equivalent exchange 01
「そう、良かったわね。おめでとう」
自分の台詞に吐き気がした。
何でこんな時に、私は笑顔でさらりと受け答えてしまえるんだろう?
「…お前は、平気なんだな。瞳子」
自分から言い出しておいて、何言ってるの、この男は。
「平気も何も、私達はもう終わってるでしょ。今更未練なんかないわ」
「そうか…」
わざと冷淡な声で言う私に、男は落胆した様子だった。
はあ? 落胆? 何でよ?
あんたは私の言葉に安心こそすれ、落胆する理由なんかないでしょ。
男の態度にイライラする。
「じゃあ、私、仕事に戻るから」
苛立つ自分をごまかすようにその場から去った。
呼び出された資料室を出て廊下を歩いていると、すれ違う女子社員からチラチラと視線が向けられた。彼女達の会話が聞こえてきた。
「聞いた? 営業一課の葉山さん、総務のリカちゃんと結婚するんだって」
もう皆に知れ渡ってるのね。と思ってから、周りの視線に納得した。
「経理の高瀬さんて葉山さんの元カノでしょ? 知ってるのかなー?」
ご心配なく。さっき本人から聞きました。
「リカちゃんは二人が付き合ってたこと知らないよね?」
そうでしょうね。別れたのは彼女が入社する前だもの。
「それがさー、知っちゃったらしいよ」
誰か喋りやがったな!
女の子達の会話に心の中で返事をしていたところへ、話題のリカちゃんが現れた。周りの視線が私と彼女に集まるのが判る。元カノと婚約者のご対面だ。周りが注目するのも無理はない。
リカちゃんの足が私の前で止まる。
そんなことされちゃ、これからどんな修羅場が訪れるか皆が期待して迷惑なんですけど。
「あの、高瀬さん」
リカちゃんが私に声を掛ける。
ああ、バカじゃない、この子? 私なんか無視して通り過ぎればいいのよ。何も皆の期待に応えてやることないのに。
「どうして葉山さんと別れたんですか?」
はあ? 何言っちゃってんの、この子?
口には出さなかったけれど、表情に不審に思ってるのが出ていたらしくて彼女が言葉を足した。
「高瀬さんが葉山さんと昔付き合っていたのは彼にも聞きました。でも、別れた理由は教えてくれなくて」
別れた理由を訊いてどうするのだろう?
私達は既に三年前に終わっているのだし、今更気にすることもないだろうに。それとも、自分が婚約者だということを私にアピールしたいのだろうか。まあ、私にはどうでもいいことだけど。
そんなことを少し考えてから、表情一つ変えずに、冷静な声で答えた。
「仕事中よ。そんなプライベートなことに答える義務ないわ」
私を見上げたままの彼女に冷たく言い放つ。
「あなたも仕事に戻りなさい」
そのまま彼女の反応も気に掛けず歩き去った。周りは何事も起こらなかったのが不満だったみたいだけど、そんな期待に私が応えてやる義務もない。
婚約者の元カノが同じ会社にいると知ったら気にはなるものかもしれない。でも、気になったからって、私ならこっそり様子を窺う程度のことしか出来ない。気になったら直接確かめに行くなんてことを、すぐに行動に出せるのは、やはり若さだろうか。
彼女に対して嫌味の一つも言えれば、まだ私にも若さが残っているということなのかもしれないけれど、もめごとは面倒だし、体裁もあるし、さらっと流してしまえるのは、歳のせいだろうか?
仕事を終えて会社を出ると、外でリカちゃんに待ち伏せされていた。一礼して彼女は真剣な顔で訊く。
「仕事が終われば、訊いてもいいんですよね?」
誰もそんなこと言ってないけど。自分に都合のいい解釈をした訳ね。
心の中で吐く悪態さえも今となっては声に出せない。歳を重ねるうち、口にすべきこととそうでないことを瞬時に判断できるようになったらしく、無意識に言葉を選んでしまう。
「お二人が別れた理由、教えてください」
若さというのは、真っ直ぐで、偽りがなくて、無謀で、腹が立つほど真剣だ。
「…まあ、自然消滅みたいなものよ」
ウンザリして私は答えた。
「だから英二も…葉山くんも別れた理由を答えにくかったんじゃない?」
彼女が彼からは別れた理由を聞けなかったと言っていたのでフォローを入れておいた。その方が好都合だろう。
「…じゃあ、嫌いになって別れたんじゃないんですね」
だから何?
イライラを押し殺していると彼女が言った。
「私達の結婚を許してくれますか?」
は?
「私、同じ会社に元カノがいるって聞いて、嫌だなって思っちゃったんですけど、でもよく考えたら相手も嫌かなって思って。それで、もし二人が嫌いになって別れたんじゃないなら、私達の結婚を許せないかもしれないって…」
「許すも何も、私には関係のないことだわ」
彼女の説明を遮って言った。
彼女は、いい子なのかもしれない。相手のことを慮れる。でも、それが無性に腹立たしかった。相手の女を慮る必要性なんてどこにもないのに、それをするのは、若さ故の余裕だろうか? それとも遠回しな嫌味だろうか?
「じゃあ、祝福してくれますか?」
私の思考を無視して彼女は嬉々として訊いた。
だから関係ないって言ってんだろーが!
「ええ」
心とは裏腹に笑顔を作る。
「結婚式には来てくださいね」
「ええ」
笑顔のまま答える。
誰が行くか!
私の心の中の罵声を知る由もなく、彼女は一礼して走って行った。
私は彼女が去ったのとは反対方向へ歩き出した。足早に歩きながら彼女を罵る。
何あれ? 私へのあてつけ?
「結婚を許してくれますか?」って何? 何で公衆の面前でそんなこと私に言うわけ? 私があんた達の結婚に反対したことが一度でもあんのか!?
彼女や彼に言いたいことはたくさんあった。だけど、どれも口にはしなかった。私の心と台詞は一致しない。物事を冷静に見過ぎて、隠した方が楽な本音を覆い隠す。
面倒なことを言い出す彼や彼女や、言いたいことも言えない自分にイライラしながら歩いていると、知らないうちに繁華街の方まで来ていた。
ふと、暗い脇道を下から照らすライトが目に入った。ライトは、階段を降りた先にある黒いドアの脇に設置されていた。
引き寄せられるように階段を降りる。ドアには店名を示す文字はない。けれども、なぜかためらいなく私はドアを押し開けた。
暗い店内に走る光に目が眩む。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
店員の声にドアを閉めて私は店内へ歩き出した。
2004年初出。
結婚したら葉山リカちゃんになってしまうことに今さら気づいた。




