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3A.M.  作者: 如月 望深
3/106

bottom of a glass 03

 気が付くと、そこは見慣れた自分の部屋だった。

 確か昨日は一人で飲んでいたはずなのに、どうやって自分の家に戻ってきたのか思い出せない。

 窓の外は既に明るくなっており、時計は六時を過ぎていた。私は慌ててシャワーを浴び、着替えをして会社に行く準備をした。



 会社へ着くと、いつものようにドアを開けて挨拶をした。

 誰の返答もない。誰も私の方を見ない。

 いつもなら「おはよう」という声が返ってくるのに。どうして…?

「おはようございます」

 私の脇から悠美が入ってきた。皆が悠美の方を見て挨拶を返す。まるで、クラスメイト全員に無視されるいじめを受けている気分で、私は悠美に視線を送る。

 悠美は私に見向きもしないで自分の席に着いた。

「悠美…」

 私が話しかけても悠美は知らん顔。


 どうして? 悠美なら、私がいじめられたら絶対に最初に声を掛けてくれるはずなのに。

 喧嘩したって、いつだって悠美の方から声を掛けてきたのに。

 昨日のこと怒ってるの? ううん。そんなはずない。

 だって悠美はいつだって私を許してくれた。


「あれ、悠美、今日、香織は?」

 同僚の一人が悠美に声をかけた。

「それが、連絡取れないのよ。この時間になっても来てないし」

 悠美の言葉に私は驚いて声を上げた。

「ちょっと待ってよ、私、ここにいるじゃない!」  

 悠美の肩を掴もうとして、更に私は驚いた。

 私の手は悠美の肩を素通りした。


 どういうこと?


 思わず私は自分の手を見つめた。

 その手でデスクに触れる。

 …つもりだったのに、私の手はデスクも通り抜けた。


 え? 家で出社の準備をしているときは、普通に物に触れたはずなのに。


 何度試しても、デスクにもファイルにもパソコンにも触れなくて、私の手は何もかもをすり抜ける。


 私、皆に見えてないだけじゃなくて、物にも触れないの?

 それって、私、この世に存在してないってこと?


 どうしてこんなことになったのか、わからなかった。


『秘密の魔法を、かけてあげましょう』


 不意に、昨夜のアルカイックスマイルを思い出した。

 思い当たるとすれば、あそこしかない!

 私は会社を出て走り出した。



 地下への階段を駆け下りて、黒いドアを引く。会社では何にも触れなかったのがウソのように、普通にドアには触れた。勢いよくドアが開く。

「いらっしゃいませ」

 中から声がした。

「そろそろ来る頃だと思っていましたよ」

 リヒトが微笑んで私を迎え入れた。

「ちょっと、これ、どういうこと!?」

 私はリヒトに詰め寄った。

「あなたはすべてを消してしまいたかったのでしょう?」

 リヒトは動じることなく穏やかに微笑んだ。

「僕には、すべてを消し去ることはできませんが、その逆なら可能だと、申し上げたはずです。それをあなたが望むのなら、叶えられると」


『すべて すべて 消えてしまえばいい…!』


 昨日、心の中で叫んだ自分の言葉を思い出した。


「…だからって、消えるなんて…。もとに戻してよ!」

 私はリヒトを睨んだ。

 リヒトは相変わらず穏やかに、憎らしいほど美しい、それでいて一切の感情を悟らせないアルカイックスマイルを見せる。

「まあ、もう少しご覧になってみたらいかがです?」

 リヒトの手が壁に触れた。

「あなたの居ない世界を」

 突然、壁がスクリーンのようになって、見慣れたオフィスが映し出された。



 悠美がオフィスを出て、廊下で誰かにケイタイで電話をかける。

「もしもし、浩介?」

 相手は浩介のようだ。

「全然連絡取れないの。そっちはどう?」

 電話の向こうで浩介が何か話している。

「そう。…うん、私も行ってみる」

 悠美が電話を切ってオフィスに戻った。

 そして課長に何か話し、課長が頷くと、オフィスを出た。


「浩介!」

 悠美が駆けつけた先は、私のマンションだった。

「悠美、香織と連絡取れた?」

「ううん。全然ダメ。ケイタイ切ってるみたいで」

「俺も電話したけど、通じないんだ」

 二人はマンションに入って私の部屋に向かった。

 インターホンを何度も押す。

「おい、香織、いるんだろ?」

 浩介の隣で悠美がケイタイを掛ける。

「やっぱりまだ電源切ってるみたい」

 悠美はケイタイを切って言った。

「もしかしたら、中で倒れてるのかも」

「え?」

「前にあの子、風邪で倒れたことがあるのよ。私、管理人さんにマスターキー借りてくる!」

 悠美はそう言って走って行った。

「香織! おい、香織!」

 浩介がドアを叩く。心配そうな浩介の表情が見える。


 涙が頬を伝うのがわかった。

 無意識のうちに私は泣いていた。


 こんなに心配されているのに、こんなに想われているのに、つまらない嫉妬心を抱いたりして。

 消えてしまえなんて言って。

 本当は二人のこと、大好きなくせに…。


「リヒト!」

 私はリヒトを振り返った。

「お願い! もとに戻して!」

 すがるようにリヒトの腕を掴む。


 壁のスクリーンには浩介に駆け寄る悠美が映った。

「浩介、鍵借りてきた!」

 鍵を受け取った浩介がドアに差し込む。


「お願い!」

 リヒトの手が顔に触れた。

 頬に触れる、暖かい感触。

 リヒトの唇が涙を拭った。


「あなたがそれを、望むのなら」


 歪む視界の中で、遠のく意識の中で、リヒトの声を聞いた気がした。






 部屋のドアが開いて、浩介と悠美は部屋に入った。

 ベッドの脇に倒れている香織を見つけ、二人は駆け寄った。

「香織! 香織!」

 浩介は香織を抱きかかえて揺すった。

 香織はゆっくりと目を開けた。

「香織、大丈夫?」

 悠美が顔を覗き込む。

 香織は恐る恐る浩介と悠美の手に触れ、確実に触れることを確認すると、安心したように微笑んだ。

「…夢? …よかった…」

「何、訳わかんないこと言ってんのよ!? 心配したんだからね!」

 悠美が怒ったように言った。

「…うん。ごめんね。二人とも、ありがと」

 香織は二人を見上げて笑った。



 その様子をスクリーン越しに見ている理人リヒトに、背後から声が掛けられた。

「いいのかよ、リヒト? 彼女、いいカモだったのに」

 風生カザキがカウンターに寄りかかって訊いた。

「これじゃあ、まるで、リヒトいいことしてるみたいじゃん」

 カウンターの中から羽鳥ハトリが言う。

 理人は二人に微笑んで答えた。

「いいんですよ。彼女には美味しい甘露なみだを頂きましたからね。これくらいのお返しをしないと」

 理人は壁に触れ、スクリーンを消した。

「狂気の溶け込んだ涙ほど、美味なものはありませんからねぇ」

 理人の優美な微笑みに、風生と羽鳥は微笑を返した。

羽鳥「そう言えば、世の中は未知のウイルスで大変らしいね。うちの店は感染対策は大丈夫なの?」

風生「どう考えても三密だもんな」

理人「ああ、秘密、濃密、密夫ですね」

風生・羽鳥「……(高尚なボケすぎてツッコむ気力が湧かない)」

※密夫の読みは“まおとこ”。意味は…あまり高尚ではない。

理人「…まあ、店の中で外界のウイルスが広まることはないでしょう。たぶん」

羽鳥「たぶんなんだ」

理人「試したことがないので。少なくとも僕らは感染しませんから、安心してください」

羽鳥「俺たちは大丈夫でも、客がいなくなっちゃうと困るよな」

理人「ウイルスのほうでも、宿主の人間がいなくなっては困るでしょうから、絶滅させるようなことはないでしょう」

風生「まるで俺たちみたいだな。人間をく…」

理人「あっ、カザキ、それ以上は。まだネタバレしていないので」

風生「はいはい。ともかく暫くは、よその店には行かずに、この店だけで我慢しろってことだな」

理人「そうですね。安全・安心の当店でお待ちしております」

羽鳥「安心かどうかは、ちょっと保障できないけど…」

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