもらいたい。()()()()()。なあ、虎」

「うむ!」


 何を考えているのか、義兄弟が楽しそうに笑った。


「最後に沖田殿。現世に残してきた家族や友人が、どうなったのか気にならないか?」

「……わかるのですか?」

「ああ。そなたがもし知りたいのであれば、調べさせよう」

「それじゃあ……」


 沖田は頼んだ。

 家族や友人がどうなったのかを。

 ――近藤さんや土方さんについては聞けなかった。

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