未明 02-2
理人は諸国を渡り歩いてきたとあって博学で、海外の事情にも通じていた。近年、貿易が盛んになりつつある南蛮についても詳しかった。
「鉄砲が重要な武器になると申すか」
「はい。殺傷能力が高い武器が戦で重宝されるは必定なれば」
南蛮渡来の鉄砲が戦で威力を発揮すると説明する理人に、風生は質問を重ねた。
「では、尾張殿は天下を取れると思うか?」
尾張の城主が鉄砲を盛んに用いていることは知られていた。
「それは判りかねます。あの御仁は激しすぎるゆえ」
理人は断言を避けた。その口ぶりに、会ったことがあるのか?と風生が尋ねると、幾度か、と理人は答えた。
「どのような御仁だ?」
「求心力があり、戦上手で政治手腕も見事です。しかし癇癪持ちで意にそぐわぬ者には容赦がなく、寛容さに欠けます」
しかし、今のところ、この国において恐れるべき相手ではありません、と理人は続けた。
「今、この国において最も恐れるべきは、隣国、橘川殿でしょう」
隣国とは先ごろ戦が終わったばかりだ。橘川から奪った領地は、まだ完全には平定されていない。
「失礼いたします」
しおらしい声が聞こえて戸が開いた。妹の伊世が茶を持って現れた。理人と風生に茶を出し、風生をじっと見遣る。意図がわかって風生は苦笑した。
理人と伊世を互いに紹介する。伊世は、絶世の美貌だと噂されるこの商人を見たくて仕方がなかったのだ。噂に違わぬ美しさに、伊世はぼうっと理人を見つめた。
伊世はすっかり理人を気に入ったようだが、風生としては伊世を理人に近づけたくない理由があった。
「あの男に心惹かれるのは、わからないでもない。だが、あの男は危険だ。得体が知れない」
けれど、理人が緋村家に馴染むのに時間は掛からなかった。柔らかな物腰の美しい青年は、使用人にも家族にも好かれ、殊に弟の正風丸は理人に懐いた。
風生には、兄が一人、弟が一人、妹が一人いる。兄がいるのに風生が嫡男であるのは、兄は妾腹だからだ。風生と妹の伊世は正室の子である。正風丸は風生の母の死後正室となった後妻の子で異母弟だ。父が年を取ってからの子であるため特に可愛がられ、そのせいか人見知りするのだが、なぜか理人にはよく懐いた。
城に空を切る音が虚しく響いた。木刀を打ち合う音はせず、音は空を切るばかりである。正親が一人剣術の稽古をしていた。
「随分と乱暴な剣ですね。貴方様らしくもない」
正親は警戒して振り向いた。正親の背後を取れるのは、風生と、特別な訓練を受けた間者だけだ。
「理人、と申したな」
警戒を解かずに正親は男を見遣った。
「おぬし、某の剣を見たことがあったか」
らしくない、という言葉は、その技量を知った者が口にすべき言葉だ。
「何度か遠くから拝見いたしました。それに、貴方様の剣は風生殿によく似ておられる。風生殿の剣術の稽古は毎日緋村様のお屋敷で拝見しておりますれば」
風生と似ているのは、同じ剣術の師につき、今では風生が正親の指南役であるからだろう。
「剣の乱れは心の乱れ、とよく申します」
理人のどこか心を見透かしたような微笑に、正親は沈黙を守れなかった。諦めたように縁台に座ると話し始めた。
「父上が風生を伴って下野を視察に行かれたのだ」
下野は先ごろの戦で隣国より奪った領地だ。親基が視察に行くことは正親も知っており、当然自分も一緒に行くつもりでいた。ところが、風生が親基に同行を申し出ると、父は風生を連れ、自分は連れて行かなかった。正親としてはそれが面白くない。
「父上は風生を殊に懇意にしておられる。いくら由紀の夫になるとはいえ、某よりも風生を信頼なさっておられるのか」
「御館様も風生殿も、正親様の身を案じてのことでございましょう」
諭すような口調で理人は言った。
「下野はまだ平定して間もない地。橘川の残党もおるやもしれませぬ。そのような地に、総領であらせられます正親様をお連れするのは危険とお考えになったのでしょう」
それに、と理人は続ける。「御館様のご不在に城に何かあっては一大事。正親様には、城をお守りするという大事なお役目がございます」
正親は理人の話に耳を傾け、そうかもしれぬ、と素直に聞き入れた。
「おぬし、剣の心得はあるか」
「私は商人なれば剣は不得手にございますが、以前に少しだけ」
「構わぬ、付き合え」
立ち上がった正親は木刀を理人に投げ渡し、自分の木刀を振り下ろした。片手で持った木刀でそれを受け流し、理人は微笑して木刀を翻した。
その夜、城は騒然とした。
橘川の間者が城主親基を襲ったのだ。
寝所に忍び込んだ間者が親基の首根を掻き切ろうとした、その瞬間、夜の闇に隠れていた風生が間者を取り押さえた。間者はあと二人おり、風生に襲い掛かったが、風生が連れてきていた部下が阻んだ。次いで逃げようとする間者を風生の部下が追いかけて捕らえた。
この見事な手腕に、命を救われた親基は感激した。「このような娘婿を持ってわしは本当に幸せ者じゃ」と喜んだ。
正親は騒ぎで目を覚まし、部下から事情を聞かされた。騒ぎが収まると、正親は親基の寝所を辞した風生を呼んだ。そして詰問する。
「何ゆえ某には何も言わぬ」
橘川の間者が親基を狙っているとなれば、正親とて寝ていたりはしなかった。父を守るために戦ったというのに。何故自分だけで行動したのか。
「申し訳ございません。橘川の間者が動いているとの噂を耳にしたのですが確証がなく、確証なきことに正親様のお手を煩わせるようなことはしたくなかったのです」
「間者が某の命も狙っていたかもしれぬのにか」
「だからこそ、正親様を危険に近づけるようなことはできませぬ」
風生はいつ間者が動くかわからなかったので、なるべく親基と行動を共にし、正親には自分の部下を張り付け護衛させていた。
だが、正親は風生の行動が気に入らない。家臣としては、風生の手柄を褒めるべきところだが、自分達は親友ではなかったのか。それならば、危険であるとはいえ、自分にも父の危機を教えておいてくれても良かったのではないか。
「風生…」
正親が言いかけたのを、風生が手を挙げて制した。戸の外に耳を澄ます。小さな音がして、影が動いた。風生は素早く戸に近付いて勢いよく開けた。
若い女が庭を駆けて行った。風生は部下を呼んで正親を守らせ、自分は女を追いかけた。間者がまだ残っていたのか。
暗がりに消えた女を見失い、城の外れで風生は辺りを見回した。すると、女の消えた方から誰かが近付いてくる。身構えた風生の耳に、聞き慣れた声が届いた。
「お見事でしたね」
「理人…」
雲が晴れて月がその男を照らした。絵に描いたように美しいその微笑は、この男に対する不安を掻き立てる。
「朔羅、もういいですよ。ご苦労様」
傍らに寄り添っていた若い女に声を掛けた。先程逃げて行ったのはこの女だろう。女は理人に従って、理人の背後に広がる闇へと消えていった。




