fall 03
ニュートンが地面に落ちるリンゴを見て引力に気付いたみたいに、私はこの力が何なのか、わかってきた気がする。
強く強く、引き寄せられる力。
それを人は、恋と呼ぶ。
落ちていく私をいつも引き上げてくれる彼に、惹かれるのは自然なこと。
自分の愚かさや汚さに落ち込んで、沈んでいた私を引き上げてくれたのは、ハトリ。ハトリは私が泣くのを優しく慰めてくれた。泣き止むまで傍にいてくれた。
「ハトリ、好き」
「はいはい、どーもね」
想いを口にしてみるものの、どうもハトリには軽く受け流されている。この店でハトリに好きなんて言っても伝わりにくいのかもしれない。誰でも言っていることだし、そんなことハトリは言われ慣れていて、どれも本気にはしない。
でも私のは本気だ。どうしたらこの本気が伝わるだろう?
「これ、プレゼント」
「わあ嬉しい、欲しかったの、この指輪!」
というカップルの会話を聞いて思いついた。
そうか、プレゼント。想いがそう簡単に伝わるとは思わないけど、他の人に差がつけられるかも。
私はハトリにプレゼントを買った。選びに選び抜いた、これという一品。ハトリに似合いそうで、それなりに高価で本気度が伝わりそうで、なおかつ指輪ほど重くなく、でも常につけていてもらえそうなもの。
店について早速ハトリを捕まえた。
「ハトリ、これ、プレゼント」
「え?」
突然差し出された箱に戸惑ったようにハトリは眉根を寄せた。
「何? 突然プレゼントなんて?」
「あげたくなったの、いいからもらって」
プレゼントの箱を渡そうとするのに、ハトリは受け取ろうとしない。中身を見れば気に入ってくれるだろうと私はプレゼントの箱を開けて見せた。
「ほら、この時計、カッコイイでしょ? 絶対ハトリに似合うと思って買ったの。これはハトリのために買ったんだから、ハトリがもらってくれないと困るの」
ムーンフェイズの腕時計。店先で見たときから絶対ハトリのためにある時計だと思って買った。
でも、時計を見たハトリの表情は硬かった。
「困るよ、こういうの」
ハトリの手が箱を押し返す。
「どうして?」
「規則で禁止されてるんだ、客からプレゼントもらうの」
そんな規則があるなんて知らなかった。でも、そんなの言わなければわからない。それに、私は客としてプレゼントしてるわけじゃない。客じゃなくなりたいからプレゼントしてるのだ。
「私は客としてあげるわけじゃないよ。ハトリが好きで、だからプレゼントしたいの、それだけ」
「…もらえないよ」
ハトリは視線を逸らした。
「どうして?」
「失恋の痛手を俺で紛らわそうとするな」
思わぬハトリの言葉に首を横に振って抵抗する。
「違うよ、そんなんじゃない。ハトリにはいっぱい救ってもらって、そのお礼にと思ったんだよ。ハトリのことが好きで…」
「そういうのは、重い」
言い捨てて、ハトリは私と目を合わせないまま、逃げるように去っていってしまった。
頭を鈍器で殴られたなんてもんじゃない。
心臓を踏み潰されたみたいな衝撃だった。
鈍く、鋭く、痛い。
重 い 。
その言葉から私を救ってくれたハトリが、今度は私をすくい上げてくれた底よりも深い淵へと突き落とす。
「…どうして?」
思わず呟いた言葉に、予想外の反応があった。
「まあ、あの悪趣味なプレゼントじゃ、ハトリも断るだろ」
声の主に目を上げると、カザキが呆れたような顔をしていた。
「悪趣味って、どうして?」
絶対ハトリに似合ういい時計だと思ったのに。
「物自体は悪くないが、相手が悪い。ハトリにあの時計はタブーだ」
何故と理由を問う前にカザキが口を開いた。
「ま、そんなことより、嫌がるハトリにプレゼントを押し付けようとすることの方がどうかと思うけど」
押し付けるなんてつもりはなかった。きっとハトリは喜んでくれるだろうと思っていた。
「あんた、ハトリが好きなんだろ? それなのに、何でハトリが困ることするんだよ?」
「困らせるつもりなんてなかった。好きだからプレゼントしたいって思っただけで…」
嫌いな人に贈り物なんかしない。
「ハトリが喜ばないのに?」
畳み掛けるようなカザキの言葉に一瞬怯む。
「好きなら何をしてもいいとか思ってんのか?」
カザキの言葉は厳しさを増す。
「あんたがハトリを好きなことと、ハトリがあんたを好きになることには何の繋がりもない。好きなら許されるなんて、ただのエゴだ」
カザキの言葉は、どこかで聞いたような言葉だった。
「あいつは、向けられた想いに応えられない辛さを知ってる。だからあんたがそんなんじゃ、あいつを苦しめるだけだ」
ずしりと重たい言葉が次々と圧し掛かる。
「どんな愛情も、自分勝手に押し付けたら重いんだよ」
好きなら、許されると思っていた。
ちょっとしたワガママも、その人の心や時間が欲しいと思うのも。
好きなんだから当然だと。まるで好きなことが免罪符のように。
でも、それは愛情を押し売りしていただけだった。
ああ、だからあの男は「重い」と。私の押し付けがましい愛情が重荷だと。
ハトリもそう思ったのだろうか? いつも私を救ってくれるハトリを私が苦しめていたなんて。
ハトリに頼ってちゃダメだ。自分で浮上しなきゃ。
人込みの中にハトリを捜しに入った。人の間から出てきたハトリを呼び止める。
「ハトリ、ごめんね」
謝る私にハトリは足を止めてくれた。
「もう気持ちを押し付けたりしない。プレゼントもしない。でも好きなのは本当だから、好きでいさせて。それから、もし迷惑じゃなければ、また店に来てもいい?」
一気に思いを吐き出して、少し驚いた様子のハトリの顔を窺った。
ふ、とハトリの表情が緩んだ。
「いつでもお待ちしております」
天使のような笑顔が言った。
ああ、この笑顔は、やっぱり私を闇から引き上げてくれる。
暗い地面の持つそれよりも、強く強く私を引き寄せる力が、ハトリにはある。誰よりも私を惹き付ける、引力。
夜を優しく包む闇のカーテンを暁の女神が開けた頃、隠れていた三日月が朝になる前に顔を出したその空の下、黒いドアの向こうの地下は静かに朝を待っていた。
閉店後の店はいつものように静かで、三人が忙しなく片づけをしていた。
「それで、結局時計はどうしたんですか?」
理人が訊くと、羽鳥がトレーを手に答えた。
「もらってないよ」
「僕はプレゼントを貰うのを禁じた憶えはありませんけどねぇ」
意地悪く微笑む理人を羽鳥が睨む。
「嘘も方便だよ。もらえるわけないだろ、あんな時計」
「よりによって、よく似てたもんな」
モップを掛けていた風生が会話に参加した。羽鳥の持つ動かない懐中時計。それもムーンフェイズだったのだ。
トレーを持ってテーブルの上のグラスを片付けにフロアーに向かった羽鳥の背を見つめ、理人は風生に小声で話しかけた。
「感謝してます。羽鳥を守ってくれて」
「聞いてたのか」
「地獄耳なもので」
「別に、リヒトに礼を言われるようなことはしてない。ハトリを傷付けたくないのは、俺も同じだ」
風生の返答に、理人は微笑で応えた。
そんな二人を羽鳥が振り返った。
「サボってないで仕事しろよ」
二人は「はいはい」と返事をして、それぞれに片付けを再開した。




