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3A.M.  作者: 如月 望深
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moratorium 03

 今日は午前で授業が終わったので、学食には行かずに大学を出た。どこで昼を食べようかと考えながら歩いていると、ハトリに声を掛けられた。今日は何?と尋ねると、別に取って食おうってわけじゃないんだから、そんなに警戒すんなよ、と笑われた。

「お昼食べに行くだけだよ」

 とにかく来いと言われて、ハトリに連れられて繁華街までやってきた。まだ明るいこんな時間じゃ、繁華街に空いている店なんかはない。ハトリは道の両側に並ぶ店などには興味がないようでスタスタと歩いていく。その背中についていくと、路地を曲がった。

 雑然とした繁華街とは違って静かな佇まいのビルが並ぶ。その中に地下へと続く階段があった。ハトリはその階段を降りていき、俺がちゃんとついてきているか振り返った。

 階段を降り切ったところに踊り場があり、その前に黒いドアがある。ドアの左手にある炎の形をしたライトにはまだ灯がともっていない。そこで、この前来た店だと思い出した。二次会の店は確かここだった。人について来ただけだったので、よく見ていなかった。あの時通ったルートとは道も違ったから今まで気づかなかったのだ。

 ドアには「CLOSED」のプレートが掛っていたが、躊躇する様子もなくハトリはドアを開けた。入るよう促すので、ハトリに続いて店に足を踏み入れた。カウンターの中からリヒトが「おかえり」とハトリに声をかけ、俺に「いらっしゃい」と微笑を向けた。

「リヒト、例のやつ、頼むよ」

 そう言ってハトリはカウンターのスツールを引き、そこに俺を座らせた。そして自分もその隣に座る。

「うちはカフェじゃないので軽食はやっていないんですけどね」

 苦笑するリヒトに、「まあそう言わずにさ」とハトリは手を合わせる。最初から断るつもりなどなかった様子で、リヒトは笑顔で頷いた。

 リヒトはカウンターの奥に消え、暫くしてから戻ってきた。その手には一枚ずつ皿がある。その皿の一つを俺の前に置き、もう一方をハトリの前に置く。皿の上には湯気の立つミートソーススパゲティ。

 フォークを皿の隣に置いて、リヒトは「どうぞ」と微笑んだ。

「まあ食べなよ」

 隣に座ったハトリは、早速フォークをスパゲティに差し入れる。くるくると器用に麺を巻き取って食べる。

 冷めないうちにと二人に勧められて、俺もフォークを持ち上げる。麺の上に乗ったソースを少し崩し、麺と混ぜ合わせながら慎重にスパゲティをフォークに巻き、口に運んだ。

「…美味い」

 細めの麺はしっかりとした歯ごたえを残しているけれど、芯が残るような固さじゃない。あらかじめ麺にソースがからめられているので、どこを食べてもちゃんと味がある。さらに麺の上に乗せられたミートソースと一緒に食べれば、トマトの酸味と甘みがしっかり味わえる。角切りトマトとひき肉が混ざり合い、チーズでまとまったソースが麺に絡んで、口の中で美味さが広がる。飲み込むと、ピリッと辛いのが食欲をそそる。

 これは、学食のミートソースとは全然違う。

「少しアラビアータ風にしてみました」

 と、水の入ったコップを置いてリヒトが説明してくれた。だから少し唐辛子が効いてるのか、と納得して、俺は食べ続けた。ハトリが俺にこのミートソースを食べさせる意図は全く分からなかったけど、美味いものに逆らえるわけもなく食は進んだ。

「…不安なのは、夢がないことなんだ」

 腹が満たされてきたこともあって、口が滑らかになった俺は、思わずそんな話をしていた。

「世の中は、夢があることは素晴らしいみたいに言うだろ。夢に向かって頑張る人は輝いてる、とか、夢を追う姿は美しいとか」

 テレビでは、スポーツ選手や音楽家を取材する時、必ず彼らを『夢』とワンセットにする。夢を実現するためにひたむきに努力する姿がフューチャーされる。ドラマでは「夢はかなうよ!」と爽やかにイケメン俳優が言い、紆余曲折があっても、その努力は最後には報われて感動的に終わる。

「夢があるのがいいことだっていうのは、わかるんだ」

 同年代のスポーツ選手が「夢はオリンピックの金メダルです」と堂々と語る姿は、確かに凄いと思うし、応援だってする。下手にドロドロした恋愛ドラマなんかよりは、スポ根寄りの爽やか青春ドラマのほうが見ていてスッキリする。

「だけど、俺にはさしあたって夢なんかないし、急に見つけることもできない」

 夢を叶えた輝ける人たちや、学校の先生なんかは、夢なんて焦って見つけなくてもいい、いつかきっと夢中になれることが見つかって、夢なんて自然と見えてくるものだと言う。

 だけど、その「いつか」って、いつ?

 明日? 明後日? 一年後? 十年後? 下手すりゃ一生見つかんないんじゃないの?

 夢がない状態がずっと続いている俺は、一体何で輝けばいいの?

「夢があるってことは、頑張る理由があるってことだよね」

 くるくるとフォークにスパゲティを巻きつけながらハトリが言う。

「だけど、イコール夢がなければ頑張れないってことじゃないと思うんだ」

 最後のスパゲティを口に入れたハトリは、もぐもぐと口を動かした。

 俺も落ちたソースをかき集めて最後の一巻きを作る。細い麺にミートソースが綺麗に絡まって、最後まで美味しさを失わずに食べ終わった。

 フォークを置き、水を飲み干して「ごちそうさまでした」と手を合わせると、「どういたしまして」とリヒトが皿を下げた。ハトリの前の皿も下げ、リヒトはカウンターの奥に消えた。

「ああ、美味かった」

 正直に感想を漏らすと、「だろ? リヒトの料理は美味いから」とハトリがカウンターの奥にちらりと視線を向ける。

「でも、将来思い出して食べたくなるのは、学食のミートソースのほうだと思うよ」

「え?」

 あんな微妙なスパゲティを食べたくなんかなるだろうか?

「柾樹にとって、リヒトのミートソースは一回きりの非日常の味。でも、学食のは慣れ親しんだ日常の味。だから、時が経って、懐かしくなるのは、学食のほう」

 それは、一理あるかもしれない。給食だって特別美味いもんじゃなかったけど、時々懐かしくなる。

「多くの人にとって人生の大半は日常。そして世界を支えて動かしているのは、多くの特別でない日常を送る人たち」

 日常は意味のない日々ではないのだと、ハトリの言葉が語る。

「世の中、夢に向かって突き進んでる人ばかりじゃない。だけど、特別に大きな目標を掲げなくたって、毎日を一生懸命頑張ってる」

 ハトリの大きな目が俺を見つめた。

「だから、夢なんて御大層な装飾がなくても、毎日は気の持ちようでいくらでも輝くんじゃない?」

 不意に背後のドアが開いて、振り向くとカザキが入ってきた。手にはどこかで買い出しをしてきたのだろう、大きな荷物を抱えている。

「なんかいい匂いがする」

 鼻をひくつかせるカザキにカウンターの中からリヒトが声を掛ける。

「おかえりなさい、カザキ。食べますか?」

「うん、食べる」と答えたカザキは、カウンターの脇に荷物を置いてスツールに腰掛ける。リヒトがカウンターの奥からミートソースの皿を持ってきてカザキに差し出す。それを食べるカザキの様子を見て、ああ、これが彼らにとっての日常なのだと思った。


 昼をごちそうになったままじゃ悪いので、開店の準備を手伝って、それからそのまま一杯飲んで帰ることにした。

「あれ、柾樹くん?」

 カウンターのスツールに座ってビールを飲んでいた俺に誰かが声を掛けた。

「あ、えーと、たしかミクちゃんの友達の…」

「ヒカルです」

 昨日学食で俺の隣に座った彼女は、今も俺の隣に腰かけた。リヒトにカクテルを注文して、俺に目を向ける。

「私、美味しいパスタ屋さん知ってるんだ。そこのミートソースが家庭的なんだけど凄く美味しくて。今度一緒に行かない?」

「うん、いいね。行ってみたい」

 そう答えると、彼女は安心したようにカクテルに手を伸ばした。


 たとえば、この子ともう少し仲良くなりたいとか、そういうことで、俺の日常の味はあの学食のスパゲティから、美味しいパスタ屋のミートソースに変わるのかもしれない。


 そうしたら、俺のこのクズみたいだった時間も、いつか輝くものに変わるのかもしれない。






 多くの人はまだ夢の中の時間、平穏な静寂が訪れた黒い扉の内側では、夜に吐き出された夢のかけらを片づけている最中だった。

 テーブルを拭いてまわる羽鳥と、床にモップを掛ける風生がカウンターに近づくと、グラスを拭いていた理人が顔を上げた。

「夢がないことに悩むなんて、青くていいですよねぇ」

 青さは、若さの特権だ。

「あいつの気持ち、ちょっとわかるかも。俺も、何もなくて、そこから抜け出したいばかりで、でも胸を張れる夢なんてなかったから」

 苦笑する羽鳥の頭を、風生がぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

「夢はさ、イコール欲でもあって、それが人を傷つけることもあるから、諸刃の剣でもあるんだよ」

「そうですね、僕はとても欲深かったので、そのせいで失ったものも多くあるかもしれません。得るものも、勿論ありましたけど」

 風生と理人に微笑を向けられた羽鳥は、二人に微笑みを返した。

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