プレイ フォー
そりゃあね、若くて美形の先生が来たら、女子高生は騒ぐと思うの。だって同級生の男子はてんで子どもで、先生はたいていおっさんで、こんな超絶美形に出会う機会はめったにない。
産休の小沢先生の代わりとしてやってきた日本史の冷泉先生は、柔らかな笑顔と声で女子生徒たちを魅了して、淡々と授業を進めた。
「では、何か質問は?」
少し時間が余ったから、と冷泉先生は教科書を閉じて生徒を促した。すかさずクラスメイトの女子が手を挙げる。
「先生、彼女はいますか?」
こういう時、飢えた女子高生は無敵だ。
「いません」
授業と関係ないと咎められるかと思ったが、意外にもあっさり答えが返ってきた。
「じゃあ、好みのタイプは?」
「私なんかどうですか?」
調子に乗った女子たちが次々に質問をする。冷泉先生は、うっとりするような笑顔を向けて、こうのたまった。
「高校生に興味はありません」
にっこり笑った冷泉先生は、いともあっさりと彼女たちの野望を打ち砕いた。
「理人先生!」
日本史教科室を覗くと、例の如く理人先生が足と腕を組んで座ったまま、彫刻かと思うほど微動だにせずにうたた寝をしていた。
「先生!」
「聞こえていますよ」
もう一度声を掛けると、目を閉じたまま答え、それからゆっくりと瞼を開けて、私に視線を向けた。
うっ…、これって、流し目ってやつ? なんて色っぽい先生なんだろう。
赤面する私を無視して、理人先生は腕時計に目をやり、ああ、もうこんな時間ですか、と呟いた。
立ち上がった理人先生は、机の上から教科書や資料集などの授業道具を一式手に取ると、はい、と私に差し出した。
「…なんですか、これ?」
思わず受け取ってから疑問を口にする。
「今日は運ぶ教材がないので、これを運んでください」
「いえ、先生、運ぶものがない日は、それでいいと思うんですけど」
確かに教科委員の私の仕事は、教材やプリントを運んだりすることだけど、授業前に先生を呼びに来ることだって立派な仕事で、今やそれを果たした私に無理に仕事をさせることもないと思うのですが。
「まどかさん、僕に何て言ったか憶えてますか?」
にっこりと笑顔を向けられて赤面する。
「何でもするって言ったじゃないですか」
「それは、先生が好きになってくれるなら、っていう条件付きです!」
そうなのだ、確かに私はこの人に何でもすると言った。最初に告白した時、「先生、好きです」「そうですか、ありがとうございます」「…もしかして、本気にしてないんですか?」「言ったでしょう、僕は高校生に興味ないって」「ピチピチの女子高生ですよ? 心惹かれませんか?」「ええ、別に」「私に女としての魅力を少しも感じないと?」「そうですね、これといって特には」という会話のあと、
「先生が好きになってくれるなら、私、何でもしますから!」
と宣言したのだ。
「そうですか。じゃあ、」
理人先生は私の耳に唇を寄せて、そして、こう囁いた。
「教科委員の仕事、頑張ってくださいね?」
ふう、と耳に息を吹きかけられて、驚いて慌てて耳を押さえて体を離すと、右斜めに見下ろすように流し目を寄こして、意地悪く微笑んだ。
「そういう反応は、悪くないですね」
~~~っこの人、絶対からかってる!
今だって、上目づかいに睨みつけると、邪気のないふりをした笑顔を寄こされて、それだけでこっちは赤面してしまう。
「さあ、授業に遅れますから急いでください」
誰のせいだと思ってるんですか、という言葉を呑みこんで、さっさと歩き出した理人先生の背中を追った。
理人先生は、人気がある。女子からは勿論、男子からも一目置かれているようだ。あの妖艶な笑みを向けられたら、男子だって思わず赤面してしまうだろう。
人気者の宿命だろうか、理人先生にはいくつもの噂が飛び交っていた。
既に何十人もの女子に(しかも受け持っていない学年の女子にも)告白され、それらをすべてバッサリ断っているとか、前の学校で生徒に手を出してクビになったとか、保健室で養護教諭の月島先生とあんっなことやこんっなことをしているとか、実はバツイチだとか。
その真偽を確かめようと訊いてみると、理人先生は微笑した。
「君たちは、暇なんですね。それともそんなに僕が好きですか」
たぶん両方だろうと思う。ていうか、意外に後者かも。
「一つめの質問の答えは、Yesですかね。実際何人かは数えていないので、何十人というのは大げさだと思いますが。二つめは、No。僕には前任校はありませんから、生徒に手を出したこともありません。三つめもNo。月島先生は古い友人ですが、君たちが想像するような間柄ではありません」
「月島先生とお友達なんですか?」
保健室の月島先生は、理人先生より少し前にこの学校にやってきた新しい先生だ。抜群のスタイルに長い黒髪の美人で、男子から憧れの視線を集めている。
「ええ。会ったのは久しぶりですが、付き合いは長いですよ」
意外な交友録。元カノとかでもないのかな?と邪推して理人先生を盗み見ると、綺麗な顔で微笑まれた。
「気になりますか?」
そりゃあ気になりますとも!と大きく頷けば、
「訊けば何でも教えるなんて、僕がそんなに甘いわけないでしょう」
と立ち上がって窓を開けに行ってしまった。花の甘い香りが乗った風が窓から流れ込み、彼をとりまく。窓の外には、花に舞う黒アゲハ。
家庭科の調理実習で残念なことに包丁で指を切ってしまった私は、授業のあと保健室へ向かった。保健室に月島先生はいなくて、仕方がないので戸棚の消毒液と絆創膏を失敬して自分で手当てをした。
ふと、二つあるベッドのうち一つがカーテンで覆われているのが気になって、そっと中を覗いてみた。すると、そこには理人先生が眠っていた。
な…なに、このスリーピングビューティーは…!
思わずカーテンの中に入ってその寝顔を観察する。綺麗な弧を描く眉、長い睫毛、すっと通った鼻筋、ふっくらとした唇。
さ、触りたい…!
「教師の寝込みを襲うなんて、いい度胸です」
無意識に伸ばした手を慌てて引っ込めた。起きてたんなら、起きてるって言ってよ!
閉じていたはずの理人先生の瞳は開かれて、涼しげな目が私に向けられていた。
「き…教師が学校で寝ていること自体、おかしくありませんか」
自分の非を棚に上げて応戦を試みる。
「ここのところ睡眠不足だったので、ちょっとベッドを借りたんですよ」
「睡眠不足って、夜、何してたんですか?」
「減らない口ですね。塞いでしまいましょうか」
なにで、なんて質問をしたら、実演してくれるだろうか。
「そ、そんなこと言うと、本当に襲っちゃいますよ」
「どうぞ?」
できるものなら、という意味をたっぷり含んで、理人先生はベッドに横たわったまま色っぽい流し目とともに妖艶な笑みを唇に乗せた。
ガラッとドアが開く音がして、勢いよくカーテンが開けられた。
「理人、もたもたしてると次の授業始まっちゃうわよ」
突然の月島先生の登場にテンパッて、私は脱兎のごとく保健室を飛び出した。だから、理人先生に呆れた視線を向けて月島先生が「女子高生をからかって遊ぶんじゃないわよ」と言ったことも、「反応が面白くて、つい」「あんた、そのうち女に刺されるから」という会話がなされたことも、私が知る由もない。
あれから、私は何度も理人先生に告白を繰り返した。その度に「ありがとうございます」と笑顔で返され、「でも高校生に興味はないんで」と断られた。
「高校生じゃなくなればいいんですか?」
必死で訊くと、そうですねぇ、と思案したふりをした。
「卒業したら、考えますよ」
ああ、どうしたら、この人は私の「好きです、付き合ってください」に「Yes」と答えてくれるんだろう?
この人を手に入れたくて手に入れたくて、私は何度でも同じ言葉を口にする。
「先生、好きです。付き合ってください!」
日本史教科室のドアを開けるなり告白した私を、一瞬驚いた表情で見つめた理人先生は、すぐにいつもの笑顔を見せた。
「ありがとうございます。あなたが卒業したら考えますよ」
繰り返される拒否の言葉に、こちらも簡単には引かない。
「先生、私本気なんです!」
理人先生はいつも私の本気で決死の告白を冗談みたいに受け取るけど、こっちだって必死だ。
「本気、ねぇ。それは、僕に教師を辞めるリスクを負わせる覚悟がある、という意味でしょうか」
思わぬ言葉に、答えに詰まる。今までは軽くいなされて、こんな風に返されることはなかった。
「楽しい恋愛ごっこがしたいのなら、他をあたってください」
冷やかな笑みを向けられて泣きそうになった。「すみません」と消え入るような声で言うのが精一杯で、私はその場を逃げ出した。
一人冷静になってみれば、理人先生は態度を変えたわけではない。いつでも彼は私の想いを受け入れてはこなかった。私を傷つけないように、きっと冗談めかしてくれていたのだろう。そう考えれば、今日だって、私が本気だと言ったから、本気の答えを返してくれただけだ。
理人先生と話がしたいと教科室へ行くと、先生はいなくて、手持無沙汰に開いた窓の外を眺めた。咲き誇る花に黒いアゲハ蝶が舞い降りる。
少しすると、理人先生が戻ってきた。
「先生、私、卒業するまで待ちます。そうしたら、考えてくれるんですよね?」
「…気を持たせるようなことを言って、すみませんでした」
理人先生は困ったような笑顔を見せた。
「質問に、一つ答えていませんでしたね」
「え?」
「離婚したわけではありませんから、バツという表現は語弊がありますが、昔、結婚していたことがあるんです」
この間、真偽を確かめようと質問したバツイチの噂のことだとわかった。
「僕は、亡くなった妻を忘れられないんです」
そう言って微笑む理人先生の顔は、とても綺麗で、とても悲しかった。
「だから、今も、あなたが卒業してからも、あなたの想いに応えることはできない」
今まで私の告白をヒラリヒラリとかわしていた理人先生が、初めてしっかりとその想いを受け止めて、初めてはっきりと拒絶した。
「妻に出会った時、彼女は君たちと同じくらいの歳でした。だから、つい、構いすぎてしまいました。反省しています」
先生が私に構ってくれていたのは、亡くなった奥さんに出会った頃を思い出していただけ…? この人の心の中には、今でも彼女が住んでいるのだ。
「でも、彼女は亡くなっているんでしょう? 新しい恋をしたって、許されるはずです」
その相手が私でなかったとしても、先生を縛り続ける彼女から、誰か彼を解き放ってくれるのなら。
「その死が避けられないものなら、それも許されるかもしれません。でも、僕は、彼女を忘れてはいけないんです」
それがどういう意味か、はっきりとは理解できなかったけれど、それを訊くこともできなかった。こんな悲しそうな顔をする理人先生に、どうやって訊けるのだろう。
「……最後に、ひとつだけ答えてください」
理人先生の目が、何です?と尋ねる。
「彼女といた時間は、幸せでしたか?」
どうかお願い、「Yes」と言って。
「そうですね。今思えば、とても幸せな時間だったのでしょう」
理人先生の穏やかな表情が、どこか、泣いているようにも見えて、こっちが泣きそうになってきた。
「でも、大丈夫、今だって、そんなに不幸ではありませんよ」
私が泣きそうなのを見てとったのか、理人先生は優しく微笑んだ。泣き顔なんて見られたら、何だか先生に悪い気がして、私はぺこりと小さく頭を下げて教科室を出た。
本当は、私の想いに応えて欲しかった。
でもそれができないなら、せめて、彼が幸せでありますように。
2009年初出。タイトルは「pray for~」から。
話数調整のため、次回更新は3/24の予定。




