mature 01
「結婚しよう」
その時、私は人生の絶頂を感じた。三年間付き合った彼からのプロポーズ。もちろん彼のことは好きだったし、この人となら人生を共にできると確信していた。
「はい」
頷いた私に、彼はほっとしたように嬉しそうに微笑んで、今こそが人生で一番輝いている時だと思った。こんな瞬間は、もう二度とないはずだ。
結婚が決まると、あとはトントン拍子だった。お互いに家族には既に紹介していたから、改めて結婚の報告に行くだけだった。どちらの両親も喜んでくれて、すんなり話はまとまった。結婚式場も両親の勧める場所に決めた。
結納が済んでから、友達に報告をした。ご飯を食べに行こうと誘った時点で感づいていたらしい友人達は、みんな喜んでくれた。
「お祝いに、いいとこ連れてってあげるよ」
友人の一人がそう言って、食事のあと、全員で彼女のおすすめの店にやってきた。地下への階段や黒いドアは雰囲気がある。中は思いのほか賑やかだったけど、カウンター席は落ち着いた感じで、周りの人もフロアーより年齢層が高いようだ。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
美形のバーテンダーが微笑んで席を勧める。
常連らしい友人は、何にする?とみんなにメニューを見せて、自分はカルアミルクを注文した。みんなもそれぞれ注文する。迷っていると、友人がバーテンダーに声を掛けた。
「リヒトさん、この子、結婚が決まったの。お祝いに何か作ってあげて」
「それはおめでとうございます」
リヒトは優美に微笑んで、シェイカーを手にした。鮮やかな手つきでシェイカーを操り、ショートグラスにカクテルを注ぐ。赤いチェリーを飾って、私の前のコースターに置いた。
「どうぞ。サムシングブルーです」
淡いブルーの綺麗なカクテル。その名は、花嫁が結婚式の日に青いものを身につけていると幸せになれるという言い伝えからだろう。
「おめでとう」
友達が自分のカクテルグラスを持ち上げて、みんなで私に乾杯してくれた。みんなとグラスを合わせて素直に祝われた。カクテルは、甘いのに酸味があってスッキリとした味わいだった。
お酒が進むにつれ、友達は根掘り葉掘りなれそめやプロポーズについて訊いてきた。恥ずかしかったけれど、今まで自分だって結婚する友達にやってきたことだし、こういうむずがゆい思いをするのも、こういう時しかないので照れながらも答えた。
「彼のどこがよかったわけ?」
いや、もちろんいい人なんだけど、もっと他にも選べるだろうに、なんであの人を選んだの?と酔った友達は訊いた。
「どこって、優しいとことか。私に合わせてくれるし、好きなようにしていいって言ってくれるし」
仕事も、結婚しても続けたいと言ったら好きにしていいと言ってくれた。デートも私の行きたいところに行ってくれるし、食事も私の好みを優先してくれる。こんないい人、なかなかいない。
一生を添い遂げたいと思う人に出会えたことを、本当に幸せだと思う。この人とずっと一緒にいたいという想いを、彼と共有できて、すごく恵まれている。
彼に出会ったのは、私が失恋して間もない頃だった。彼は、私が勤める課の隣の課に異動してきた。名古屋赴任から本社に戻ってきたのだという。隣の課でよく顔を合わせたから、話をするようになった。
彼は、明るく朗らかな人で、落ち込んでいた私を励ましてくれた。その当時、私は片想いしていた先輩が結婚することになりショックを受けていた。片想いしていることは誰にも話していなかったし、普通に振る舞っていたつもりだったのに、彼は私の壊れそうな心に気付いて親身になってくれた。癒し系の人だと思った。
そんな彼に惹かれるのに時間は掛からなかった。彼も当初から私に好意を持ってくれていたらしく、デートに誘ってくれたりして、付き合いだした。
彼はとても優しくて、「釣った魚に餌はやらない」なんて言う男と付き合っている女の子が本当に可哀想になるくらい、付き合ってからも私を大切にしてくれた。私がディズニーランドに行きたいと言えば行ってくれて、イタリアンが食べたいと言えばイタリアンレストランへ、フレンチが食べたいと言えばフランス料理店へ連れて行ってくれた。
私が手料理を振る舞えば「おいしい」と言って食べてくれるし、掃除をすれば「ありがとう」と喜んでくれる。携帯の履歴を見ても怒らない。
まさに理想的な彼だった。
そんな彼と付き合って三年。そろそろ結婚のことも考えて欲しいと思っていたところ、彼からプロポーズされた。彼も私と同じように、一緒に人生を歩んでいくことを考えてくれたのだと思ったら、本当に嬉しかった。
だから、この人と歩いていくと決めた。
「あ~あ、訊くんじゃなかった。ノロケられただけだった」
呆れたように友人は笑った。
「でも、曜子、考え直すなら今だよ」
「何、言ってんの」
真剣な顔をしてみせる友達に笑う。この期に及んで、何を考え直すというのだろう。もう充分に考えた上での決断だ。
「だって、世の中にイイ男は、まだいっぱいいるよ。彼で手を打っていいの? もっとイイ男とこれから出会うかもしれないよ」
からかうように友達が脅かす。そうね、と同意した友人たちが続けてからかう。
「例えば、ハトリくんみたいな可愛い男の子に慕われちゃうとか」
「カザキみたいな人と逃避行に走っちゃうとか」
「リヒトさんと恋に落ちちゃうとか」
ねー!と友人たちは酔った勢いで勝手に盛り上がるけど、そんなこと、ありえない。確かに、この店の店員はみんなイイ男だけど、それだけが恋に落ちる理由ってわけじゃない。そもそも私、一目ぼれとかしないタイプだし。第一、あんまり絵に描いたようにイイ男だと、現実味がなくて、恋になんか発展しない。
ちらりとリヒトを見上げたら、丁度こちらを向いて、目が合って微笑まれた。
結婚するという話を聞いて、出したカクテルが「サムシングブルー」なんて、キザな心遣い。でもそれが嫌味じゃなくて、さらりとこなせてしまうのが、この人がイイ男な所以なんだろうな。でも、そのキレイな顔にクラリとはきても、恋には落ちないだろうという確信があった。
だって、私には、彼がいるから。
2008年初出。




