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3A.M.  作者: 如月 望深
9/106

stimulation 03

 ドキドキする胸を落ち着かせるように深呼吸をしてから、私は黒いドアを開けた。

 暗い店内にいく筋かの明るい光が走る。バンドの演奏はしていなかったけれど、大音量の音楽が空気を震わせ心臓の高鳴りを加速させる。

「優香ちゃん」

 フロアーから出てきたハトリくんが声を掛けた。

「誘っといて何だけど、こんな時間に出てきて大丈夫?」

 心配そうに私を覗き込む。

「大丈夫。親には友達の家で勉強会だって言って来たから」

 ハトリくんは私をカウンターへ案内した。

「リヒト、何か出してやって」

 私を席に座らせ、ハトリくんはカウンターの中のバーテンダーのお兄さんに言った。リヒトさんが頷くと、ハトリくんは「俺、ちょっとフロアー行って来るから」と言って、お酒の乗ったトレーを持ってフロアーへ消えていった。

「どうぞ」

 リヒトさんは微笑して淡いピンクのグラスを出してくれた。

「あ、ありがとうございます」

 お礼を言ってグラスに口をつけた。それは甘い桃のジュースだった。

「ハトリが学校でお世話になっているそうで」

 リヒトさんが言った。笑顔の優しいキレイな人だ。

「あ、いえ、お世話だなんて…」

 私はリヒトさんのキレイな笑顔に緊張して答えた。

「リヒト、パス」

 私の隣に誰かが立ってリヒトさんに空のグラスが乗ったトレーをカウンター越しに渡した。背の高いワイルドな感じのイイ男だ。彼も店員だろう。

「カザキ、彼女、ハトリのクラスメイトだそうです」

 トレーを受け取ったリヒトさんは彼に私を紹介した。カザキさんは私を見下ろした。

「へえ、じゃ、この子が例の…」

「カザキ、これお願いします」

 リヒトさんがカウンターからビールの乗ったトレーを差し出した。カザキさんはトレーを受け取り、「ごゆっくり」と私に声を掛けてフロアーへ戻っていった。


 少しするとハトリくんはカウンターにやって来た。私の隣に座り、お客さんに呼ばれるとフロアーへ行く。そんなことを何回か繰り返していた。

 そうして、今日も残すところ後二時間ほどになった頃、フロアーからカウンターへ戻ってきてハトリくんは言った。

「優香ちゃん、そろそろ帰った方がいいんじゃない? 送るよ」

 ハトリくんはカウンターの中のリヒトさんに声を掛けた。「リヒト、ちょっと抜けていい?」「いいですよ」という会話でリヒトさんの了承を得たハトリくんは私を連れて店を出た。

「家はどの辺?」

 そう訊かれて私が家の場所を教えるとハトリくんは言った。

「じゃあ、遠回りして帰ろうか」

「え?」

「勉強会って言ってあるんでしょ? 酒の臭いつけて帰る訳にはね」

 ハトリくんの言った意味が解った。私がお酒を飲んでいなくても、周りの酒の臭いがつくものだ。歩いて風に当たることで臭いを落とすように気を遣ってくれたのだ。

 ハトリくんは繁華街とは逆方向へ向かった。この辺りの地理に詳しくない私はハトリくんの後に続いた。

 不意に、ケータイの着信音がした。メールが届いた音だ。「ごめん」と断って私はメールを見た。でも、差出人不明の空メールだった。

「イタメールだった」

 そう言って私はケータイをバッグにしまおうとした。

「かわいいね、そのストラップ。見せてもらっていい?」

 ハトリくんがクマのストラップを指して言った。私は頷いてハトリくんにケータイを渡した。

「これって市販品?」

「うん。星座別に色が違うんだよ」

「へえ」

 クマをちょっと眺めてからハトリくんはケータイを返した。

 ケータイをバッグにしまって顔を上げた私は、周囲にあまりガラのよくない男の人達がいることに気付いた。男達は私達の方を睨んでいるようだった。怖くなって私は思わずハトリくんの袖を掴んだ。

 ハトリくんは振り向いて微笑んだ。

「大丈夫」

 そう言うとハトリくんは私の手を取って歩き出した。

 繋いだ手からドキドキが伝わってしまいそうで、緊張して私は歩いた。



 翌朝、学校に着くとハトリくんが昨日は大丈夫だったかと訊いた。私は親にバレずに済んだので大丈夫だと答えた。すぐに始業のベルが鳴り、会話もそれ以上は続かなかったけれど、私達に向けられる女子の視線が気になった。

 昼休み、私は数人の女子に囲まれた。友達を筆頭に興味津々の視線を向けている。

「ねえ、優香とハトリくんて付き合ってるの?」

「え?」

「だって、仲イイじゃん」

「二人はどういう関係?」

 質問攻めにあって答えに窮していると、ハトリくんが声を掛けた。

「優香ちゃん、購買の場所教えて」

「あ、うん」

 天の助けとばかりに私は立ち上がってその場から逃げた。


 購買は三年生の教室がある階にある。三年生の教室の前の廊下を通って私は購買へ案内した。購買はお昼を買う生徒で混み合っていた。

 ハトリくんが「先に戻ってて」と言うので私は一人で三年生の教室の前の廊下を足早に歩いた。

 廊下を抜けたところで、突然後ろから口をふさがれ、校舎の端にある教室へ連れ込まれた。今は使われていない空き教室だ。二人の男は私を教室に引きずり込むとドアに鍵を掛けた。男には見覚えがあった。この間クラブでぶつかったアツキと呼ばれていた男だ。制服を着ているということは生徒なのだろう。学年章は三年生のものだ。私を捕まえている男は後ろにいるので見えない。

「おい、早く探せ」

 私を掴む男に言われてアツキは私に手を伸ばした。

「何!? ちょっと、どこ触って…! やっ…!」

 騒ぐ私の口を後ろの男がきつくふさいだ。アツキは私の体のあちこちを触る。


 助けて! 誰か──…!!


 心の中で私は叫んだ。

「あった!」

 アツキが私のケータイを手に叫んだ。ストラップのクマを外し、背中の縫い目を指で無理やり裂いた。止める余裕はなかった。中から白い綿がこぼれ落ちた。

「…何も入ってない!? どういうことだ!?」

 アツキは驚いたように言った。

「探してるのは、コレ?」

 アツキの背後で声がした。アツキが振り向き、私にも声の主が見えた。

 ハトリくんが、鍵を掛けてあったはずの教室のドアの内側に立っていた。ドアが開いた気配なんてなかったのに。手には私のストラップと同じクマのぬいぐるみと、いくつかカプセルの入った小さなビニール袋を持っている。

「ねぇ、先輩、これって、クスリ?」

「そ…そう、ただの薬だよ」

 アツキは立ち上がってハトリくんに近付いた。

「クスリって──ヤク?」

 アツキの顔色が変わり、ハトリくんの手からビニール袋を奪おうとした。ハトリくんは空いている方の手で男の手を掴み、男を阻んだ。

「…お前も欲しいのかよ?」

 アツキが言う。ハトリくんは微笑した。

「俺はニセモノの快楽なんかに興味ないね」

 ハトリくんの膝がアツキの腹を蹴り上げ、アツキは短い声を上げて床に倒れた。

 私を捕まえていた男がハトリくんに向かって突っ込んでいった。ハトリくんは男を一瞥し、「ちょっとおとなしくしてて」と言って男の額に手をかざした。男は気を失って倒れた。

 ハトリくんは床に仰向けに転げているアツキに歩み寄り、顔を近づけた。

「お前らは売人? それとも客?」

 アツキは黙っている。震えているのがわかる。口を割らないんじゃない。恐怖で声が出ないのだ。それくらいの迫力がハトリくんにはあった。

「口が利けない? じゃあ、オヤスミ」

 ハトリくんはアツキの額に掌を向けた。アツキは意識を失い、完全に床に転がった。


 ハトリくんは私を振り返った。

「大丈夫?」

 そう訊くハトリくんにさっきまでみたいな空気はない。ハトリくんは私のケータイを拾い、中身の出たクマのぬいぐるみを軽く撫でた。すると、ぬいぐるみは元に戻った。

「ごめん、こんなことに巻き込んで」

 ハトリくんはケータイと元に戻ったクマを私に差し出した。私はそれを受け取り、恐怖から解放されたことに泣き出してしまった。

「…こ…怖かっ…」 

 ハトリくんは優しく私を抱き締めた。

「ごめん、ごめんね」

 ハトリくんが頬にキスをする。右に、左に、涙を拭うように何度も何度も。謝る度にキスをして、キスする度に謝って。



 …いつ気を失ったのか、憶えていない。気が付くと私は医務室のベッドにいた。ハトリくんの姿はなかった。

 教室に戻った私の耳に、空き教室で三年生の男子生徒が二人倒れていたという情報が入ってきた。彼等はクスリをやっていたらしいとの噂だった。

 彼等は警察で事情聴取を受け、退学になったとその後聞いた。

 ハトリくんは、二度と学校に来ることはなかった。二人の三年生の事件が発覚したのは、ハトリくんが麻薬捜査官だったからではないか、という噂も立ったけど、本当のところはわからない。

 私の退屈な心をわし掴みにして、揺さぶって高鳴らせて、ドキドキを刻み付けて彼は消えた。また会いたかったけれど、もう会えないような気もしていた──…。






 階段を降りた先、地下へのドアの向こうで三人は開店の準備をしていた。風生と羽鳥はモップを持っている。

「それで、もう高校へ行く気はないんですか?」

 理人の問いに羽鳥は不機嫌に答えた。

「当たり前だろ」

「残念ですねぇ。制服似合ってたのに」

「知るか!」

 吐き捨てるように羽鳥は言った。

「で、ハトリが戻ってきてるってことは、うまく行ったってこと?」

 風生はカウンターの理人を見やった。

「ええ。ハトリが彼の記憶を読み取ってくれたお陰で大元が判ったんで、匿名で警察に突き出してきました」

「店で取引してた連中は?」

「まあ、いずれ芋蔓式に捜査の手が伸びるでしょうね」

 他人事のように理人は言った。

「奴らは売人ばいにんだったわけ?」

「まあ、一応。仲介人ていうか、客でもあったみたい。買った一部を売ってたんだよ」

 風生に羽鳥が答えた。

「バレないようにクマのぬいぐるみの中にクスリを入れて取引してたみたいですよ。クスリの種類によって色を変えたりして」

 理人が補足した。

「店で取引されていることには気付いてましたし、店であんな商売されたんじゃ迷惑なんで売人を探してたんですけど、なかなか特定できなくて」

 グラスを拭きながら理人は言った。

「俺が偶然奴らの落とした取引用のぬいぐるみを拾って、目星がついたんだけど」

「大元を潰さないことには意味がないので、少し泳がせることにしたんです」

 羽鳥に理人が続ける。

「都合のいい餌も見つかりましたし」

「ああ、それがあの子」

 風生に理人が頷く。

「ハトリが取引に使うのと同じクマのぬいぐるみを持ってるのを偶然見て、都合よく彼等と同じ高校だったんで、囮にさせてもらいました」

 微笑して理人は説明した。

「同じ高校だなんてよくわかったよな」

 呆れたように羽鳥が言った。

「僕の情報網を甘く見てはいけませんよ」

 理人は優美に微笑んだ。

「それにしても、かわいそうなのは、巻き込まれたあの子だよな」

 風生が心にもない風に言う。

「バカ言え。俺はちゃんと願いを叶えてやったよ」

 風生の言葉に不本意そうに羽鳥が反論する。

「狂気と引き換えにな」

 ニヤリと風生が笑う。

「そう、彼女御所望の『刺激』をね」

 羽鳥も口の端を少し吊り上げた。

「ちょっと刺激が強かった気もしますけどね」

 苦笑に近い笑顔で理人が言った。

「クスリでラリったニセモノの狂気なんかよりいいだろ」

 二人を見やって羽鳥が言い、二人は微笑して同意した。

 そうして、彼等は雑談しながら今日の開店準備を続けた。

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