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3A.M.  作者: 如月 望深
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gray in the dark 02

 一日に何度も驚くことなんて、そうそうない。しかも、一番最初に私を驚かせたのは、トラブルメーカーの妹ではなかった。


 妹の代理バイトで行ったのをきっかけに、結局今も続けているバイト先のカフェでのことだった。

「新しく入ったアルバイトだ」

 店長に紹介されて、背の高い男は軽く頭を下げた。

緋村ひむら 風生かざきです。よろしく」

 周りの女の子達がざわめいた。まあ、解らなくはない。確かに男前だ。でも、私は彼がここにいることへの違和感が勝った。

 愛想の良い笑顔を振りまいて自己紹介をしている彼を眺めていると、私の前に立った彼が、私にも笑顔を向けた。

「えーと、大野…何さん?」

 名札を見つつ名前を呼ぶ彼に、慌てて自己紹介を返す。

「大野 まりかです」

 私よりも妹に似合いの名前を口にして、何となく自己嫌悪に陥る。

「よろしく、まりかちゃん」

 昨日の店で見た「カザキ」に間違いはない。けれど、暗い地下の店ではなく、明るい陽のもとで見る彼は、いくぶんか爽やか度が増していた。

 爽やかな笑顔で人懐こそうに名を呼ぶ。彼が人の中心になる人物だということは容易に想像がついた。案の定、既にバイト仲間に取り囲まれて人気者状態だ。


 なのに、この違和感。


 明るい光の下で、彼の黒い瞳は、より一層深い先へと繋がっている。



 私の考えとは無関係に、カザキはあっという間にバイト仲間に馴染み、まるで前からそこにいたかのような存在感を示していた。

 仕事の覚えも早く、あの店でもフロアーの仕事をしているだけあって、ウェイター姿も板についている。カザキの動きはどこか洗練されていて、お客さんにも好評だった。一日目からこんなに使えるバイトは初めてだと店長は大喜びだった。




 この日二つ目の驚きは、いつもの通り、妹がもたらしたものだった。

「お姉ちゃん」

 私のバイトするカフェにやってきて、無邪気な笑顔で駆け寄ってくるのはいつものことだ。

 妹の後から店に入ってきた人物に、凍りついた。


 元カレだ。


 無神経も、ここまでくると罪だ。妹に悪気はない。それがまた罪に思えた。

 彼女はただ、彼とデート中に私のバイトする店の近くを通り、ついでだから寄っていこうくらいの軽い気持ちで来たのだろう。

 妹の後ろで、元カレも呆然と立ち尽くしていた。私の顔を見て、それから妹の顔を見る。けれど妹は可愛く微笑んでいるだけだ。

 これがワザとなら、私を振った男に妹が仕返しでもしているかのように見えるかもしれない。けれど、彼が私を振った原因は妹で、妹には何ら意図はない。


 この女と同じ血が自分にも流れているのかと思うと、眩暈さえ感じる。


 怒りたいのか、立ち去りたいのか、もうどうでもいいのか、自分でもよく判らなくなって、ただ必死に平静を装って案内しようとメニューを取った。

「お客様、こちらへどうぞ」

 振り向くと、爽やかな笑顔を携えたカザキが立っていた。手で進路を促し、それに元カレが応じた。美形のウェイターに興味引かれたらしい妹は、カレの後についてカザキの案内する席へと向かった。


 …助かった。


 安堵の溜め息をついて、私は次に入ってきたお客さんに応対した。




 休憩に入ると、先に休憩していたらしいカザキが休憩室でコーヒーを飲んでいた。休憩室には私とカザキしかいなかった。

「…さっきは、ありがとう」

 妹が来た時、助け舟を出してくれたことにお礼を言った。

「顔、引きつってた」

 カザキはこちらを見やってニヤリと笑った。思わず頬を押さえてカザキを睨んだ。カザキの眼が私に視線を返す。

 その黒い瞳は、何でも知っているようで、すべて見透かされている気さえする。

 カザキは席を立ち、壁際の棚に備え付けてあるコーヒーメーカーからポットを取って空のカップに注いだ。それを私に差し出して、座るよう促す。

 私はカップを受け取り、カザキと机を挟んで斜め向かいに座った。

「…あの子、妹なの」

「へえ」

 相槌を打って、カザキはコーヒーを一口飲んだ。

「一緒にいたのが私の元カレ」

 カップを口元にあてたまま、カザキの目が私を見た。それに促されるように、私は口を開いた。

「妹に盗られちゃったの」

 そこまで言って、気が付いた。これから先は、言ってはいけない。

 面白くもない話を、殆ど初対面に近い人に話すべきじゃない。私と妹の間に何があろうと、カザキには関係ないことだ。こんな話をしたところで、困るだけだろう。

 それに、バイト先の人間関係というものがある。ここで本性を曝すなんて、出来ない。

「…あー、ていうかね、カレが妹に行っちゃったの。しょうがないよね、私より妹の方が可愛いもん」

 誤魔化すように早口で言って笑った。カザキは笑わなかった。黙って私の顔を見ていた。その黒い瞳が、私を探るように視線を注いだ。私は感情を表情に乗せないようにしていたけれど、カザキに見抜かれない自信がなくてうつむいた。


 カザキはうつむく私をじっと見ていて、ちらりと顔を盗み見ると、その瞳が私を捕らえた。

 

「…あんたさぁ、昨日、店に来てたよね?」

 不意にカザキが言った。

「え、店って…」

 頬杖をついて私を観察するその眼は、確かに昨日、あの暗い地下の店で見たのと同じだった。

「…うん」

 私が頷くのを合図にするように、カザキが椅子から立ち上がった。そのまま、私に近付いてくる。カザキを見上げる形で、私は思わず首を後ろに引いて顔を遠ざけた。

「あんたが浮かない顔してたのは、今日と同じ原因?」

 質問ではなく確認だった。

「…うん」

 カザキは何か言うでもなく、ふうんと答えて私を見下ろした。

 急に顔を片手で捕まれ、上を向かせられた。顎を上から掴まれたみたいな感じで、無理やり上げられた視線の先に、カザキの顔がある。

 なに?と問う間もなく、口の両端にあった親指と人差し指にぎゅっと口を押されて、タコの口みたいに不格好な形にさせられる。抗議の声を上げようにも、大きな手に口を掴まれているので言葉が出ない。

 目を白黒させる私をなぶるように、カザキは緩慢な動きで顔を寄せ、唇で弧を描いた。その黒い瞳が、私の中にある汚いものを見つけてしまいそうで、怖くなって目をつぶった。

 やがて、顎を掴んでいた手が離れて、開放された安堵で薄く目を開けた。

「あんたが苦しいのは、息の吐き方が下手だからじゃねえの」

 弧を崩して動いた唇が告げる。

 少し視線を上げると、カザキの瞳の中に、私が映り込んでいるのが見えた。

 カザキは私に背中を向けて休憩室のドアへ向かった。ドアノブに手を掛けて立ち止まり、振り向いた。

 もう一度、唇を弧の形に作る。

 何も言わずにカザキはそのまま部屋を出て、ドアを閉めた。


 暫く閉まったドアを見つめていた私は、カザキの足音が完全に聞こえなくなると、体の力が抜けて机に倒れこんだ。

「…ビックリ…した…」

 さっきの出来事を思い出して思わず呟いた。そして、キスでもされるのかと勘違いした自分に赤面した。



 私を捕らえた黒い瞳が、脳裏に焼きつく。


 すべてを知っていて、すべてを知らないふりをする、深い黒。

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