一章19 雷槌ミョルニル
広場の状況を、喫茶店なりデパートの窓なりから伺っていた人々のデバイスが一斉に作動し、避難警告が鳴り響いた。いや遅すぎるだろ、出すならとっとと出せよと僕は思った。人々はそれに従い走り始める。パニックは起きていないため、スムーズだ。
「奈良宮、大丈夫か?」
駆け寄って聞く。奈良宮はボロボロで寝っ転がっていたが、どうにか体を起こし、立ち上がった。血やら打撲跡やらで見る影はない。
「あ、ああ……。そいつらは──」
まだ意識のあるジェイとラックを指して奈良宮は言った。だがもう二人に戦う意思はなさそうだ。諦めるような表情で、何処かを見ている。
「まあ四季も居るし。てかそれより──どういう意味だ? 戦術級レギオン?」
「──すぐに来る。これで終わりだよ、ガキ」
「ラック。てめえ何を知ってる? どういう意味だ」
「ほら、来たぜ」
「は? ざけんなどういう意味だ──」
ラックに掴みかかる前に、音が聞こえた。
太陽の日差しがいやに遠い。じりじりと肌を焼く。人々が避難したせいで、ただマナリアの甲高い音だけが虚しく響く噴水広場。
ただ音が聞こえた。遠くからこだまの様な、ただ大きな音が、遠くから聞こえてくる。
その方角を見た。煙が上がっていた──高層建築物の影の向こうから、遠くに灰のような煙が空へ舞っていた。
少しずつ音が近づいて来る。だがそっちには大型のデパートがある、思わずデパートを見たが、ガラス張りの先にテナントが続いているだけだ。何もない、普通の──。
風が吹いた。大地が振動する。
──────────。
どんがらがっしゃんと、可能な限り優しく表現して、そういう音が鼓膜をクソほど揺らした。デパートが崩壊していく。
普通だったそれが、全て崩れて、割れて、いっそシュールなほどの轟音を散らして壊れて、
煙が広がって僕は思わず腕で目を守って目を閉じた。
強い風がその方向から吹いてきて煙が晴れた。僕はまだ腕を上げたまま、薄目を開けて、広がる瓦礫の山に目を疑った。壁だったものと、床だったものが何メートルも積み重なってずっと先に広がっている。それにデパートで売っていたであろう服やら物やらが所々散らばって悲惨だ。
何が起きたのか、瓦礫の山の上に立つ一匹のレギオンを見て直ぐに理解した。
小さな、それこそ僕の身長よりも低いだろう体躯は真っ黒な体毛に覆われて、光さえ反射しない。吸い込まれそうなほど黒い。
四足歩行の、一般的なレギオンと比べて小さい獣だ。それ故に威圧感が無いからと問われれば──そんなことはない。さっきから肌にチリチリとした威圧感を感じている。本能が恐怖するような、戦おうとする意志を萎ませる力が僕を押しつぶそうとしている。
何より──昼間でも輝く黄金の眼が、何より怖い。真っ黒な体毛の中で、其処だけがただ光っている。
そして目を奪うのは、額から生えた二本のツノだ。同様に黒く──二本のツノの間を電気が走って発光した。
……ウソだろ? 全部あいつがやったってのか?
「来たな。こいつを呼んだ以上、この都市は終わる……。本当なら、こんなことはやりたくなかったぜ。だが上からの指示だ。大人しく、俺たちと一緒に死のうや」
ラックが何か言っているが、僕は無視した。現実が信じられなかったからだ。
……さっきのアラームはこれを指していたのか? だとすれば優秀だ。それがなければ一体何人死んでいたか分からない。
横まで歩いてきた四季が、それでも獰猛に笑った。
「真っ黒な体毛、輝くような瞳、二本のツノに小さい体……。特徴が一致した──。あいつ、この前ウチと戦闘になった戦術級レギオン──結弦、見覚えは」
「間違いないです──あいつです。逆白さんでも、追い払うのがやっとだったって」
「なるほどな。前回もそれで呼び出したってことか。そん時の狙いは古布里か──ふざけてくれる。ふざけてくれるな。ああ──ムカつくぜ、クソが」
そこにどれだけの感情が籠もっていたのか、僕には計り知れないが。
ただ、親友を奪われたことに対して、四季が限りない怒りと悲しみを湛えていることだけは分かった。
「識別名称は──ミョルニルだったか。神の道具風情が偉そうにふんぞりかえりやがってよぉ。結弦、戦えるか?」
「──ま、付き合いますよ。ボロボロですけどね。でもまあ、彼女に振られたばっかで、気持ちの発散がしたかったとこなんで」
「そうか。悪いな」
奈良宮は笑って返した。
「いいってことです。戦うのが俺たちの仕事ですからね」
「はは、そうだな──。玲花、下がっていろ。今度は守れねえからな」
素直に距離をとる。これ以上はマズそうだ。
安全な場所──花のリーダーをついでに抱えて、建物の崩壊の心配がない、広場の端へと退避する。それと砕けたリバースコアも、大きい破片を選んでなるべく持っていく。
ラックとジェイは放っておく。意識があるなら死ぬことはないだろう。
デパートから向こうの建物が全て壊れてくれたおかげで強い風が都内にまで吹いた。そしてツノに弾けるような電撃が走り、それが合図になった。
*
識別固有名称ミョルニルの特徴は、何よりもレギオンにしては小さすぎる肢体だ。それこそごく普通の動物程度の大きさしか持ち合わせていない。レギオン化した動物はそれまでのサイズの三、四倍になるという一般的な事実に照らし合わせれば、これは異常であると言える。
ミョルニルが戦術級レギオンと評価されるに値するのは──。
重機同士が高速でぶつかり合うような、鈍い音が生まれた。
意外にも、ミョルニルの最初の攻撃はただの速度を付けたただの突進だった。ただ──その速度と硬さが尋常でないことを除けば。硬く速い。それだけだが、極まれば瓦礫の山を生む。
都市の建物を軒並み破壊するほどの力が生物にぶつかればどうなるか。答えは、どうしようもないほどの暴力。防ぐ手立てが一切ない、真っ向からの、小細工抜きの力に対抗するには、同じくらいの力しかない。
それを真正面から受け止めて、四季は尚も笑う。
「──やる、じゃねえか」
ギチギチと縄が軋むような、不安定な音を立てて四季とミョルニルのぶつかり合い。ともすれば相撲のような、真っ向からの力比べ。それは地面を砕きながら数秒拮抗し──。
ミョルニルの背後に跳んだ奈良宮が兵装を振り上げ、全身の捻りを持ってレギオンの首元へ振り下ろしたが。
「──ッ⁉︎ 硬すぎ、ぐッ」
まるで鋼鉄を斬ったかのような感触が兵装を弾き返した。ものを斬ろうとして斬れなかったのは初めてで、嫌な反動が手に伝わって痺れる。兵装の質量と鋭さ、それに傭兵の筋力を掛け合わせて斬れないものは、もはやほとんど無いと言ってもいいと言うのに──傷すら着かない。
ミョルニルは鬱陶しそうに身震いし、ツノの間にに電流を奔らせ──。
「結弦!」
「分かってます!」
危機を察知した二人はすぐに後ろへ飛ぶ。そして雷が落ちた。ツノを中心として無差別に、半径五メートル程度の範囲にいくつも落雷した。雷が落ちる音が都市中に響き渡って消えない。コンクリートは焼け焦げ、嫌な臭いと共に煙が昇っている。
雷を操るレギオンは四季を睨み付けて前足を地面に叩きつけた。ツノに雷を纏い、大槌でも振り落とすように頭を振り、四季へと雷撃を叩き付ける。光の速さの攻撃。それを読んでいた四季はサイドステップで躱し、地面を踏み込んで瞬きの間に距離を詰め、拳で殴り掛かるという原始的な手段に出た。
オリジナルたる四季は兵装を必要としない。だが──それがあった方が体の出力が上がるのも事実だ。四季は自らの実力に胡座を描き、兵装を持ち出してこなかったことを後悔した。だが今まで兵装を使っていなかったのは、必要ないほどに四季が強かったからで──拳といえど、ただのレギオンであればその体に穴が空く。
その連撃は、意外にも機敏な動きで回避される。全身を使い、四季の攻撃にかすりもしない。
「四季! これを!」
後方から声と、刃物が飛んできて四季は刃物の柄をキャッチした。玲花が気絶している花のリーダー、フロウの兵装を投げたのだ。それを軽く握り調子を確かめる。因子が接続され、エンジンにガソリンが供給されていく。
「ナイスだ玲花。──ちょうどこんなのが欲しかった」
刃渡り三十センチ程度のナイフを構え、バックステップを駆使して距離をとるミョルニルへと距離を詰める。攻撃を許さない姿勢、そしてミョルニルの死角から奈良宮が迫る。
挟み撃ちが成立しようとしていた──その時、ミョルニルが吠えた。狼が吠えるように牙を空へ向け、声を響かせると、ツノが強烈な雷を纏い、電撃がミョルニルを覆い──姿が消えた。
姿を見失った四季と奈良宮が視線を巡らす前に、ほぼ同時のタイミングで二人は真横からの衝撃を受け、あまりの衝撃に地面を転がる。すぐに体勢を立て直す四季は、腹部へのダメージに軽く目が眩んだ。衝撃が強く、一瞬よろめく。見えたのは体を立て直せず兵装を手放して倒れる奈良宮と、瓦礫の上から電撃を纏ってこちらを見下ろすミョルニルの姿。
真っ黒い体毛にはいくつもの電撃が走っては消える。じじじ──と電撃が空気を走る音が聞こえる。ミョルニルはツノを天へ向けると、先ほどと同じように頭を振り下ろし、呼応して四季へと雷が打ち落とされる。
痛む体に鞭打って躱すが、それもかろうじて避けられただけだ。スーツの端から焦げ臭い臭いがする、避け斬れなかった──。
まずい、強すぎる──。勝てる見込みが今のところ見出せない。体が硬すぎるし、自身の攻撃は避けられる──。攻撃を当てなければならないが、動きが機敏すぎる上に、そもそも防戦すら危うい。
こんな時に、あいつが居てくれたらと思うのは甘えだろうか。
また雷が落ちる。立ち上がって躱す。だが拉致が開かない──有効打を見つけなければ。
四季は次の一手を模索しながらミョルニルの動きを観察していると、倒れ伏して動けない奈良宮と、それに対してツノを振り上げるミョルニルを確認してナイフを握り締める力を強めた。
奈良宮に意識があるか怪しい。さっきの一撃が、ダメージの重なっていた奈良宮の意識を奪っている可能性があるし、意識があったとしても動けないほどのダメージはまずい。そこを狙われると──。
「結弦ッ!」
急いで体を担ぎ、離れようとするが──ミョルニルはその行動をしっかりと確認して雷搥を一撃。四季は当然躱すが──その移動先をミョルニルは見越してもう一撃。避けられない様に、確実に。
四季とてその行動は想定していた。そう何度も同じ回避行動は通じないだろうと。だがもう避けられない──回避するのに跳んでしまった。地面に着地するまでの僅かな時間は身動きが取れない。その僅かな隙は命取りになる。
稲妻がツノから放たれ、一直線に四季と、抱えられたままの奈良宮へ向かう。
四季の取った選択は、右手に持つ兵装──ナイフを放り投げることだった。金属とマナリアで構成されたナイフに雷は吸い寄せられ、四季に届くことはなかった。ナイフが地面に落下して金属音を響かせる。
「結弦、起きろ。おい」
ミョルニルを警戒しつつ、結弦へ呼びかけるが……結弦は目を閉じたまま応答はない。四季は奈良宮をその場に優しく寝かせるとナイフを回収してミョルニルに向かい合う。
「玲花、結弦を引っ張っててくれ! あたしが引きつけとく!」
突然名前を呼ばれた浦凪は一瞬呆けて、すぐに動き出した。
またミョルニルとの衝突が始まり、浦凪はすぐに奈良宮の両脇に手を回すと、近くに建物のない広場、フロウの隣まで引きずる。そして浦凪は次の行動を開始する。
四季とミョルニルの攻防は殺意で満ち溢れていた。少なくとも四季は親友の左手を奪ったレギオンをずっと恨んでいたし──それと同じくらいの、強いレギオンと戦いたいという欲求に突き動かされていた。それはミョルニルとて同じだったのかもしれない。
耐久力、攻撃力共にミョルニルの方が圧倒的に高い。体力に関しては未知数だが、そこに弱点を期待するのは望みがない。四季にとって不可解だったのは、奈良宮の攻撃は受けた割に、自分の攻撃は絶対に躱すこと。考えられるのは──四季の攻撃は脅威になると判断したか、さっきの状態のみ耐久力が増していたか。
電撃を躱して距離を取る。ミョルニルはそれを受けてツノの電量を抑え、全身に走っていた電気を無くした。そして肢体を縮め、まるで銃撃の狙いを定めるように体の向きを調整し──地面を爆発させて、四季へと突進していった。すでに目では捉えられない勢い、打ち出される弾丸と並ぶ速度。
流石に二度目を受け止めようとは思わなかった四季は宙に跳んで躱すが──背後を振り向いて舌打ちした。勢いのままに、無事だった建物へ突っ込んで行き、全て倒壊させていったからだ。若者向けの施設が集まるこのエリアは軒並み建物が高く、それが全て倒壊すると瓦礫の量も被害総額も多い。
「やってくれるな、てめぇ……」
瓦礫を打ち破ってミョルニルは戻ってきた。真っ向から受け止めなかったことにさも不満げな表情を浮かべている──気がする。
頭打ちだ。攻撃を当てなければならないが、一人ではどうにもならない。こちらが致命傷を負うことはないが、都市への被害も大きくなるし、なによりもリバースコアは未だに作動したままなのだ。レギオンの出現は止んでいないだろう。ミョルニルが打ち破った外壁からレギオンが侵入してくるかもしれない。傭兵団も完璧ではないかもしれない。
苛立ちを込め、ナイフへのリンクを強めていく。脈が早く、強くなり、全身に鈍い痛み
走り始める。因子の浸食が始まった。
ミョルニルは、急激に速度を上げた四季の速度に対応しきれずに首の一部を切り裂かれた。首の血管が一部切断され、血が噴き出すが──倒れるには至らない。むしろそれによりミョルニルは怒り──また電撃を全身に纏い、電撃の破片を置き去りにするようにして姿を消した。移動のスピードが速すぎて、既に目で追える速さでなくなっている。
そこからの戦闘は常軌を逸し始める。
四方から電撃を纏い、ツノで四季を貫かんとするミョルニルを、まるで未来でも見えているかのように躱して、ミョルニルの進行線上にナイフを置いておくようにカウンターを設置。血飛沫だけが空間に残る。
──この状態は、あの馬鹿みたいな硬さではないらしい。攻撃が通るなら──このままの持久戦で削り取れる。
側から見れば、四季が目には捉えられない何かを躱して、四季のナイフから血が吹き出しているようにも見える。
四季が勝機を見出したその時、大気に電撃が混ざり始める。じじ、じ──と焦げるような音が聞こえ始め、少しずつ強くなっていく。晴天であるはずの空から地鳴りのような、うねり声のようなただ巨大な音が地上へと降り注ぐ。
四季は上を見上げ、流石に一瞬だけ現実を疑った。
「おいおいそりゃねえだろ──」
呟いて振り返る。浦凪達の方を確認……倒れたフロウと奈良宮、そして浦凪がこちらを見ていた。浦凪の強い目は、誰かを思い出させた。誰か──四季の親友だった逆白古布里を連想させる。四季はその目に当てられ向き直った。今は弱気になっている場合じゃないだろう。
ミョルニルは無数に連なって重なる瓦礫の上に立ち──ただ天を仰ぎ、まるで雨でも請うようにただ空を見上げている。
すると──神話の再現か、少しずつ大気に走る電気の量が増えていく。その一帯の空に、一瞬で走っては消える雷が増えていく。
人々はそれを見ていた。晴天に現れた異常な出来事を、ただ呆然として見ていた。
──ヤバいことが起きる。誰もがそう直感した。