一章2 始まり
はっ!
僕は飛び起きた。
めっちゃ寝てた。一時間ぐらい寝たような感じがする。
此処どこだ? もしかしたら寝過ごしてしまったかも──いや。
え? マジで何処だここ。
聞いたこともない駅だ。スマホで確認する────やべえ。
やべええええええ!
乗る電車間違えたあああああああ!
あああああああ全然方向ちげえじゃんマジやべえ、しかも乗った駅から結構遠い!
あほかあああああああああ! アルコールこえええええええ!
──次は終点、終点でございます──お忘れ物のないよう──。
あ、あああああああああああ⁉︎
終点、だと……? こ、ここはどこ……?
僕は震えながら駅を出た。駅員さんはいない。すでに自動化されている。
──落ち着け。落ち着け?
終点? 寝過ごした、ってことだろう。
ここは──都市の一番端、外周だ……。
駅を出れば、すぐに都市を囲う大きな壁がここからでも見える。
分厚いコンクリで、高さ十メートルはあるだろう。すげー。
関心している場合じゃない。
僕は駅のすぐ横にあるベンチに座って項垂れた。やばい。どうしよう。マジでやばい。どうしよう……。
タクシー? バカ言え、家までなんていくらかかるか。ホテル? このあたりにあるのか?
野宿? 野宿するか?
夏だし行けるか? 風邪はギリ引かないだろ、今だって暑いくらいだし、だってなんか行けるくね? こんな時間にこんな微妙に田舎っぽいところで出歩いてる人とかいなさそうだし、襲われる心配とかないよな……。
いやしかし──くそ僕の馬鹿野郎、なにやってるんだよ、と項垂れていると、足音。
砂利を踏むような音。
人? いやでもさっきまで誰もいなかったし、もしかして警察? だとしたらマジでやばい──。
果たして答えは──え。
え。
え、え?
──────り────ぃ──ぃ──ん──。
何か、聞こえたような気がした。
「──────────あ」
四足の獣だ。
そいつは月光に反射する滑らかな体毛をもっていて、獲物の首元に食らいつくための牙を持っていて、獲物を見逃さないための金色の目を持っていて、獲物に追いつくための足を持っていて、獲物を殺すための意思をもって僕を見ていた。
目の前に、僕の一寸先にそいつはいた。
狼だ。だが違う、狼じゃない。
だってそいつは巨大すぎる──僕の身長の何倍だ? 2倍、いや3倍はあるのか?
デカすぎる。ありえない、そうか、これは、こいつは──現人類の天敵だ。
こいつらは──レギオンと呼ばれる化け物だ。
……生きてる間に生で見たくはなかった。
なぜならこいつらに出会うってことは、ほぼ殺されるってことと同じ意味なんだから。
「────あ、ぁぁぁぁぁあああああああ⁉︎」
僕をただ地面に座って眺めるだけの狼のレギオンから、僕は逃げ出した。
恐怖に駆り立てられて、必死に必死に。
やばい、やばいやばいやばいやばい! 死ぬ、殺される! あいつらは──。
人が太刀打ちできる相手じゃない……。
背後で狼が笑うように鳴いたような気がした。
僕は走りながら必死に考えていた。
──なんでだ? あの壁は飾りなのか? 意味がないだろ、意味がない! レギオンが都市内に侵入出来ないようにするための壁だろ⁉︎
なんでだ? なんでここにいて、なんで僕だ。
なんで僕なんだよ⁉︎
慌てすぎて鞄まで持って走って来ていた僕は鞄を捨てようとして──ぶっ転んだ。足元へ注意が向かず、慣れない全力疾走でつまずいた。
鞄から何かが転がり出てきた。
──透き通る、五センチ程度の水晶球だ。
なんだ、それは僕は知らない。見たことない。入れた覚えなんてこれっぽっちもない! これが、これが原因なのか──⁉︎
──り、りぃぃぃぃぃい────ん──。
何か聞こえる、耳鳴りが響いて脳に響いてうるさい。
気をそちらに取られているうちに、レギオンは僕に近づいて笑って──。
立ち上がろうとした直後、僕はかつて生きてきた中でぶっちぎりの痛みを味わうことになる。
「あああああああああああッ!」
情けなく泣き叫んだ。振り返ると────化け物がすぐ後ろにいて、そいつの口元は赤くて、咀嚼していて、僕の右腕の肘から先の辺りはなかった。
り──ぃ、ぃ──ぃん──。
それを理解した瞬間、切断面が灼熱の痛みをもって僕を襲い始めた。
痛い、痛い痛い痛い! いたい──僕の、腕、が、もう、ない。
もうあの右手はこれから先ずっとなくなる。だってもうグチャグチャに食べられた。
その喪失感。めちゃくちゃな痛みの中で、僕は何故だか自分の腕が失われたことがひたすらに悲しくて、痛くて、悔しかった。
続いては──胸の、少し中心より右で、上の方。
……心臓。爪で、なにか路傍の石ころでも蹴る程度の気軽さで、僕は心臓を貫かれた。
「ちくしょう……。くそ、くそ……」
なんでこんな突然なんだ。
今日のことだって、笑い話になるはずだったんだ。
ちょうどいいネタになるな、なんてどっかで思ってた。なんでなんだ。
戦いは続いてるって分かっていた。安全っていうのはしばらく前に失われたんだと。でも知らなかった、誰も教えてくれなかった。
なんで僕が、なんで僕なんだ。
──いいや、違うか。理由なんてないんだろうな。なんで、なんて……。そんな問いに答えてくれる人なんて、この世にいる訳がないか。
……誰一人として、助けてはくれない。気づく人もいない。ここにはただ、電気の切れた建物が無数にあるだけだ。
ずっと恨んでいる。ずっと嘆いている。誰も僕を助けてくれなかったことを、ずっとずっと恨んで恨んで、やがて僕は気がついた。
どうして誰も助けてくれないのか。
──当たり前だろ。だってお前、誰かを助けたことがあるのか?
誰かを助けないのに、誰かに助けてもらえるのか? そんな訳はないだろ。
誰かが僕を笑った。お前は本当にバカで、哀れだなと嘲笑った。
霞んでいく視界の中で、鞄から転がり落ちた水晶玉もどきが僕の血で汚れていく。街灯の光で反射する。赤くて赤くて──僕はもう泣きそうだった。
り──ぃ──ぃ──ぃん──。
耳鳴りがひどい。さっきからずっと聞こえている。これはなんだ。一体なんなんだ。
どうすればいい? なにをする。
僕はどうなる? このまま死ぬのか?
ああもう、うるさいな。静かにしろよ。
痛いんだよ。ずっと痛いんだ。
僕の血に沈んでいる水晶玉がずっと振動している。血がいくつもいくつも、細かい波紋を作っている。水晶玉が鳴ってる。
朦朧とする。
血液が足りないのかな。
水晶が鳴ってる。
死にたくないな。
狼は嗤った。
僕は死にたくないよ。
水晶はもっと煩く振動して、喚き立てる。
死にたくない。だから──。
ああ──もう。
さっきから、うるさいな──。
り──い────いぃ──い──ぃ──ん────。
僕は、うつ伏せたまま、残った左手を動かして血の海に沈んている水晶玉を掴んだ。
振動している。
──食え。
僕はそれを──噛み砕いた。
り──い、い……。
音が止んで、僕は血の味を感じた。破片が口の中に刺さって血が出ているんだ。
構わない。もう今更なんだ。こっちはもう右手ないんだ。
──食え。食え、食えって。
水晶玉は血の味がした。
僕はそれを飲み込んだ。喉に刺さって反射的にむせる。
──食え。食らって飲み込め。食え。食え。
吐き出した。それをまた噛んで飲み込む。
胃に入る感触がした。
異物が食道を通って僕の体の内側へ入っていった。
──それでいい。
だって生きるためだろ?
死にたくないなら、それでいいよ。
異変はすぐに起きた。
「い──あ、あああああああああ!」
痛い。いたい。いたい痛い痛い痛い痛いいたいいたい。
全身がいたい。視界の色が霞んで真っ白になっていく。
さっきのものとはもう比較にならない。
痛い。溶岩の中にでもいるんじゃないかっていう痛さと熱さ。左手から弾ける音がして、手の甲の皮を破って血がとび出てきた。なんだか滑稽だ。
それに色もひどいような気がする。赤い色をしている。
もうそれこそ血のような、ああいやこれ血だ。
血管が破裂したんだ。
水晶玉のせいだ。
貫かれた心臓が弾ける感覚がした。
ばちんっていう、強いゴムが切れるような、そんな音。心臓が水晶玉に耐え切れず千切れたんだ。それは分かった。
痛みだけが僕を生かしていた。意識があるのが不思議なくらいだ。
痛みが僕を殺していく。体を、意識を、僕をぶっ壊して無くしていく。
──狼のレギオンはなにもしない。
僕のことを不思議がっているのか。
変人の奇行を初めて見るような。
そういう顔をしていると、なぜだかそう思った。
「──────」
もう声も出ない。声帯が機能していないのかな。
肺機能はまだあるのかな。呼吸はできてるよね、まだ。
……誰かが駆けつけてくる。
耳がよく聞こえない。
「──ふっ!」
……誰だ? 見えない。苦しい。痛い。ブチブチと面白いように全身が千切れるような。
どしゃり、と何か重たいものが地面に落ちた音がした。
べちゃ、と音がしたような、気がした。音が遠くなっていく。
「ふう。君、大丈夫──ではなさそう。一体何が……」
見えない。聞こえない。水の中にいるかのような。
誰かいるのか? 何か聞こえる気がする。
「これ、この破片、まさか……。少し失礼するね」
顔が持ち上げられたのが分かる。もう何も見えないし、聞こえない。でも触覚はまだ残ってる。
「口のなかに破片……嘘。まさか……砕いて食べたの? どうしてそんなことを──いえ。この様子ではすでに、因子が」
痛い。痛い。全身がもう、痛くて仕方ない、頭が爆発しそうなのに、何も見えないし、聞こえない。
怖い。
「……仕方ないか。仕方ないよね、四季。ごめんね。私、ここで終わることにする。うまくいくか分からないけど……苦しいよね、ごめんね。それは私達の役割なのにね。ごめんね、私なんかの命で悪いけど、こんな死に損ないの命で悪いけど──君にあげる。大切に使って」
聞こえないはずなのに音が聞こえる。
「あはは……まさか、生きたまま人に自分の心臓あげるなんて……分かんないもんだね。でもいいんだ。お願いだから……うまくいって。君が死ぬことなんて、ないはずだから」
また胸を貫かれて、たぶん心臓を引き抜かれた。それから空っぽになった場所に温かいものが押し込まれた。
すぐに変化が起こった。
……全身の痛みが少し和らいで、なにかが起こった。
ありえないはずのことが起こった。心臓が、また動きだした──。
「……よかった。動いてる。我ながら驚いちゃうなあ。ねえ君、今度はこんな時間まで出歩いてちゃダメだよ。それに怪しいガラス玉なんかを持ち歩かないほうがいいと思う。悪い子だなあ、でも可愛い顔してるなあ。……君のことをもっと知ってみたかったよ」
「う、あ、ああ──」
ありえないはずなのに、声が出せた。視界が戻ってきた。聴覚も回復した。
思考が一定のレベルまで回復した。自分は自分だと認識できるだけの思考が戻ってくる。それは自分を取り戻すということと同義だ。
完全じゃない、まだ薄ぼんやりとした曖昧な感覚だが、話せる。
正直、信じられなかった。
誰かに助けてもらったのは、これが初めてだったから。
誰かを助けたりするのは創作上の想像の産物だと信じていた。
それが嬉しかった。初めて心からの感謝を感じた。
「え、嘘。意識があるの?」
「──助けて、くれ、たの、か──?」
「……うん。君、名前なんていうの?」
「ぼくは、うら、なぎ……。浦凪、玲花、だ──」
「うんうん、玲花ちゃんか。私は古布里。逆白古布里っていうんだ」
「古、布里? ありがとう、僕を、助けてくれ、たのか──」
死なないで済むような気がした。全身は痛いままだが、なんとなく、死なないような気がした。
全身が暖かかった。
「……うん。せっかくだから色々託しちゃお。ねえ、頼みごとがあるの」
「──なん、だよ? 僕はお前に感謝してるから、聞くよ……」
「あのね。私の代わりに世界を救って欲しいの」
古布里はとんでもないことを言い出した。流石に耳を疑う。
「は、ああ? なに言って、いるんだ、お前」
「きっと私ではダメなんだと思う。ごめんね、訳わかんないだろうけど、お願いしたいの。あ、あと私の仲間のことも。あのね、みんな優しいと思うから私が死んだら泣いちゃうんだよねたぶん。前を向けなくなる子もいると思う。だから、君にそれを頼みたいんだよ」
「お前──、なんで胸に、あな、空いてるんだ……?」
視界が回復して見えたのは、女の人と、その胸に空いた穴と、服についた血だった。
彼女にはとっくに心臓がなかった。
どうして生きている? そればかりが気になった。
「私じゃダメなんだ。きっと私にはなにも変えられない。私ね、もう戦えなくなっちゃってさ。腕がかたっぽ無くなっちゃったし──そうだ! 君には右手がないんだね、だったら私のをあげよう!」
「何を、おい! お前一体なにを、何をしようとしてる⁉︎」
古布里という女性には左の肩から先が無かった。
そいつはべっとりと血がついた剣を器用に回して、僕の右腕を肩から切り落とした。
強烈な痛みが僕を襲い、僕は叫びたいのを必死に堪えた。
「ごめんね、ほんの少し我慢してね。心臓が適合したなら腕もいけるはずだから」
「ぐ、おい、おい!」
そのまま自らの右腕を切断した。
「切れ味がいいんだ、私の相棒。よいふぉ」
地面に落ちた自らの腕を、口で噛んで運んで切断面に合わせる。それから足を使って固定した。
「よーし。動かないでねー」
「……なんだそれ、そんなんでくっつくのかよ……」
「くっついちゃうんだなー、私の腕だぞ? すごいんだよ」
切断面が──熱い。
「あ、あああああああああああ!」
「え、うそそんな痛い? ──って、そろそろ私もやばいかな。ねえ、今から私の遺言言うね」
「ぐ、うっ! な、なんだよなんでも言えよ!」
「ひとつ。さっきも言ったけど、この世界を救って欲しい。ふたつ。玲花ちゃん、君に私の仲間達のことをたのんだ」
「──ぐ、わかった……! 僕に任せろ! 訳わかんねえけど、やってやるよ!」
「みっつ。私の携帯とかパソコンとか全部ぶっ壊しておいてほしい。あれ他人に見られたらほんと死ねるから。よっつ。もしも君が戦うことを選んだのなら、私の装備を引き継ぐこと」
「シリアスとコミカルの差が、激しいな……ぐ、いっ、ああああああああッ!」
「いつつ。これで最後ね。──君も、困ってる人とか、大変そうな人がいたら助けてあげてほしいんだ。私が君にそうしたように。いや、もちろん自分の心臓移植するなんてダメだけど。この世界はみんなが助け合って生きるように出来てる。人を許して、信じて、いつか獣達との戦争を終わらせて」
助けてもらった恩を鑑みても──それは受け入れられない。
「──この世界で、誰も自分のことを助けてくれなくても、か……?」
彼女はそんなクズの僕を優しく眺めて言った。
「うん。たとえどれだけ世界が厳しくて、優しくなくてもね。どれだけ世界に傷つけられても、どれだけ世界を信じられなくて、辛くて怖かったとしても。それは何よりも──君自身を守り、生きていくことに繋がるから」
絶句するしかなかった。
こんな人間がいるんだな。
でも、こんな狂った人間がいるから、僕は助けられて生きている。
「君を守るのはいつだって君しかいないかもしれない。誰も助けてくれないかもしれない。見捨てられて、苦しむかもしれないけど──。それでも人を見捨てないこと。世界を見捨てないこと。それが強さってことなの」
理解した。
彼女は──とても強い人間なんだと理解した。だからこそ、こんな僕を助けてくれた。
恩人に抱いたのは、限りない劣等感だった。
この人に比べて、僕の価値は如何程だろうか。
僕はこんな強い人が助ける価値があるほど上等でもない。掃き溜めのゴミだ。
「強さ、だって……? 下らない、そんなものが……役に立つか。そんなもので生きていけるかよ……。いいじゃねえかよ、弱くたって生きてたいんだよ……」
「──そっか。ならば今から変わればいいよ。──玲花ちゃん。強くなりなさい。今よりずっと強く、優しくなるの。そうしようとすることがこの世界で生きようとすること」
ずっと願っていた。強くなりたいと思っていた。だがなれない。そんな強い人間にはなれない。難しいことだから。
だけど──。
今この瞬間から変わっていけばいい。その言葉に救われた。変われなくて弱い僕を救ってくれた。
気づけば涙が溢れていた。
「僕は、お前みたいに、なりたい……。お前みたいに、強くなりたいよ……」
初めて本当に強い人に出会えた。
「僕は──強くなる。強くなるよ。お前との約束を果たせるくらい強くなる……。ちゃんと生きてやる……生きてやる!」
古布里はニッコリと頷いて、それからふらりと倒れて空を見た。
嬉しそうに呟く声が聞こえて、それが最後だった。
「うん。これで安心して死ねる。じゃあ、あとは、頼んだ、よ。どうか、元気で」
逆白古布里は息を引き取った。
と、急に痛みが激しくなった。
「うぐ、僕も、そろそろ、限界……」
視界が遠い。──視界に移る女の顔は、微笑んだまま。
僕は命を受け継いだのだと本当の意味で気づくのは、ずいぶん後の話だが。
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