nerves of steel 03
うっすらと開けた目に光が飛び込んできた。眩しさに再び目を閉じる。
「P99、起動せよ」
頭上からかけられた言葉に条件反射のように目を開けた。目に映るのは、白い天井と、その手前の三つの顔。白衣を着た男達が僕を見下ろしている。少し髪の長い年長の男が「体を起こして」と声を発した。僕は言われるがまま、横たえていた体を持ち上げた。僕が上半身を起こすのを黒い髪の男が手伝ってくれた。
「名前は?」
年少の男が僕に尋ねた。僕はメモリーから色々な情報を取り出して、そこから相応しい答えを導き出した。
「…高橋 和希」
僕の返答に満足したように彼は微笑んだ。
「正常に機能しているみたいですね、博士」
博士と呼ばれた年長の男が頷いた。どうやら年長の男が博士で残りの二人は助手らしい。
「では、立って」
言われた通りに僕はベッドから降りて直立した。視線を落として自分の体を確認する。白いシャツに紺地のチェックのズボン。それが学校の制服だと認識するのに一秒ほどかかった。
博士は黒髪の助手に鏡を持ってくるよう指示し、助手が鏡を運んでくる間に僕に説明した。僕は人型アンドロイド、P99。高橋 和希という人間をもとに作られている。博士が僕の機能やメモリーについて説明している間に、全身が映るほどの大きな鏡が助手に押されて僕の前に設置された。
鏡に僕の姿が映る。博士が鏡を指差して姿を確認するよう言った。鏡に映った僕は、見慣れた顔をしていた。
「君の希望通り、お兄さんに似せた」
僕の兄──高橋 智也の顔をメモリーの中で映像化する。今の『僕』によく似た人物が映し出される。
「これで、満足?」
年少の助手に訊かれ、僕はこくりと頷いた。
そう、これが望んだ姿だ。
僕は兄貴になりたかった。
僕は兄貴が驚くほど兄貴にそっくりになった。両親でさえも僕等を見分けられずに困惑していた。
なのに、何故だろう? 彼女だけは僕と兄貴を簡単に見分けてしまう。僕を見つけると「カズくん」と笑顔をくれ、兄貴には一層美しい笑顔を向ける。兄貴の恋人の若菜さんだけは、僕を兄貴と間違えることはなかった。
「最近、若菜ちゃん遊びにこないけど、どうしたの?」
ある日、母親が兄貴に訊いた。僕も気になっていた。週末には兄貴のところによく来ていた若菜さんがここ最近は姿を見せていなかった。
「ああ、別れた」
兄貴はそう言って、それ以上何かを尋ねることを拒んだ。僕は何も訊けないまま黙った。僕には相手の感情を量る機能がついていて、無遠慮に訊くことは許されなかった。
それから少しして、街中で彼女を見かけて声をかけた。僕のメモリーは高性能で、しばらく見ていなかった彼女の姿もきちんと保存されていた。だから彼女を見間違えるはずがない。
「智也…」
一瞬、彼女の口がそう動いてから、いつもの笑顔をむけられた。
「カズくん」
やっぱり彼女は兄貴と同じ顔をした僕を、兄貴と見分けて僕の名前を呼んだ。
「…ねえ、若菜さん…」
言いかけて、躊躇った。僕のメモリーは高性能だ。あの時の兄貴の顔を憶えている。訊いてはいけないことなのだろうと推測することもできる。
「…聞いた? 智也から」
若菜さんは微笑した。その笑顔の意味は、僕の高性能なメモリーでも記録がなくて、推測不可能だった。
「…うん」
正直に頷いて次の言葉を待った。
「そっか。聞いちゃったか」
「…なんで、別れたの?」
僕は知らないことを知りたいと思ったり学習しようとする機能がついている。彼女の感情を量れなかったのでそちらの機能が優先した。
「直球だなぁ」
若菜さんは困ったように微笑んだ。僕は訊いてはいけないことを訊いてしまったのかと思って黙った。若菜さんも黙ったままだった。僕は困って、でもこんな時どうしたらいいのか、僕のマニュアルにはメモリーされていなかった。
「何ていうか、心が離れちゃったのね、きっと」
若菜さんはぽそりと言った。
「…わからない」
僕には、心が離れるという言葉の意味が理解できなかった。心の距離が物質的距離と違うのだということはメモリーしている。けれど、それが近付いたり離れたりすることは目には見えなくて、目に見えないものを知覚するのは僕には難しかった。
ただ、彼女と兄貴の心の距離が離れてしまったという言葉が、二人が別れた理由なのだということは僕にも解った。
「もう兄貴を好きじゃないなら、僕を好きになってよ」
若菜さんは一瞬驚いた顔をした。
「兄貴の代わりだっていいよ」
だって僕は、若菜さんに好きになってもらいたくて、それで兄貴と同じ顔になったんだ。
若菜さんは微笑して首を横に振った。
「カズくんは、智也じゃないわ。よく似ていても、やっぱり違う」
僕は理想の姿になったはずなのに。
彼女の好きな兄貴と同じになったはずなのに。
気が付くと、僕は博士のもとへと向かっていた。僕を迎えた年少の助手がどうしたのかと訊いた。
「…僕には、痛覚はないんですよね?」
最初に説明されたことを、高性能な僕のメモリーは記録している。
「そういう電気信号は発信されない設定だけど」
「でも痛い」
僕は痛みを訴えた。
「どこだか判らないけど、この辺が痛い」
僕の手はぎゅうと胸のシャツを掴んでいた。胸の奥が痛い。痛みを感じないはずのアンドロイドの僕は、初めての痛みに戸惑っていた。
僕はすぐに博士のもとに案内された。ベッドに寝かされ、説明される。
「心臓を取り替えれば痛みは取り除けますが」
僕の脇には鋼の心臓が置かれていた。僕の胸の中にも同じタイプのものがあるのだという。
「心臓を取り替えたら、君は初期化されます。本当にいいんですね?」
僕は頷いた。
「初期化って、メモリーが全てリセットされるって意味だよ。辛いことも悲しいことも消えるけど、嬉しいことだって消える」
年少の助手が僕にそう教えた。
「…嬉しいこと…?」
「そう、楽しいと感じたこと。幸福を学習したこと。すべて」
──忘れる? 両親に優しくされたこと。兄貴に可愛がられたこと。彼女に微笑まれたこと。打ち震えるような喜びも、すべて…。
「…い…いやだ…」
思わずそう呟く僕の目の端に、まるで天使みたいに微笑む助手の姿が映った。
「大丈夫?」
その声に俺は我に返った。目の前にはさっきぶつかった店員がいた。暗い店内に大音量の音楽が響く。
…立ったまま夢でも見たんだろうか?
「よかったよ、無事に戻って来られて」
店員の言葉に、最初の声もこの店員の発したものだろうかと考えた。よく見るとさっき見た助手に似ている。
俺は自分の手をじっと見つめて、心臓の音に耳を澄ませ、自分がアンドロイドでないことを確認した。あれは、きっと夢だ。けれど、やけにリアルな痛みが胸に残っている。
「望んだ世界はどうだった?」
店員が言った。一瞬、その意味が理解できなかった。それから、さっきの夢のことを指しているのだと気付いて店員を凝視する。
「…望んだ世界…?」
望んだのは強い心。壊れない鋼鉄の心。
傷ついたら取り替える、痛みのない心…。
そうして、すべてを忘れる。
「…いやだ」
夢の中のアンドロイドの僕が言ったように、俺は拒否の言葉を口にしていた。すべて忘れるなんていやだ。この痛みと引き換えにすべてを失うのは、失うものが大きすぎる。
「じゃあ、どうしたい?」
夢の最後にあの助手が見せたような天使の笑顔が尋ねた。
「納得いかないことを納得いかないままにしておくから、屈折した想いで心が痛むんだよ」
ハトリの言葉にああそうかと頷いて、俺はケータイをポケットから出した。ハトリに背を向けてカウンターに戻る。カウンターのスツールを降りて帰ろうとしていた若菜さんの腕を掴んで、電話をしながら引き止めた。
「ちょっと待って」
電話を切った俺は若菜さんに頼んで、再びスツールに促した。若菜さんは不思議そうな顔をしたが、俺の頼みを聞き入れてくれた。俺は若菜さんの隣に座って、バーテンダーがさっきの夢の博士に似てるなーと考えていた。
「ねえ、カズくん、どうしたの?」
しばらく黙ったままだった俺に不思議そうに若菜さんが訊いた。
「もうちょっと…」
言いかけて、ドアの開く音に振り返った。電話で呼び出した相手がやってきた。俺は席を立ってそいつを自分の座っていたスツールに座らせた。若菜さんとそいつは互いの顔を見やって俺に目を向けた。
「兄貴も若菜さんも変な意地張ってないで仲直りしたら?」
二人とも何か言いたそうに口を開きかけた。
「心が離れたなんて、そんな言い訳、俺は納得しないから」
二人が何か言う前に俺はそう言って、カウンターを離れた。二人に背を見せてフロアーへ向かう。
お互い未練があるくせに、心が離れたなんて大人な言い訳しちゃってさ。俺と大して変わらないくせに、大人ぶってカッコつけちゃって。そんなの俺は許さない。
てゆーか、俺、バッカみてー。
「おせーよ、和希」
「どこ行ってたんだよ」
既にフロアーテーブルの一角に陣取っていた仲間達に口々に言われて笑顔を作って謝り、ソファの隅に座った。
不意に目の前にグラスが置かれた。目を上げると、ハトリが立っていた。俺は差し出されたグラスに口をつけた。口の中で泡が弾ける。ジンジャーエールだ。甘くて少し辛いそれを飲み下すと小さな痛みを残した。けれど後味は爽やかだった。
「…これが俺の望んだ世界なのかなぁ…?」
俺の呟きにハトリは言葉を返さず、天使みたいな笑顔を見せただけだった。
…僕は知っている。この世に永遠などないことを。
───だから、この痛みもいつか消える…。
月がその名残を残して西の空に消えた頃、黒いドアの向こうでは夢の時間の後片付けをしていた。
「それで、あの二人はどうなったの?」
「仲直りしたみたいですよ」
弟に引き合わされた兄とその恋人がどうなったのかという羽鳥の質問に、カウンターでの彼等の会話を聞いていた理人は答えた。
「それじゃあ、あいつ、自分で二人がヨリ戻すの手伝っちゃったわけか」
片付けの手を止めずに風生が言った。
「そういうことですね」
風生がフロアーのテーブルから片付けてきたグラスをカウンター奥のシンクに持って行きながら理人が頷いた。
「でも、それを望んだのはあいつだよ」
羽鳥は洗いあがったグラスを所定の位置にしまい、自分が強制したわけではないと主張した。
「まあ、それが一番不幸な人間が出ないって気もするけど」
そう言い残して風生は再びフロアーへ戻って行った。羽鳥もそれに続いてテーブルの上を片付ける。
「誰も不幸にせずに皆が幸せになるなんてこと、世の中にはあまりないですからね」
理人がグラスを拭いて棚にしまった。
「確かに」
と二人はそれぞれに片づけをしながら頷いた。
「誰かを不幸にして手に入れた幸せなら、それもまた狂気と呼べるかもしれないですねぇ」
理人の呟きに二人は声に出しては何も答えなかった。一瞬仕事の手を止めて、それから再び片づけを続けた。彼等のその行動が同意を示していると理人には判っていた。理人は口元の笑みを消して、綺麗に拭きあがったグラスを棚にしまった。




