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3A.M.  作者: 如月 望深
29/106

bravado 02

 結局、お酒を飲んでも憂鬱さは払拭できなかった。前後不覚になるまで飲めば話は別だろうけど、今はそんなこと許されない。


 約束の場所は都内のホテルだった。


「後藤さん」

 ロビーに入るとすぐに声を掛けられた。

「良かったよ、来てくれないんじゃないかと思ってドキドキした」

 目の前で破顔するこの男は、私をホテルに呼び出した張本人だ。

 私が勤める会社の取引先の御曹司である彼とは、今度我が社が起こそうとしているプロジェクトの打ち合わせで何度か会ったことがある。

 どうやら彼は私を気に入ったらしくて、この間声を掛けられた。そして、このホテルのレストランに食事に誘われたのだ。


 それがどういうことなのか、察しはついた。


 会社の上司も同僚もその場にいたので、彼が私に何を求めているのか判ったのだろう。


 無言の圧力がかかる。

 「行け」と目が言っている。


 このプロジェクトを成功させれば我が社にとって大きな利益になる。私にとってもキャリアアップに繋がる。


 彼は、このプロジェクトには欠かせない人物だ。

 彼の協力を得られればプロジェクトの成功は確かなものになる。


 私は彼に承諾の返事をした。

 彼は笑顔になった。それは、彼の純粋な喜びだったのかもしれない。けれど、私には勝者の笑みに見えた。


 彼は、彼の背景にあるものと彼自身の権力によって、私を手に入れることに成功するのだ。



 私の意志とは無関係に。



 上司も同僚も、一応心配する素振りは見せた。けれど、誰も彼も「君は強いから」と私が彼と会うことを止めなかった。



 強ければ、何をされてもいいのだろうか?

 強さなどなければ、もっと大切に扱われるのだろうか?


 私は自分の弱さを押し隠しているだけだというのに。



「どうしたの?」

「え?」

 神妙な顔をして考え込んでいた私に彼──武井さんが声を掛けた。私は我に返って今は武井さんと食事中なのだということを思い出す。

「やっぱり、だめ…かな?」

 何がダメなのか、会話を全く憶えていない。

「馴れ馴れしすぎたかな、いずみさんなんて」

 どうやら彼は私の名前を呼びたいらしい。どうせ馴れ馴れしくするつもりなんだから、こんなことで気を遣うなんて、何処かズレている男だ、と心の中で呟く。

「どうぞ、お好きなように呼んでください」

 心とは裏腹に笑顔で答える。

「いいの?」

「どうぞ」

 私の返答に笑顔になる彼は、まるで子どものようで、大会社の御曹司の割に子どもじみていて、見る人が見たら可愛いのかもしれない。



 食事は満足のいく味だった。さすが高級ホテルの高級フレンチなだけある。武井さんは高いワインも開けてくれた。

 私はありがたくワインを頂き、食事は和やかに進んだ。



 多分、武井さんはいい人だ。

 御曹司の割に気取っていないし、気遣いも細やかだ。女の子にもモテるだろう。その彼に選ばれた私は喜ぶべきなのだろう。


 けれど、私自身がこの展開について行けない。


 部屋で飲もうと誘われて素直についてきた。もともとそのために来たのだろうし。

 部屋は最上階のスイートで、東京の夜景が一望できる。素敵な部屋だ。彼が私のためにこんな部屋を用意してくれたのは、身に余る光栄だ。

 ある意味、シンデレラになったようなものだろう。このまま彼に気に入られて、彼のものになってしまえば、私は仕事も恋人も手に入れ、上手くいけば玉の輿にさえ乗れるのかもしれない。


「何にする?」

 夜景をボーっと眺めていた私に武井さんがルームサービスのメニューを手に声を掛けた。女の子の扱いに慣れているらしく、がっついてはいない。部屋で飲もうと言いながら、いきなり違うことをしたりはしない。

「何でもいいです。武井さんにお任せしていいですか」

 面倒なのでそう答えると、武井さんは私が好きだと言った白ワインをチョイスした。


 ここに来る前に一杯引っ掛けてきて、更に食事中にもワインを飲んでも、まだ私は酔えそうになかった。ルームサービスのワインを飲んでも一向に酔えないだろう。

 酔ってしまった方が、いっそのこと楽なのに。

 酔った勢いの過ちで済ませられるかもしれない。それほど後悔する必要はないかもしれない。


 窓から夜景を見下ろして考え込んでいると、不意に後ろから抱き締められた。

「武井さん…?」

 広がる夜景の前に窓に映し出された武井さんが見える。少し目を伏せた彼は申し訳なさそうに言った。

「…ごめん、我慢できないかも…」

 一瞬彼の腕から解放された私は肩を掴まれて彼の方を向かされる。彼は私に覆いかぶさるように抱き締めた。

「た…武井さん…!」

 待って待って、まだ心の準備が…!

 必死に抵抗して彼を押し返すけど、男の力に敵うはずもない。

「…シャワー! そう、シャワー浴びてきてください!」

 咄嗟の思いつきに彼の力が緩められた。

「…そうだね、ごめん」

 彼は微笑して私を放し、シャワールームに向かった。

 その気のあるような私の言葉に少し安心したのだろう。


 彼が視界から消えた部屋で私はどうしたものかと思案した。ここまで来てもう帰れない。でも、彼を受け入れられるだろうか?


 私はベッドに座って彼が脱いでいった上着に目をやった。高そうなブランド物をスマートに着こなす彼は、多分恰好いいのだろう。ただ、それを好きかと言われれば返答に困る。

 彼は、女の子に拒否されたことなどないのかもしれない。その理由が彼自身であれ、彼のバックにあるものであれ、彼は確かに魅力的なのだ。

 理知的で洗練され、優しく紳士。そして時折見せる子どもっぽさ。そのギャップを好ましいと思う人がいるのは解る。

 彼のことは、嫌いではない。でも「好き」と「嫌いではない」ことの間には大きな距離があると思う。


 物音がして顔を上げると、シャワールームから彼が戻ってきた。白いバスローブを纏って違和感がないのは、彼が着慣れているからだろうか。

 少し論点のずれた私の思考などお構いなしに、彼は私に歩み寄った。

 いきなりベッドに押し倒された。

「武井さん!」

 時間稼ぎのためにシャワーを浴びてなどと言った自分を呪った。逆にそれが彼を一層その気にさせてしまったのだ。

「武井さん、ほら、まだルームサービスも来てないし…」

 本気の抵抗の声も彼には逆の意味にしか聞こえない。


 強引なまでの肯定的な受け取り方は、彼が自分を拒否する女がいることなど考え及びもしないからだろう。

 それは、彼が何不自由なく、欲しいものを手に入れ、甘やかされてきた自己中心的な一面だった。

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