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3A.M.  作者: 如月 望深
63/106

fly 03

 光と影は表裏一体だ。


 カザキの言葉を思い出していた。光が強ければ強いほど、影は濃くなる。影の作り出した闇は、俺を呑み込み、輪郭を奪う。俺の存在を掻き消すように。


 吐き気が込み上げる。雄介に対する嫌悪なのか、自己嫌悪なのか。堪えきれずに口元を押さえて席を立った。その拍子に足がテーブルに当たって、テーブルの上の烏龍茶のグラスが倒れた。グラスはそのまま床に落ち、高い音を立てて割れた。

 暗い店内に走る強い照明が、割れたグラスを妖しく光らせていた。腰をかがめて破片を手に取った。目の前の破片に雄介の手が伸びる。この手にこのガラスの刃を突き立てれば、こいつの選手生命に影響するかもしれない。もし、こいつが消えれば、俺は、光の道を進むことが出来るかもしれない。手を引いて、刃をその手に向ける。

「だめだよ、雄介くん。大事な体なのに、怪我でもしたらどうするの?」

 ガラスの破片を拾おうとする雄介を女が止めた。雄介の手が止まる。


 ああ、そうか。


 要らないのは、俺か。


 込み上げる吐き気が喉を通ろうとする。それを消そうと刃を喉元に向けた。

「やめろ!」

 床に、ぽたりと雫が落ちた。照明に照らし出されて、それが赤い血だとわかる。目の前には、ガラスの破片を掴む手。俺の手と、血が滴るカザキの手。俺は茫然とそれを眺めていた。

「お客様、大丈夫ですか?」

 バーテンダーのリヒトが駆けつけた。

「危ないですから、触らないでください。片付けはこちらでやります」

 いつの間にかハトリも来ていて、リヒトに「箒とちりとり持ってくる」と言ってハトリはカウンターへ向かった。

「カザキとあなたはこちらへ」

 リヒトは俺とカザキを呼んだ。連れて行かれたのは、店の奥にある部屋だった。従業員の控え室か何かだろうか。二人掛けのソファがテーブルを挟んで向かい合って置いてある。

 リヒトはカザキをソファに座らせ、棚から救急箱を出してその隣に腰を下ろした。俺は向かいのソファを勧められた。

「まったく、無茶にも程があります」

 少し憤慨したように、けれど怒っているというよりは苦笑に近い表情で、リヒトはカザキの手を掴んだ。リヒトはカザキの傷口に細かいガラスの破片がないことを確認して消毒し、手早く包帯を巻いた。

「あなたも、ガラスの破片を素手で掴むなんて、危険なことはやめてくださいね」

 リヒトに視線を向けられ、思わず「すみません」と謝った。

「じゃあ、僕は戻りますから、後はお願いしますね」

 カザキの前に救急箱を差し出して、リヒトは立ち上がった。

 リヒトが部屋のドアを閉めると、カザキが俺を手招きした。俺はリヒトが座っていた席へ移動した。

「手、出せ」

「え、でも、俺は何とも…」

「いいから」

 カザキは催促するように左手を差し出した。仕方なく、恐る恐るその包帯の巻かれた掌に自分の手を乗せる。

「傷は浅いみたいだな」

 俺の掌をじっと見て、カザキは救急箱から消毒液のついたガーゼをピンセットで取り出した。そして俺の傷口に押し当てる。少し沁みて手を引っ込めようとすると手を掴まれて「我慢しろ」と一喝された。

「まったく、何であんなことを」

 カザキの黒く深い眼が、射抜くようにこちらを見据えた。この目に逆らって、嘘をついたり誤魔化したりは出来そうになかった。

「…俺は、あいつが疎ましくて、あいつが消えればいいと思った。だけど、そういう俺が消えるべきだと、そう思って…」

 要らないのは、俺だ。

「光と影は、どちらが消えてもだめだ」

 光があるから影がある。光が強ければ強いほど、影は濃くなり闇を作る。そして、闇があるからこそ、光は存在する。

 バレーボールだって、みんながエースなわけじゃない。コートに6人揃って初めてチームとなる。それぞれが各々の仕事をこなして、初めて試合が成り立つ。


 ああ、なのに俺は光を求めるばかりで。その光が作り出した闇に怯えて。


「光ばかり求めて、虫けらみたいだ」

 嘲笑が漏れた。

 俺は、影であることを恐れるあまり、影に徹することさえしなかった。光を求めて、自分よりも強い光を消そうとした。

「光と影は表裏一体だと、言っただろ」

 自嘲する俺にカザキは諭すように声を掛ける。

「光が影を作り出し、影が光を生み出すように、光も影も、同じところにある」

 それは例えば、弟の影である俺が、光になれる瞬間もあるということだろうか。

 エースには、エースの仕事がある。セッターにはセッターの。ライトにはライトの。センターにはセンターの。リベロにはリベロの。そして、エース対角には、エース対角の仕事がある。

 ポジションだけじゃない。チームをまとめるキャプテンとか、ムードを盛り上げる役とか、それぞれが各々の仕事を完璧にこなして、初めてチームは勝利へと導かれる。

 それは、それぞれが光となり影となり、互いを支え合うからだ。

「はい、終わり」

 カザキが俺の手に絆創膏を貼ってペシリと軽く叩いた。


 フロアーに戻ると、心配そうな顔をした雄介が俺を待っていた。

「隆仁、大丈夫か?」

「大したことないよ」

 ほら、と絆創膏を貼られた手を見せる。

 割れたグラスは既にハトリが綺麗に片付けてくれたらしく、跡形もなかった。女の子は雄介が帰らせたらしい。

「帰るか」

 俺は席に座らずにそのまま歩いて雄介を促した。こんなところにこいつを長居させるのは良くないだろう。この店どうこうというより、イメージとして。

 俺の後を追って雄介が歩いてきた。二人とも、随分と身長は高くなったが、こうしていると、幼い頃のままのようだ。雄介はいつでも俺の後を付いて回って、俺はいつでも雄介が後ろにいることを確認しながら進んでいた。

 店のドアを出ると、黒いドアの前に灯る小さな明かりが目に入った。そこには、小さな羽虫たちが集っていて、こんな小さな灯りでも、虫たちは引き寄せられるのだと思った。

「なあ、隆仁、やっぱりバレー続けること、考えてみてよ」

 振り向くと、小さな灯りに照らされた雄介が小さい子どもみたいな顔をして立っていた。

「…考えてみるよ、真剣に」

 そう答えて、俺は雄介に背を向けて歩き出した。確実に雄介が後を付いてくることを知りながら。


 小さな光でも、目指してみようか。虫みたいに。






 夢のような時間の終りをからすが告げる頃、幻に魅入られた人たちは家路へと向かう。そうして残されたのは、熱を帯びた空気と、静かな時間。

 黒いドアの向こうでは、人々が残していった熱気を冷ますように、静かに片づけが進められていた。

「カザキ、手は大丈夫?」

 包帯を巻いた手で掃除をする風生を、羽鳥が心配そうに見上げた。

「平気ヘーキ」

 ひらひらと左手を振って風生は答えた。

「まあ、とっさに利き手を外したのは、さすがですけどね。でも、もうやめてくださいね、ああいう危険な真似は」

 苦笑交じりに理人が諭す。

「わかってる」

 それならいいですけど、と理人はグラスを洗う。

「今日はもう上がっていいですよ。その手じゃ、片付けもままならないでしょう」

 モップ掛けを終えてカウンターに戻ってきた風生に理人は声を掛けた。

「え? いいの?」

 珍しいことがあるもんだと驚いてみせる風生に理人は頷いた。

「言ったでしょう。僕は誰にでも甘いって」

 あとは僕たちだけで出来ますよね、と羽鳥に確認する。

「リヒトの気が変わる前に行った方がいいよ」

 頷いた羽鳥が風生を促した。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 カウンターの奥にモップをしまうと、風生は店の奥へと姿を消した。

 風生の気配が遠ざかったのを確認してから、羽鳥は口を開いた。

「怪我を理由に上がらせるなんて、リヒトってマジで甘かったんだ? 傷はリヒトがほとんど治したんでしょ?」

「だから、僕は誰にでも甘いって言っているでしょう」

 苦笑して理人は返す。手の怪我の程度の問題でないことは、羽鳥だってわかっている。わかっていて、わざと茶化すような口をきいたのだ。

「…ごめん。ちょっと変な雰囲気なのはわかってたんだけど、あんなことになるなんて思わなくて」

「いえ、気付かなかったのは僕も同じです。ああなれば、カザキが止めに入ることは予測できたはずなのに。すみません」

「カザキ、大丈夫だと思う?」

「まあ、大丈夫でしょう。幸いカザキのお陰で事なきを得ましたし。少し休めば、きっと元気になりますよ」

 理人の笑顔に、羽鳥は頷いた。

文中のバレーボールのポジションは、結構昔の言い方をしています。今でいうと、エースとエース対角(どちらもレフト)がアウトサイドヒッター、ライトがオポジット、センターがミドルブロッカーです。セッターとリベロは変わっていません。

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