bravado 03
どんなに強い女を気取ったところで、組み敷かれれば心も体もこわばって、拒否の声を上げることも出来ない。
不意に、チャイムが鳴った。
彼は構わずに作業を続けようとする。
更にチャイムが鳴る。
「お客様、ルームサービスです」
ドアの向こうで声がした。
「武井さん、ほら、ワイン来たみたいですよ」
何とか彼の意識を別のことに向けようと声を掛けてみる。
「うん…」
彼は私の声に無意識に反応しただけで、作業の手を止めない。このままではシャツのボタンを全て外されるのは時間の問題だ。
こんな時まで強い女を気取る自分を呪う。
嫌だと言って涙でも見せれば、彼は無理強いなどしないだろう。
私が強がるから彼は私の真意を見抜けない。
ドアの方から、バンッ、と強い音がして、室内に一瞬風が入った気がした。
人の気配に武井さんは背後を振り返った。
彼の肩越しに、そこに立つ人物が見える。
目を瞠るほどの美しい男。
「ご注文のワインをお持ちいたしました」
男はにっこり笑って両手で持ったワインのラベルをこちらに向けた。
「なっ…何なんだよ、お前…!?」
明らかにホテルの制服ではない男の侵入に武井さんは驚いて体を起こし、男に歩み寄った。
「どうやって入ってきたんだよ!?」
「嫌がる女性に無理強いするのは感心しませんね」
かみ合わない会話がなされる。
「お前…」
何か言おうとする武井さんを男が遮った。
「ちょっと大人しくしていてもらえますか」
男は笑顔のまま言い、ワインのボトルを武井さんの口に突っ込んだ。武井さんの口からワインが溢れ出す。
抵抗する間もなく武井さんは意識を失って倒れた。ワインのボトルが落ちて床にワインがこぼれる。
「大丈夫ですか、いずみさん?」
二人のやり取りをベッドに座って見ていた私に男が歩み寄った。
「…リヒト…」
男の名前を私は口にした。
「どうして…?」
「僕は何でもお見通しなんですよ」
そう言いながらリヒトは私のシャツのボタンを閉めた。
「あなたが強くなんかないこと、僕は最初から知っていました」
───お願い、どうか私の弱さを悟らないで。
弱くなって、縋って、甘えてしまう。
強がっていた心がほころびる。目の奥から込み上げてくるものを必死で堪えた。
抱き締められて、優しく髪を撫でられた。
「泣いていいんですよ」
その許可の言葉を待っていたかのように、涙腺が一気に緩んだ。
緊張から解放されたのと、甘やかされたのとがあいまって、子どものように泣きじゃくる私を抱き締めたまま、リヒトは諭すように言った。
「いつも強がってばかりいるから、弱い自分を曝す場所を見失ってしまうんですよ」
子どもをあやすように優しく頭を撫でる。
「強がってばかりいないで、時には誰かに甘えなさい」
優しい口調で囁かれる甘い言葉に、強張った心は融け出して、甘えたがりな弱い心が顔を出す。
「…リヒトに、甘えてもいい?」
返答はすぐにはなかった。髪を撫でながら思案するように少し沈黙があった。
「いいでしょう。あなたの涙と引き換えに、お望み通りに」
頬に零れる涙にリヒトが口づけた。
そこから先の記憶が曖昧で、気づいた時には自分の部屋のベッドの上だった。リヒトの姿はなく、けれど何処かスッキリとした気分を残していた。
会社に行くと奈々子ちゃんが駆け寄ってきた。
「いずみちゃん、大丈夫だった? ごめんね、私知らなくて。武井さんにはキツーくヤキ入れといたから」
聞けば、武井さんは奈々子ちゃんのお兄さんの友達で、二人は昔からの知り合いなのだという。
「でも、武井さんがいずみちゃん好きなのはホントだから。汚いやり方だって思ったと思うけど、あの人そこまで気が回らなくて悪気はないの」
奈々子ちゃんは何度も謝ってから、周りを見やって声を高めた。
「皆も皆よ、女の子にあんなことさせて、どういうつもりですか?」
武井さんから昨日のことを聞き、きつく叱りつけた後、会社で皆を問い詰めて事情を聞き出したらしい。
「女の子を犠牲にして仕事取ろうなんて、ビジネス上間違ってるし、人間としても間違ってるわ」
奈々子ちゃんは皆の意図を判っているようだった。
「女をバカにするのもいい加減にしなさいよ! あんた達なんて、女がいなきゃ子どもも産めないくせに、何様のつもり!?」
普段可愛い奈々子ちゃんのキレっぷりに皆驚いて圧倒されている。
「今度こういうことがあったら、一人ずつ蹴り倒しますから」
にっこり可愛い笑顔で脅されて、男どもは頭を垂れて「すみませんでした」と謝った。
本当に強いのは、強いフリをしている私じゃなくて、可愛くニコニコしていて、でも芯の強さを持った奈々子ちゃんみたいな人なんじゃないかと思った。
その日の仕事の後、奈々子ちゃんに誘われて飲みに行った。そこに武井さんが現れて昨日のことを平謝りした。
「あの、強引に誘ったりして、ごめん。フェアじゃなかったよね」
仕事の取引先の御曹司に、プロジェクトの命運が掛かっているこんな時期に誘われて、断れるわけがない。本人にそんなつもりがなくても、充分卑怯だと奈々子ちゃんになじられたらしい。
「それで…昨日、俺、途中から記憶がないんだけど…」
何処まで覚えているのかと思って訊くと、シャワーから出てきた辺りまでだという。なので、その後ルームサービスのワインを飲んで、武井さんは酔って寝てしまい、私は次の日の仕事もあったので帰りました、と答えておいた。
「そっか…ごめんね、自分から誘っておいて寝たりして」
「いいえ、何事もなくてよかったです」
少し嫌味を込めて答えると、武井さんは素直に頷いた。
「うん…何か、ホントごめん。色々間違ってたよね。俺、ちょっと焦ってたっていうか…」
武井さんは本当に反省しているようだった。
「でも、いずみさんを誘ったのは、いずみさんを好きだからで…だから、もし、どうしても嫌っていうんじゃないなら、また会ってもらえないかな…」
あんなことをしておきながら、こんな申し出ができるのは、彼が図々しいからなのか、恋の為せる業なのか…。けれど、彼の図々しさは、それほど嫌ではなくて、この人の得なところだなぁと思った。
「きちんと順序を踏んでいただけるなら」
「それは、もう、あの、指一本触れませんので…」
私の返答に恐縮するように彼は答えた。
仕事ではスマートに全てをこなしている武井さんが、今はしょんぼりと小さくなっているのは、少し可愛く思えた。
人は、見えているものが全てじゃない。
強さの裏側には弱さがあって、弱さの反対には強さがある。
私も、時には強がりの仮面を脱ぎ捨てて、小さな子どもみたいに甘えられるだろうか。そして、自らの弱さを糧にして、強くなれるだろうか…。
まだ夜の帳が降りる前の時間帯。
黒いドアには「CLOSED」の文字が掛けられている。
「これから何があるか判ってるのに、あえてギリギリで助けるなんて、リヒトってやっぱり鬼畜だよなぁ」
開店準備を進めながら風生が言った。
「あそこまで追い詰められなければ、彼女の甘露は得られなかったでしょうからねぇ」
理人の言葉に羽鳥が反応する。
「うわぁ~、計算ずくかよ」
「サイテー」と二人が声を揃えてからかうと、理人は微笑して返した。
「僕はいいことしたつもりなんですけどねぇ」
「理人にいいことって似合わねー」
羽鳥が素直な感想を述べると微笑したまま理人が言った。
「それは随分失礼ですね」
すぐさまそれに風生が反応する。
「だって、本当のことだよなあ?」
「なあ?」
と羽鳥も同意する。
「まあ、否定はしませんけどね」
理人は微かな笑みを頬に貼り付けたまま言い、二人に背を向けてグラスの準備を始めた。
二人もそれぞれ自分の仕事に戻り、今日の開店に向けて店内の準備が進められていった。




