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3A.M.  作者: 如月 望深
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monochrome 02

「…美羽みはね…だよね?」

 友達がしげしげと私を見つめた。

「なに? イメチェン? ずいぶん変身したね」「超カワイくなってるじゃん」と友達は口々に驚きを言葉にしたけれど、みんな褒めてくれた。今まで、黒いストレートの髪に、眼鏡でノーメイク。制服も校則どおりに着ていた私が、茶髪でパーマをかけて、眼鏡からコンタクトに替えて、メイクもバッチリして、制服もみんなと同じようにスカートを短くしているのを見て、誰もが驚いた顔をした。今さら高校デビュー?なんて言われたりもしたけど、みんなアカぬけたと褒めてくれた。

 努力の甲斐があったというものだ。私は夏休みの残りを変身に費やした。美容室に行ってカラーリングとパーマをして、従姉のお姉ちゃんにメイクを教わって、ファッションも雑誌を買い込んで研究した。

 新学期の今日、みんなへお披露目をして、褒められて自信をつけてから今晩リヒトに会いに行く予定だった。

 ところが。

「産休の小沢先生の代わりに副担任になった冷泉先生だ」

 ホームルームで担任の先生に紹介されたその人は、優美な笑顔をみんなに振りまいた。

冷泉れいぜん 理人りひとです。どうぞよろしく」

 担当教科は小沢先生が教えていた日本史だと当然のことを担任が言った。若くて美形の新任教師に女子は色めきたった。でも私は、どうして彼がこんなところにいるのかと驚くばかりだった。

「白井。何だ、その髪は? 明日は直して来いよ」

 担任が私を呼んで、彼の視線も一緒に向けられる。この学校は、髪を染めるのは校則で禁止されている。誰もが守っているわけではなかったけれど、もともと黒髪だった私のライトブラウンの髪を先生が注意した。

「白井さんは日本史の教科委員でしたね」

 名簿を見ながら彼が確認した。教科委員というのは、それぞれの教科の担当教師の御用聞きや、教師に頼まれたプリントを配ったり集めたり、必要な教材を教科室から運んだりする係だ。

「あとで日本史教科室へ来てください」

「…はい」

 訳がわからないまま返事をした。


 こんな時ばかり「手伝おうか?」などと友達はゲンキンなものだ。だけど、彼には訊きたいことがあったから、大丈夫だと答えて一人で日本史教科室へ行った。

 教科室は、その教科の担当教師たちの控え室のような小さな教室だ。ほとんどの教師は職員室で過ごすから、日本史教科室には彼しかいなかった。椅子に座った彼に手招きされて、近くに立った。

「お久しぶりですね、美羽さん」

「どうしてリヒトがここにいるの?」

「産休の小沢先生の代わりに…」

「そうじゃなくて」

 彼の言葉を遮る。

教師せんせいなのに、あんな店でバイトしていいの?」

「僕の場合、どちらかというと、こちらのほうがバイトのようなものなので」

「向こうが本業ってこと?」

「そうなりますね」

 それなら、なおさらどうしてこの学校にいるのか不思議だった。

「美羽さん、ずいぶんと印象が変わりましたね」

 急に言われて、思わず髪を手で直す。

「とても綺麗になっていたので、見違えましたよ」

 彼の視線が私に注がれている。優しい笑顔が向けられる。それだけで、動悸がして頬が熱くなる。

「でも、髪は黒に戻しなさい」

「え?」

 高いお金をかけたのに、と思わず不満顔になる。

 コンコンコン、とドアがノックされて彼は席を立った。

「僕は黒い髪のほうが好きなんです」

 私の肩に手を置いて、耳元で彼は囁いた。そのまま私の横を通り過ぎてドアを開ける。

「冷泉先生、もうすぐ職員会議が始まりますよ」と生徒に厳しいお局の大西先生が若い男の先生には優しいという噂どおりに淑女を装って迎えにきた。ありがとうございます、と笑顔でお礼を言って、リヒトは私に「もう戻っていいですよ」と促した。


 リヒトのために変身したのだから、リヒトが好きでなければ意味がない。彼が黒い髪のほうが好きだと言うので、素直に髪は黒に戻して、パーマはそのまま残した。

 翌日、一限目の日本史のためにリヒトを呼びに教科室へ行った。

「ほら、やっぱり黒いほうが似合う」

 リヒトは私の髪をすくって満足そうに微笑んだ。硬直して動けない私に気づくと、「ああ、すみません」と手を離した。



 授業が終わり、校内を歩いていると、リヒトが中庭を通るのが見えた。声を掛けようと後を追う。私と彼の間を、黒アゲハがふわりと通り過ぎた。

 リヒトは職員室や教科室のある棟を過ぎ、特別教室しかない校舎へと入って行った。そして、人気のない廊下の途中で保健室のドアに消えた。体調でも悪いのかと思わず保健室へ近づいた。

「久しぶりですね、輝羅かぐら

「あら、リヒト」

 リヒトの呼びかけに、養護教諭の月島先生が親しげに彼の名前を返した。

「私がここにいるって、よくわかったわね」

朔羅さくらが教えてくれました」

 廊下に漏れ聞こえる二人の会話は、彼らが以前から知り合いだったことを教えていた。

「あの子、元気?」

「ええ。ますます咲耶さくやに似てきて、あなたを恨みたいくらいですよ」

「でもそれは、あなたが望んだことでしょう」

 それはそうですけど、とリヒトが答える。

「それで、わざわざ教師になってまで会いに来るほど、私に会いたかった?」

「いえ、あなたがいるとロクなことがない」

 失礼ね、と月島先生は言ったけど、怒った風ではなかった。

「朔羅が会いたがっていましたし、それに、あなたに訊きたいことがあります」

 そこで一瞬、会話が途切れた。次の言葉を待って息をひそめていると、突然ドアが開いた。保健室のドアの隙間からリヒトが私を見下ろす。

「立ち聞きも、あまり感心しない趣味ですね」

 リヒトの肩越しに月島先生もこちらに視線を向けていた。

「…すっ、すみません!」

 勢いよく頭を下げて、逃げるようにその場を走り去った。

 人のいない講義室で息を整える。二人の親しげな様子が脳裏をよぎる。月島先生は、最近赴任して来たばかりの養護教諭で、その美貌と見事なスタイルで男子生徒に人気がある。そういえば、彼女の髪は長くて綺麗な黒だ。

「僕は黒い髪のほうが好きなんです」

 リヒトの言葉を思い出して、自分の髪を見た。あれは、月島先生のこと? それとも、以前に店の階段で見た彼女? 彼の指が、私ではない誰かの髪に触れるのかと思うと、切なさが胸に込み上げた。



 店は相変わらずにぎやかで、まだこの雰囲気には馴染めない。だけど、今の私なら、この暗くきらびやかな空間でも、そんなに場違いではないはずだ。

「リヒト、何かお勧めのものを」

 カウンターのスツールに座って慣れたそぶりで言う私に、リヒトは「かしこまりました」と微笑した。そして出てきたのは、やはりノンアルコールのアップルサイダー。子ども扱いされているようで不満だったけれど、お酒に慣れない私を気遣ってくれているような気もしていた。

 暫くカウンターでリヒトを見ていたけど、今日保健室で立ち聞きしてしまったことについては聞けずにいた。月島先生とどんな関係なのか、訊く権利が欲しい。

「こんばんは。君、かわいいね。高校生?」

 突然、隣に座った男の人が話しかけてきた。どんなに店の雰囲気に慣れたふりをしても、こういう状況には慣れていない。正直に答えていいものか返事に詰まった。

「美羽さん、そろそろ帰りなさい」

 横合いからリヒトが手を伸ばして空のグラスを取った。そして隣の男の人に「ご注文は?」と笑顔を差し向ける。必然的に私は席を立ち、男の人は席に残った。もしかして、助けてくれたんだろうか。

 店のドアを出て、早足で駅へ向った。夜の繁華街はガラがいいとは言えない。一人で歩くには、少し怖かった。

「美羽さん、駅まで送ります」

 振り向くとリヒトが追いかけてきた。

「お店、抜けてきて平気?」

「ええ。大事な生徒に何かあっては困りますからね」

 にこりと微笑んだリヒトに、抱きつきたい衝動を必死でこらえた。今なら、許されるだろうか?

「リヒト、月島先生とは、知り合い?」

 思い切って訊いた。

「昔馴染みですよ」

「…付き合ってたとか?」

「いえ、彼女とは、そういう関係ではありません」

 あっさり答えるのは、本当だからだろうか。それとも、リヒトなら嘘も簡単にさらりと微笑んでしまうだろうか。


 翌朝、登校するなり私は日本史教科室を訪れた。朝一番に彼に会いたかった。

「おはようございます、美羽さん」

 微笑するリヒトから甘い香りが漂った。そして、それが中庭に面した窓の向こうからだと気づいた。開いた窓から中庭の花の甘い香りがする。リヒトの背後で、甘い匂いに誘われたアゲハ蝶がひらりと舞った。

「…リヒト、今日も、お店に行っていい?」

「いいですよ。でも、学校では一応『先生』と呼んでくださいね」

 頷いて、秘め事みたいな約束にドキドキする。この人は、どうしてこうも平然と人の心をかき乱すのだろう。

 その笑顔はまるで、あでやかに花開く、黒い蝶。



 それから私は、よく店に顔を出すようになった。毎日というわけにはいかなかったけれど、常連になっていた。『先生』じゃない時のリヒトを私だけが知っているという優越感に浸ることができた。

「ねえ、リヒトって、いつ寝てるの?」

 店に通い出してから、ずっと気になっていたことだった。昼間は学校で授業をして、夜は一晩中お店。リヒトの空き時間といえば、早朝か夕方の数時間だ。

「僕はあまり眠らなくても平気なんですよ」

 カウンターの中からスパークリングの白ブドウのジュースを私に差し出して、リヒトは微笑んだ。

「平均睡眠時間3時間くらいだもんな」

「ナポレオンかっつーの」

 カザキとハトリがカウンターの外から下げてきたトレーを同時にリヒトに差し出した。両方を受け取ったリヒトは、それぞれにカクテルの乗ったトレーを返した。カザキとハトリがフロアーへ帰って行くと、リヒトは付け加えた。

「実は、どうしても耐えられなくなったら、授業の合間に保健室で寝てるんですよ」

 幸い保健室には人があまり来ませんし、それを許してくれる人がいますからね、と。

 私は、こみ上げるもやもやを消そうと冷たいジュースをごくりと飲み込んだ。

 月島先生とリヒトは付き合っていないと言ったけれど、親しげな彼らは、生徒の間では噂になっていた。

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