moratorium 02
午前の授業が終わって、ケータイに入っていたメールを確認した。
洋介からのメールには、午後一の授業が休講になったから、啓太郎と一緒に渋谷で遊んでいると書かれていた。午前の授業を取っていない啓太郎と洋介は今日一日空くことになり、遊ぶことにしたらしい。柾樹も来ればと誘いがかかったが、俺は午後にも授業があるので断った。
いつも一緒に昼食を取っている啓太郎と洋介がいないということは、今日は一人で食べることになるのかと考えながら学食へ向かった。
昼休みの学食は相変わらず混雑していて、メニューを考えていたらどんどん先を越されてしまうので、特に吟味もせずにAランチを頼む。「はいよ」と答えたおばちゃんが手早くトレーの上にAランチのセットを載せていく。
渡されたトレーを持って素早く席を探して確保する。今日はまだ時間が早いので、俺の周りには少し空席があった。
改めてAランチの今日のメニューを見て、昨日との間違い探しを思わずした。昨日と同じミートソーススパゲティに、どうやら昨日とは少し内容の違うサラダ。スープを一口飲んでみると、昨日はただのコンソメだったが、今日は少しカレー風味らしい。ミートソースにカレー風味のスープという組み合わせが正しいのか、ちょっと疑問だ。デザートも、昨日はオレンジで今日はミカン。もうちょっと、今日はリンゴとかできなかったのかと思ってしまう。
けれど文句を口にすることもなく、俺はミートソースを食べ始める。相変わらず甘すぎるソースのかかった茹ですぎのパスタは微妙な歯ごたえで、アルデンテって何ですか?て感じだ。イタリア人ならフォークを投げ出すかもしれない。でも俺はイタリア人でもグルメでも何でもないので、まあ食えないわけじゃないしと口に運ぶ。
不意に、誰かが俺の向かいにトレーを置いた。俺と同じメニューが載っている。続いてそいつの顔を見て、大きく目を見開いた。
俺の驚きを無視してスパゲティを口にしたそいつは、きれいな形の眉をひそめた。
「不味…」
思わず口にしてから、俺に目を向けた。
「こんなの、よく平気で食べられるな」
「ていうか、何でハトリがここにいるんだよ?」
ようやく口が利けるほどに驚きから回復した俺は、ハトリの言葉を無視して訊いた。
「大学ってさぁ、外部の人間でも結構簡単に入れるんだね」
「それは、まあ…」
確かにここ最近大学で事件が起こったりする関係で、大学も不審者への警戒を強めてはいる。だけど、男女共学の大学で、しかも結構人数がいるとなると、大学内にはいろんな人がいても不思議はない。大学生だけでなく、教授に助手、社会人学生だっているから年齢も様々だ。しかも、この大学の学食は安いので、昔から近くの会社のサラリーマンたちに利用されている。
となると、俺たちと年の変わらなさそうなハトリが大学に入るのは容易なことだろう。俺の目の前に座っているこの可愛い顔した男が「僕はここの学生です」と言っても誰も疑わないだろう。
実際、本当にどこかの大学生なのかもしれない。あんな店で高校生が働くとは思えないし、バイトならあり得ることだ。
「で、何でここに?」
もう一度質問してみる。
「柾樹が、何でそんなに不安そうな顔してるのか気になったから」
「え?」
驚く俺をよそに、ハトリは「う~ん、不味い。話題にもならない微妙な不味さだな」と感想をもらしながらスパゲティを食べている。
「俺の名前、何で知って…?」
「驚くのそっちかよ」
笑ってハトリはコップの水を飲む。
「名前なんて、会話聞いてればわかるよ」
俺たちの店での会話を聞いていたということだろうか? でも、忙しそうにフロアを行き来していたハトリに俺たちの会話を聞いている余裕があるようには思えなかったけど。でも名前くらい聞きとれるものだろうかと俺は勝手に納得した。
「見たとこそんなに不幸そうじゃないのに、何故だか顔は不安いっぱいって感じで、何でこいつはそんなに不安なんだろうって思ったんだ」
サラダのトマトにフォークを刺して、ハトリは口に運ぶ。こんな動作まで可愛らしくて人目を惹く。現に、俺のことなど気にも留めなかった多くの人の目がこいつのところに集まっている。
「あの店は、日常の嫌なことを忘れて楽しむための店なのに、全然楽しそうじゃなかったから」
実際、そんなに楽しくなかった。みんなと飲むのは嫌いじゃないけど、夢を肴に語り合っている奴らの輪には入っていけなかった。
俺には、何もないから。
「日常に嫌なことなんて、何もないんだよ」
代わりに、飛び跳ねるほど嬉しいこともない。
「何にもないんだ」
言ってから、思わず顔をしかめる。自分でもわかっていたことだったけど、それを改めて口にすると苦い響きを持つ言葉だった。
「このスパゲティと一緒」
俺はハトリのように文句を言うこともなく食べていたスパゲティを巻きつけたフォークを持ち上げた。
「話題になるほど不味くもなくて、食えないってほどじゃない。だけど全然美味くなくてさ」
あまりにも不味いと伝説になるくらいだから、強烈なインパクトを与える。だけど、それほどのインパクトはない。ただ空腹を満たすためだけに口に運ばれて咀嚼されて、消化されてちょっとした養分になるだけの食物。
「すごい辛いとか悲しいとかもない代わりに、泣いて喜ぶようなこともない」
ただ漫然と、流れていく日々。
「夢とかも特にないから、それに向かって頑張るとか、挫折して苦しむとか、達成して喜ぶとか、そういうのもないんだ」
「ああ、だから、それが不安なのか」
あっさりとハトリは言い当てた。
こんなこと、贅沢な悩みだと人に言われそうで、今まで誰にも話したことはなかった。なのに、なぜ俺はほとんど初対面のこいつに話しているんだろう?
「あれ、柾樹くんだよね? ケータくんの友達の」
突然声をかけられて、顔を上げた。そこには、この間の合コンで会った啓太郎の友達という女の子が立っていた。手には学食のトレーを持っている。
「ここ、いい?」
ハトリの隣の席を指して尋ねる。俺の隣じゃないから、どうぞと答えるべきなのか迷っていると、答える前に彼女は椅子を引いた。そして、彼女と一緒にいた友達らしき女の子がその隣と、俺の隣へと座る。
「こんにちは。柾樹くんのお友達ですか?」
俺の向かいに座るハトリへと興味が注がれる。「どうも」と挨拶したハトリに、ちゃっかり自己紹介している。
やっぱりハトリは目立つからな、と感心した。ハトリは、俺のような、この学食のスパゲティみたいなのとは存在価値が違う。見た目の綺麗さとかもあるだろうけど、それだけじゃなくて、人目を惹くのは、俺みたいな何もない奴とは違うからだと思えた。
「あの、柾樹くん、ミートソース好き?」
俺の隣に座った女の子が訊いてきたので、「うん、まあ。何で?」と答えた。もちろん嫌いじゃないけど、特別大好物ってわけでもない。
「よく食べてるから、好きなのかなぁって」
そう言う彼女のトレーにもAランチのミートソーススパゲティが載っていた。




