一章13 あまりにも鮮やかな
未成年の! 飲酒は辞めましょう!
「悪い、待たせたか?」
「──あら。三分遅刻ね」
「セーフか?」
「んー……。ギリギリアウト。ここの分の支払いね」
「げ。高いもんは勘弁してくれよ」
奈良宮結弦は苦笑いしながら椅子に座った。
「あまり顔色が良くないわね。どうかしたの?」
「いや、実は昨日職場に新人が入って来てさ。歓迎会で飲み過ぎちまって」
奈良宮は絶賛二日酔いだった。浦凪が挨拶をしてからというもの、酒が溢れるように注文され、大抵の団員は酔い潰れていた。
奈良宮でさえそうだったにも関わらず、朝の早い時間から開いている喫茶店へわざわざ非番の日に早起きしたのは──彼女に会うため。
「そう。ほどほどにしておきなさいよ、体が資本なんだから」
「ああ──わかってるよ。フロウ」
女──フロウは奈良宮の言葉を受けてニコリと微笑んだ。美しい彼女の笑みに、つい見惚れてしまう。普段は冷たい表情だが、こうやって温かい顔も出来るのだ。
「すみません、モーニングセット二つ、いいですか?」
かしこまりました──と店員の声。ここの店は美味しい。ただし、少々高めではあるが、傭兵である奈良宮には痛いほどではない。
「仕事は順調?」
「まあな。期待できそうな新人が入ってきてくれたおかげで、うまくやっていけそうだよ。そっちは?」
「ええ、私の方もいい感じ。ビジネスがもう少しで軌道に乗りそうなの、初めは他都市でのビジネスなんて絶対上手くいかないと思っていたけど、案外うまくいくものね」
「そうか。それはよかった、ここのところあんまり会えなかったから、フロウは忙しいと思ってたよ」
「そうね、少しビジネスの流れが変わってきたの。詳しいことはあまり話せないけど、とても忙しかったわ」
「そりゃ大変だな。でもま、元気そうで何よりだよ。お互い休める日は少ないもんな」
「そうね。今度休みが重なったらどこか行かない? 美味しいって評判のお店、知ってるの」
「いいね、楽しみだ……。全く、こんな朝早くじゃないと会えないなんてな。フロウ、一体お前はどんな仕事をしてんだよ? マジでブラックな場所じゃないだろうな」
フロウはゆっくりと首を振った。──自らが今暮らしているこの場所を崩壊させようとしていることなど、一切おくびにも出さずに答える。
「違うわよ、心配性ね。守秘義務があるって話したでしょう? 私もいろいろ仕事の愚痴とか話したいのだけど、こればっかりは仕方ないから」
「だよな。でもま、言えないなりに相談があれば、いつでも聞くからな」
「ありがとう、結弦。あなただって、傭兵の仕事で辛いこととかないの?」
奈良宮はその言葉を聞いて急に人差し指を立てて口に添えた。焦った様子で周りを確認する、店内はまだ誰もいない。まだ朝は早いし、朝っぱらから喫茶店に来る人は珍しい。それを確認すると奈良宮は安心したように息を吐いてフロウを睨んだ。
「おいおい、これだってあんまり人に聞かれちゃうダメなんだからな。フロウ、君を守るためでもあるんだ、軽々しく言いふらさないでくれよ」
「でも結弦、あなたお酒入るとあっさり口を滑らせたわよね」
「俺の悪い癖だ、本当に忘れてほしいです……。これマジで言わない方がいいんだよ、家族とかには別なんだけどな、本当なら友人とかにだって言わないほうがいいんだ」
「大変よねぇ。別に私のような守秘義務があるわけではないんでしょ?」
「トラブルの元なんだよ。はっきり言うなら人質の危険がある。なんつーか、人間同士でも常にのんびり平和じゃないこと、なんとなくはわかるだろ? 正直こんなもん、俺の気持ちの問題なんだがな」
「心配してくれているの?」
「するさ。当たり前だ」
「そう──」
フロウは運ばれてきたモーニングセットを受け取り、テーブルに置いた。奈良宮も同様にして、手を合わせる。いただきます。
フロウはトーストを口に運ぼうとした瞬間にはっと気が付いたように動きを止めて意地悪な顔を作った。
「そうだ、家族になってしまえばいいんじゃないかしら?」
「──ああ。そうだ……え? なんて?」
「あら、私から言わせるつもりなの?」
「そりゃ、っつってもほら、俺たちまだ半年くらいしか経ってねえし、もう少し時間が経ってからでもいいんじゃ、ねえかなぁ? って、思うん、だが……」
言葉が尻すぼみになっていくのは、自分でも言い訳がましいことを自覚しているからだろう。奈良宮は嘘が下手で、すぐに目を逸らす。そのため、フロウは呆れた様にため息を吐いた。
「本当の理由を言って欲しいわ。誤魔化すのは相変わらず死ぬほど下手ね、あなた」
「……実は仕事の方が怪しそうなんだ。雲行きが怪しい、なあフロウ。これは俺の心からの忠告だが──早いとこ若葉へ帰ったほうがいい。戦争が起こるぞ」
「……戦争ですって?」
フロウは──まるでそれを初めて聞いたように驚いた。少なくとも白々しさは欠片もない、怪訝な顔だが奈良宮のことを全て疑っているわけでもない。
そもそも──それはフロウが起こそうとしている戦争だ。
奈良宮は真剣に頷いた。ただ、真剣に恋人のことを思いやって発言している。
「ああ。詳しいことは言えない。けどほぼ確実だ、もちろんそれを防ぐために最大限の努力はするが──」
「……出来ないわ。今更故郷に──若葉に帰ったところで、ロクなことにはならないから。どうなるにしろ、私は千呉から離れるつもりはないの──結弦を残してここを一人去るなんて出来ないわ」
それはフロウの本心か──少なくとも、奈良宮にはそれが本当であると思えた。
「そうか……。若葉を飛び出して、千呉でビジネスね。全く破天荒だな、そんな風には全然見えないけどな」
フロウは確かに、一般的に見ればキャリアウーマンといった風貌で、肩まで伸ばした髪にキリッとした顔つきで美人というカテゴリーに入る。
そんな彼女を得たことは奈良宮の人生に置いてトップクラスの幸運な出来事であると言えた。
「そうね、正直──向こうに未練はあまりないのかもしれないわ」
「こっちに籍を移してみたらどうだ? 外都市の人間じゃ、いろいろやり辛いこともあるだろ?」
「──そうね。それも、いいかもしれないわね」
フロウはコーヒーを飲み干すと席を立った。
「なんだ、もう行くのか?」
「ええ。この後仕事なの。急がなきゃ」
「朝早くからご苦労様だな。気をつけてな」
「ありがとう結弦。それじゃ」
「ああ」
去っていくフロウを見送って、奈良宮はデバイスを弄りながらコーヒーに口をつけた。
──馬鹿な人、と。去り際にフロウが呟いた言葉には聞こえないフリをしつつ。
六ヶ月前、駅で困っていたフロウを奈良宮が助けたのがきっかけで、交際にまで発展した関係だが、その実薄氷の上に成り立つギリギリの関係だ。
だがなんと難儀なものか──愛だ恋だ、始まってしまえば誰にも止められるものではない。そういうものだ。俗に表現してベタ惚れ、奈良宮はそんな感じだったからこそ、どうしようもない。
「どうしたもんかね……」
答えてくれる人は誰もいなかった。
*
あたま、あたまいたい。
頭痛い……。ガンガンする、ついでに吐き気もやべえ、きっつ……。
柔らかいソファーの上で目が覚めた。毛布が掛かっている。あったか。薄暗い天井が見える。呻き声を漏らした。
「うぅええ……」
「──うぅん……」
呻き声が反響した。誰かもう一人、奥の方にいる? てかやべえ、これ……女の人の声なんだけど……。
──昨日の記憶がない。慣れないことをした後、僕はビールに手を付けて……。それで、どうしたんだっけ……。
気怠い体を根性で起こして頭を抑える。いってぇ、気持ちわる……。
立ち上がって声の方向へ歩いていく。明らかに高級な部屋だ……。
奥にベッドがあって、誰かが寝ている。寝ていたのは──りっちゃんだ。それとりっちゃんが抱きしめているのが次郎と。よし僕はセーフか。おめでただな。
「りっちゃん」
「……うぅん、玲花ちゃん……? どうして居るの……?」
「僕も知らねぇ……。それより、ちょっと洗面台借りていいか」
「好きに使って……あと、後で起こして……うぅん」
そう言ってりっちゃんは眠い目のまま次郎を抱き締めて目を閉じた。次郎は死にそうな顔をしている。幸せ者め。羨ましいぜ。
洗面台で顔を洗う。ひどい顔をした僕が写っている、今日も相変わらず可愛らしい顔をしている──割りに、表情は今にも死にそうだ。つれえ。
顔を洗う。ついでに図々しく新品の歯ブラシを開封し歯磨き。これにてスッキリ。
「りっちゃん朝飯食べるか? 腹減ったから作るぞ」
「うぅん……トースト、卵焼き付きで……牛乳も付けて……冷蔵庫……」
「はいよ」
うーん。僕も大概だが、りっちゃんも大概図々しいというか強かというかなんというか。次郎はこれから大変だな。三人分作ってしまおう。
冷蔵庫の中は大量の缶ビールと微かな食材が入っていた。この卵大丈夫かな……。
IH対応のフライパンに卵を突っ込む。蓋してトーストイントースタしてウェイト。その間に三人分の牛乳を用意していると、焼ける音に立ち込める香ばしい香りに釣られて二人が起きてきた。
「あら、美味しそうね」
「おう、おはようりっちゃん、次郎。すぐ出来る、待ってろ」
そう言って準備に戻る。次郎の顔がすごい面白いことになっていた。
皿を並べて完成、トーストを運ぶ。手を合わせていただきます。
「……なあ、昨日の事、なんだが……」
「僕は何も覚えてないぞ」
「私も何も覚えてないわ」
「……俺も忘れていたかった。理香、俺お前にちゃんと伝えたいことがある」
次郎は神妙な顔で向かい直った。おっと、これは……。
「昨日あんなことあって、ちゃんと言わないのは男じゃないから──理香、俺お前のこと、好きだ」
「──そう。私もよ」
おっと強烈なカウンター。これは強い。
次郎はのけぞったのち、恐る恐る確認する。
「それ……その、そういう意味ってことか?」
「ほかにどんな意味があると思う?」
「……お、おお。その、よろしくな、理香」
「ええ。ちゃんと私を守ってね?」
「……え。理香、もしかして昨日のこと覚えて──⁉︎」
……なるほど。女は強いな、僕とは比較にならない。
朝食をもしゃもしゃして僕はとっとと家を出ることにした。四季から連絡が来ている。とりあえず駐屯地に来いとのこと、つーかもう昼になろうとしている。
「じゃ、僕はいくよ。りっちゃん、次郎とお幸せに」
「ありがとう玲花ちゃん、気をつけてね」
と、家を出て僕は駐屯地を目指した。
昼下がり、車が行き交っている。部屋から出て、一階まで降りて外に出て振り返ると、そこは都内からはよく見える高層マンションだった。まじか、すげえ。
といっても歩いている人間は少ない、大抵が車かバイクだ。
……。
──それは、事件と呼ぶにはあまりにも鮮やかすぎた。一台のハイエースが歩道を歩いている僕の横に止まり、ドアが開き、そちらの方を見ることにはすでに僕の体は持ち上げられていて一秒かからないうちに僕はハイエースされた。
五秒も掛かっていない。僕は呆然としながら車内に転がされていた。
……え? な、なに……? なんぞ……? なにが起こったん?
「ちゃんと電子機器は探して壊しておくのよ。発信器もね」
「分かってるさリーダー。つってもデバイスが一台、まあこんなもんか」
「な、なんだぁ……? なに、なに? お金ならないよ……?」
「そんなもん要らねえよ。俺たちは俺たち自身の目的のために行動している」
「はぁ……? 何言ってんだこいつら」
僕は縄でぐるぐる巻きにされたのち座席に転がされた。無理だこれ、指一本ぐらいしか動かない。
「浦凪玲花だね。遅くなったけど、ぼくたちと一緒に来てもらう」
「……? 浦凪玲花、誰だそれ。知らないぞ?」
「え、ほんと? ねえリーダーこいつ違う! 間違えた!」
「間違えた訳ないでしょう⁉︎ ジェイ、あなた写真確認してたんじゃないの⁉︎」
「はっ、確かにそうだ! ……やっぱり顔写真と違うぞ。髪の色が全然ちがう。でも顔はそっくりだし……双子か!」
「ジェイ、お前って奴は本当に……。ガキ、てめえ嘘は吐かねえ方が身のためだ。殺されたくなけりゃな」
「いや本当に違うんだって。僕の名前は後藤裕二だ、知らないよそんなやつ」
「な、マジで……? っていやいやそんな訳ねえだろ! 情報じゃ確かに真っ白な髪になってるって話だ! てめえ何食わぬ顔で嘘ついてんじゃねえよ!」
「あなた達、本当にバカね……」
こいつら超面白い。純粋か。
つってもどうするか、情報だと? どこからの情報だ?
組織が背後にあるのか? こいつらは何者だ? なんの目的で僕を狙う?
あとなんでこんなバカなんだ?
「お前ら誰だ? ロリコンなのか?」
「高校生はギリセーフだろうが! ロリコンに対してなら何言ったっていいと思ってんじゃねえよ!」
「ラック、ロリコンはよくない。きちんと治すべきだ」
「うるせーよ!」
「質問に答えろよロリコン。お前たちは何者だ?」
「ロリコンじゃねえよ! つかまともに聞いて答えるとでも思ってんのか? つーかガキ、てめえなんで男のくせにそんなナリしてんだ?」
「うっせーな事情があんだよ。なあジェイ、お前誰だ?」
「気安いなてめえ! ジェイ、答えんじゃねえぞ」
「ぼくたちは『花』という組織なんだ」
「答えんなよ⁉︎ こいつ敵だぞ⁉︎」
「へえ。僕はお前らの敵なのか」
「……ッ、しまった!」
「あなた達ねぇ……。喋れば喋るほどボロが出るじゃない、黙ってなさい」
「なあリーダー、僕はこれからどこに連れてかれるんだ?」
「誰がリーダーよ馴れ馴れしい。教える必要はないわね。ラック、目隠しと耳栓」
「あいよ。じゃあなガキ、しばらくかかるから寝てていいぞ」
「えー……まあ、そうするか。着いたら起こして」
「図太すぎんだろ……」
ラックは僕に目隠しと耳栓を付けたが、普通に下手だったので音とか普通に聞こえる。流石に景色まではわからないけど。
まあいいや。寝よ。どうしようもないし、まだ二日酔いが抜けてないお陰で気分が悪い……。
……。
…………。
………………。ぐう。
「起きろ、ガキ。歩け」
「……なに、着いたの。目隠し外してよ、歩けないじゃん。ついでに耳栓も」
「リーダー、構わねえか?」
「まあいいでしょう。別になにが出来るわけでもなさそうだし」
目隠しを外されて見えたのは、一切の窓がない、コンクリの空間だった。
音はない。照明がコンクリを照らして眩しい。
どこかさっぱり分からない。多分都市の何処かなんだろうけど。
芋虫状態のまま車から降りる。
二日酔いでふらつく。気持ち悪い……。
「着いてきなさい。ジェイ、ラック、あなた達は片付けしておいて」
「はーん。じゃあな、ジェイ、ラック。元気でなー」
「け、なんなんだあいつは。とても攫われた側の立場とは思えねえ」
「あ、じゃあ……。元気でね」
「ジェイお前、マジで……」
大人しく着いて行った。
「なあリーダー、花ってなんなんだ? なんでそのネーミングなんだ?」
「確か、ジェイが決めたのよ。なんかたまたま朝に花が咲いているのを見たからって理由で」
「へー。可愛いなジェイ。顔にも愛嬌があったし。なあリーダー、あんたらって悪の組織的な感じなの?」
「悪……ね。反対側から見れば、確かにそう見えるかもしれないわ。だけど私達は、常に自分が正しいことをしていると思っている」
「はーん。ご立派だな。そもそもお前ら、この都市の人間か?」
「……その質問には答えられないわね」
……その返答は悪手だろう。
答えると都合が悪い訳だ。
リーダーは廊下を歩き、一室に入った。
そこは見るからに研究室だった。ドクターの部屋に似てなくもなかった。まあドクターの部屋はこんなに整頓されてはいなかったが。
「そこに寝っ転がりなさい」
リーダーは全身をスキャンするような、大型の機械、そのベッド部分を指差した。
「やだね」
「じゃあ力づくになるわよ?」
「はん、女に負けるかってんだ。僕はこれでも男なんでね」
負けた。
ボロ負けした。
ベッド部分に縛りつけられた。もう動けない……。
リーダーもバケモンみたいな力していた。まるで傭兵みたいな力。
こいつ間違いない、適正者だ。
だがなんだ? どうしてこんなことをする? ここはどこだ? 僕は誰だ? なにされんだろ、痛いのはやだなぁ……。
うーん……。