clean day 03
思ったことの 半分も口に出来ないで
愛想笑いを浮かべてさ
それでキミは満足かい?
そんな歌を歌ってるくせに、俺の日常といえば我慢と愛想を振りまくのが仕事みたいなモンだった。
ライブハウスで関係者に愛想笑い。少しくらい嫌なことを言われてもぐっと我慢。バイトも接客業が殆どだから、お客様には笑顔と真心を、うまく作って差し上げる。
──それで満足?
…ああ、俺の不安は不満を伴ってどんどん大きくなる。
こんなんでいいのか、俺?
不確かな明日に怯えてるなんて、イケてなさすぎる。
こんなハズじゃない。
前の俺はこんなんじゃなかった。もっと鋭気に満ちていた。もっと大きなことができると何の根拠もなく信じていられた。
ああ、でも、ノーテンキに夢を信じられるほど、現実が甘くないことを知ってしまった。
だからイラつくのか? こんなに。
弱い自分さえ曝け出せない自分の弱さに。
どんなに気分が沈んでいても、時間は残酷に刻まれて、次の週が来る。再びあの店でのステージの日がやってきた。
ステージの準備をする俺にカザキが声を掛けた。
「ナオキ、お前さ、何でバンドやってんの?」
「え? 何でって、それは…」
初めは、憧れのバンドみたいになりたいとか、女にモテたいとか、金持ちになりたいとか、俺を馬鹿にした奴らを見返したいとか、あったけど、結局行き着くところは音楽が好きだってことだった。
「上手くやろうとすんな。ここを曝け出せ」
トン、と軽くカザキが俺の胸を押した。
「お前が不満なのは、自分自身にだろ?」
ニヤリとカザキが笑った。
突然そんなことを言われて、どう答えていいのかわからなかった。そんな俺を放ったらかしにしてカザキはフロアーに戻っていった。
俺がイラついてるのは、俺自身?
そんな疑問を残しつつ、ステージは始まった。
曲に合わせて客が踊る。
ひしめく人の中をカザキが歩いているのが見えた。カザキに集まる視線も判る。
カザキは立ち止まり、俺に目を向けた。
ニヤリと笑う。
まるで挑発するみたいに。
俺の中で、何かが弾けた。
さあ 今夜は
キミの理性を蹴飛ばして
本能を揺さぶってよ
午前3時の闇の夢
狂ったように踊ればいいさ
キミの汚い本性も ぜんぶ
夜に曝してさ
まるで自分の存在を主張するみたいに、俺は声を張り上げた。そんな歌い方が喉に良くないことは解ってるけど、歓声やざわめきに負けないように、あいつの存在感に負けないように、俺はメロディに乗せた言葉を投げ掛ける。
俺の歌に煽られるように客は熱気を帯びていく。低いベース音とドラムと客のリズムを取るステップが床を震動させる。まるで地面が揺れているみたいだ。
ステージから降り注ぐメロディと言葉と、人々から立ち上る熱気と、フロアーに湧き上がる興奮とが混ざり合って、店は奇妙な一体感に包まれた。
腹の底から興奮が突き上げる。
ああ、忘れていた。
上手くステージをこなそうとして。
でも必要なのは上手さじゃない。
俺がどれだけ楽しいかだ。
客がどれだけ楽しいかだ。
俺がぶつける歌に客が反応して、そこに生まれる奇妙な一体感が楽しくて、それが音楽の良さだって思って、俺はバンドを続けたんじゃなかったのか。
メジャーにこだわりすぎて、上手くやろうとして、そんな単純なことを忘れていたのかな。
それが一番大事なことなのに。
ステージが終わって、俺はカウンターの突っ伏して息をついた。
「お疲れさん」
傍らにオレンジジュースのグラスが置かれた。
顔を上げると、カザキの顔があった。
「どうよ? 感想は」
「…喉が痛い」
素直に面白かったと言えなくて、俺は呟いた。カザキは微笑した。
俺はカザキの差し出したグラスを取って口をつけた。オレンジジュースの酸味が声を張り上げすぎた喉に少し沁みる。その痛みが心地いい。
「ナオキ、今日、声張り上げすぎだったよな」
ジンがビール片手に苦笑した。
「でも、何か面白かった。昔みたいで」
アズマが言う。ジンもそれに同意して頷く。
「ああ、やっぱ俺達ってこうだよな、とか思った」
二人が声を揃えて言ったから、何だかおかしくなって笑った。かすれた声に喉は痛かったけど、久しぶりにバカみたいに笑った。
その日、家に帰って溜まりに溜まったクズを片付けた。
朝までかかってやっと片付いた部屋は狭くて、理想の家とは違うけど、すっきりした分、居心地がよかった。
ケイタイが鳴った。画面にメール有りの表示。
「バイバイ」
たったそれだけのメール。
リナからだった。
クズも片付いて、彼女も去って、ある意味スッキリ。
見上げれば、空は晴れ。
そんなに悪くもないかもしれない…。
黒いドアには「CLOSED」の札が掛かっている。店内には、カウンターのテーブルを拭く理人、フロアーにモップをかける風生と羽鳥の姿があった。
「カザキ、何かいい人っぽいよな」
モップの柄に寄りかかって、不満そうに羽鳥が言った。
「だって俺、いい人だし?」
「本当にいい人は、自分で自分のことをいい人だなんて言いません」
風生の言葉を理人は穏やかに否定した。
「でもカザキ、あいつ煽るためにわざわざバイト先まで行ったんでしょ?」
羽鳥が風生を見やる。
「そういうのって、いい人はやらないよな」
「だって俺、悪魔だし?」
「カザキは鬼でしょう」
風生の台詞を理人がやんわり否定する。
「まあ、いいじゃん。あいつのお陰で店は繁盛、俺達は食いっぱぐれなくて済むんだし」
「そうですね」
理人は微笑した。
「まあ、確かに、昨日のステージのお陰で儲けは増えたし、腹も膨れたんだけどさ」
羽鳥はモップを再びかけ始めた。
「ま、結果オーライ。オールオッケーよ」
風生が言い、それに同意するように二人は微笑した。