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9 胸に刺さるとげ

 その夏、蝉時雨の注ぐ公園の、芝生広場のクスノキの枝のしたで、静野しずのさんはオカリナを吹きつづけた。


 演奏する曲のジャンルは多岐にわたった。流行の曲。懐かしの歌。童謡。ミュージカルの曲。アニソン。明るく楽しい曲もあればしんみりとした曲もある。ラブソングもあれば失恋の曲もある。


 彼女はもう、哀しい曲だけを演奏することはなくなった。哀しみも、喜びも、怒りも楽しみも。その奏でる音には今や色々な感情がのり、木漏れ日揺れる木の下をぬけ、柔らかな草のそよぐ原っぱをわたり、青く晴れわたる空へとのぼってゆく。


 俺の彼女に対する想いも、その空にそびえる入道雲のごとく、日に日にふくれあがっていった。

 彼女に対する想い。彼女の側にいたいという想い。彼女の笑顔を見たいという想い。彼女を好きだという、この想いも。


     〇


 彼女の演奏は公園で憩う人々にも評判だった。演奏するたびに周辺に集まる観客は増え、「オカリナのお姉さん」として親しまれるようになっていった。


 その躍進を喜ばしく思いながら、俺は少し心配でもあった。

 こんなに注目を浴びて大丈夫なのか。隙あらば樹のかげに隠れようとしていた静野さんが。最初ほどではないにしろ、今だって多少は人の視線が苦手だろうに。彼女は無理をしていないか。


 だから俺は彼女のそばから離れなかった。

 時々汗を脱ぐって彼女がこちらを振り向くとき、疲れた表情を見せるとき、俺はいつでも静野さんの傍らで、彼女を勇気づけるように笑顔をみせる。

 大丈夫。俺がここにいるからと。

 俺がここにいることで何かいいことがあるわけでもないだろうが、俺はそこにいた。二人で始めたことだから。俺がそこにいなければならないと思うし、いたいと思うから。


     〇


 夏はそうやって、静野さんと時を過ごした。


 バイトのシフトのないときも、俺は彼女に会いに行った。晴れた日は公園で静野さんの演奏会につきあい、雨の日は来実堂の二階の洋間でコーヒーを飲みながら談笑したり、読書をしたりした。


 公園でそして来実堂で過ごした場面が、一コマまた一コマと、俺の胸の中に積み重なっていく。


 洋間の向かいの席でコーヒーをすすりながら本を読む静野さん。

 三時のおやつに出てきたケーキを選ぶとき、じゃんけんに負け、チョコレートケーキをとられて悔しそうにする静野さん。

 頬杖をつき窓を流れ落ちる雨水をぼんやり見つめている静野さん。

 進路相談と称して執筆中の俺の卒論をのぞきこみ、頭痛をうったえた静野さん。

 ときどき好きな小説について語り合ったり、オセロやトランプゲームをしたりもした。


 そのどの場面もが、思い返せば必ず優しい微笑と陽だまりのようなあたたかさとに彩られていた。窓辺に穏やかな光さす日も、鈍色に沈んだ曇りの日も、雨音がしとしとと響く日も。あの来実堂の洋間の窓辺に向かい合う二人の口元には、いつもそよ風のような笑みがこぼれていたように、俺は思う。


     〇


 お盆もすぎて、しかしまだ夏真っ盛りの暑さの残るある日、俺はひとりで新宿へと出かけた。静野さんへのプレゼントを買うためだ。


 音楽祭の行われる九月も近づいてきた。春には舞台に上がることなんかできるのかと案じられたが、最近はすっかり人前で演奏するのに慣れてきたみたいだ。演奏のクオリティも高い。どんな曲も舞台上で大勢の人に聴いてもらって恥ずかしくない……いや、恥ずかしくないどころか、聴いてほしいと思えるレベルだ。


 多分彼女はもう大丈夫だろう。音楽祭の成功は間違いなし。

 俺の妄想はもはやその先のことに向けられていた。


 客席よりあがる歓声。鳴り止まぬ拍手。それらを背に舞台袖に戻ってきた彼女は、目をうるませて俺を見つめ、そして抱きつく。

「ありがとう。君のおかげだよ」

 その言葉に俺は何と答えよう。

「いえいえ。静野さんの努力のたまものですよ」かな。いや、「ようやく世の中が貴女の魅力に気づいたのです」とか言ってみようか。


 俺は人のごった返す雑貨屋の店内でひとりニヤニヤと笑う。傍から見たら変質者っぽいかもしれないが、とめられない。

 いずれにせよ、それは俺と静野さんにとって、特別な瞬間になるはずだから。同じ性質を持つ二人で始めた挑戦の、幸福なクライマックス。


 店内をウロウロしていた俺は、あるものを見つけてたちどまった。

 見つけた。俺の探してたもの。

 俺はプラスチック製のかわいいバケツから、白いバラの造花を抜きだした。一輪、二輪……そこにあるものを全て。束で。


 造花の束をかかえ、顔を引きつらせた店員さんに見送られて店を出たあと、俺はまた、ひとり顔をニヤけさせる。すれ違う人に後ろ指さされるのも気にせず、再び妄想の世界に浸る。


 そのときに俺は渡すんだ。この花たちを。あの公園ではじめて男の子から花をもらったときのような表情を、あの何倍もの笑みを、彼女の顔に咲かせるために。


     〇


 プレゼントのことは渡すときまで本人には内緒だ。だから翌日、来実堂に出勤して静野さんと顔を合わせても、ポーカーフェイスを心掛けた。主人に忠実な執事のごとく、すました顔で、腹の底をみせることなく過ごすのだ。


 そんな俺を、静野さんは怪訝そうに見る。

「どうしたの? 気持ち悪い顔して」

「へ。失敬な。俺の顔のどこが」

「ゆるみきって、ふにゃふにゃしてるけど……。まさか、私を見て変な想像してるんじゃないでしょうね」


 不覚。ポーカーフェイスならずか。っていうか変な誤解までしないでくれ。俺は決して静野さんでエロい妄想なんかしていない。まあ、おかしな空想に浸っているのは間違ってはいないか。


 静野さんはまだ俺のことを見ている。咎めるように。いつもどおりの白衣に身を包んで、冷静そのものの表情で、メガネの表面を光らせて。胸を抱くようにして二の腕をさすっているのは、ひょっとしたら本気で気味悪がっているのかもしれない。


 俺が表情をひきしめて態度を改めるより先に、静野さんの陶器を弾いたような声が飛ぶ。

「タイラ職員に命じます。倉庫の整理を……」

 言いかけて、しかし静野さんは言葉をきる。暫し逡巡したあと、

「話があります。休憩室に来て」

 そう告げて二階へと足をむけた。


 二階の洋間で俺とテーブルを挟んで座った静野さんは、真剣な表情で俺を見つめた。空気に緊張感が宿り、俺に伝わる。俺はふざけるのをやめて、表情を引き締め、姿勢をただす。どうやら、大事な話のようだ。

 俺が話を聞く体勢になったのをみてとった静野さんは、おもむろに口を開いた。


「タイラ君。なにか、楽器はできる? ピアノとか。ギターとか」

「楽器……ですか」


 楽器。自慢じゃないが、俺にはいかなる楽器の特技もない。ピアノとか、キターはもちろん、リコーダーや鍵盤ハーモニカだって、ろくに扱うことはできない。


「ちょっと、できるものはないですね」

 俺が正直に答えると、静野さんは少し残念そうに視線を下げた。

「実は、音楽祭で伴奏がほしくて、もし、君ができるならって、思ったのだけど」


 暫し考え込む様子を見せてから、やがて彼女は気を取り直すように俺をみて、そしてほほ笑んだ。

「他をあたってみるね。ごめんね変なこときいちゃって。気にしないで」

 そしてもうこの話はおしまいとばかりに立ち上がる。そして何事もなかったかのように白衣の裾をひるがえし、休憩室をあとにする。

「あ、そうだ。タイラ職員。倉庫の整理を、今日はお願いします」

 部屋から出るとき、振り返って俺に命じた、その表情からは、先程までの思い詰めた緊張感は消えていた。


 しかし彼女がいなくなってからも洋間の同じところに座り続ける俺の脳裏からは、なかなか消えることがなかった。俺がいかなる楽器もできないと知ったときの彼女の落胆した顔。そしてそのあと見せた、あきらめたようなほほ笑みを。


     〇


 その日のそのやり取りから、何かが変わったような気がした。ふとすれば見落としてしまいそうな、小さな小さな変化。耳を澄ませなければほかの音に紛れて気づかないくらいの不協和音。しかしそれは指にささったとげのように、ふとした瞬間その存在をチクリチクリと俺に知らしめ、心を落ち着かなくさせる。


 次の日、静野さんの態度には少しも変ったところはなかった。いつものように淡々と仕事をこなし、休憩室でお茶を飲み、他愛のないことを俺と話して笑った。


 次の日も、そのまた次の日も……。


 その週の土曜のことだった。その日は見事な晴天で、高く晴れ渡った空には秋らしい鱗雲が浮いていた。しかし昼過ぎ、いつものように公園に行こうとすると、彼女は申し訳なさそうに俺に言った。


「今日は、公園にはいかない」


 そして唖然とする俺をしり目に淡々と戸締りをした。


 静野さんと別れその日の午後、俺は独りで駅前の喫茶店でぼんやりしていた。運ばれたコーヒーが冷めてしまってもカップに手をのばすことすら億劫だった。何も考えることができなかった。考えるのが怖かった。だけどとげが、俺の胸を刺している。チクリチクリと、俺の思考を嫌な方向へと誘おうとする。


 ふと、窓の外に目を向けた。


 その瞬間、俺の心臓が飛び跳ねた。とげが……俺の胸を刺しているとげが、心臓に食い込む。もはや看過できない痛みを伴って。


「どうして……」


 俺は思わず声をあげ、あわてて自分の口をふさぐ。しかし胸を襲った衝撃は収まらなかった。


 どうして、どうしてあの二人が一緒に歩いているんだ。秀斗と……静野さんが、ふたりで!

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