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3A.M.  作者: 如月 望深
20/106

equivalent exchange 02

 カウンターには三人の店員がいた。

 三人ともまだ若そうだ。長身の男は二十代前半くらい。小柄な可愛いらしい顔立ちの子はまだ十代だろうか。高校生くらいに見える。

 二人はカウンターの外にいて、カウンターの中の男からグラスの乗ったトレーを受け取るとフロアーの方へ消えていった。

「マティーニ」

 私はカウンターに座って注文した。

「かしこまりました」

 カウンターの中の男は微笑して答えた。二十代半ばから後半だろうか。私よりは若いだろうと思う。

 少しして彼は私の前にカクテルグラスを差し出した。

「リヒトさん」

 カウンターの客が男に声を掛け、彼はそちらを向いた。まだ大学生くらいの女の子に注文ついでに質問攻めにされて、彼は笑顔で受け答えていた。あしらっている、と言った方が表現は正しいかもしれない。

 ふと、この店の客はあの女の子みたいに皆若いのだろうかと思って不安になった。私一人浮いていたらどうしよう? そう思って周りを見回せば、サラリーマン風の男やOL風の私とあまり歳の変わらなさそうな女の人もいて安心した。

 グラスに口をつけ、辛口でアルコールの強いマティーニを飲み込むと胃や食道が熱くなる。

 その熱を吐き出すように大きく溜め息をついた。

「何かあったのですか?」

 リヒトが穏やかな口調で訊く。今日初めて来た客に対して馴れ馴れしいわね、と思って答える。

「どうしてそう思うの?」

「心が酷く不安定な気がしたものですから」 

 鋭い…。初対面の人間に簡単に見抜けるほど、私は自分の感情を上手く押し殺せていないのだろうか。会社ではうまく誤魔化せていると思っていたのに。

 そう思ってから、この際そんなことはどうでもいいから心の内を少し解放してしまえと思った。

「嫌なことがあったのよ」

「嫌なこと?」

 私の言葉を反復してリヒトが続きを促す。

「聞きたい?」

「あなたが話したいのなら」

 …何だか心を見透かされている気がする。まるで小さな子どもをあやすみたいに彼は簡単に私をあしらう。

「昔付き合ってた男が結婚することになったのよ。若くて可愛い女の子と」

 誘惑に抗いきれなくて私は話し出した。思いの丈を全て吐き出して、彼に聞いてもらえば少しは楽になれる気がした。


 私は昔の男と、彼の婚約者への文句を次々と口にした。思いつく限りの罵詈雑言を吐き出したと言ってもいいかもしれない。けれど、私がどれだけ愚痴っても、リヒトは終始穏やかに話を聞いていた。

「若いからって、いい気になるんじゃないわよ! あの子だって後何年かすれば私と同じ歳になるのよ。ねえ?」

「そうですね」

 私の愚痴にリヒトは穏やかに答えた。この穏やかさは、私の話をまともに聞いていないというのではなくて、私の話を受け止める余裕があるからだろうと思わせた。

「おかわり」

 空になったカクテルグラスを差し出すと、リヒトはそれを受け取り、代わりにホットグラスを私の前に置いた。わずかに湯気の立つそれは、薄いグリーンで、ハーブのような双葉が浮いている。

「サービスです、どうぞ」

 微笑んでリヒトは言った。何?と目で訊く。意図が伝わったらしくリヒトが答えた。

「レモンバームのホットカクテルです」

「レモンバーム?」

「ハーブですよ」

 湯気に顔を近づけるとレモンのようないい香りがした。

「若返りの妙薬とも言われているんです」

 その言葉に顔を上げてリヒトを見ると、「年齢のことを気にしていたようなので」と付け加えた。

「僕に言わせれば、あなたは充分若いと思うんですが」

「何言ってるの、私より若いくせに」

 リヒトの言葉に私は苦笑して答えた。

「こう見えても、僕はかれこれ千年近く生きてますよ」

 そう言ってリヒトは微笑した。そのあまりの妖艶さに、言いかけた言葉を一度飲み込んでしまった。

「…冗談、よね?」

「勿論」

 飲み込んだ言葉を吐き出せば、やはり妖艶な笑みで返された。


 グラスに口をつけると、爽やかなレモンの香りが鼻孔を刺激する。口に含んだカクテルの優しい甘みが舌に広がり、かすかにアルコールの匂いが鼻に抜ける。

 レモンバームのハーブティーにはちみつを加えたものだとリヒトが説明した。「お酒も少し入ってますよ」とリヒトが笑って付け加えた。カクテルと言う割にはお酒の味がしない、と見やったからだろうか。

 温かいカクテルは優しい香りと味で体を温め、イラついていた心を宥めた。

「リヒト、聞いてくれる?」

 そう訊くとリヒトが微笑んだ。それを肯定の意と受け取って私は話し出した。



 英二──元カレの葉山はやま 英二えいじ──とは、同期入社で新人研修の時に仲良くなった。それから暫くして付き合い始めた。

 それから四年。英二にプロポーズされた。

 英二の海外転勤が決まって、ついて来て欲しいと言われた。それは本当に嬉しかった。けれど、彼について行くということは仕事を辞めるということだった。私はまだ仕事を辞めたくなかった。仕事にやりがいを感じていたし、一人前になりたかった。

 だから断った。

 待っていてくれと言って欲しかった。

 けれどそれは私の勝手な都合で、英二は何も言わずにアメリカに転勤し、それから自然消滅的に私達の関係は終わった。

 リカちゃんに別れた理由を訊かれた時、本当は私がプロポーズを断ったからだと言おうとした。でも、そんなことを言えば色々面倒だし、自然消滅なのは全くの嘘ではないから、そういうことにしておいた。


 二年して英二は日本に戻ってきた。私達の関係は修復しなかった。部署も違ったし、会えば話をする程度。その辺の同期と同じだ。

 暫くして、英二が総務のリカちゃんと付き合っているという噂を聞いた。気にならないわけじゃなかったけど、もう終わったことだ、関係ないと自分に言い聞かせた。

 そして今日、英二に告げられた。

「俺、リカと結婚するんだ」

 わざわざ私を資料室に呼び出して、言うことはそれ?と思った。そんなこと、聞きたくもなかった。

「そう、良かったわね。おめでとう」

 心とは裏腹に笑顔でそう返していた。自分の台詞に吐き気がした。心にもないことを簡単に口にしてしまえる自分が嫌だった。

「…お前は、平気なんだな、瞳子」

 自分から他人と結婚すると報告しておいて、そんなことを言う英二が腹立たしかった。

「平気も何も、私達はもう終わってるでしょ。今更未練なんてないわ」

 表情も崩さずに嘘をつく自分が憎らしかった。

 平気でも何でもない。本当は、若い彼女に嫉妬して、未練まみれで、どうして私じゃなく彼女を選んだのかとなじりたかった。

 英二は今でも私のことが忘れられないのだと心のどこかで期待していた。自惚れていた。


 彼を取り戻したいと思った。


「では、取り戻してみてはいかがですか?」

 リヒトは意味ありげに微笑みかけ、そのまま視線を動かした。視線を追って入り口のドアを見やる。

「…!」

 そこには英二がいた。私を見つけてこちらに近付いてくる。リヒトを振り返ると妖艶な微笑をひらめかせた。

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