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3A.M.  作者: 如月 望深
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クレセントムーン

「ねえ、聞いた? 個室の冷泉さん、女に刺されたって」

「本当? それって、痴情のもつれってやつ?」

「しかも、冷泉さんて教師せんせいなんだって!」

「ええ? じゃあ、もしかして、生徒に刺されたの?」

 重症でもないのに個室に入っているイケメンの刺傷の原因については、ナースの間でまことしやかにそんな噂が流れていた。

「ねえ、菅野かんのさんはどう思う?」

 担当ナースの私に話が振られた。

「さあ、私には何とも…」

 私は首を傾げてお茶を濁した。確かに、このご時世に刺し傷なんて物騒だから、噂されるのは仕方のないことだった。でも、彼の持つ不思議な雰囲気に、軽々しく噂を立てるようなことはできない気がしていた。

 学校の養護教諭だという女性に連れてこられた彼は、出血の割にはしっかりとしていた。受け答えもはっきりしていて、その彼が事故なのだと主張するのだから、そうなのだろうとドクターは警察には連絡をしなかった。

 美人な養護教諭との秘密めいた会話や、彼に負けず劣らずイケメンな二人組の見舞い客や、彼に寄り添う美少女は、確かに噂の的になるには充分のネタだった。

 かくいう私も、興味がないと言えば嘘になる。

 …まあ、担当患者のことを知るのもナースの仕事のうちだし。

 彼は様子見で入院することにはなったけど、体調も悪くなさそうだったので、付き添いは要らないと判断したのだけど、どうしても付き添いたいと「さくら」と呼ばれた女の子が彼に乞うた。

 そこでエクストラベッドを出すことを提案し、結局あの子が今夜は彼に付き添っている。彼女だろうか。いや、まあ、患者さんのあんまりプライベートなことに首を突っ込んじゃいけないんだけど。


 今夜は夜勤だったので、消灯後の見回りに出かけた。夜の病院はひっそりと静まり返って、少し怖い。

 ふと、入院病棟のロビーの奥のベランダに人影が見えた。こんな時間に人がいるはずないのに、と不安に思いながら近づいた。

「冷泉さん」

 噂の的の患者さんが振り向いた。パジャマ姿だっていうのに、何て絵になる人だろう。

「もう消灯時間を過ぎてますよ。困ります、部屋から出歩かれては」

「すみません。月が見えたので、つい」

 言葉ほどには反省した風はなく、彼は理由にならない理由を口にした。病室からだって月くらい見えるだろう。

「月が好きなんですか?」

 仕方なく話題に付き合う。

「いえ、どちらかというと、苦手です。絶えず形を変えて、頼りない」

 空に浮かぶ月は今にも消えそうな細い三日月だった。その三日月が雲に消えていくと、彼を照らす光も頼りなくなり、不安に駆られた。

「でも、月は再生のシンボルだって言いますよ。一度消えても、また満ちるじゃないですか」

 私は特に月に興味があるわけでもなかったけれど、そうでも言わなければ、彼は細い月が消えるのと一緒に消えてしまいそうだった。昼間見た時にはすごく印象の強い人だと思ったけれど、夜に見る彼は、何て儚げな人なのだろう。

 再び現れた月に、彼の長いまつげが目に深い影を落としていた。

「…冷泉さん、あの傷って…」

 興味本位で噂のことを持ち出した。

「痴情のもつれで生徒に刺された」

 感情のこもらない声で冷泉さんが言った。

「と、噂するクチですか、あなたも」

 患者さん本人に聞こえてるなんて、どれほど大きな声で噂したのだろう。

「事故ですよ、事故」

 驚く私を気にした様子もなく彼は微笑んだ。躓いて転んだ拍子に机の上にあったナイフが刺さったなんて言っていたけれど、そんなことが起こるような人ではないように見える。そう思って見つめていたからだろうか。

「意外と鈍くさいんですよ、僕」

 と冷泉さんが綺麗な笑顔のままで言った。

「お仕事の邪魔をして、すみませんでした。もう戻ります」

 軽く頭を下げて彼は確かな足取りで病室へと戻って行った。なんだか不思議な人だ。彼の背中を見送って、それから月に視線を上げた。細い月が夜を青白く照らしていた。



 翌朝、彼が心配だったので帰る前に病室に様子を見に行った。「おはようございます」と部屋に入ると、ソファで新聞を読んでいた彼が「おはようございます」と挨拶を返した。

 そして、ベッドには、彼女。

「冷泉さん、ベッド盗られちゃったんですか?」

「ええ。夜中に潜り込んできまして」

 彼は苦笑したけど、困ったふりをしているだけみたいだ。

「すごく、仲がいいんですね」

 病院のベッドに潜り込むなんて大胆な子だ。

「まあ、娘みたいなものですからね」

「娘って…そんな年齢としじゃないでしょう?」

 彼女は二十歳前後くらいだろう。彼は確か二十代半ばだから、年齢差は五歳かそこらだ。

 微笑して何も言わない彼に気まずくなって、検温ですと嘘をついて体温計を差し出した。もぞり、とベッドが動いて彼女が起き出した。

「リヒト…?」

「起きましたか、さくら」

 まだ眠そうな目でソファを見やると彼女は急いでベッドから降りてきた。そして、ソファの彼の隣に収まる。ころりと猫のように丸くなって彼の膝を枕に寝転ぶ。

「さくら、やめなさい」

 呆れたように彼が声を掛けると、彼の服をぎゅうと掴んで彼女は身を寄せた。

「嫌。リヒトを独り占めできるなんて、今くらいしかないもん」

「僕はいつでも、あなたのものでしょう」

「違う。リヒトは、カザキやハトリといつも一緒で、私のことはたまにしか構ってくれないじゃない。必要な時だけ呼びつけて、ずるいよ」

 困ったように微笑して、彼は彼女の髪を撫でた。目を閉じた彼女は、心地よさそうに眠りに落ちた。

 ピピッと体温計が鳴って、私は彼から体温計を受け取った。

「…可愛いですね」

「いつもは聞き分けがいいんですけどね、急に甘えて困ります」

 そう言いながらも彼の手は彼女の肩を優しく支えていた。彼女を見つめる彼の眼に、昨夜の儚さはなかった。優しく慈しむ満月の光のよう。

 この人は、見る度に表情を変えて、まるで、月のような人だと思った。

2008年初出。

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