コンクリート 第一話 子供の神様 #4
◆16 警視庁界隈
銭谷刑事は、日の出埠頭から最寄りの浜松町までタクシーに乗った。
山田とは別の、鑑識課の西川に電話をかけていた。西川とは昔から馬が合う。
「ガイシヤは90歳、ですね。はい。池袋の事件のです。元高級官僚。その後複数の企業団体を天下りし、いまだ、高額の給料をもらっていた、あの老人です。」
「うむ。」
「ゲソコン(足痕)は一人です。はい。土足で入って土足で出てます。現場は玄関で、配達員を装ったものと思われます。また、この街区は監視カメラも多いので、今朝から今までの出入りは見てもらっています。」
「なるほど。」
「普通は時間の問題ですね。」
西川はそういうと、少し口籠もるようにした。
「しかし、どうですかね。」
「しかし?」
「はい。問題は、殺され方ですね。」
「殺され方?というのは?」
「ええ。怨恨がひどいというか。でも、どうだろう。銭谷さんの意見もお聞きしたいところですが。」
タクシーは浜崎橋から、大門に抜ける道に入った。浜松町で山手線に乗り、神田から中央線で回れば中野はすぐだ。とりあえず、現場は見てみたい、と思った。
「被害者は、90歳の高齢にもかかわらず、わざわざ、自分の性器を切り取られ、口に加えさせられて死体で発見されてます。他に傷はありません。見世物みたいな死に方です。」
「うむ。他に傷はない?」
「ええ。でもこれでは、親族もぞっとしたのではないでしょうか。」
「性器を切断か。想像したくないだろう。」
「いや、さらに問題はその写真がすでに、SNS上で出回っているのです。警察の発表の前から。おそらく殺害してすぐに上げています。そうやって、メディアに回すことも想定しているようにも思いました。」
ある程度のことは想像をしていたが、電話で聞いても不快なものだった。
「ひどいな。」
「うむう。これは、あきらかに、犯行は怨恨で、ここまでできるのは家族を殺されたような恨みからだ、と思うのが自然ですが。」
「池袋の被害者の父親が、か。」
「どうなんですかね。だいいち、こんなに証拠残して、逃れられる訳が無いでしょうし。でも。」
「妻と、娘二人を殺された父親が、犯人に思えるかってことかい。」
「まあ、そうです。」
銭谷の違和感は強まっていた。いや、殺害の現場の詳細を聞いて、ますます、あの父親が、そのようなことをできると思えなかった。百歩譲って金を払って殺人依頼を誰かにするとしてもこんな風にしないのではないか?それとも娘や妻を殺されると、何かが変わるというのだろうか。山田巡査が興奮してあの父親を容疑者にして、その自宅まで追いかけていた声を思い出しながら、銭谷はまた「刑事の直感」という、彼に説明できない真実が、空から降りてくるのを感じていた。手柄を焦る気持ちも分からなくはないのだが。
「銭谷さんは、違和感ありますか」
「うむ。違和感がある。」
「やはりそうですか。私もおかしいなと思つていたんです。ええ。なんだか、出来過ぎで。」
*
山田から着信が入ったのは、山手線から中央線に乗り換えようとした、神田の駅であった。
「おつかれさま。いま、こちらも向かっているよ。ただ、例の父親ではなく、中野の現場、のほうだけど」
「銭谷さん、すいません。要町の家は誰もいませんでした。それより、奴から、本庁に連絡があったようです。」
「え。」
「今僕は霞ヶ関に戻っているところです」
「自首します、という、電話だってことかい?」
「いえ、そうではないようです。」
そのはずだ。被害者の父親が犯人ではない、と、銭谷は最初から直感を変えていない。
「なぜ、警視庁に連絡が来るんだ」
「テレビで見て、真っ先に疑われると思ったので、弁護士と相談して、連絡をした、ということのようです。」
「?」
「無罪を主張してるようです。」
「ふむアリバイでもあるなどか。」
「いま、熱海にいるのだそうです。」
「熱海?」
「一昨日から、犯行時まで、彼は一人で熱海にいました。」
「熱海というのも唐突だな。家族というか、かれは、妻も娘も死んで、独り身だったと思うが。」
「ええ。熱海にいたこと、いまもいることは、旅館の女将も、証明しています。なにせテレビで顔を見たことがありましたから。」
山田がこちらの休日にわざわざ連絡をしてきたのは、自分が手柄を立てるかもしれないという、宣言的な連絡だったのかも知れない。自信に溢れると彼はああいう声を出すものなのかと思った。地味なようでなかなかの野心家なのかもしれないも思った。それが、ありがちに空振りに終わって、山田はもうすでに冷静に声を戻していた。興奮していたことも忘れたと言う口ぶりだった。
「わかった。」
「休日に失礼しました。」
「いや、とりあえず、現場には顔を出してみるよ。」
「わざわざ、大丈夫ですよ。」
「いや、しかし、」
「お休みに申し訳なかったです」
何を言ってるんだ、と少し怒鳴りそうになった。殺人事件があったのに休日だなんて気分になれるわけがない。西川が言ったことが本当なら、今夜からニュースはこの事件一色になる。そんな大事なヤマで、現場も見てないで、何ができるんだ。お前がいるべきは身内の報告ごっこの霞ヶ関ではなくてまずは、中野の住宅街の現場だろう。
銭谷はそう言葉、を出しそうになったのを、強く堪えた。
「いや、個人的に気になることもあるんだ。中野は見ておくよ。」
山田のことは本質、悪く思っていない、そのせいで、余計、助言をしてあげたくなるのだ、と銭谷は自分に言い聞かせた。
神田駅には東京駅の高架から降りてきたばかりの中央線がすべりこんできた。
◆17 御園生の報告
権藤所長
以下の通り、ご報告申し上げます。
「レイナ様からの連絡を受け、早速、風間様のタワーマンションの管理人に打診するも、警察に届け出ない中で防犯監視カメラの映像は開示できないという話があったが、一旦諸経費を使うことで、決着。経費はさほど高くありませんでした。」
「防犯カメラ映像データはその場でファイル転送が可能で、同映像の解析は再びレイナ様の方に発注済、即日で、機械学習に各映像をかけて頂きました。風間宅フロアを訪れたであろう候補アカウントが複数あがり、それぞれ電話番号、メールおよび幾つかの個人情報は確保。候補三名ほどの中の、嫌疑優先順一位が以下になります。」
「元風俗嬢まりまり。薬物の逮捕歴あり。新宿区XXX在住。ひとり暮らし。左腕手首から肩にかけて数十の自傷行為痕があり、そのことをSNSでも開示しています。」
「検索履歴から猫の云々について。猫をどう殺すか、などの検索は出てない。ペットを飼っていた様子はない。宅配した猫の遺骸をどう手に入れたのかは現状不明。」
「レイナ様のほうでは、複数回スクリーニングして頂いてますが、現状この女性風俗嬢と、風間との接点は一切見当たらない。よって、ネット上精査では、動機は不明。」
「当日映像を解析からも、おそらく猫の入ったであろう荷物を風間宅前に放置したのは、この人物まりまりに違いないと思われるが、本人からの動機が何かあったのかが不明のため、自宅を訪問し、いくつか、質問をおこなった。」
「こちらは、警察でないことを告げ、また、風間本人から、迷惑回避の依頼があることを伝えたが、本人は否定。意外にも開き直り、逮捕できるなら逮捕をしてほしいと、発言。」
「実際に、複数回の犯罪であればまだしも、初犯でもあるため、逮捕などは厳しいかもしれない。そもそも依頼人(風間さま)側が、警察への届出がなく、立件は難しい。」
「風間、という人間については知りもしないと、コメントあり。質疑に注意して観察するも、その表情には一切の変化はなし。」
「では、猫を置く相手は誰でも良かったのか?という質問に対しては、若干の変化があったようにおもわれ、また、当日の映像でも明らかに、フロアは確認している様子があり。」
「御園生の勝手な想像だが、手間である、猫を殺し、潜入していくことに、動機なしは明確に不自然。第三者からの依頼などがあった可能性があり」
「再度、レイナ氏に相談中だが、レイナさん側からも、Web上では一切そのような、行動履歴があったようには見受けられないと、再三レポートあり。」
「まりまりの自宅付近に適切なカメラ位置あり、リモートを見切りで設置。尾行対応も発注を検討している。」
◆18 レイナの独白 メモ 風間への愚痴?入れる?
炎上は迷惑だった。
一時的なWEB上の熱狂を支えるためには自分の機械の周りをそれなりに設定しなければならない。焦げ付きを避けるために、多少は工夫している。いちいち炎上に合わせるとそれはそれで、時間工数が無駄になる。だから、世の中が少し燃え盛ると、レイナは別の意味で自分のMacを複数開いて、保全的に、自分の機械の設定がおかしくならないように見守るのだ。
その日の昼頃に始まった、池袋の事件のSNSの動きをレイナは眺めていた。起点は、渋谷ちかく、下北沢あたりからのようだった。複数ではなく、一人だけが最初の写真を上げている。その男のデータは既に自分の作った自動クロールで回収され済みのようだった。どういう人間なのかは自動的に、探偵事務所に頼まれたらすぐに答えられると思う。
(ん?)
(あれれ)
その起点に、少し違和感があった。
おかしい。アカウントの管理の仕方が、ちょっと不自然だと思われた。けども、レイナは写真をばら撒く狂気の人間にあまり興味もなく、機械に任せたままにしていた。
殺された老人のおぞましい写真は、大手のSNSまで含めて、広まり始めた。最初に挙げられた下北沢のアカウントは予想通りある程度の反響をみたところで、すぐに消された。おそらく自分で消したな、とレイナは思った。火がついたら、すぐに退場するのが少しプロのやり方なのだ。株の風説と一緒だ。しかし、この人間がプロか?と思うとちょっと違うような気がした。なんだか違うのだ。
老人の惨状は見るに耐えなかった。裸にされて惨めなものを口に咥えさせられていた。ヤクザやマフィアの制裁のように思えた。もともの写真をさらに千切って分割して、ばらばらにSNSにばら撒かれていた。ご丁寧に顔面の目の当たりだけ見つからないように工夫をされてもいた。そのせいで、謎解きのような印象となった。Fakeを暴きたくなる群衆心理に知悉したやりかただとレイナは思った。
やっぱり、プロだ。いや、これは、プロなのか?
犯人の素性が、よくわからない。レイナの感じた違和感はそこだ。
そもそも、テレビで幾度か見たあの被害者の父親に、こういう嗜虐性があっただろうか。ここまでの恨みを持つのは、家族を殺された父親でなければと思いつつも、テレビで幾度か見た真面目そうなあの父親の犯行とするには違和感がある。
そもそもあの父親はこんな犯罪のプロじゃない。
(まあ、変だな、ということかな。)
事件そのものにはレイナは興味はなかった。
(子供ってどんなんだろう)
(子供を産んだり、育てて一緒に暮らした月日があれば、また違う風景が見えるのだろうか。)
(まるで平凡な人間を悪魔にまで変えてしまうような、そういう転向があるのだろうか。)
レイナはパソコンから目を外し、大磯の海原に目をやり、煙草に火をつけた。
ゆっくりとタバコを飲み込み、肺まで吸い込む。そうしている間も、ネットの上の炎上記事は群衆の力を得て次々と変化を遂げていく。
おもむろに着替えて、トレーラーから降りると、レイナは半島に向かう岬の高低差のある山道に走り込んで行った。敵と殴り合う想像でシャドウボクシングを入れながら体幹の中心を意識して走る。走り出して、身体が熱りだす頃に、嫌な気持ちは少しずつ消えていった。
人間はなぜネットの上を追いかけるのだろう。炎上に興味を持つのだろう。ニュースを見て消費するのだろう。レイナはネットの物事で、最近幸せなものなど見たことがないと思った。世の中に幸せなニュースなどあっただろうか。殆ど不快なものばかりなのに。人生の時間をどれだけそれに費やしてしまうのだろう。独房にいた頃にあんなに憧れたこの世界というものが、もしかするとこの程度でしかないなら、自分はどうやって生ていけばいいのだろうか。
走り込みは続いた。自分の体が弛緩するくらい疲れた頃にはそれらの憂鬱な言葉は少しずつ失われていくはずだ。いや、体が疲れるまで走らなければ、脳から憂鬱が去ってはくれない。
西湘の山々は海からの風を受けながら、草木が美しく空に向かっていた。葉の隙間からのぞく青空に、光りが散乱する。レイナの脳に柔らかな安らぎをもたらしていた。
(すこし、小説サイトを読んだり?)
◆19 山田翔
隅田川の船の上で「良い休日を」と電話で話した山田の次の声を銭谷が聞いたのは、彼がとんでもない失態を犯したあとだった。
銭谷は悪い予感の中で、元官僚殺しの容疑者が見つかったという世田谷のその場所に向かった。下北沢から少し歩いた学生マンション、そのの裏手が顛末の場所だった。現場は鑑識も何人か来ていた。西川は未だだった。
少し離れた道端のアスファルトに項垂れている山田がいた。遅れて到着した銭谷は話しかけた。
「何があった?」
「申し訳ございません。」
「おまえ。」
「自殺しました。」
「なんで、独断したんだ。」
「すいません。」
「ふざけるな。大切な情報源をおみやにさせたいのか?」
「すいません」
「なんだって、勝手に進めようとしたんだ。そんなに手柄が欲しいのか。」
項垂れる山田は涙を流していた。その涙は悔しさなのか、元官僚殺しの容疑者の死亡事件を自分が起こしたことへの恐怖なのか、分からなかった。銭谷は山田という若者が、わからなくなった。
中野の元官僚殺しの犯人を、SNS上で特定したのは、山田の友人らしい。古い銭谷のやり方に反発をしていたことが理由なのか、山田巡査自身が強く自己顕示欲があったのかは不明だが、当初の、池袋暴走事故の被害者の父親が犯人だという想定が外れて、一回諦めたはずのこの事件を、もう一度自分で調べたのだという。その上で、写真の掲示などのSNSから、意外にも早く犯人想定ができたので真っ先に自分ひとりで、身柄を確保に向かったのだというのが、山田の手短な説明だった。
「サイバー捜査より自分の方が早かったってことか。」
「すいません。」
「警察は組織だ。独断が許されないことがある。それはわかってるはずだ。」
容疑者の、部屋はマンションの五階で、山田巡査が単独で無理やり入ろうとしたせいで押し問答になり、男はそのまま、何かを言い合うことでもなく、玄関と反対側のベランダから飛び降りた。
脳天からアスファルトに落ち、即死だった。
場合によっては、山田自身が殺人の容疑に問われてもおかしくさえない。
しばらく二人は呆然と無言のままになった。銭谷は辞めていた電子タバコをわざわざカバンの奥から出して、迷いながら、やがて肺の奥底まで吸い込んだ。そして息を出すように、言葉も一緒に
「どうして、相談しないんだ」
とだけ、恐ろしく優しくした声で言った。せめて理由だけでも教えてくれ、とでも言うように。そうでないと納得がいかない。しかし山田は
「急いで捕まえようと、気が焦ってしまいました。」
と、必死に詫びながらも実は銭谷には内容のない杓子定規にしか思えないような言葉を言うだけだった。
「電話一本もできないか」
「すいません」
その電話一本を休日の銭谷にまでかけてきたのは山田本人だったではないか。しかし、今回電話をして来れば、銭谷は止めただろう。犯人がこういう、倒錯した思考の中で、何をするかがわからないという考えから、単独どころか組織としても、自宅を訪問させず、複数の人間でチームを作り、ホシが外に出てきたところで職質にする方がよほど身柄の確保には安全だ。
ましてや、窓から逃げれる(飛び降り)ような、マンションにひとりで行くなど、ありえない。
「結局、部屋に入ったのか?」
「いえ、玄関までです」
「チェーン越しに話していて。」
「開けろ云々のうちに、相手が覚悟した、か。」
「本当にすいません。」
二人が葬式のように小声で会話しているところに、鑑識課の西川も遅れて到着した。
「銭谷さんこれは一体?」
「窓から自分で飛び降りだよ」
「え?やらかした、ってことですか」
「まあ、その通りだ。」
痩せて背が意外と高い西川は、久々に対面した銭谷が少しやつれているような気がしてその方が気になった。銭谷といえば、昔は女性から人気の色男だった。そらが少し髪の毛のあたりや、横顔にも老いを感じざるを得ないのは、このような状況だからだろうか。
「貴重な情報源が、説明もなく消えてしまって、迷宮に入るのだけは、避けたいが。」
「しかし、なんでまた。本庁でも時間の問題っていうネタだったのに」
「うむ」
そう言って西川はなんとなく、アスファルトに項垂れて蹲る山田の背中を見て、少し察した様子で
「部屋の中は」
「まだだ。何か残ってれば良いが、こうやって突発にだと、難しいかもしれん。」
「なるほど。これからか。」
「玄関も開いていないってことだ。」
「うむ。そうですか。まあ、頑張りますよ。あれこれ世間様からも言われそうな事件だし。」
そう言って西川は、一度銭谷を見つめ、小さく頷いてから、マンションの入口の方へ小走りになった。
銭谷に本庁から電話が鳴ったのは、山田に缶コーヒーを買ってきて少し落ち着かせた頃だった。
上層部からとわかって銭谷が顔つきを変えた。山田も、その表情に緊張をしたのがわかった。
「はい、銭谷です。」
その声は組織の上下を重んじる旧来の、警察組織の声だった。
「大変申し訳ございません」
電話の向こうからは、幾度も強めの声が出ている。
「大変申し訳ございません」
「いえ。、」
「はい。大変申し訳ございません」
銭谷は電話で見えない相手に幾度も頭を下げながら会話を続けていた。かなり長い間、ああでもない、こうでもないという銭谷の声が続いていた。受話器の向こう側は時折、怒鳴るようだった。何を言ってるかまでは山田には分からなかった。ほとぼりも覚めるくらいに話が続いた頃、山田には想像していたことと違う言葉が聞こえた。
「いえ。彼の独断ではないです。」
「はい。私が容疑者逃亡の恐れありとして、急がせたのです。これはすべて私の問題です。ええ。山田巡査に無理を押し付けました。申し訳ございませんでした。」
山田は銭谷の顔を見ながら、唖然としていた。
「はい。独断などではないです。私の問題です。」
銭谷は、表情を特に変えることなく、まだ上層部の電話の対応を続けていた。
◆20 権藤と風間の会話
「ということで、この女性、まりまり?には一切心当たりはないということですね。風間さま。」
「ああ。知らんよ。本当にこの女があの猫を置いたってのか」
「状況証拠を見立てた中では間違いはないです」
「脅迫もか」
「それはまだ、わかりません」
「わからないでは困るだろう。そもそも、俺はこんな女など知らない。こいつが主犯ではないだろう」
「はい。主犯とは違うかもしれませんね。ただ、調査は進んでおりまして、ですから、一つお尋ねしたいのです」
「なんだ」
「この一連の脅迫や殺人予告に、風間さまは実は、何か心当たりはございませんか?私共としては、どんなことでも良いので過去の風間さまの経緯をお聞かせ願いたいのです。でなければ御約束の期限内に納品させていただくことが厳しいかもしれません。」
「なんだと、ギブアップなのか。それでも評判の探偵事務所か」
「私たちは、私立探偵ですから、刑事ではないです。でもある程度事情を教えていただくことが、やはり調査には必須です。デジタル上での脅迫ならば我々はある程度解析はできます。がしかし、今回の脅迫は手紙です。」
「御託をならべるな」
「このままでは追加別料金で、継続調査というご相談になりかねません。良い条件で頂いている中で我々もそれは不本意でございます。」
「こころあたりなど何もない」
「なんでも良いのです。遠い過去に関係があった人間のお名前を頂くだけでも。その携帯の連絡先の中ででも良いし、登録を消したのでも良いです。」
「うるさい。黙れ。ないものは無い。」
「ではこちらからお聞きします。なぜ、猫の死体が届くのでしょうか。別に嫌がらせなら猫でなくても良い。」
「知らん」
「なぜ殺人の予告などをわざわざするのでしょう。本当に殺したいのならば、予告などしないで行うべきです。」
「知らん」
「予告をすれば、防御が生じますし、警察に届けられなくとも、我々のような調査をする人間が出てくるのは目に見えてます。」
「知らん。警察に行かないのは、俺がサツが嫌いなだけだ。あいつらは俺みたいな人間のために、真面目にやったりはしない」
「ほう。それは何か心当たりなどがあるのですか?」
「いや、一般論で言ってるだけだ。とにかく俺は警察が好きじゃないんだ。そういう人間は多いだろう」
「もう一つ、なぜ殺すとだけではなく、コンクリートで殺す、とわざわざ書いてあるのでしょう。」
実はこの最後の質問だけが自分の聞こうとしていることだったかも知れません。私は実と風間の表情と次の言葉を待ちました。
その時、風間はやはり、コンクリート、という言葉に反応がうっすらとあったのです。私はその魂のゆらぎ、だけを見つめながら、また、彼の横暴で無責任な会話の往来に付き合いながら無為の時間を強いられたのは言うまでもございません。
猫を殺して届けるほど嫌がらせをしたい人間です。殺害予告の中にあえて、殺害方法を記載したことには何かがあるか、のではないか?それを記載することで、余計に風間に恐怖を与えうると考えたはずでは無いかと、考えるのが自然でございましょう。
コンクリートに詰めて殺す。その文言を私は頭の中で反芻させながら風間のどうでもいい言葉を右から左へと聞き流し続けておりました。
無論、そのような謎解きでもなければ、風間のような男との時間を重ねるのはとっくにお断りをさせていただいていたかと思われます。
◆21 疑惑
鑑識の西川からのレポートが上がったところで、初めて銭谷と山田、そして他の捜査一課の刑事らも含めて、自殺した是永容疑者の部屋に入った。
三十八歳。独身。離婚歴あり。元妻とのあいだに、娘がひとり。この住居にひとり暮らし。大学卒業後、大手流通企業に就職。五年努めたが退職し、資金を集めてベンチャーを起業した、というのがかつてのWeb上の説明だが、銭谷も西川もそれを鵜呑みにはしなかった。ネット上の書き込みは彼が社会的に協調性やチームプレイが苦手であることを示唆していたし、ベンチャー創業というのも、実際に、実態があったかは怪しいものに思われた。
「収入はアルバイトで月15万円ほど。家賃が7万円です。石川県出身で、両親は離婚していて、父親とたまに、連絡をしていた様子ですが、母親とは一切なしですね。」
「なるほど。」
「最近は、ネットでの時間を、小説の制作にあてていたようです」
「小説?」
「純文学ですね。お金にはならないでしょうね。」
そういって、銭谷は彼の部屋を改めて見回した。ワンルームの壁の一面が乱雑に積み重ねられた本、おそらく古本ばかりで並べられた壁際の一面が、本棚のようになっていた。重く分厚い本を下から並べて天井近くまで堆く積み上げられていた。ほとんどが、文庫本だった。
「読書家だったようだな。」
「芥川龍之介、と、ヘミングウェイ、川端康成。ジル?ドゥルーズ。ヴァン・ゴッホ?ってのはあの画家かな。」
西川が、一応、仕事としてという感じで、そうこぼした。
「読んだこともないですね。」
「ああ。」
そう曖昧に答えたが、独身の長い銭谷は、意外と本を読む。なんとなくどこかに、共通点のある名前の並びに見えていた。
「純文学、を書いていたと。」
銭谷はそう言ってみたものの、純文学というのが、今回の殺人の空気と何か合わないと感じた。殺すよりも自殺する方が似合っている。もっともどこまでの純文学かは知らないが。
「ただ、彼のサイバー調査ですが、やはりおかしなことが多いんです。」
西川は一通り、鑑識作業を終わった後にその部屋に、銭谷と山田を呼んでいた。部屋以外の情報を集めてもいるのが、西川賢二という男らしい、と銭谷は思った。
「たとえば、彼は、池袋の事件をSNS上で激しく糾弾しているのはこの半年だけ、なのです。」
「うむ。」
「半年だけ、急に、です」
「半年だけ。」
銭谷はぼんやりと聞いた。すこしSNSのようなものに強くない自分がいる。半年だと何かおかしいのか?そんな銭谷の疑問に応えるように西川は続けた
「気付きませんか?池袋の暴走の事件が起きたのは二年前です。元官僚を糾弾するなら、二年前に始めませんかね?また、そもそも、彼の元々のアカウントで事件直後からやっても良い気がします。」
「元々のアカウント?」
「ええ。そこも少し気になっており」
「どういう事だ?」
「この半年だけ、つまり、池袋事件や、元官僚の上級国民を糾弾する、という@ 池袋暴走、というアカウントを奴は作ったんです。半年前に。
「うむ」
「ある意味で、池袋の事件に対応するためだけのアカウントに思えます」
「自分の小説家志望?のアカウントの方では、やらなかったのか」
「純文学のアカウントには一切、そういう種類の書き込みはありません。」
「すいません、どういう意味ですか?小説家のアカウント?」
痺れを切らしたのか、珍しく、山田が食い込んできた。容疑者自殺の失策を起こして以来、自分から言葉を出すことが極端に減っていたので、銭谷は久々に彼の声を聞いた。
山田は、SNSで彼を調べ上げて、そうして、犯罪を予感し、ここの住所も先んじて探し当てている。でも、そのアカウントが半年前にポンと用意されたものとは知らなかったらしい。しかし西川はそんなこともつゆ知らずに続けた。
「あくまでサイバー班の速報ですが、この是永という男の元々のアカウントは作家志望のアカウントです。つまり、純文学志望でずっと投稿を続けています。作家志望というのは独自のネットワークがあって、小説の内容と、同人の読者との人間関係がある程度あるようなのです。つまり、是永にも数千程度のフォロワーがあります」
「それは多い」
「多くはないです。しかし事態を拡散させるならないよりはマシですよ。本当に、この事件を拡散したいのなら、この、小説家の方のアカウントでも、そういう考えを述べたり、それこそ物語にもそういう要素が入る気がします。」
「それがない」
「ええ。一切ないのです。おかしいと思いませんか。」
「おかしいな。」
「池袋を糾弾している「@正義のため」というアカウントではほとんど、病的に元官僚を揶揄しています。恨んで憎しんでいます。」
「使い分けている?」
「そうですね。」
西川はそこで訝しい表情をした。
という銭谷はその表情を見て気になった。
「例の、父親、あの、被害者とのコンタクトは」
「それも、かなり調べています。」
「なるほど」
銭谷は少し期待した。そういうふうに動機がないなら、依頼された、買収されたと考えた方が自然だ。買収されたのに、徹底的に逃げずに、死ぬというのもおかしいのだが。そもそも貰った金がある前提だが。
「それが、いっさいないのです。」
西川は二人を見つめてから続けた。
「そもそも、彼は本当にやりたかったことは、ただ、小説の執筆だったように思えてなりません。その証拠に、そちらではさまざま投稿の量が多いし、その他にもコメントが多い。まあ、書けない懊悩ばかりが続いています」
「なるほど」
「それに対して、この池袋云々は、小説とも全くリンクがなく、なにか、別のものを感じます。」
「そもそも別に犯人がいるという?二人目が?」
「いえ。この家には誰も出入りした形跡もなく、この家からのIPで、アクセスしかされていないアカウントですので。彼の中で」
「彼の中で二人を演じ分けていた?ということか」
「どういうことなんですかね。あくまで、現段階ですが。」
ここにいる山田は、この男(是永)の、池袋に関するSNS をひろい、彼を追いかけた。そして、案の定、彼が、殺人現場の写真を上げ始めたところで、どう言うやり方かは知らないが、自宅を突き止めて向かった。それが、突然すぎて、犯人である是永は、混乱をした。しかし警察が来た瞬間飛び降りる判断というのも、銭谷には符に落ちなかった。まるで、もともと死ぬと決めていたかのようにも思える。もしくはそういう選択肢を持っていたかのような。
「銭谷さん。」
「うむ」
「なんだか、彼の中に、別な理由があるのかもしれませんね」
「ああ」
「見てください。この小説のアカウントだってそれなりに、フォロワーがいるんですから。池袋事件に恨みがあって、ただ意見を広めたい目的だったらこっちも使えばいいんですよ。しかし彼は使わなかった。」
「彼の書いている小説も、もし本当に相手を殺すほど、いや、殺して自ら自殺するほどにも、池袋のこの官僚を憎んでいるのであれば小説の内容にもそういう文脈が出てしかるべきではないでしょう」か?!」
「どんな小説なんだ」
「それは、読んでもらう方がいいです」
「」
「まあ、純文学、というとこです。」
ため息。
↓リライト
「まるで、仕事として、このアカウントを作り、殺人をし、そして仕事として、WEBにその写真を上げたかのような。」
「仕事?」
「ええ。憎しみ買う、炎上のコメントをWEBに載せ、自ら、犯行をほのめかすようなことを書き、計画的に、彼を殺し、そして、その写真を上げたのは、事実です。確かなこと。でもそれが、彼の日常の行動と、描いてきた小説とまったく、つながらない。そのことがなんだか奇妙に思えてならんのです。」
◆22 X大学病院
一階で太刀川は散歩している。
貧しそうな、主婦が、不似合いな上級の医者にお礼を言っている。
「心臓バイパス手術は、今後も長丁場です。じっくりやっていきましょう」
「本当に、ありがとうございます。」
「まあ、二年後には、走れるようになるかもしれないですから。前向きに頑張ろう。」
「走れる?本当ですか?本当にありがとうございます」
「そうですね。それと、そういえば、ご家族は」
医者は無神経にそう言った。
一瞬躊躇した母親は
「家族は、私と、彼の二人だけになります」
「ああ、そうでしたか。」
その道では有名なその医者には、片親の手術が珍しかったのだと思われた。手術のあと二人の両親と会話をすることが殆どなのだ。かなりの高額な医療費を使うこの手術は、やはり、父親の収入にも多分に影響する。母親がだけ、ということは珍しかった。
その医者は、鷹揚な態度のままで、自分の失言を改めることも、気遣うこともしなかった。しかし、少し、気にしたのか
「走れるようになったら楽しいぞ」
と子供の頭を撫でた。
母親はそのようなやりとりにを気にもせず、ただただ、子供を見つめていた。どうやら障害のあるのかもしれないその子供は、無邪気に美しく、何も知らない笑顔で笑った。そのあまりの純然とした美しさに、医者も母親も笑った。母には涙が滲んでいた。
「太郎。頑張ろうね。がんばったら、走れるようになるかもしれないからね。神様はいるからね。信じようね。」
神様、という言葉だけが、帰ろうとしていた太刀川に聞こえた。
◆23 或る会話
「できれば、この手紙は、子供が成人したら、どこかで、渡していただけないでしょうか。」
「・・・。」
「つかまるつもりはないのですが、万が一のときのためです。」
「・・・。」
「いえ。何もしてこれなかったのですが、いざ覚悟をしてみると、別れた子供にだけ、一言だけでも、気持ちを伝えたくなりました。大した内容は書いてございませんし、ぜひ後顧のためにもご覧ください。くだらない暗号も何もふくめておりません。」
「・・・。」
「わたしは、いつの日かこの、手紙が届くことを夢見ていることで、救われます。」
「ネットは大丈夫か?」
「もちろんです。一切、このことについては書き込みもないのです。」
「うむ。」
「最後に、ありがとうございました。」
「・・・。」
「戸籍上、縁も切れていますし、私が誰だかも、あの子は認識できないと思います。はい。準備はして参りましたので、ここで失策などは起こしません。十分に、約束の通り行いますので、後のことはよろしくお願いします。いえ、これまでのことで、一度も不義理をいただいておりませんから、何も、かも、信じております。万が一何があっても、不義理は絶対に有り得ません。ご安心ください。」
「・・・。」
子供の神様 おわり
第2話に続く