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3A.M.  作者: 如月 望深
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shoelaces 03

 暗闇の中、ぼんやりと浮かぶ、道。その道を振り返って、俺は考える。この道は、本当に正しい道だったのだろうかと。ここに至るまでの間に、いくつもの分岐点があって、その分かれ道を俺は正しく選んできたのだろうか。

 反対側を見れば、そこには暗闇が広がるだけ。進むべき道はどっちだ? これから歩く道も、いくつもの分岐点を用意しているはずで、そのたびに俺は不安に駆られる。

 この道で本当にいいのだろうか?

 不安を抱えたまま、俺は歩き続けなきゃならないのだろうか。ここに留まることは、許されないのだろうか。

 闇が俺を襲う。道が俺を押しつぶそうと迫ってくる。やめろ、やめてくれ、わかっているんだ、この道が、本当は正しくなんかないなんてこと。あの時の俺が目指した道なんかではないこと。

 でも、

「今さら引き返せないんだよ」

 俺を捕えようとする手を振り払う。

 振り払われた手を引っ込めて、少し驚いたようにカザキが俺を見下ろしていた。カザキの隣にはハトリ、そしてカウンターにはリヒト。客はもう残っていないようだった。

 カウンターから顔を上げた俺は、寝ぼけていたことを自覚してカザキに謝った。いや、いいよ、と答えたカザキは「悪い夢でも見てたみたいだね」と笑顔を差し向けた。

「夢…」

 そうか、あれは、夢だったのか。あんなことを考えながら酒を飲んだから、悪酔いしたのかもしれない。

「引き返す必要なんてない」

 思いがけずカザキが言った。

 何のことだかわからずにカザキを見上げる。俺の寝言への答えのつもりだろうか。

「今のあんたは立ち止まって周りの様子を窺っているだけだ。まだ歩き出していない」

 いきなり何を、と笑い飛ばそうとした。だけど、痛いところを衝いた台詞に言葉を失う。

 こいつは、俺の何を知っているというのだろう。こいつに、俺の何がわかるというのだろう。

「…簡単に、言うなよ。信じた道を歩くなんて聞こえはいいけど、そんな簡単にいかないんだよ」

 強く信じれば信じるほど、強く望めば望むほど、それが叶わなかった時の絶望は大きい。それを乗り越えて歩くのは、現実には困難だ。だから、絶望の手前で方向転換するのだって、選択肢に入れたっていいだろ。

「あんたはただ、靴の紐がほどけたのを言い訳に、歩き出さなくていい方法を考えているだけだ」

 随分と失礼な物言いだった。俺を助けてくれた過去がなければ、俺に殴られても仕方がないくらいの暴言だと思った。

 文句を言いたくて、何か言い返そうと口を開くけど、何も言えなくて、酸欠の金魚みたいにパクパクと開閉させただけだった。

 そんな俺を見て、カザキは穏やかな微笑をたたえて言う。

「歩き出さなきゃ、嘘でも前へさ」

 その声が終わると同時に突如耳に轟音が響いた。驚いて目をむき、思わず体がビクッと揺れる。フロアー奥のステージからだ。見遣れば、暗いステージ上に何人かの人影が見える。

「驚かせてすみません、バンドの練習が始まったんです」

 リヒトが説明した。カザキがそれに付け加える。この店で週末の深夜に演奏をしているバンドがコンテストに出場するので、営業時間外に時々ステージを貸しているのだと。

 つまり、俺は営業時間を過ぎてもここで眠りこけていて、カザキに起こされ、そうこうしているうちにバンド練習が始まったということだ。

 ステージ上では若者たちが熱気のこもる歌を演奏していた。



  さあ どっちに行けばいい?


  Left or Right?


  なあ、教えてくれよ Mr.Windy

  この道はどこに続いているのか


  答えていわく Mr.Windy

  自分の両の目で見なけりゃ

  どこへも辿り着けないさ



 静まり返った教室を眺めて、授業中もこれくらい静かにできないものかと呆れた。ロングホームルームの時間は、普段なら教科の授業よりも騒がしい。だが、年度末にまとめる学級文集の編集委員を決める今日のホームルームは、誰も立候補しないまま、いつまで口を開かずにいられるかを競う我慢大会のような様相を呈していた。

「では、立候補者がいないので、推薦で決めましょうか」

 ロングホームルームの運営を任されていた学級委員長の男子生徒が困り果てたように教室を見回した。彼と目が合わないようにうつむいた生徒たちから、推薦の手が挙がる様子もない。

 たっぷり間をおいて、俺は片手を挙げた。

「不二先生」

 委員長の指名を受けて、俺は教室の隅に置いてホームルームを見守っていた椅子から立ち上がる。

「誰も推薦しないなら、先生が推薦してもいいかな」

 俺に向けられていた視線が一斉に遠のく。自分を指されないようにと皆下を向く。

「徳田と福井」

 名前を呼ばれた二人が顔を上げ、俺を見つめる。

「どうかな、やってみる気ない?」

 いいと思います、賛成、などと自分が指名されなかったことに安堵した無責任な声が上がる。それらに背中を押されるように、渋々といった様子で徳田が「わかりました」と答えた。「徳田さんがやるなら」と福井も消極的に承諾した。


 放課後、早速文集作成のため教室に残って作業を始めた二人のもとへ顔を出すと、二人は不満げに俺に視線を向けた。

 向かい合わせた机で作業する彼女たちの側面に近くの椅子を移動して座る俺に、徳田が口を尖らせて言った。

「先生、どういうつもりですか? 何で私たち二人なの? この間の腹いせ?」

「それもある」

 当然否定されるものと思っていたらしい二人は、俺の正直すぎる返答に驚いた顔をした。教師だって人間だ。嫌がらせのひとつもしたい時もある。

「でも、一番の理由は、二人ならいいものが作れると思ったからだよ。徳田は絵が得意だろ。美術の作品を見せてもらったことがあるけど、レイアウト構成力もある。福井は文章力が高い。選択国語で書いた小説も面白かった。だから指名した」

 この答えじゃ不満かな、と二人を見やると、そんな風に褒められちゃうとさぁ、文句言えなくなるじゃん、と可愛く照れた。

「先生って、結構見てるんだね」

 俺の担当教科は社会だけど、美術などの授業の作品は見せてもらうし、他の授業の様子も担当の先生から聞いている。

「あのさ、訊いてもいいかな」

 作業する二人が手を止めて何?とこちらを見た。

「何であんなところにいたの?」

「別に。ただの興味本位」

 ねえ、と答えた徳田に福井が同意する。

「先生、別に学校や家庭に不満があるとか、心に闇を抱えてるとか、そういう人ばっかりが、ああいうところに行くわけじゃないと思うよ」

 私たちは学校も家も嫌いじゃないし、結構楽しんでるから心配しないで、と福井が大人ぶった口を利いた。

「ただ、どんな所なのか、ちょっと見てみたかっただけ」

「私たちだってあんなとこに行ったのは、あれ一回だけだし、もう行こうとも思わないよ」

 最初にあんな目に逢えば二度と行きたくないと思うだろう。助けてくれたお兄さんはカッコ良かったけどね、と顔を合わせて二人が囁く。

「でも先生、どうして大人は、ああいうところに子どもが行くのを禁止するの?」

 行ってはいけない、と言われると、行きたくなるのが思春期ってものよ、と徳田が生意気を言う。

「大人のエゴだよ。あんなところに行かれたら、大人は子どもを守り切れない」

 自分の手の届く範囲でなければ子どもを守れないほど、大人というのは未熟なのだ。

「じゃあ、何で大人になったら行ってもいいの?」

「大人は自分で自分を守れるからさ。守り切れなくても、その責任は自分にある。でも子どものうちは、その安全を守る責任は大人にあるんだ。だけどあんなところじゃ、子どもの安全に責任持てないだろ」

 自分ひとりだって守れないんだからさ、とこの間の俺の失態を知る彼女たちには説得力のある言葉を投げかける。

「じゃあ、私たちが大人になったら連れてってね」

「その時は、自分のことには自分で責任取るからさ」

 生意気で可愛い二人に苦笑して頷いた。


 たとえば、彼女たちが大人になった時、この約束を思い出してくれるような教師になれたら、あの時の俺は、今の俺を誇らしく思ってくれるだろうか?






  Stay or Go?


  見えない世界に怯えながらでも

  行くしかないよ

  自分の足で 一歩ずつ


  Ready Go!

  Step by Step

  Steady Go!

  Little by Little



 営業時間を終えた黒いドアの向こうでは、たくさんの客が残していったざわめきの余韻を集めるように、熱のこもった歌が流れていた。

 自分たちの将来がかかったコンテストを前に一心不乱に練習をする若いバンドマンたちを見守るように、片づけを終えた理人、風生、羽鳥の三人はカウンターで歌を聴いていた。

「…俺たち、少し似ているかもしれないな」

 理人と羽鳥が視線を向けると風生が「あの先生に」と言葉を足した。

「一度は足を止めてしまったけれど、歩き続けなきゃいけない。嘘でも前に」

 時の流れから隔絶されたことは、足を止めることに似ているけれど、しかし、それでもこの世に留まり続ける限り、歩き続けなければならない。時の移ろいに寄り添うように。

「嘘でも前に…」

 理人と羽鳥が異口同音に呟いた。

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