gray in the dark 03
善悪を色で例えようとすると、正義の色は決まっている。
その色は、白。
天使の羽根だって、白と決まっている。
黒は悪魔の羽の色。
悪魔がまとう闇の色。
妹を色に例えるなら、白。
無邪気で、屈託がなくて、多分、人は純真と呼ぶのだろう。
妹の白さに比例するように、私の心に落ちた黒い染みは、じわりじわりと広がっていく。
バイト先のカフェの従業員通用口のドアを開ける前に、私は小さく深呼吸した。昨日のことがあって、カザキとどんな顔をして会えばいいのか判らない。
制服に着替えてフロアに出で行くと、既にシフトに入っていたカザキの姿が見えた。一瞬、こちらを向いたように見えたのに、私に気付かないみたいに視線を流して客席の方に歩いていった。
故意に視線を外されたのか、無視されたのか…。
そんなことを思っていると、フロアから戻ってきたカザキは私に早く仕事に就くよう声を掛け、慌てて私はフロアに出た。
バイト中、こっそり様子を窺ってみたけど、昨日と変わらぬ態度のカザキは、昨日のことなど気にも留めていないようだった。変わったことといえば、私の名前の呼び方がちゃん付けから呼び捨てになったことくらい。
けれど、それは他のバイトの子も同じで、男女構わず同年代か年下の子のことは呼び捨てにしていた。同様に皆もカザキと呼び捨てにする。それは、カザキの持つ人を惹き付ける力で皆に溶け込んだだけのことだった。
バイトを終えて、あの地下の店に行くと、私より先にシフトを終えたカザキは既に店にいた。
私に気付くとカザキは私をフロアーの端の席に案内した。飲み物の注文をとり、カクテルを持ってくると、カザキは私から離れ、特に呼び止めない限りは私のところへやって来なかった。
ちょっと、拍子抜けした。
カザキの特別になりたいと思ったわけじゃない。
特別になれたと思っていたわけでもない。
でも、昨日、確かにカザキに自分の心を覗かれた気がして、それが怖くもあったけど、一方では安心もして、だから、もっと近くに感じられると思っていたのに。
何日か過ぎても、バイトの時もあの店でも、カザキの態度は変わらなくて、この間の出来事は、私には大ごとだったけど、カザキには忘れてしまえるようなことだったのではないかと思えてきた。
そんな時。
いつもの席でカクテルを飲みながらカザキを観察していた私は、目を疑う光景に出くわした。
「カザキ!」
カウンターからトレーを受け取ってフロアーに歩き出したカザキに女の子が声を掛けた。
見覚えのある栗色の髪。ふわりと揺れるスカートの柄。
「…かなえ」
思わず、その子の名前を呟いた。
妹だ。
歩き出すカザキについて歩きながら、可愛い笑顔を向けてカザキに話しかけている。カザキも笑顔でそれに答える。
フロアーの入り口辺りでカザキは立ち止まり、バーカウンターを指差して何か言った。妹は頷き、カザキに手を振ってカウンターへ向かい、空いている席に座った。妹が座ったのを確認するとカザキは妹に背を向けてフロアーへ歩いていった。
人込みのフロアーの中でも目立つカザキの姿を目で追って、途中でやめた。
カクテルを一気に飲み干して、グラスをテーブルに置く。前を通りかかった若い店員を呼び止めてカクテルの追加を注文した。
「お待たせしました」
当然、注文した店員が持ってくるものだと思っていたカクテルを、カザキが持ってきた。
一瞬驚いてから、平静を装ってカクテルを受け取り口をつけた。
「…何か、怒ってんの?」
「別に」
カクテルを流し込もうとカクテルグラスを傾ける私の手を掴んで、カザキは私を見下ろした。
「怒ってるように見えるけど?」
カザキにカクテルを飲むのを止められた格好になって、私はグラスを水平に戻した。カザキの手はまだ離れずにいる。
「…怒ってないって、別に」
笑顔を作って取り繕う。テーブルにグラスを置いて、カザキの手が離れるのを待つ。自分で外す勇気はない。けど、このままでは期待してしまう。
「ただ、妹と一緒にいるの見て、驚いただけ。私も時々ここに来てるのに、今まで会わなかったから」
カザキは手をどけてはくれず、ああ、と頷いて、最近妹が店に来るようになったのだと話した。丁度私がいない時に来ていたので今まで会っていないのだろうとも。
「何か、私に対してより妹の方が愛想良くない?」
笑顔で冗談ぽく言ったのに、カザキは訝しげに私を見やった。
「やっぱ、可愛い子にはサービスよくなるよね」
勝手に決め付けて、何故か放してくれないカザキの手から逃れるように手を引っ込めた。
「ま、妹の方が可愛いのなんて、わかってることだし」
自分に言い聞かせるように言った。
他の男の子や元カレのように、カザキが妹を可愛いと思うのは仕方のないことだ。
「…可愛いでしょ、私の妹」
「ああ、まあな」
否定することなんてありえるわけもなく、あっさりとカザキは肯定した。
「…そうだよね、あの子は天使で、私は悪魔だもんね」
色分けするなら、そういうこと。
いい子のはずのあの子を妬んで、その無邪気さを蔑んで、心の染みばかり大きくなって、黒く染まっていく。
「あんたは悪魔じゃないだろ」
カザキの声は救いの声に聞こえて、でもより残酷に真実を告げる。
「そこまで悪役にもなりきれない」
…そう。
白い翼の天使を嫌い、自分の黒さを正当化しようとしても、所詮は自分かわいさに悪魔のようにはなりきれない。
どっちつかずのまま。
悪魔と同じ翼を持つのに、悪魔にもなりきれず、ましてや白い羽根の天使にもなれない。
「いい子のふりして黙り込むから、吐き出せなくなってんだよ」
カザキの手が頬に触れて、この間と同じように口を指で押し出す。目の前で、カザキの口の端がニヤリと笑う。カザキが手を離したのをきっかけに、行き場のない感情が零れだした。
「いつもいつも、どうしてあの子ばっかり優先されるの?」
お姉ちゃんだから、なんて、どうして? 私にだって譲れないものや大切なものがある。なのにどうして、あの子のためにそれを手放さなきゃいけないの? いつも誰も彼もあの子の味方ばかりして、私が間違っているの? 大切なものを奪われて、あの子に悪気がないからって、私は諦めなきゃいけないの? 悪気がないなら何でも許されるの? いっそ、そっちの方が始末が悪いじゃない。何の自覚もなく人を不幸にして。何で私がいい子のふりして、あの子の我儘をきいて、時にはあの子を庇ってあげなきゃいけないの? 私だって被害者なのに。私だって一番に大切にされたいのに。
一気に吐き出した負の感情は、大音量で流れる音楽に掻き消されるように紛れていった。
それはまるでカザキの黒い瞳に吸い込まれていったようで、深い深い黒い瞳は、すべてを受け入れてくれる気がした。
「…もう少し、近付きたい」
その先に、繋がりたいとカザキに抱きついた。
カザキは髪を撫で、温かい吐息を耳に吹きかける。
「ダメ」
優しい声が、冷酷に告げる。
腕を解かれ体を離され、カザキの瞳を見つめると、深い黒がこれ以上近付くのを拒んでいた。
すべてを受け入れる黒。
けれど、その深さ故に、何をも寄せ付けない。
カザキは、望めば優しくしてくれるけど、それは誰に対しても同じ。私が特別なわけじゃない。悟ってしまった私は仕方なく腕を下ろして席に戻った。
「カザキ!」
カザキの背後から声がした。声の主は、妹。
「お姉ちゃんばっかりカザキと一緒でズルーイ。私も混ぜて」
無邪気に笑って私の許可も聞かないで、私の隣に座った。
邪魔しないでよ、と言いかけて、声を出すのをやめた。
「…意味わかんねえよ」
別の声がしたからだ。
声は、私達の席の前から聞こえてきた。そこに立っていたのは、元カレだ。何の用かと思ったが、私にではなく、妹に用があるらしい。
「別れるって、どういうことだよ?」
彼の衝撃の発言に、思わず妹を見やった。
「どうって、さっき言った通り」
平然と妹は答える。元カノの私を前に修羅場を始めるこの人達の神経はどうかと思う。
「もうお姉ちゃんのものじゃないから興味ないって、何だよ!? オカシイだろ、そんな理由」
驚くべき理由でカレを振った妹を凝視すると、妹は口を尖らせて拗ねたみたいに言った。
「…だって、そうなんだもん」
妹はカレと目を合わさないように伏し目のままそっぽを向いていた。彼と妹の言っていることの意味がよくわからず、私は混乱した。
「まりか」
妹と話し合うことを諦めたらしい元カレが私の名前を呼んだ。そして、蔑んだように口を歪めた。
「お前の妹、オカシイんじゃねえの?」
一瞬、何を言われたのか判らず、すぐには答えられなかった。それから、意味を理解して、私は眉間にシワを寄せた。
「はあ?」
立ち上がって元カレと妹の間に立つ。
「そんな妹に乗り換えたのはあんたでしょ? あんたにそんなこと言う権利ないわ」
それからいくつか彼の嫌いなところを挙げて、あんたみたいな男に私達姉妹はもったいない、あんたなんかこっちから願い下げだと罵った。
自分を振ったばかりの女を庇う元カノに呆れたのか、妹を庇う姉の迫力に気圧されたのか、もういいよと捨て台詞を吐いて彼は去っていった。
私から彼を奪って、しかもあっさり振った妹を庇うなんて、バカみたい。
自分でも呆れて妹と目を合わさないようにしていると、カザキが苦笑して近付いてきた。
「あんたのことが大好きで、あんたに憧れて、好きすぎて、あんたの持つもの全部が欲しいなんて、あんたの妹もちょっと異常だけど」
カザキの言葉にシワを寄せたらしい私の眉間を、カザキが人差し指で軽くつついた。
「他人に悪く言われると腹が立つもんだろ」
「…そうね」
素直に認めると、カザキの黒い瞳が微笑んだ。
「もう帰りなよ」
頷いて、妹に声を掛けて促した。私が歩き出すと、「お姉ちゃん、ごめんね」と小さな声で妹が謝った。何が?と訊くと「いろいろ」と答えて俯いた。結局、この子には勝てないのだと自分の甘さに苦笑した。
ちらりと振り返ると、カザキの黒い瞳が私達を見送っていた。
散らかった店内を見回して、三人はいつものように夜中に吐き出された愚痴や不満の残骸の片付けに取り掛かった。
手際よくテーブルの上を片付ける風生の脇で、羽鳥がテーブルふきんを片手にテーブルを拭いている。理人はいつもの定位置、カウンターでグラスを洗っている。
座席用の雑巾に持ち替えた羽鳥は店内のソファや椅子を拭いて回り、風生はモップを持って床掃除に取り掛かる。
フロアー席の端のソファを拭いていた羽鳥が、思い出したように言った。
「そういえばさぁ、店内でイチャついてたよね、カザキ」
モップ掛けの手を止めた風生が不服そうに反論した。
「あれは、勝手に抱きつかれただけだ」
「そう仕向けたのは自分でしょう」
お見通しといった風に理人がカウンター内から風生を見やった。バレたかという表情をして風生は認めた。
「でもまあ、他の奴らには見えてないんだから、いいじゃん」
他の客の目の前じゃ、あんなことしないって、と風生は笑い、それから意地の悪そうな笑みを理人に向けた。
「第一、リヒトなんかもっとスゴイコトしてんじゃん」
「そうでしたか?」
とぼけて首を傾げる理人に、羽鳥と風生は顔を見合わせて肩をすくめた。これ以上追及しても理人は白状しないし、追及することに意味はないので二人は黙って掃除を再開した。
「兄弟でコンプレックスって、あるんですかねぇ、やっぱり」
グラスを拭きながら別の話題を持ち出した理人に、風生と羽鳥は答えた。
「あるんじゃねえの」
「比べられること多いしね」
そういうもんですかねぇ、と納得したように理人は呟いた。
「僕は兄弟とほとんど会ったことがないので、コンプレックスの持ちようがなかったんですけど」
理人に風生は苦笑した。
「リヒトが気にしてなくても、相手は気にしてたと思うけどな」
「そうですか?」
そうそう、と羽鳥も同意し、曖昧に理人はうなずいた。
「君たちは、兄弟にコンプレックスを抱いたりしたんですか?」
理人の質問に風生と羽鳥は掃除の手を止めた。
「…まあ、それなりには」
少し考え込んで羽鳥が答えた。
「……ないと言ったら、嘘になるだろうな」
わずかに耳に届くほどの声で、風生はぼそりと答えた。
二人の反応に理人は苦笑し、手元のグラスに視線を落として誰ともなしに呟いた。
「訊かない方がよかったですかねぇ」
返答のないまま、掃除は続けられ、今夜の開店のための準備が着々と進められていった。




