表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/15

6 デート?

 時はすでに五月。初夏の晴れやかな日差しがここ新宿のビルの谷間にも惜しげなく注ぎ、にぎやかな雑踏を行きかう人々もみな浮き立つ心を満面にのせて笑みをはじけさせている。


 そんな中、俺は相変わらず面白くもなさそうな顔をした静野しずのさんの隣で陰気な雰囲気をまき散らしながら歩く。


 いやこれでも人並みにドキドキはしているんだ。いろんな意味で。これってもしかして、世にいうデートっていうやつか。しかし静野さんの様子を垣間見るに、どうにもそういう感じではない。街に繰り出すというのに特別なおしゃれもしてないし。いつもどおりの服装。白いブラウスの上に黄色いカーディガン。淡い緑のフレアスカート。頭には白いつば広帽子。美術館公園に行く時と同じいでたちだ。違うところは今日は楽器を持っていないということくらいか。

 でも、二人で街にお出かけなんて、ちょっと意識してしまう。


「ね、ねえ静野さん。今日は一体どういう風の吹き回しですか」


 ようやく意を決してたずねることができたのは、新宿駅南口を出て、甲州街道沿いの歩道を歩いている時だった。迂遠な問い方になったのは致し方のないことだ。ひょっとしてデート? などとストレートに訊いて、何勘違いしてるのと嘲られるのは耐えがたいことだもの。


 俺のそんな浮わついた気持ちに反して、静野さんの表情はやけに重々しかった。


「私はどうも……楽しい気持ちや、喜びといった感情を曲にのせるのがうまくできないみたいなの」


 少しの沈黙のあと、歩きながら、彼女はかみしめるように言う。

「だから……そういう経験をすれば、少しは上達できるかもしれないと思って……」

 そして立ち止まり、そこにそびえる大きなビルを見上げる。

「それには映画を観て感動するのが早道じゃないかと、考えたの」

 そして俺を見つめる。公園でオカリナを吹く時と同じ、真剣なまなざしで。


     〇


 つまりこれは、デートではなかった。公園での練習の延長。バイトの一環ということになるのだろう。それならば俺は従業員の本文を全うするだけだ。自分の立ち位置がはっきりしてほっとした半面、ちょっと寂しいような気もする。不安の中にほんのわずかだけど期待もあったのだ。相手が静野さんだとしても。やっぱり異性とお出かけっていうのは心が浮き立ち勘違いもするってもんではないか。


 エレベーターに乗り、薄暗い館内に入るまでに、しかし俺はなんとか気持ちを切り替える。こうなったら、せいぜい映画を楽しませてもらうとするか。静野さんがおごってくれるというし。上司の好意にはありがたく甘えよう。


 ……そんな甘いことを考えていた俺は、券売所で本日二度目の落胆を味わう。


「これ、今話題なんだってね。実はちょっと気になってたんだ。とても感動するらしいから、これにしよう」


 静野さんの買ってきたチケットには、「青い空の下で」と書いてあった。俺は人知れずため息を漏らす。ああ、それね。それ観たよ、俺。全然泣けなかったやつじゃないか。


     〇


 二度目は感動するのかと思っていたが、やはりそんなことはなかった。その映画はどうしても俺には共感のできない、退屈なものだった。静野さんがどう思いながら観ているのか、暗いシアター内ではわからない。ただ、身じろぎひとつせず、物音ひとつ発することなく、息を殺すようにしている。その緊迫感だけが隣の席からひしひしと伝わってきた。ひょっとして、寝ているのか。


 上映が終わってホールから出ても、静野さんはしばらくなにも言わなかった。ただ何を思ってか、うーんうーんとしきりに唸っている。


 彼女がようやく言葉を発したのは、休憩のためデパートの地下の喫茶店に腰を落ち着けたときだった。今までためていた分をすべて込めたかのような深いため息を吐いたあと、コーヒーを執拗にスプーンでかき回しながら彼女は言った。


「つまらなかった。まったく、感動できなかった」

 そしてテーブルに肘をついて、ぐったりと両手で顔をおおう。

「ここが感動ポイントなんだろうなってのはわかるんだけど、全然泣けないの。へー、そうなんだーって。なんか冷めた気持ちで観ちゃう」


 何かなぐさめの言葉でもかけてやろうか、と思ったところで、店員さんが俺の注文したパフェを持ってきた。上司のおごりなので甘えさせてもらったのだ。一番高い豪勢なやつを。


「お待たせしましたー。ご注文の……あっ」

 店員さんが顔をおおってうめいている静野さんをみて、急に気まずそうな表情になる。腫れ物にさわるように静かにパフェをテーブルにおいて、逃げるように帰っていった。おいおい。誤解しないでくれよ。俺が泣かしているんじゃない。っていうか、別にこの人は泣いていない。それにこのパフェは静野さんじゃなくて俺の注文だ。


 よく見ると他の席からも、俺たちの様子を垣間見てクスクス笑っている人がいる。まいったな。これじゃあまるで、俺が静野さんをいじめているみたいだ。


「よー。タイラじゃねえか」


 突然声をかけられて、その声の方に振り向いた瞬間、俺もまた顔をおおいたくなった。なんでこんなところに秀斗しゅうとがいるんだ。今、取り込み中なんだよ。


 今日は銀色の髪の外人女とご一緒だ。女の肩に手を回してご満悦の秀斗は、俺の気持ちなんか察する様子もなく、俺と静野さんを交互にみて嫌らしく唇を歪める。

「なんだぁ。今日は珍しくデートかよ。こりゃ雪が降るな」


 その声に反応した静野さんは一瞬だけ顔をあげ、彼を一瞥するとまた顔を覆う。


 彼女の顔を認識した秀斗は顔色を変えた。

「おいおい。まじかよ。このおばさんはねえだろ」

「え。知ってるのか。静野さんを」

 意外だった。っていうか、おばさんっていうのはよせ。

「ああ。うちの親父の病院に怪しげな漢方薬を売っているんだ。何て言うかお前……趣味悪いぜ」


 そういうお前は、失礼だ。秀斗の暴言に俺は思わず腰を浮かす。確かに静野さんは地味だし独特な雰囲気があるが、そんな言い方ないじゃないか。


「おばさん……?」


 血も凍りそうなほどに冷たい声が、俺と秀斗の動きを止めた。先程までと同じく顔をおおっていた静野さんが、その手を少し下げて、指の間から目だけを覗かせる。その鋭い眼光は、獲物に焦点を当てた彪のそれのごとく、秀斗の顔に注がれていた。


「わたし……まだ、二十八なんだけど」


 ナイフで心臓をえぐるかのようなその言い方に、秀斗はたちまち顔を青ざめさせて、すみませんと小さく謝り逃げていった。


 秀斗が姿を消すと、静野さんは小さなため息を漏らして苦笑した。さっきよりも多くの視線が俺たちに注がれていたが、もうどうでもいい気持ちだ。


「もう、行こっか」


 そして彼女は残っていたコーヒーをすすり、立ち上がる。その際ついでに俺の豪華パフェをペロリと平らげてしまったことについては、不平を言うまい。そんなこと言える雰囲気ではなかった。


     〇


 今日の任務はこれで終わりかと思っていたら、最後にもう一ヶ所、お供をさせられた。


 そこは公園だった。あの美術館公園よりも遥かに広い、国営の公園。都民の憩いの場で、休日だからそれなりに大勢の人で賑わっているのだが、あまりに広いのでそんなに混んでいる気がしない。すぐそばの繁華街の賑わいが嘘のようだ。芝生広場にも、森とみまごう林の中の遊歩道にも、初夏の午後の陽光を散らしておだやかな時間が流れていた。


 そんな公園の奥にある日本庭園の、さらに奥の池のほとりの目立たぬ東屋で、静野さんは疲れた足をやすめた。


 足を伸ばしてぶらぶらと揺らしながら、静野さんは目の前の池を眺めている。俺も一緒に同じ風景を見る。白い光の玉が無数に浮かび、まぶしくきらめきながら、でも物憂げにたゆたっている。それがなんだか彼女のオカリナの音色のようだと思っていると、彼女が突然口を開いた。


「さっきの続きだけどね。映画の話。私って、昔からそうなの。全然感動とかできなくて。人の気持ちがわからないっていうか。私って、変なのかなあ」


 短い沈黙の後、何か言おうとしてしかし彼女はまた口を閉じる。その眼もとに水影が揺れていて、それが一瞬、涙のように俺には見えた。


 風が吹き込み、頭上で新緑の葉がさざめく。池の面の白い粒たちが一斉に、キラキラと転がっていく。それを一緒に眺める静野さんの心に思いを馳せながら、なぜだろうか、俺は少し嬉しくなった。あの映画に何の感動もおぼえられないのが、自分だけではないことがわかったから。


「全然、変じゃないですよ」

 俺は一言だけ、そう彼女に伝えた。もっと言いたいことがある気がする。言葉を尽くして説明したい。自分の過去の出来事や、自分のこの性質も含めて。でもうまくまとめることができずに、しかし一番伝えたいことを万感の思いを込めて、もう一度彼女に届ける。

「全然、おかしくなんかないです」


 人の感性はきっと様々だ。少なくともこの世界にあなたと同じ感想を抱いたものがここにいる。おかしくなんてない。俺も、静野さんも。


 静野さんは振り返り、俺の顔をまじまじとみる。

「そっか」

 短くそうとだけ言って、そしてまた池の方を向き、目を細めた。そんな彼女の頬の輪郭に沿って、新緑の葉のそれを思わせるエメラルドグリーンの光が、水のように瞬きながら流れていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ