thread 02
俺の存在価値は、誰が決めるのだろう?
例えば、俺が誘拐されたとして、犯人は俺にいくらの身代金を掛けるだろう? 親は、警察は、それに応えるだろうか?
例えば、俺がお尋ね者になったとして、俺を探す奴は、俺の首にいくらの賞金を懸けるだろう?
1億? 1千万? 100万? それとも、そんな価値はない?
くだらない、賭けをしてみた。
俺がこの世にとって必要な存在かどうか。俺の存在価値がどれほどのものか。単なる思いつきだ。これがすべてを決めるわけじゃないことは、わかっている。
だけど、鳴らない携帯を眺めながら、俺がこのまま消えてなくなっても、誰にも影響がないのだと思い知らされた。
無断欠勤をした。
バイト仲間、あるいは職場の上司からくらいは電話があると思っていた。だけど、俺のシフトに入る時間が過ぎても連絡はなかった。結局、そのまま俺のシフト時間は過ぎて行った。
そして、夜になっても電話はなかった。会社が無断欠勤したバイトを見限ったとしても、一緒に働いてきた仲間くらいは俺を心配してくれてもよさそうなものだというのは、甘い考えだったのか。
当然、家族からも連絡はない。離れて暮らす家族には、俺の無断欠勤を知る由はないのだから、電話をする理由もない。いや、仮に知っていたとしても、優秀な弟を溺愛する両親は、出来の悪い長男がどこで何をしていようが知ったことではないのかもしれない。
両親の期待は、優秀な成績で地元の高校を卒業して東京の大学へ進学し、卒業後は地元へ帰って県庁に入った弟に一身に向けられている。ろくに成績も良くなくて何とか地元の三流高校を卒業し、親の反対を押し切って上京して、挙句まともに定職にも就かない俺になど、かまける情はもう残っていないのかもしれない。
もし、俺が急病になって、自分で救急車を呼ぶこともできなかったとしたら、俺は、変死体としてニュースになるかもしれない。変死体ならまだいい。白骨死体だったらどうしよう?
発見するのは、家族か、会社の人か、友達か、恋人か、それとも、アパートの管理会社か。恋人は、いないのだからまず消えた。家族も、まあ可能性は無いに等しい。会社の人は、今日のことを考えてもないだろう。友達は…俺が一方的にそう思っているだけで、相手は俺のことを友達とは思っていないのかもしれない。
俺が一人ひっそりと死んだら、マスコミくらいはニュースに取り上げてくれるだろうか? いや、事件性がなければニュースにはならないか。
狭いアパートにひっくり返って天井を眺めながら出てくる考えは、ロクなものではなかった。
「くだらねぇ」
一人つぶやいて、起き上った。スウェットからジーパンとTシャツに着替えて、顔を洗う。一応髪を整えて、部屋を出た。
どこへ行くとは決めていなかったが、何となく足がここへ向った。
黒いドアについたドアノブが、ほの明るいライトに浮かび上がっていた。それに手を掛けてドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
俺に声を掛けたハトリは足早にフロアーへと消えていった。店は今日も盛況のようで、狂ったように踊るバカがフロアーにあふれ返っていた。カウンターからリヒトの視線を受けて、それから逃げるようにフロアーへ入った。フロアーの中央辺りの壁際に空席を見つけてそこへ座った。
通りかかったカザキにビールを注文し、俺は店全体を見渡した。この店にはたくさん客がいるが、店員は三人しかいない。つまり、この店に集う大勢の人は、たった三人に支配されているのだ。そんなことにも気付かないで、楽しそうに踊ったりして、バカな奴ら。
俺に価値がないと、他人が決めるなら、俺よりも低俗なこいつらの価値を俺が決めてやってもいいだろう。
辺りに目をやってチャンスを窺った。まずはどのバカから行こうか。目の前を通り過ぎようとした女に狙いを定めた。キャミソールにミニスカートなんて下着のような格好のバカな女。
飲み干したビール瓶の細い口部分を握った。そのまま持ち上げて、立ち上がる。後ろへ振りかぶったら、あとは降ろすだけ。
不意に、腕を掴まれた。
上げきらない腕を上から押さえつけられる。視線を遣れば、ハトリの細い腕が俺の腕を捕えていた。
「店内での暴力はご遠慮ください」
暴力? 俺は失笑した。俺のこの行為が暴力だというのか。俺はただ、他の奴らが俺の価値を決めるように、他人の価値を俺が決めてやろうというだけなのに。
「邪魔するな!」
手を払って瓶を振り上げた。そのまま勢いよく振り下ろす。ガシャーンと派手な音がして、周りには甲高い悲鳴が上がった。ハトリに当たったビンが砕け飛ぶ。とっさにハトリは腕で頭をかばったが、腕を下ろしたハトリの人形みたいに綺麗な顔にいくつか傷ができていた。髪の毛に散ったガラス片がパラパラと落ちた。
大きな目から強い視線が向けられる。何だよ、その眼は。
その眼に負けじと睨み返した。瓶を握る掌が汗ばんできて上手く力が込められない。
「俺は、俺に価値がないと決めた奴らに復讐するだけだ。俺に価値がないなら、お前にだって、ここにいる奴らにだって価値がないと、俺が決めてやる。俺に価値がないというなら、こんな世界、要らない。俺が消してやる!」
ハトリは俺の言葉に無感動に髪を払った。パラパラとガラスの破片がまた落ちる。
「あんたは、自分に価値がないと思うわけ?」
「価値は他人が決めるものだ。あいつらは、俺に価値がないと決めたんだ」
自分の存在価値は、自分以外の他者の評価で決まる。そして、俺は他者に価値がないと評価されてきた。親や、教師や、友達や、女たちや、上司たちに。
だから俺も評価する。俺を不要だというこの世界を。要らない、と。
「俺を不幸にする、こんな世界なら、必要ない。すべて、誰も彼も、消えてしまえばいい」
ふう、と大きくため息をついたハトリは俺を哀れむように眼を向けた。
「そんなにこの世が嫌なら、勝手に一人で消えれば? その方が手っ取り早い。そういうことなら、得意な奴を紹介してやってもいいよ」
沈黙する俺に、ハトリは続ける。
「あんたが自分を不幸だと思うのは、あんたの勝手だ」
大きな目が、鋭い光を伴って俺を睨む。
「お前の不幸に他人を巻き込むな」
トーンを低く抑えた声が耳によく響く。
「他人を巻き込む? 俺を不幸にしたのは世の中なのに、巻き込まれたのは俺なのに、何で不幸なのが俺の勝手なんだよ?」
自分の声が上ずっている気がした。
「不幸って何だよ? お前が不幸なのはお前の主観で、客観的事実じゃない。そんなお前の自分勝手な尺度を、世の中のせいにするなよ」
ハトリの口調は、怒るでも、諭すでもない。ただ淡々と、まるで真実を告げる残酷な天使のようだ。
「五体満足で健康で、家族が欠けることもなく、食うものに困ることもなく、屋根のある場所で眠れる。地震や台風の災害に遭ったわけでもない。今この国では戦争は起こっていないし、徴兵制もない。晴れた日には空は青く、夜には星も見える。空気は生きるに困らない程度には綺麗で、水も豊かで、花も咲くし、光も射す。それで、お前の不幸って何だよ?」
誰からも気にかけられず、誰からも必要とされない俺は、不幸だろう? こんなにも俺は不幸なのに、なのにこの男は、ハトリは、俺が不幸なのは俺の勝手だという。俺の主観だと。まるで俺が不幸ではないかのように。
「所詮、幸・不幸なんて、本人の思い込みだ。そんな思い込みのために、俺たちが巻き込まれてやる義務はない」
「じゃあ、お前は、自分が不幸だって思ったことないのかよ?」
「──あるよ。だけど世界はなくならないし、不幸は自分の責任だ。人間、成人したら幸・不幸の責任はだいたい自分にある。責任が自分にあるなら、自分でそれをコントロールできる」
もし、こいつと俺を天秤にかけたら、どっちが重いだろう?




