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3A.M.  作者: 如月 望深
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justice 03

 リヒトの声で目を覚ました。誰かと話をしているようだ。カウンターに伏せていた顔を上げる。右隣に人影が見えた。スツールの脇に立ってリヒトを見ている。どうやらこいつが会話の相手のようだ。そいつの顔を見て、凍りついた。

 寝ぼけた頭はみるみる冷めて、冷たく熱い感情が湧き起こる。なぜこいつが、こんなところに。にわかには信じられなかった。スーツ姿の男が、あいつだとは。けれど、あいつを見間違えるわけがない。俺を陥れた男。

 男がリヒトに背を向けて帰ろうとするのを見て、思わず立ち上がった。

「待てよ」

 そいつの肩を掴む。振り向いて俺の顔を見たそいつは、心底驚いた顔をした。こいつも俺を忘れてはいなかったようだ。

「どうしてこんなところに…?」

「それはこっちのセリフだ」

 間の抜けた質問をする奴の胸倉を掴んで引き寄せた。あの時届かなかった拳を後ろに引く。勢いよく突き出した拳は、パシッという乾いた音とともに掌に受け止められた。

 横から伸びた手に阻まれたのだ。

 いつの間にか俺たちの側に来ていたカザキが俺の拳を掴んでいた。寸前に彼の名前を呼ぶリヒトの声が聞こえたから、リヒトの命なのだろう。カウンターに目を遣れば、リヒトが表情一つ変えずに俺を見ていた。その眼光に、行き場のない拳を下ろした。それと同時にカザキが離れていく。

「止めないんじゃなかったのか?」

 リヒトに問えば笑顔が返ってくる。

「店内での暴力は困ります」

 じゃあ、店の外ならいいのか、と軽口を叩く気にはならなかった。俺はゆっくりと奴の胸倉から手を離した。俺から解放されたそいつは、逃げるように店を出て行った。

 せっかくのチャンスを逃したと恨めしい目をリヒトに向けた。リヒトは涼しい顔でグラスを片付けている。

「あいつのせいで俺は人生狂わされたんだぞ。こんな夜の世界に押し込められて、あいつは昼の世界でのうのうと生きて」

 俺には朝が来ない。罪なき罰は俺に重く圧し掛かったまま、夜明けを待てども光は見えない。

「どうして昼と夜を分けたがるのでしょうねぇ。どちらも同じ延長線上にあるのに」

 呆れたように微笑して、リヒトは拭いていたグラスを置いた。

「何も、暴力だけが解決方法じゃないでしょう」

 まだ不満顔をしていた俺にリヒトが言った。

「会社の社長をしていると言っていましたね、彼。あの様子では、叩けば埃が出るんじゃないですか」

 それは、俺に叩いて埃を出せと提案しているのだと、俺は勝手に受け止めた。



 判事が判決を言い渡した。あいつは神妙な顔でそれを聞いている。

 ついに裁断が下される時が来たのだ。

 会社が軌道に乗り、時代の寵児とまでもてはやされたあいつを叩き落したのは、俺だ。奴の周りを嗅ぎまわり、奴と奴の会社の不正の証拠を手に入れて、マスコミに暴いたのだ。

 一転して、奴は罪人に成り下がった。いい気味だ。俺を陥れて、暗い夜の闇に閉じ込め続けた奴が、今度は自分がそれよりも深い闇の底へと堕ちていく。

 これで俺の正義が認められたのだ。

 力なく退廷する奴は、傍聴席の俺にちらりと視線を向けた。俺は視線を合わさないように目を逸らした。

 奴の最後を見届けた俺は、その足であの店に向かった。今日はいい酒が飲めそうだ。ドアを開けるとリヒトが「いらっしゃいませ」と挨拶した。真っ直ぐカウンターに行き、リヒトの前に座った。そして今日の裁判の結果を伝えた。リヒトのあの言葉がなければ、今日という日はなかっただろう。

「これで、満足ですか?」

 注文する前に、リヒトが例のカクテル、アイアン・ハンマーを出した。癖のある味が口中に広がり、強いアルコールが喉から胃へと降りていく。胃から体中が熱を帯びる。

「そういえば」

 何かを思い出したようにリヒトが言った。

「あなたが殴って意識不明にした彼、回復したそうですよ」

 二口目をごくりと音を立てて飲み下した。一瞬にして乾いた口の中に、あの時の鉄臭い血の味が蘇る。

 どうしてそれを知っているのか問う前に、リヒトは微笑して告げた。

「あなたを訴えるそうです」

 温まっていた体が急激に冷めるのがわかる。

 その清冽な微笑は、まるで、死を宣告する死神のようだった。

 死を与えられた人間は、死の国の門の前で裁きを受けるのだという。開かれるのは天国の門か、地獄の門か。最後の審判で罪人に下されるのは──。



 目に差し込んだわずかな明かりに一瞬眉をしかめる。閉じた目を開けると、暗い視界に時折強い光が走る。重いベース音とドラムの響きに乗せ、騒がしい音楽が鳴っていた。

「よく眠っておいででしたね」

 その声に飛び起きるように顔を上げた。さっきまで頭を乗せていたカウンターには飲みかけのアイアン・ハンマー。

 カクテルからリヒトに視線を移すと、清冽な微笑が返ってきた。


 ──どこからが夢で、どこまでが夢なのか。

 冷えた体を温めようと、目の前のアイアン・ハンマーに手を伸ばした。






 夜と昼が入れ替わる東雲しののめの空の下。新しい光が差し込む街は、夜と昼の喧騒を忘れるほど静まり返っていた。

 黒いドアの向こうでは、風生が理人に呆れた声を向ける。

「本当に、悪趣味だよな、リヒトって」

「僕は親切のつもりだったんですけどねぇ」

 風生の視線をさらりと流して理人は澄ました顔でグラスを拭いている。

「カザキは昔からリヒトのこと悪趣味って言うよね」

「初めて会った時から悪趣味だったからな」

 羽鳥に答えて風生はモップを手にフロアーの片付けに向かった。

「リヒト、何したの?」

 風生から視線を巡らせて、羽鳥は理人を見上げた。

「火に油を注いだといいますか、ちょっとね」

 感情を人に悟らせない理人の微笑に羽鳥は苦笑を返した。風生の指摘は、あながち間違いではないように思えた。

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