Step 01-1 夢に堕ちたら
目覚めるとパイプ椅子に座っていた。
慌てて周りを見渡すと左右に五,六人が、同じように、並んでパイプ椅子に腰かけている。
ーー今日は打ち合わせだったか?
打ち合わせの最中に眠りこけていたのか、と思ったがそうではない。
じゃあなんでスーツ着て座ってんだ?
病衣ではなくスーツだ。
病院のベットで寝ていたはずなのに。
とりあえず現状の把握をすべきではないだろうか。
横目でそっと左右を見渡す。
やはり同じように腰かけている、六人のスーツ姿の男女しか見えない。
周りには他に目につくものはない。
目の前を遮るモノなど何もない。
ーーナニもないってナニ?
そこには何処までも白い空白の空間が目の前にあるだけだ。
しかも何にも聞こえはしない。
静寂しか聞こえてこないような完全無音状態だ。
お隣さんの息づかいの気配すら感じられない。
微動だにせず、背筋を伸ばして座っている。
誰も身動き一つしやしないマジで。
まるで禅の修行をしているみたいだが、異様だ。
人の感じがしない。
人ではなく等身大のフィギュアみたいに感じる。
人形に囲まれていると思うと、不安になってきた。
いやいや、これは夢だ。
夢に違いない。
現実とは到底考えられない状況であるなら夢だ。
ということはまた夢の中なのか。
夢の中で夢を見る、いわゆる『多重夢』というやつだ。
しかも今度はしっかりと、夢だと自覚できている。
つまりこれは『明晰夢』だ。
カウンセリングを受けていた頃、重度のストレスの対処の一環として、明晰夢は何度も経験している。
明晰夢は夢を自分の思い通りに自由にできる。
つまり現実ではあり得ない状況を、意識して創り出せるのだ。
明晰夢を確認する方法なら知っている。
というか、いつもやっていた。
左の掌に右手を当てればわかる。
右手が左の掌を突き抜ければ……。
突き抜けない。
当たってる感覚もある。
力をこめると痛くさえ感じる。
明晰夢の状態では肉体の感覚は存在しない。
自分の身体感覚までは自由に制御できない。
つまり、身体の痛覚を認識することはあり得ないのだ。
ーー夢じゃない。
不安に駆られ思わず席を立とうとしたが、立つことができない。
腰が抜けてるわけではない。
椅子の座面の両側を掴み、体を持ち上げようとするが腰が浮かない。
上半身は問題なく動くし、足も動かせる。
ただ腰を椅子から離すことができない。
不可解すぎる。
ーーなんなんだこの状況は。
未だかつて経験した事のない状況下での無言のプレッシャー。
耐えられん。
無理。
口内に唾液が貯まる感じがするが、飲み込むことすらできない。
溜飲も下げられやしない。
誰かセキばらいでも何でもいいから、なにかしら反応してくれ。
ーー誰か答えて、オネガイカミサマン。
ともかく何かしらの情報が欲しい。
現状を打開するための手がかりが欲しい。
誰も音を立てず、話もしないのなら、誰かに話しかける選択肢がある。
でも誰が?
ーーオレか。
横目で左右をもう一度確認してみよう。
右はリクルートスーツ、いや、ブレザーの制服を着ている小柄な体躯。
ーーカワイイ年下の女の子。
ムリむりムリむり無理、絶対無理!
『年齢=彼女イナイ歴』は、現代日本における大和男子の、外すことのない典型的なテンプレだ。
三十路になる今日まで、頑なに貞操を守り続けることを強いられてきたこのオレが、こんなカワイイ女の子に話しかけるなんて、驚天動地の事案ものだ。
きっと話しかけた瞬間に、何処からともなく聞こえてくるあの決め台詞。
『おまわりさん、こいつです。』
確実にオレの人生の終わりを告げるシチュエーションが展開されるのは、もうお約束の世界だ。
例えどこの平行世界や異次元、異世界であろうが 、ブラックホールの特異点から見上げる事象の地平線の彼方や、ディラックの海の深淵であったしても、それは変えられない、決して変わることのない予定調和。
いや。
事案は脳内会議室で起きてるんじゃない! 現場でも起きてはない。
こんな時こそ落ち着け、『素数』を数えて落ち着くんだ!
ーーまだ慌てるような時間じゃない。
そう、追い詰められたわけじゃあない。まだ方法はある。
こういう時は逆を行くんだ。
右側の反対、つまり左側に座っているのは、オレより背の低い小太りのちょっと、しょぼくれた感じのするオッサンだ。
ーーん。話しかけるには問題なさそうだが。
この状況で声をかけるのは、気まずい気がしなくもないが、いつまでもこの環境下でのプレッシャーには、とても耐えられそいうにない。
なにかしらの行動を起こさなければ、ストレスがマッハになって、いづれ死んでしまうだう。
なぜならオレのお豆腐メンタルは、とてもナイーブで、乙女の肌よりきめ細かく繊細なのだから。
更に自分が自分を、窮地に追い込んでしまう状況にもなりかねん。
ーー単純明快簡単楽勝。
なにも問題ない。
オレはできる、やればできる子なんだ。
だから深く考えなくていい、いやもう考えるな。
大丈夫、ダイジョウブ、ダヨネ。
死ぬ気で話しかけよう。死んでしまう前に。
「あのっ、すみません。ここって何処でひょーか?」
いきなりこんな会話の出だしで、どうかとも思うが気の利いた言葉なんて出てきやしない。
もう、いっぱい、いっぱいなのだ。
目の前は既にホワイトアウト、頭はブラックアウト寸前。
しかも声が上ずってしまい掠れてしまった。
オッサン相手なのにハズイ。
ともあれ、とりあえずきっかけは作れた。作った。作ったのだ。