skyscraper 03
カザキはカットモデルを了承し、店の定休日の昼間に約束した。二人の都合が一致したからだ。店長には許可を取ってある。
私は準備のため約束に時間より少し早めに行った。
「あれ、友里さん」
店には小塚くんがいた。一緒にいるのは小塚くんのお客さんの一人、人気モデルのリエルちゃんだ。たくさんのお客さんを抱える小塚くんは、忙しい芸能人なんかは定休日でも受けるし、出張カットすることもあった。
「こんにちは」
挨拶してリエルちゃんに会釈する。セットも終えてもう帰るところらしい。ストレートだった髪を大人っぽく縦巻きにしている。モデルなだけあって、やっぱり可愛い。
「見て見て、私、前からこんな風にしたかったんだぁ。今日パーティーだから思い切って縦巻きにしたの」
「可愛いです、すごく」
とは言ったものの、気になるのは、彼女にはもう少し緩やかなウェービーヘアーの方が似合うのに、ということ。
「彼女のイメージだと、もう少し可愛い感じの方がいいんじゃない?」
小塚くんを引っ張って小声で言う。
「でも、縦巻きじゃなきゃダメっていうから」
小塚くんは彼女の要望を聞き、その中で一番似合うようにしていた。さすがの腕前だ。
「友里」
不意に、開いたドアの向こうから声を掛けられた。
「カザキ」
私はカザキを店内へ招き入れた。小塚くんもリエルちゃんもカザキの存在感に圧倒されてぽかんと見上げている。二人の視線に気付いてカザキは二人を見やった。そして、リエルちゃんに目を留める。この野生動物のような男も、やっぱり可愛い女の子には目がないのか、と思っていると、カザキは意外な言葉を口にした。
「あんた、その髪型は似合わねぇ」
カザキに見つめられてまんざらでもなかった様子のリエルちゃんの表情が一変した。
「初対面のくせに、失礼ね!」
怒ったようにリエルちゃんは店を出て行ってしまった。慌てて小塚くんが後を追った。
あまりに正直に物事を口にするカザキに驚きつつ、私も内心思っていたことだったので、とりあえずリエルちゃんのことは小塚くんに任せて、カザキを席に案内した。
「こうして欲しいとか、要望ある?」
髪型についての希望を訊いた。
「あんたが俺に一番似合うと思う髪形」
鏡越しにカザキに見据えられて、心臓が大きく波打つ。
「あんたに任せる」
そう言われて、「頑張る」と答えて気合を入れ直した。
髪を切っている間中、私は色んなことを話した。カザキは聞き役に徹して気持ちよく話をさせてくれるものだから、つい話したくなる。
美容師を目指して上京してきた頃のこと、父親とのこと、それから、この大きな街で少し道に迷っていること。
「小塚くんはね、最初から上手くて、同期で店に入ったのに、どんどん置いてかれちゃって、少し焦ってるんだ、私」
カザキの艶やかな髪にハサミを入れながら話を続ける。
「何かね、どれだけ頑張っても憧れたようにはなれない気がしちゃって」
「憧れなんて、大抵手の届かないとこに設定されてんだよ」
まるで、年少の人間を諭すみたいな優しい口調だった。私より年下っぽいのに、何だか人生の先輩みたいなことを言う。
「そうかもね。でも私、東京にくれば憧れが手に入ると思ってたんだ。だけど現実はそう簡単にはいかなくて、何でここにいるのか考えちゃうこともあるよ」
鏡越しにカザキと目が合う。
「…カザキは、もともと東京の人?」
「いや、地方出身者だよ」
「どうして東京に?」
学生でもなさそうだし、何か夢を求めて来たクチだろうか?
「人が多いから」
「何それ?」
からかってるみたいな返答に首を傾げた。
「色んな人が集まって、エネルギッシュで面白い街だから」
まるで遊びに来てるみたいな理由に拍子抜けした。でも、だからこそ、カザキはこの街を楽しんでいるのかもしれない。
髪を切り終えると、カザキがお礼にと昼食に連れて行ってくれた。髪型を気に入ってもらえたようで嬉しい。
街行く人がカザキに視線を向ける。もともと目立つ人なのだけど、長い前髪に隠れていた涼しげな目元が顕わになって綺麗な顔立ちがはっきり見える。骨格を綺麗に見せるために後ろに流した横髪が風に揺れる。
コンクリートジャングルを黒い獣が悠々と歩く。
「…ほんとに?」
連れて行かれたレストランに怖気づいた。そこは高層ビルの最上階。どう考えても高級なレストランだ。
「こんなとこ悪いし、私こんなカッコで…」
「ランチだからそんな構えなくても大丈夫だって」
怯む私にお構いなくカザキはレストランに入った。カザキにエスコートされるがままに窓際の展望席に着いた。
食事の間中、眼下に広がる街を眺めていた。
いつも見上げていた街並みを人が流れていくのを不思議な感じで見下ろした。首都高の高架も下に見える。相変わらず渋滞している。けれど、上から見れば、少しずつ前に進んでいるのが判る。
人も車も、少しずつでも前に進んでいる。私も、止まってなんかいられない。
「私も頑張らなきゃ」
「この街には、あんたみたいに前向きな奴が合ってるよ」
心の中で呟いたつもりが声に出していたらしく、カザキが笑った。
「世の中、自分のやりたいことを見つけて実現してる奴の方が少ないんだから、あんたはよくやってるよ」
思いがけず褒められて嬉しかった。私を認めてくれる人がいるのだと思うと少し自信がついた。
「嫌なことがあったらうちの店に来れば?」
カザキの言葉に頷いた。
窓の外では、よく晴れた空を反射したビルが眩しく輝いている。
高いところから見たら景色が違って見えるように、憧れに近付けたら、世界も変わっていくだろうか?
翌日、例のお客さんに今月三回目のご来店をされた。
「言いたいことあるなら、言っちゃってください!」
意を決してそう言うと、お客さんも意を決したように言った。
「友里さんみたいな髪型にしたいんですけどっ!」
「え…?」
想像していたのとは違うことを言われて、身構えていた体の力が抜けた。聞けば、私みたいに茶髪で緩いウェーブにしたかったらしいのだけど、今まで一度もカラーリングもパーマもしたことがなくて、決心がつきかねて言い出せずにいたらしい。
数時間後、希望通りの髪型になったと彼女は嬉しそうに帰って行った。嬉しそうなお客さんの顔に、心が高揚した。こういう瞬間のために私はこの仕事をしているんじゃないかと思った。
彼女が帰ったのと入れ違いに、私に指名が入った。見覚えのある顔だった。
「あ…!」
カザキの店でモメそうになった男の子だ。
「あんたなら俺にもっと似合う髪形にしてくれるってカザキが言うから」
「はい、頑張ります!」
私は男の子を席へと案内した。
「あのカザキって奴、何者なワケ?」
小塚くんが小声で聞いた。
「あいつのお陰で昨日大変だったんだから。あの後、リエルちゃん追っかけてセット変えて」
「結局緩いウェーブにしたんだ?」
昨日のパーティーがテレビで紹介されていて、可愛いウェービーヘアーのリエルちゃんが映っていた。
「うん。…友里さんならさぁ、最初からあれを大プッシュしたよね」
何だか少し小塚くんが落ち込んでいるみたいだったので、今日終わったら飲みに行こうと誘った。
その黒いドアを開けると異空間へと繋がっている。
「いらっしゃいませ」
背の高い店員が声を掛ける。
「また来たのか」
カザキが私を見下ろして笑った。
「今日は友達連れて来ました!」
小塚くんを紹介すると、「友達ねぇ…」と意味ありげにカザキは微笑した。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
そして、その微笑を小塚くんへ向けた。
灯りが消えた街に暁の女神が微笑んで新しい朝を手招きした頃、街から黒いドアを隔てたその向こうでは、夜の間に吐き出された鬱憤の名残を掃除していた。
フロアーのモップがけを終えてカウンターに戻ってきた風生に理人が声を掛ける。
「こざっぱりして良かったですねぇ」
人が口にするものを扱っている以上、最低限は清潔に見えるようにと髪を切ることを風生に命じた理人は、風生の新しい髪形を気に入ったようだった。
「あの美容師さん、常連になりそう?」
同じくモップがけから戻ってきた羽鳥が尋ねた。
「さあ、どうでしょう?」
「ま、嫌なことがあったら来るんじゃない?」
理人と風生が答えた。
「一緒に来た彼のほうが常連になりそうですけどね」
「だろ?」
風生は理人の予想に自信ありげに同意した。
「友達って微妙なニュアンスがね」
羽鳥も二人に同意する。
「暫くはいいカモになってくれんじゃねーの?」
風生はニヤリと笑った。
「彼も、口に出せずにいる想いをここで曝してくれればいいんですけどねぇ」
理人が手元のグラスをしまって微笑んだ。
「そのうち言うんじゃない? 言わずにはいられないでしょ」
羽鳥は風生からモップを受け取ってカウンターの中に入った。カウンターの棚の奥の扉に手を掛け、二人を振り返る。
「ここは、自分の中に隠したものを曝しに来る場所だからな」
風生が羽鳥の言葉の先を続けた。
二人は同意の言葉を口にはしなかったが、口元に添えられた小さな笑みが同意を表していた。




