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3A.M.  作者: 如月 望深
73/106

beautiful colors 01

 美しい青空を見た時に似ている。


 その美しさを形にしようと試みても、うまくいかない。

 写真では、確かに風景や時間は切り取ることが出来ても、その空気感は伝わらない。絵なら、その時の感動を込められるけど、あの空の青はキャンバスには広がらない。

 その美しさを手に入れようとしても、手に入れられなくて、結局ただ見ているだけ。



 彼に出会った時、覚えた感情は、感動と憧憬と尊敬と、軽い嫉妬。彼の絵は衝撃的で、ガツンと心臓を殴られたみたいだった。私にはない、感情をストレートに表現したインパクト。何て絵を描く人だろうと思った。

「俺は好きだよ、美森みもりの絵」

 彼はそう言ってくれるけど、

「先生には、インパクトが足りないって言われた」

 印象が薄いなんて、絵として致命的だ。

「俺は、落ち着きが足りないってよく言われる」

 彼は落ち込む私を元気付けるように微笑みかける。

「俺の絵はさ、カウンターパンチなんだって。ドカンと一発インパクト勝負。で、美森の絵はボディーブロー。美森のは、じわじわ効いてくるんだよ。でも、いつもそばに置いておきたいのは、美森の方だと思うな」

 先生に酷評された学内展の下絵を眺める私の向かいに置いた木の椅子にまたがって、彼は笑った。

「って、真麻まあさが言ってた」

 彼女の名前を口にする時、彼は少しだけ眩しそうな表情をする。それは照れ隠しなのか、彼の彼女に対する想いの表れなのか…。

健人けんと、ごめん、やっと終わった」

 ガラガラとドアが開いて、真麻ちゃんが顔を出した。

「おう、お疲れ。どうだった?」

 ドアの方に顔を向けた彼が軽く手を挙げて彼女を迎える。

「一応、受け取ってはもらえたけど、直しが入るんだろうなぁ」

 デザイン科の教授に課題の提出を終えた真麻ちゃんが頭を抱えてみせた。油絵科の私とは科が違うけど、入学試験の時に出会って、それからずっと友達だ。

「ま、いいじゃん。一応終わったんだから」

 立ち上がって健人くんは荷物を持った。「メシでも食って帰るか」と促すと真麻ちゃんが頷く。

「美森は? どうする?」

「私、もうちょっとやってくから」

 真麻ちゃんの問いに、私は座ったままで答えた。

「そう? じゃあ、私たちは帰るね」

「じゃあ、また明日」

 真麻ちゃんと健人くんが手を振ってドアへ向かう。それに笑顔で手を振り返して、彼らの背中を見送った。ドアが閉まると、小さな溜め息が出た。


 この感情は、美しい青空を見た時に似ている。


 自分の描いた絵を見て、また溜め息が出る。もっと、こう、人の心に訴えかけるような絵が画けないかなぁ。

 手直しをしようと筆を取ったけど、手を動かせなくて、また考えた。健人くんは、学内展の入賞常連者だ。大賞だって取ったことがある。真麻ちゃんもデザイン科のトップクラス。それに引き換え、目立たない私の絵…。

 溜め息をつく前に筆を置いて立ち上がった。こんな時に描いても、いいものは出来ない。今日はもう帰ろう。バッグを持って部屋を出る。

 学校を出て駅までの道をゆっくり歩く。満開の桜並木は溜め息が出そうなほどに美しくて、立ち止まって見惚れた。春の風が桜の花びらを降らせて、空へと舞い上げる。花びらの行き先を追って空を見上げた。薄紅色の桜の枝の間から見える空の青が目に染みる。

 視界の端に、向こうから歩いてくる男の人が見えた。立ち止まってバカみたいに空を見上げる私を気にした風もなく通り過ぎた。

 瞬間、釘付けになる。一瞬見ただけなのに。なのに、人の目を吸い寄せて、離さない。もう一度見えないかと思わず振り向いた。

 すると、向こうもこちらを振り返った。風に揺れる黒い髪が薄紅の花と戯れる。風はまるで彼に向かって吹いているようで、花びらも彼を目掛けて舞う。

 すべてを吸い寄せる、強い瞳。

 彼は無言で私に近付いてきた。私の前に立った長身の彼は、私を見下ろす。

「これ、あんたの?」

 目の前に彼が手を差し出し、その指にはイチゴのキーホルダーが掛かっていた。あれ?と思って自分のバッグをみると、そこにあったはずのイチゴがない。

「は、はい。そうです」

 両手でキーホルダーを受け取って「ありがとうございます」とお礼を言った。どういたしまして、と答えた彼は微笑する。なんて絵になる人だろう。

「気を付けて帰れよ。車にかれないように」

「え?」

「ボーッと歩いてると、木にぶつかるぞ」

 可笑しそうに忠告して、彼は私に背を向けた。ぼーっと桜を見上げていたのをバッチリ見られていたのだと思うと恥ずかしさが込み上げた。

 桜並木を遠ざかっていく彼の背中を見送る。まるで、この桜みたいな人だ。美しくて、何もしなくても絵になる。



 黙々とスケッチブックに向かう。何枚も何枚も、さっきから同じモデルを描いている。どうしたら、あんな風に強いオーラを放てるのだろう。

「美森、何描いてんの?」

 勢いよくドアを開けて入ってきた健人くんが、後ろからひょいとスケッチブックを覗き込む。

「…珍しいね、美森が人物描くなんて」

 風景画や静物画ばかりを描いている私が、人物のスケッチをしているのを見て健人くんは意外そうな顔をした。

「しかも男の絵なんて。好きな奴?」

 思わずスケッチブックを胸に抱き締めて健人くんから隠し、思い切り首を振った。

「知らない人! 昨日、学校の前の桜並木で見かけただけで。ものすごく絵になる人で、インパクトあったから、この人を描いたらいい絵が描けるかと思って」

 言い訳のように早口になるけど、言っていることは本当だ。でも、何度スケッチを繰り返しても、実物みたいな強烈なオーラは出てこない。私の画力では、彼の醸し出す雰囲気は描ききれない。

 ふうん、と答えた健人くんは、それよりさ、と話を変えた。

「今日、ヒマ? ちょっと付き合って欲しいんだけど」

「うん、いいよ」

 気が進まないけど頷いた。彼がこう言ってくる時の用件は大体想像がつく。


 健人くんは、私を路地に入った地下のお店へと連れて行った。行き慣れていない雰囲気の店に驚いたけど、健人くんは慣れているようだった。

 カウンターの中から綺麗なバーテンダーが「いらっしゃいませ」と声をかけた。可愛い顔の男の子がフロアーのソファに案内してくれて、オーダーを取った。

「お待たせしました」

 ドリンクを運んできた男の人に、思わず目が釘付けになる。昨日の人だ。相手は私のことなど憶えていないようで、「ごゆっくり」と声を掛けて去って行った。

 健人くんはドリンクを勢いよく飲むと、予想通り昨日の真麻ちゃんとの喧嘩を一部始終私に話した。原因は食事らしい。「だってさ、あいつ、何でもいいって言うからイタリアンにしたら、トマトの気分じゃないとか言って」と不満顔だ。彼らの喧嘩は、大概くだらない。でも、お互いに意地っ張りなので、なかなか素直に謝れないのだ。

「真麻ちゃんには、私から言っておくから。仲直りしたら?」

 健人くんは、ぶつぶつと口の中で不服そうに文句を言った。そこへ、彼のケータイに電話が入る。きっと真麻ちゃんからだ。健人くんがトイレに立っている間に、謝るように私が連絡しておいたのだ。

 電話で何言か話すと、健人くんはケータイを切った。

「ごめん、美森。俺、真麻んとこ行ってくる」

「仲良くね」

 手を振って彼を見送った。

 溜め息が出るのを堪えて、カシスオレンジを一気に飲み干した。グラスをテーブルに置いて席を立つ。

「おい」

 ドアへ向かう途中で呼び止められた。

「忘れ物」

 昨日の男の人が、昨日と同じようにイチゴを持って差し出した。慌てて受け取ると、呆れたように微笑された。

「それ、金具が壊れてんだよ。だからよく落ちる」

 え?と顔を上げた。

「カザキ!」

 私のことを憶えているのかと訊く前に、彼は他のお客さんに呼ばれて行ってしまった。

2008年初出。

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