一章18 三人に勝てる訳ないだろ!
奈良宮も同様に駆けていた。持ち場を同僚に任せて、兵装の出力を過去最高に上げる。全身にピリつくような痛みと、それを上回る力が充満していく。
隊長の命令通り、振動して甲高い音を発するマナリアを握り音の震源地を目指す。都市の内側へ行くほど音は大きくなっていく。
自動車用の道路を時速換算して百二十キロを越すスピードで目指す。だが──具体的な場所までは絞れない。
音が大きくなる一方だが、それだけでは……。
やがて建物の高さが上がっていき、驚いた顔で自分を見つめる人々を一瞬で振り切っては走る。
この辺りは見覚えがある。雰囲気がお洒落で、若者に人気なストリートだ。スピードを緩め、そちらに入り込み安全な速度まで落とす。人々がこちらを振り向いては左手に握っている兵装を見て驚く。デバイスを向け、写真や動画を撮る若者も少なくない。普段なら一言程度伝えたいところだが、今はそれどころではない。
──り、りりりりり、りりりりりりりりぃ、いぃぃぃぃいぃいい──ぃ、ぃいぃ──!
音が一番煩くなっていく。
予感と共に走る。
奥には、よく待ち合わせに使われる噴水広場がある。
そこに彼女はいた。いつものようなお洒落で綺麗な格好ではなく、一切の飾り気を排除した、運動性能を追求したあれは──戦闘服だ。髪も後ろで括っている。初めて見た──見惚れてしまう。
まるで恋人同士の待ち合わせのように、結弦は彼女の場所へと歩いていった。彼女はこちらに気が着いて薄く微笑んだ。
「──フロウ」
「あら、結弦。どうしたの? そんなに怖い顔をして」
「君が原因か?」
何の、とは聞かない。
フロウは背負っていた黒いケースから短剣を引き抜いた。真っ白な無骨なナイフだ。柄に宝石のように輝く石が嵌め込まれている──あれは兵装だ。見たことのない形だが、この都市の兵装ではないのなら、見たことがなくても当然だ。彼女はこの都市の人間じゃなく、第十二都市若葉の傭兵だからだ。
「ずっと分かっていたでしょう? 見ないフリはもうやめたのね」
「ずっと知らないフリをしていたかったさ。願わくばずっと」
「そうね──でも夢は終わり。あなたはどうするの? 私と戦うの?」
フロウのことが好きだった。
いつからか夢中になってしまっていた。──フロウの正体に気がつく頃には、とっくに手遅れになっていた。
フロウと一緒に居たかった。本心だ。今だってそう願っている。
「戦うさ。そして浦凪のリバースコアを返してもらう。この都市を君たちに渡す訳にはいかない」
「そう──それがあなたの選択なのね」
「おいおい、振ったのは君が先だろう?」
「……一つだけ教えて欲しいわ。もしも、私があなたに、助けて欲しいと言ったとしたら──何か変わっていたと思う?」
心が揺れた。彼女の顔を見て──目が合った。
もしかしたら、彼女は助けを求めていたのかもしれない。俺は何もフロウのことを知らない。何一つとして、教えてもらったことは無いし、聞いたこともなかった。知ることが怖かったから。
後悔している。勇気を出せず、ついには何も変えられないまま今日を迎えたことをこれ以上なく悔やんでいる。
だが、彼女と出会ったことだけは後悔していない。
「さあなぁ。もしかしたら、何か変わってたのかもしれないけどさ──そんな過去は無かったし、これからも無い。……もう、それで全部だ。楽しかったよフロウ。お前のことが好きだった」
「初めて私のこと、お前って呼んでくれたわね。嬉しいわ、いっつも君、君ってよそよそしさを感じていたの。──さよなら結弦。私もあなたのこと、好きだったわ」
剣を握りしめ──激突。
*
「! 四季、向こうだ!」
「分かってる! どうやら奈良宮がお先だったか」
大きな戦闘音が市街地から聞こえてきた。四季はそちらに方向を変える。屋上を駆ける四季、肩に担がれた僕はさっきから衝撃と眼下の景色で死にそう。
駆け付ける。地上へ降りた四季は、僕を適度に優しく地面へほうり投げると広場の噴水へと走った。僕がそちらを見ると──倒れ伏した奈良宮へ振り下ろされるナイフを、四季が受け止めているところだった。
花のリーダーの女は四季の登場に忌々しげに口を歪ませた。四季はそれとは対照的に凄惨に笑った。目は欠片も笑っていない。
「よぉ──この前は世話になったな」
「どうして、どうしてこんな時にあなたが来るのよッ!」
四季はナイフを棒で打ち上げると滑らかな動きで女の胴体を正面から蹴り飛ばした。女が吹っ飛ぶ。そのまま建物にめり込む勢いで衝突した。
「隊長、来たんすね……」
「やられてんじゃねえよ、カッコ悪いな」
「気をつけてください、こいつら──三人居ます」
奈良宮がそう警告した瞬間、四季の背後に斬りかかる人影が出現した。時代錯誤とも取れる長剣を振るい、ラックが四季の首元を切断せんと──して、四季はそれをあっさりと弾いた。
「──化け物が、いッ⁉︎」
ラックが悪態を吐く暇もないほど速く、四季は持っていた鉄棒を手放しガラ空きの胴体にワンツー。体が腹部を中心に折れ曲がり、ラックは悶絶した。K.O.
しかし四季は全くの慈悲がないのか、腹部を押さえて痛みに耐えるラックに回し蹴り。辛うじて両手で防ぐラックだが、衝撃を堪えきれずに大きく吹っ飛ぶ。ああ、痛そう……。
僕がそれを見て呆然としていると、四季は突然横に跳んだ。一瞬遅れて四季の立っていた場所の地面が小さく砕けて破片を散らした。同時に圧力のかかった何かが破裂するような
鼓膜に響く音が何処からか聞こえた。それが発砲音であることはすぐに分かった。
すでに周囲の人は避難をしているか、こちらの現状を遠巻きに眺めている。呑気な連中だ、巻き込まれるかもしれないんだぞ……。
四季は弾丸が飛んできた方を目視して地面に散った欠片を手に取った。僕も釣られてそちらを見ると──高い、四階建てのアミューズメントビルの屋上に人影。狙撃用のなんかデカい銃を構えているのが辛うじて見える。ライフルって言うのかな、あれ。
ラックは地面に倒れ伏したまま四季を睨んで歯噛みした。化け物でも見るような目をしている。同感だ。今のどうやって察知したんだろう……。明らかに死角、五感の感知外だったんだけど……。
「そこか──ほれ」
四季はスナイパーに向かって拳大の破片を投げた。ただの投擲と侮るなかれ、傭兵にかかれば十分な武器となる。だって投げられた石の出す音がなんかヤバいもん。弾丸でも撃ったのかって感じの音を出している。
まるで自分の投げた石に着いていくように、助走をつけてビルの壁を走っていく我らが隊長。もう訳わかんねえな。
その後の屋上からはいくつもの発砲音と破壊音が聞こえてきた。数秒して落ちてくる人影。人影は背中から地面に落下し、嫌な音を立てた。明らかに何本も骨が折れている。命があるのが不思議だ。
落ちてきたお陰で誰か分かった。妙に愛嬌のある、穏やかな顔つきは──ジェイだ。今は苦悶に耐えている。
ジェイを追いかけて四季は適当なビルの壁を駆け下りて来た。ジェイは両手に握ったままの拳銃を、ボロボロの力を振り絞って四季に向けて何発も発泡したが──。
「無駄だっての。遅え」
正確に四季を捕らえていた銃弾を、まるでキャッチボールで捕球する程度の感覚でキャッチされ、ジェイは荒い息で四季を睨み付けるしかすることがなかった。どっちが悪役か分からない、なんなら可哀想になってきた。
「遅いのは、そっちだよ……!」
──いつの間にか、本当にいつのまにか僕は背後から首に手を回されて、ついでに首元にナイフを突きつけられていた。背後を見ると、額から血を流しているリーダーの女が嘲笑うように四季を見て叫んだ。
「投降しなさい! 動いた瞬間この男を殺すわ!」
──自分が人質に取られたのだと、間抜けにもその時分かった。
首に冷たいナイフの感触がして、さすがの僕も冷や汗をかいた。こいつ本気だ、場合によってはマジで僕を殺す気だ──。
「すまん四季、やられちまった。僕のことは気にしなくていいよ!」
「……投降しろって言われてもな、どうすりゃいいんだ?」
四季はやれやれ、と言った様子で言った。女の言葉に従ってか、動きはない。
「ラック、まだ動けるわよね! 休剤を!」
「っつ、無茶言うリーダー様だぜ、いっつ」
ラックはボヤきながら、ふらふらと立ち上がって四季に何か投げた。四季はそれを受け取り、まじまじと眺めた。
「それは因子の活動を一時的に休止させる薬剤よ! 即効性があるわ! それを飲みなさい!」
「ちなみに教えて欲しいんだが、その後はどうするつもりだ?」
「さあ、そこまで教えてあげる義理はないわ。早くしなさい、殺すわよ? こいつ」
ナイフがちょっと僕の首に食い込んで血が垂れた。ちょ、痛いやめろ──と言えない自分の立場が辛い。代わりに四季に伝える。
「四季、飲むんじゃねえぞ! どの道僕が助けられる保証もないし、その後の四季の命の保証もねえぞ! 僕の命より優先するもんを優先しろ!」
その言葉を聞いてか聞かずか、四季はじっとその薬を見つめている。
それから少し考え、口を開いた。
「一つ教えておいてやる。はっきり言って、この場所まで玲花を連れてくる必要は一切なかったと言っていい。だがあたしは抱えてきた」
「黙りなさい、なんのつもり⁉︎」
「まあ聞けよ、これが最後かも知れねえんだからさ。──どっちでも構わなかったからだよ、連れてこようが来まいが。そいつのアイデアに免じて連れてきただけだ」
おっとここで足手纏い宣言が発令されました。僕に三十の精神的ダメージだ。グサっとくるよね、分かっていても。
「そしてこの事態は想定していた。だが問題ないとあたしは判断した。なぜなら──」
瞬きの間に四季の姿が掻き消えた。それを受け、女は僕の首にナイフを突き刺す──前に、四季の右ストレートが女を貫いて吹き飛ばした。とても嫌な音が聞こえた。
「問題ねえからだよ、てめえら程度なら。遅すぎて話になりゃしねえ。前戦ったときは、もう少し強かったと思ったんだがな」
僕は右ストレートに伴う強烈な風圧に髪が揺れるのを感じて、思考が止まった。再起動した。……え?
「無事だな、玲花」
「あ……はい。無事です。はい。僕は無事安心です」
「どうしたお前? 様子が変だぞ、はは」
かっこいいが……それ以上に恐ろしい。絶対に敵には回したくないタイプ。こんなの相手にして勝てるわけがない……。おしまいだぁ……。
四季は笑いながら、顔面に黄金の右を受けて石レンガの地面に力なく倒れた女を見た。
どうやら、終わりということらしい。
「四季、コアを」
「ああ。分かってる……」
「ぐ……こんな、ことになるなんて、ね……。流石は、オリジナル……。けど、無駄よ──もう、手遅れなのよ」
四季は女に構わずポケットを漁り──二つのコアを取り出した。
透明な水晶玉と、少し青色の混ざった水晶玉。いや──二つ? 一つは分かる。一つは僕の体内にあったコア──リバースコアだ。だがもう一つはなんだ?
り──りりりりりり、りりりりい、いぃぃぃいいいいいいい──!
さっきからマナリアが煩すぎる。
「おい。これを止めるにはどうすりゃいいんだ?」
「教える訳、ないじゃない。それに──戦術級レギオンを、呼び寄せたわ。終わり、よ」
「あ……? どういうことだ?」
「最終手段、だったけれどね。手に入らないなら最悪、壊してしまった方が、マシなこともあるのよ……。もう一つのコアは、そのためのもの……。最悪の戦術級レギオンを呼び寄せるための……」
「なあ、そんな簡単にコアって作動させれんの?」
「さあな、ただこうなってるってことは……出来るんだろうな」
「マナリアを接触させるだけ……よ。それだけ──動かすのは、とても簡単なのよ……。けど、止めるのは難しいわ……特に、こういう特殊な能力だと尚更」
「うるせえな、もう黙れよお前」
四季はそう吐き捨ててリバースコアを砕いた。ガラスを砕く音に、破片が飛び散るが。
──り、りりりりりりりり、い、いぃぃぃぃぃぃぃぃぃいぃいいい──!
「ダメだ四季、止まない!」
「クソがッ! 面倒なことしてくれるなてめえッ!」
苛立って四季は女を蹴り飛ばした。もうどっちが悪役だか分からないが──同情だけは、死んだってしてやらない。こいつは逆白古布里の死を仕組んだ。
女はそれで意識を失った。