stimulation 02
誰にも気付かれずに家に戻って、何事もなかったかのように日曜をやり過ごした。月曜からまた学校が始まって、日常に戻る。
そうして、退屈な日常に埋没していくんだろう。
そう、思っていたのに…。
「えー、転入生を紹介する」
季節外れの転校生を担任が紹介すると、皆ざわめいた。それは、突然転入してきた彼への興味と彼の容姿に対するものだった。
「こんな時期に転入?」
「顔イケてるじゃん」
「てか、カワイー」
教室のあちこちからそんな声が聞こえてくる。そんな声を気にした様子もなく、彼は微笑んだ。
「水神 羽鳥です。よろしくお願いします」
あの天使のような笑顔で。
そう、彼はあの店員だったのだ。驚きのあまり、私は声を上げるどころか、皆の会話にさえも加われなかった。
「席は…」
先生が教室を見回す。
「あ、先生、俺、あそこがいいです」
彼が指差したのは、私の隣の席だった。
「え…?」
戸惑う私を無視して話は進められ、私の隣の人が席を移動し、彼は私の隣に落ち着いた。
「よろしく」
椅子を引いて座りながら彼は私に言った。なんなんだろう、この少女漫画的展開。
「よ、よろしく…。あの、どうして私の隣…」
わざわざ私の隣の席を指名した理由がわからなかった。私は彼を憶えていたけど、彼が私を憶えているとは思えなかった。
「だって、知ってる人の近くの方が安心だから」
「えっ? 憶えてるの、私のこと?」
彼の返答に思わず私は訊いた。
「憶えてるよ、佐々木 優香サン」
──驚いた。
どうして私の名前を知っているのか。それは、私が落とした学生証を拾った時に見たのだと推測できたけど、彼は店員で、私はただの客にすぎなくて、平凡すぎる私を憶えているなんて…。
まさか、私があまりに地味すぎて憶えてたとか?
私が自虐的な推測を繰り広げている間に、彼の周りには人だかりが出来ていた。クラスの女の子に囲まれた彼は彼女達の質問を笑顔で流していた。
「ねー、ハトリくんて呼んでいい?」
「どーぞ」
愛想良く彼は言った。
「ね、優香と知り合いなの?」
私達の会話を聞いていたらしい子が訊いた。
「ちょっとね」
意味ありげに微笑んで、彼は私を見た。その笑顔にドキリとする。
「校内、案内してよ、優香ちゃん」
「え…?」
戸惑う私に彼は大きな目を上目遣いに向けた。
「ダメ?」
そんなカワイイ顔して言われたら断れる訳がない。
「だっ…ダメじゃない」
私は首を横に振った。
周りから不満の声が上がったけど、彼は気にせず、「じゃ、昼休みにね」と笑顔で言った。
昼休み、約束通り私は彼に校内案内をしていた。食堂の場所を教えるついでにお昼を一緒に食べて、それから校舎内を回った。
「ここが社会科準備室。資料が置いてあるだけで、殆ど人が寄り付かない場所なんだけど」
そう説明しながら私はドアを開けて社会科準備室へ入った。それに彼も続く。彼はドアを閉めて、そして鍵をかけた。
「…水神くん…?」
「ハトリでいい」
「あ、あの…?」
彼の行動が読めなくて私は戸惑った。
「優香ちゃん、俺に訊きたいことあるんじゃない?」
入り口のドアを背に彼は言った。
図星だったので、咄嗟に言葉が出なかった。否定するのもおかしい気がしたけど、どう切り出そうかとも思った。
「例えば、この間、どうして俺が店にいたか、とか?」
「…バイト…してるの?」
彼の言葉に私は訊きたいことを付け加えた。
「そんなとこ」
意味ありげに彼は微笑んだ。心を惑わす魔性の微笑みだ。
「…ああいう所でのバイトは校則で禁止されてるって、知ってる?」
思い切って訊いてみた。
「知ってる」
あっさりと彼は答えた。
「でも、ああいう所への出入りも禁止だよね? 優香ちゃんだって同罪でしょ?」
彼は私に近付いた。思わず後退った私は、巧みに体の位置を入れ替えられて壁と彼の間に挟まれてしまった。壁についた彼の両腕で逃げ場はない。
「だから」
ハトリくんの顔が近付く。もう、展開の速さについていけない。
「黙ってて?」
耳元で囁かれる。その構図や声や吐息に心臓が悲鳴を上げる。
「いっ…言わない! 誰にも言わないから!」
早く離れてくれないと心臓爆発しそうなんですけど!
心の叫びが通じたのか、ハトリくんは体を離した。
「二人だけの秘密ね」
口元に人差し指を立てた「内緒」のポーズで彼は言った。
彼の笑顔はキレイでカワイくて、心をわし掴みにして放さない。私の心臓は高鳴って、ドキドキが彼に聞こえてしまいそうだった。
腕時計に目を落としてハトリくんが言った。
「そろそろ昼休み終わるから行こうか」
ドアの鍵を開け、私を振り返る。
「今日も店に来る?」
「え…?」
少し迷った私にハトリくんは言う。
「おいでよ。待ってるから」
天使みたいな笑顔でそんなことを言われて、私は自分の顔が熱くなるのを自覚した。きっと顔は真っ赤だろう。
「…うん。行く」
思わず私はそう答えてしまっていた。