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3A.M.  作者: 如月 望深
21/106

equivalent exchange 03

「いらっしゃいませ」

 リヒトが笑顔で英二を迎えた。

 英二は当たり前のように私の隣に座った。

「…どうしてこんな所にいるのよ」

 私の言葉を無視して英二はリヒトにオールドファッションを注文した。私と付き合っていた頃も好んで飲んでいたカクテルだ。

「結婚式の準備とか、色々と忙しいんじゃないの?」

 英二は出されたカクテルを一口飲み、その味を堪能してから、初めの質問の答えを返してきた。

「結婚したらこういう所に来るのは難しくなるから、今のうちに行っておこうかなって思って」

 続けて次の質問の答えをよこす。

「それに、結婚するのはもう少し先だから、今はそんなに忙しくない」

「あ、そう」

 素っ気なく返事をした。

 お互いが黙り、沈黙が流れた。付き合っていた頃にはなかった沈黙の気まずさを誤魔化すように英二が口を開いた。

「…珍しいな、お前がマティーニ飲んでないなんて」

 私の前に置かれたホットグラスを見ながら言う。

「昔はマティーニばっかり飲んでたよな」

「うるさいわね、自分だっていつも同じの飲んでるじゃない」

 昔と同じカクテルを飲む英二に言う。私もさっきまではマティーニを飲んでいたのだけど。私達の酒の好みは変わっていないようだ。

「そういうことじゃなくて、女はもっと可愛いの飲むべきだろう」

 どうせ、可愛い婚約者のリカちゃんは甘ーいカクテルを可愛く飲んでるんでしょ。でも私は彼女じゃないわ。

「そんなこと、誰が決めたのよ。私はあれが好きなの。文句ある?」

「いや、文句っていうか…」

 英二が言葉に詰まったところへリヒトが口を挟んだ。

「マティーニは『七年目の浮気』でマリリン・モンローが飲んでいたカクテルですよ。いい女が飲む大人のカクテルだと思いますが?」

 英二は黙って視線を壁にやった。その視線を追うと、壁に飾られている写真に目が行った。微笑む女性。

「マリリン・モンロー?」

 リヒトに問いかける。

「そうです。まだマリリンとしてデビューする前のものですけど」

 マリリン・モンローは芸名なのか、と英二が訊く。リヒトは頷いて本名はノーマ・ジーンだと教えた。

「マリリンはマリリンで素敵ですけど、僕はノーマ・ジーンの頃の飾らない彼女の方が好きですね」

 笑顔はまだ垢抜けないのに、野心的な瞳が印象的で目が離せない。飾らない、というのは、本能的ということだろうか?


『取り戻してみてはいかがですか?』


 リヒトの言葉を思い出した。心臓がドクンと高鳴る。

 本心をむき出しにして、彼を取り戻せば、このモヤモヤは晴れるのだろうか?


「…英二、あんたって、昔から私の嘘を見抜けない男だったわよね」

 突然の私の言葉に英二は眉を動かした。

「結婚の報告をされた時、おめでとうなんて言ったけど、本当はそんなこと少しも思ってないわ」

「瞳子…?」

 戸惑ったように英二が私を覗き込む。

「平気なんて嘘よ」

 英二は黙って私を見つめていた。

「私は今でも…」

 言いながら英二のスーツの袖を掴む。

「今でも英二を忘れられない…」

 英二は私を見やったまま固まった。

「瞳子…」

 私に袖を掴まれた方の手を英二が動かした。それに合わせて袖を放すと手を掴まれた。英二が私の手をきつく握った。

 リヒトがあの妖艶な微笑をひらめかせて、私達に背を向けるのが視界の端に入った。



 店を出て、私達はホテルへ行った。

 部屋に入って上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ捨てる。英二を見やると、躊躇したように後退りした。構わず英二に近付いてスーツの上着を脱がす。ネクタイを掴んで少し体重を掛ける。

「と…瞳子…」

 私に押されるようにして英二はベッドに腰を下ろした。既にネクタイを解き終わった私は、英二のシャツのボタンを外す。顕わになった肌に口をつける。

 急に視界が反転した。

 天井の手前に、私を見下ろす英二が見える。抱き込まれてベッドに押し倒されたのだ。

 英二の唇が肌に触れる。懐かしい感触だ。大きな手が胸をまさぐる。



 ───興ざめだわ。



 愛撫を受けながら、そんなことを思った。



 望んだことが叶ったのに。

 失った彼を手に入れて、嬉しいはずなのに。


 満たされない。

 違和感が込み上げる。


『取り戻してみてはいかがですか?』


 リヒトの妖艶な笑みが脳裏に蘇る。

 含みのある微笑。


 …ああ、彼は、解っていたのかもしれない。



 私は英二を両手で押し返して体を起こした。英二を残したままベッドから降りる。

「瞳子?」

 外されたブラをはめ、床に落ちたシャツを拾い上げて袖を通す。

「…しないの?」

 英二を振り返って答える。

「しないわ」

 シャツのボタンをとめながら英二から視線を外す。

「思い出にできなくなるから」

 

 私はただ、若さとともに失った過去にすがりついただけ。


 ベッドに取り残されたままの英二に再び目を向ける。

 こうして見ると、何て間抜けな男。結婚を控えて、昔の女に簡単に堕ちるなんて。

「私は浮気も二股も嫌いよ。あんたみたいなのと不倫する気はないわ」

 自分から誘っておいて、何てことを言う女なんだろう。彼はそう思ったに違いない。

「浮気は許さないって、昔言ったことがあったわね」

 別に英二が浮気をしたわけではなかったけれど、そう言ったことがあった。

「リカちゃんは許してくれるといいわね」

 私の言葉に英二が青くなる。この時期に昔の女と関係を持ったなんて思われたら致命的だ。

「瞳子、このことは…」

「大丈夫」

 笑顔で続ける。

「万が一、今日のことを訊かれたら、一緒にホテルのベッドに寝ただけだって答えるから」

 私の言葉に英二が更に青くなる。

「心配しなくても、結婚の邪魔なんかしないわよ。もう興味ないもの」

 上着を拾って羽織る。

「あ、それと、結婚式には呼ばないでね」

 襟を整えて服の中に入った髪を出す。

「友達でも同僚でもないただの同じ会社の人にご祝儀出せるほど、お金も心も余裕ないのよ」

 荷物を持って英二を振り返る。呆然と私の話を聞いているようだった。

「じゃあ、お幸せに。さよなら」

 笑顔でそう告げて、彼に背を向けて部屋を出た。


 ホテルを出て空を見上げると、夜空を鳥が横切った。暗い夜空に浮かぶ月へ向かって羽ばたいているように見えた。

 不意に吹いてきた風に背を押されるように、私は歩き出した。背筋を伸ばして真っ直ぐ前を見て歩く。


 時を経て、失ったものも多くある。

 けれど、時とともに得たものも、多分、たくさんある。


 だから私は時を遡ることなく、前へ 進む。






 空が白み出した頃、黒いドアには「CLOSED」の札が掛けられる。

 店内では、理人、風生、羽鳥の三人が片づけをしていた。

「で、リヒトは彼女に何をしたわけ?」

 羽鳥の問いに理人は微笑して答える。

「別に、何も。ただ、彼を取り戻してみてはと提案しただけです」

「それが彼女の望み?」

「さあ、どうでしょう」

 理人が曖昧に答える。

「全く未練がないとは思わないけど、彼女は別に、あんな男どうでもよかったんじゃねえの」

 フロアーからグラス類を回収してカウンターに戻ってきた風生が口を挟んだ。

「ただ、若さとともに失ったものに納得がいかなかっただけで」

 グラスの乗ったトレーをカウンターに置く。

「醜い心をむき出しにして、男を取り戻そうとすれば、本心に気付きやすくなるんじゃない?」

 風生は理人を見やった。

「僕はそんなに親切じゃありませんよ」

 理人は微笑し、風生の持ってきたトレーを持ってカウンター内のシンクに置いた。それらを他のグラスとともに片づけ始める。

 風生と羽鳥もモップを持ってフロアーの掃除に向かった。

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