11 追跡
静野さんのあとをつけてみよう。
そう提案した綾子は、躊躇する俺の腕を強引に引っ張って店の外へ出た。
秋晴れの空や光散るのどかな商店街の風景に目をくれることもなく、静野さんは足早に駅へと向かっていく。いつものフレアスカートにブラウス。カーディガンを羽織って。服装や足取りからは彼女の感情は読み取れない。あいも変わらず無表情で、淡々と仕事をこなす、普段の彼女そのままだ。
「うむ。彼女は電車に乗る気だ。見逃すなよタイラ隊員」
何の気分に浸っているのか、綾子は楽しそうにそう俺に呼びかけながら改札をぬけた。
妙にはしゃぐ彼女のあとを渋々俺はついてゆく。小言と愚痴を言いながら。不必要に自動販売機の陰に隠れたり、柱の陰に隠れたり、ごみ箱の陰に隠れたりするんじゃない。明らかに挙動不審だろ。そもそもタイラ隊員って、俺は何の隊員だよ。
「むう。駅で待ち合わせってわけではないようね」
ひとりでホームへと降りてゆく静野さんを追って俺たちも階段を下る。アナウンスが流れ、下りの電車が入ってくる。人の流れと一緒に、静野さんの姿が電車に吸い込まれる。
「ひょっとして、今日は秀斗とかは関係なく、ただのお出かけなのでは……」
身もふたもない発言をする俺に、綾子は確信をもって答える。
「そんなことはないぞタイラ隊員。きっとこれは何かある」
「なぜ、そんなことがわかる」
「女の、勘よ」
反論の隙も与えず、綾子はあきれ顔をつくる俺の腕を引っ張って電車へと乗り込んだ。
〇
静野さんが降りたのは隣駅だった。市中心部の繁華街に鎮座する、大きな駅だ。今日は平日だけど、そんなことは関係なく大勢の人が駅前の通りを行きかっている。お祭りのようなその人ごみを、静野さんはやはり淡々と、足早に突き進んでいく。待ち合わせスポットや、カフェや洋服店などには見向きもせずに。
「なんか、誰かと待ち合わせって感じじゃないね。どこか目的地があるみたいだ」
ここまでくると、さすがに俺もちょっと興味が出てきた。彼女はいったい、どこへ行くつもりなのだろう。
いっぽう、綾子は追跡ごっこに飽きてしまったのか、きょろきょろと立ち並ぶ店のショーウィンドウに落ち着きなく目を向ける。
「あ。おいしそー。このどら焼き」
「わぁ、素敵なハイヒール。六万だって高っか!」
「ねぇねえ、みてみて、クレープ屋さんだよ。一緒に食べよーよー」
猫みたいにしつこくからんでくる綾子を俺は軽く睨む。クレープ食ってる暇なんかあるか。そもそもお前が静野さんをつけようって言ったんだぞ。それからお前、くっつきすぎだ。
「へへへ。いいじゃない。堅いこと言わないの」
綾子は笑いながら、組んだ俺の腕をますます彼女の身体に引き寄せる。すると、なんか柔らかいものが俺の腕に当たる。これは……。
妙に意識してしまった、俺の鼓動の変化を感じたのだろう。綾子は俺を見上げると、ニヤリと目を細めた。
「えーっ。タイラ君、何考えてるの。やらしー」
「い、いや。何も考えてない。決してお前の胸のことなんて……」
動揺した俺は思わず白状してしまう。
綾子はしてやったりといったふうに、笑った。
「あー。ショックだなー。君は中学生の時はもっと清純だったのに……」
声を弾ませながら彼女は俺にくっつき、俺の肩に頭をあずける。
「ねえタイラ君。もし……」
言いかけて口を閉じる、綾子のその口調がしんみりしたものだったので、俺は思わず彼女を一瞥する。その時、目を離した一瞬のすきに、静野さんの姿がみえなくなった。人ごみに紛れて見失ってしまった。にぎやかな街かどの光景が、急に冷え冷えとしたものに映る。綾子が何か言いかけるのを制して、俺は足を速める。静野さん。静野さんはどこだ。
ほどなく、人と人の隙間からまた静野さんの姿が現れる。俺はホッと安堵の息をついて足を進める。
「ふう、よかった。さあ、尾行を続けよう」
そのとき、綾子がまた何か言いかけて口を閉じた。
「どうした?」
「ううん。なんでもないの」
そう言って彼女は寂しそうにほほ笑んだ。
〇
静野さんがようやく足を止めたのは、繁華街を抜けた、市街地のはずれだった。
そこは文化地区と呼ばれている区域で、大きな公園のように緑地がひろがり、木漏れ日散らす木々に抱かれて美術館や博物館などが点在している。人と店舗がごった返す繁華街とは打って変わった、閑静な地区だ。
街路樹の植えられた広い歩道をしばらく歩いていた静野さんは、やがてある建造物の入り口の前で立ち止まった。
俺と綾子は急いで木の陰に身を隠す。
「タイラ君。ここって……」
「ああ。文化会館だ」
今日は何も催し物のない、閑散とした文化会館の入り口付近には、静野さんの他にもうひとり、男の人がたたずんでいた。あれは……。
俺は思わず息を飲んだ。
「あれって、金井君?」
綾子の問いに、黙ってうなずく。間違いない。秀斗だ。
俺の鼓動がはやくなり、頭に血がのぼって額に汗が滲む。音楽祭の会場である文化会館に、ふたりで待ち合わせてるなんて。やっぱり静野さんと秀斗は……。
わかった。やっぱりそうだったんだ。もうたくさんだ。これ以上、何も見たくない。
俺はその光景から顔を背け、踵を返した。
「もう、帰ろう」
血を吐くようにそう告げて、その場をあとにしようとする、その俺の腕を綾子が突然強く掴んだ。
「ちょっと待って。なにかおかしいよ」
その言葉に振り返る。
俺の目に映ったのは、文化会館へと入っていく静野さんの後姿。そして入り口のガラス扉の前に突っ立っている秀斗。そう。静野さんはひとりだけで会館へと入っていったのだ。
外に残された秀斗は、静野さんが会館内に姿を消したのを見届けると、扉脇の案内所の人になにか話しかけてから、道路の方へと戻ってきた。
「よし。突撃インタビューよ。どういうことなのか、聞き出してやろうじゃないの」
「あ、ちょっと待て。おい」
俺の制止をふりきって、綾子は颯爽と木の陰から飛び出し、戻ってくる秀斗の前に立ちはだかった。