Step 01-3 影なき男
白い床の上にはオレが座っている椅子の影がある。
だけど、オレの影は無い。
足を軽く浮かしてみても下の白い床には影はできない。
常識ではない得ない事象。
これは夢ではない。
それはさっき確認した。
多重夢でも明晰夢でもない。
正夢、逆夢、心理夢、不安夢、願望夢、過去夢、前世夢、刺激夢、予知夢、警告夢、雑夢、吉凶夢、神霊夢、ストレス夢でもない。
あと酔夢だが。
ベッドで寝るまでの記憶はある。
だが、酒を飲んだ覚えはない。
そもそも酒を飲める状態ではなかったのだから。
残るは白昼夢。
白昼夢は睡眠中にみる夢ではない。
現でみる幻だ。
ーーいや悪夢だろ、これ。
夢を見ている訳でもなければ、酔っぱらっている訳でもない。
幻覚でもない。
オレはまともだ。
まともなはずだ。
まともだと思う。
正常な認識ができている。
であれば、世界が異常なのだ。
異常な世界。
ーー異世界。
いやいや、いくら何でも荒唐無稽すぎる。
異世界なんてそれこそお話の世界だ。
ご都合主義にもほどがある。
であればオレは、死んじまった、のか?
ーー人生オワタ\(^o^)/。
オレは死んだ。ご臨終したのだ。
思い当たる節が無い訳でもない。
病院のベットで就寝してから、今までの間の記憶がない。
記憶をよくなくしていたのは深酒をした時だ。
泥酔して記憶が飛んだのでなければ、記憶をなくす心当たりがない。
おそらく病院のベットで就寝中に、容体が急変するなりして絶命し、ここにいるのだろう。
死んだのであれば、ここは死後の世界だ。
死者しか存在しない黄泉の国。
獄卒の鬼が見当たらないので、地獄ではないようだ。
雲でできた床の上にいるから天国なのか。
またもや脳裏内に同じ選択肢が浮かび上がる。
【はなす】 【しらべる】 【あきらめる】
【あきらめる】を選ぶ。
もうそれしか選びようがない。
死後の世界など、知ら無い。
識わけが無い。
逝って還ってきたモノなど、神話や物語の世界だけだ。
明確な情報など、皆無だ。
判断すべき情報がない。
生前の常識や培った知識と経験が、死後の世界でどこまで通用するか想像も及ばない。
生前あれだけあがいたんだ、死んでまであがき続ける、気力も、必要も、ない。
なるほど。だから最初から選択肢に【あきらめる】があったのか。
【あきらめる】以外の選択肢を、選択するのは無意味だったんだ。
最初から【あきらめる】を選択していれば良かったのだ。
脳裏内に表示される最後のメッセージウィンドウ。
┌ーーーーーーーーーーーーー┐
│ │
│ ー END ー │
│ ■ │
└ーーーーーーーーーーーーー┘
無情にもカーソルが点滅している。
オレの三十年の人生が、ゲームオーバーしたのだ。
エンドロールが流れることも、走馬灯が走ることもなかった。
今更ながらにロクな人生ではなかった。
くそゲーだったから、走馬灯なぞ走らなくていい、まである。
ーー終了のお知らせ。
蛍の光のメロディーが途切れることなく、いつまでも流れる。
「ご納得頂けたようですね。ご理解ありがとうございます。」
いきなり目の前に、女性が現れた。
驚愕のあまり思わず声が出てしま、うことはなかった。
……声が出ない。
さっき死ぬ気で、オジサンに声を掛けていたのに声がでない。
思わず口元に手を当てようとしたが、手が動かない。
それどころか身動き一つできやしない。
足元を掘っていた足も、力の限り踏ん張ろうとしても、力がはいらないのだ。
「ご自身の死を自覚されるまで、お待ちしておりました。」
凛とした透き通るような声が、何処までも届く。
落ち着き払ったその声は、聞いているものすべての心が、安らかになる綺麗な声だ。
いや綺麗なのは声だけではない。
気品と優雅さを纏う美しい淑女が、何処までも白い空白の空間に佇んでいる。
澄み切った夏空を連想させる青いスーツ姿が、彼女の存在を更に際立たせてせる。
一片の雲が夏空にぽつんと浮かんでる風景の、空と雲の互いの色を入れ替えたイメージだ。
鮮やかすぎるコントラストのせいだけで、目が離せないわけではない。
彼女の容姿は月並みな言い方だが、絶世の美女だ。
いや、月並みな言葉ではあまりに失礼だ。
ただの美女ではない。気高く、麗しく、艶やかでいて荘厳。
そう、『絶世の美麗女神』というのはどうだろう。
まあここはあの世で、この世じゃないから、絶世が適切かどうかわからないが。
などと空回りしていて、絶世の美麗女神様の言葉の内容を理解していなかった。
つまり自分自身が死んだことを、認識して納得するまで彼女は待っていた。
彼女が現れたのは、ここにいる全員が、状況を理解したから。
協調性のない迷惑なやつだな。誰だそいつは。
「死亡した事実を受け入れられない方が、稀にいらっしゃいますので。」
思わす言いたくなってしまう。
ーー( ゜д゜ )こっち見るな。
スマソ。
申し訳ありません。私ですね。
私が元凶だったのですね。私が悪うございまいた。
私の理解が及ばなく、ご迷惑をお掛けしましたことを深く謝罪いたします。どうか平にご容赦ください。
取引先とのトラブルが発生した時は、どのような状況であっても、謝罪が優先すべき事項である。
いかに先方に非があることが、明白な事実であったとしてもだ。
これは生き抜くための知恵である。
いかな時でも、誠意と謝意を示すことは重要だ。
誠心誠意を示すことで、身をたすくことがあるやもしれん。
死亡している現在、この知恵が必要かどうかは、不明だが。
だが如何に、誠意と謝意があろうとも
ーー焼き土下座は、断る。
思い返してみるとオレ以外、誰も微動だにしていなっかた。
オレ以外の人たちは、ちゃんと自分が死んだことを、既に受け入れていたのか。
だから誰も話すこともせず、悟りを開いてるかのように感じたのだろう。
であれば、すぐにでも現れて説明してくれれば、良かったのではないだろうか。
「ご理解頂けない方は、錯乱されて粗暴な行為に及ぶ方が大半ですので、ご納得頂けるまでこの場でお待ち頂いております。」
なるぼど暴れるような顧客は客ではない。
不良顧客が諦めるまで放置する方針か。
理不尽な要求を受け入れてしまうと、新たな要求が次から次に生まれることがある。
そしてそれは、更にエスカレートしていくのだ。
そうなると、いつまでも理不尽な対応を続けることになる。
だから最初から対応しなければいい、対応しなければいつかは諦める。
相手は頭に血が上り熱くなるだろうが、脳みそが沸騰しているなら、冷めるまで待つのが無難だ。
しかし、諦めるまでどれほど時間が掛かるかわからない。
どれほど待つつもりだったのだろうか、彼女は。
「ここでは、時間に意味はございませんので。」
生前の常識の範疇外だ。
時間に関するものは宇宙物理学や、量子物理学の基礎となっている一般相対性理論だ。
一般相対性理論はGPS等の人工衛星の運用において、その理論は実証されているが、時間の進み方が違うだけで、意味が無い訳ではない。
時間を無意味にするものは、タイムトラベルとかタイムリープなどの類になる。
最新の科学研究でも、タイムトラベルは実現不可能だとされている。
時間は過去から未来に進んでも、過去に戻ることはできない。
常に未来に向けて一方向にしか流れないからだ。
有名な天才と呼ばれる科学者や数多の優秀な科学者たちが、ワームホールやらループ量子重力理論など、日夜研究を続けていても未だ解明されていない未知の領域だ。
なのに、時間に意味が無いのと断言された。
多少の聞きかじった知識しか持ち合わせていないオレでは、到底理解の及ぶことない事象なのだろう。
訳も分からない状況下で、プレッシャーに押し潰されそうになりながら、必死にオジサンとコミュニケーションをとり、限りある頭髪を犠牲にしてまで床を掘り返していたことは、あの世では意味のないことだったのだ。
明確なのは、無駄な悪あがきだったってことだ。
ここで時間に意味が無いように、オレの無駄な悪あがきも意味が無かったのだ。






