七章 原初
七章 原初
咲和はラフムとラハム、バシュムとクルールを連れ立って、帝都まで戻ってきた。
「皆さんは今どうしていますか?」
「攫った人間とサナ様の三人を食堂に残らせ、全員が城の前で待機中です」
「王国の様子は?」
「現在、戦線を押し上げている状態です」
人通りの絶えた通りを歩きながらバシュムは答える。咲和とバシュムの顔には緊張が張り付き、ラフムとラハムはいつも通りの涼しい顔をして、クルールだけがキョロキョロと帝都の街並みに興味津々だった。
バシュムの言う通り、十一の獣の全員が城の前で待機していた。
「お待ちしておりました」
ムシュマッヘの言葉に残っていた十一の獣は傅く。
「顔を上げてください。皆さんにはもう少しだけ働いてもらいます」
「なんなりとお申し付けくださいませ」
「ありがとうございます。では、早急ですが、これより勇者狩りです」
******
咲和と十一の獣は戦場まで戻って来た。硝煙と土煙で侵された空気の先に、数多の人間の影が見える。アレこそが、帝国軍と戦っていた王国軍である。
咲和は、ラフムとラハム、クルールに皇帝城にて人間と共に待機を命じた。二人の姉を戦わせることに抵抗があることと、クルールが敵の手に堕ちる可能性を案じてだ。
「行きましょう。此度、この戦場を以て、我らが悲願の達成を!」
十一の獣は小さく頷き、地を蹴った。
咲和は一歩遅れて、歩みだす。
(これで、母さんの仇敵を倒すことができる。そうなれば、私は――――――あれ、私は?)
小さな疑問が咲和の中で生まれた。しかし、目の前の王国兵が疑問に注意することを許さなかった。
陳腐な灰色の鎧を身に纏った王国兵は、剣と盾を手にして咲和に突っ込んでくる。その数、十人を超える。
衝怒の絲剣で魔術陣を描く。それは、いつか描いた魔術陣が三重層になったものだ。
「焼く妬く厄。三又の蛇焔は、空焼き、地焼き、世界焼く―――嫉蛇の三重焔」
詠唱を完了し、魔術陣からは三つ首の蛇焔が姿を現す。蛇焔は向かってきた王国兵を飲み込む。蛇焔の体の中で、王国兵たちはすぐに逝くことはできず、欠乏する酸素による窒息の苦しみと、肌を焼く炎の熱さに悶える。体の中で兵士たちが苦しんでいようが構うことなく、蛇焔は地を削りながら次々と王国兵を飲み込んで行った。
咲和もその様子を構うことなく勇者を求めて歩みを進めた。
******
長女ムシュマッヘと次女ウシュムガルは横に並んで、疾走しながら会話をしている。
「あの人間のような姿が貴様の好みなんだな?」
会話はウシュムガルの攫ってきた人間についてだった。
「虚構世界の獣ど―――――」
向かってくる王国兵は、ムシュマッヘの尾による一撃でその骨を砕かれて絶命する。
「はい…………。あたしはお姉さまのような………」
「ッ―――――――」
目の前に現れた王国兵はウシュムガルがその竜腕で心臓を貫いた。
「そうか。貴様はワタシのような者が好きなのか……そうか、そうか……」
口角を持ち上げて、嬉しそうに言う。その様子にウシュムガルは耳まで真っ赤に染め上げた。
足を止め、二人は向かい合う。ムシュマッヘとウシュムガルは頭一つ分ほど身長が違う。ウシュムガルが自然と上目遣いになる。彼女たちは互いの腰に手を回す。ウシュムガルが少しだけ背伸びをし、ムシュマッヘがそれを迎えようとした時だ。
「死ねぇぇぇぇええええ!」
一人の王国兵が剣を構えて突っ込んできた。当然だ、ココは戦場で、彼女たちの周りには敵しかいない。ならば襲われたところで文句など言――――
「「煩い!」」
―――――えない。はずだが、二人はぴったりと合った言葉と共に、その尾で突っ込んできた王国兵の腹を貫き、そのまま横に割いた。
そして、王国兵が絶命したのを確認すると、二人は、熱く、深い口づけを交わした。それは咲和が見ていれば、卒倒してしまいそうなほど煽情的な絵だった。
******
「さいっっっこうに、素敵なカーニバァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアル!」
ラハムは咆哮し、地を蹴った。その咆哮に剣を構えていた王国兵は耳を塞ぐ。敵を目の前にしてその行為はただの命取りだ。
「蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙蹂躙!」
爛々と輝かせた瞳でラハムは王国兵の頭を掴む。そして、そのまま地面に叩きつけた。落とした卵のように王国兵の頭は割れる。脳漿は飛び出し地面を侵す。
「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ楽しいぃ!」
狂気じみた笑い声が戦場に木霊する。その間も、次々と王国兵の頭を割っていく。いずれ、王国兵はラハムから逃げるようになる。しかし、そんなことをラハムが許すはずもなく。逃げる王国兵はどこまでも追いかけて、確実にその頭を割った。
「楽しいぃぃぃいいいい! これだよ、これ! この感覚、この感触、この暖か、この声! これが、これこそが僕の生きる場所! さー、もっと蹂躙を!」
ラハムは戦場を地獄へと変える。
この凶暴性こそが、彼女が十一の獣最強たる所以であり、誰もが手を焼く妹の所以である。
ギルタブリルとクサリク、バシュムは姉であるラハムに置いてきぼりをくらっていた。
「あれ、私達いりませんよね?」
「そうだな。少なくともあたしはいらない」
「自分もそう思う。帰っていいですか?」
「「「ラハム姉様楽しそうだなー」」」
三人は完全な棒読みで途方に暮れた。
「僕が為るはずだったんだけどなぁ……」
肉の花咲く戦場で、ラハムは遠くを見つめた。そこには蒼黒の光が降りていた。
******
ウガルルム、ウリディンム、ウム・ダブルチュの三人は他の者たちに比べて、真面目に戦闘行為を行っていた。
「ウム!」
「ウリ!」
ウリディンムがウム・ダブルチュの手を取った。
ウム・ダブルチュはウリディンムを振り回した。
回転はその速度を増していく。いずれ、回転が最高潮に達する。二人の回転は風を生み、その風は業風へと昇華し、竜巻を巻き起こす。
ウム・ダブルチュがその手を離した。
解き放たれたウリディンムは、巻き起こされた竜巻を引き連れて戦場を横断する。その線上にいた王国兵たちは舞いあげられ、その体を切り刻まれる。
ぼとぼと、と空から肉の雨が降る。雨粒と違った確かな重量のある雨だ。
巻き込まれなかった王国兵は士気を下げることなくウム・ダブルチュに向かっていく。そんな王国兵たちに、彼女は尻込みする。
なぜ、目の前の惨状を見ても士気を下げることがないのかと。
「ウリ、お前たちのこと嫌いだぁあ!」
向かってきた王国兵を、獣の両腕を以て切り裂いた。
一人、また一人と、王国兵を裂いていく。しかし、彼らは向かってくる。ウム・ダブルチュは露骨に表情を歪める。
「嫌ぁぁぁぁぁあああああ!」
人間の理解できない行動にウム・ダブルチュは両腕を地面に叩きつけた。それは幼子の癇癪の様で。しかして、その一撃は大地を砕く。彼女から真っ直ぐ亀裂が走る。それに多くの王国兵が飲み込まれて行く。
「二人ともやるね。ワタシも負けてられないな」
ウガルルムは二人に背を向ける。目の前には今の光景を見ていた複数の王国兵。そんな光景を見ても王国兵の剣を構える腕と、地面を踏みしめる脚から力が失われることはない。
彼女は大きく息を吸う。それこそ、この戦場全ての空気を吸わんとする勢いだ。そして、吸った息を吐いた。ただ、大きく呼吸したかのようなその行為。それだけの行為が、人間にとっては致命的だった。それは風の刃だった。
そんな風の刃を受けつつも、王国兵たちはウガルルムへ向かう。しかして、十一の獣の放った凶刃はそんな王国兵たちを肉塊へと変える。
「ふぅう。なんだあいつら………。まぁ、いい。次行くか。二人ともつ―――」
と、二人にも声を掛けようと振り向くと、
「―――二人ともよくやったね」
ウリディンムとウム・ダブルチュはぴったりと横に並んで上目遣いに、ウガルルムのことを見上げていた。そんな二人を見て、彼女は短く褒めてから頭を撫でてやった。すると二人は気持ちよさそうに目を細めた。
「ウリ、お姉ちゃん大好き!」
「ウムも、大好き!」
「おうおう、嬉しいね。ワタシもお前たちのことが大好きだよ」
それは、双子の娘を褒める母親の様だった。ただ、周りの状況は凄惨極まっている。少なくとも笑顔で喜び合うような場所ではなかった。
******
「貴方が」
咲和はソレを目の前にして口を開く。
「貴様が」
ソレは咲和を目の前にして口を開く。
「「我が怨敵か!」」
そして、同じ言葉は紡がれた。
どちらが先だったかなどこの際関係がなかった。どちらも踏み込み、地を蹴った。瞬きも許さない剣戟。一秒でも体重の移動を間違えれば相手に押し込まれてしまう程の緊張。呼吸すら億劫になるほどの感情が二人の中で渦巻いている。
「勇者(マルドゥク)!」
「魔王!」
咲和の目の前には、ラフムとラハムが、十一の獣が憎んで憎んで止まなかった、勇者マルドゥクがいる。
金糸のような黄金色の髪を持ち、紅玉のような赤色の瞳の青年。その体は青を基調とした鎧で覆われており、その手には身の丈ほどの風を纏った戦斧が握られていた。
「私は貴方を許さない! 母さんを殺した貴方を必ず殺してやる!」
「甘いわ! 貴様なんぞに、この私が殺されるわけがあるまい!」
戦斧は薙がれ、咲和は後退る。
「貴様のような獣風情に負けるはずがない! 行け! 我が大いなる風!」
戦斧が纏っていた風が咲和に向けて放たれた。
それは冷たく、体温を根こそぎ削っていく死の風だ。人間や只の獣であれば吹かれただけでその命は消えてしまうだろう。
「こんなモノ!」
衝怒の絲剣を振り抜くことで放たれた風を返した。
「ふん! この程度で粋がるなよ!」
マルドゥクが再び風を纏った戦斧を振り上げた。咲和はその一瞬で懐に飛び込んだ。
「死ね!」
衝怒の絲剣をマルドゥクの胸に突き立てた。しかし、その切っ先が胸を貫くことはなく、咲和は後ろに跳ぶ。
「――――――――――ッ、何!」
「我が権能を知らんようだな。大いなる水の盾」
大いなる水の盾は、マルドゥクの保有するスキルの一つ。その身に大いなる水の力を秘めており、それによって剣撃等の物理ダメージを軽減又は無効化する。
(神話の大いなる水の力………じゃあ、風の方はあと六つ)
「このまま砕けよ!」
振り上げられた戦斧をそのまま叩きつけた。その先から大いなる風が放たれる。
魔王である咲和であれ、何度も受けて問題のないものではなかった。咲和が召喚術によってキングゥになったように、マルドゥクもまた召喚術で降臨している神話の体現者であるからだ。そのマルドゥクから放たれる一撃は、まごうことなき神代の一撃。
(彼の方が私よりも力は強い。スキルも上だ。ならば、頼れるものは一つしかない)
「私の世界の威光を見よ! 砕かれ、滅び、己が脆弱さを悔いるがいい。勇者の首は断たれ、十一の獣の栄光は約束された。凱旋の時は近い! 原初謳いし世界砕きの獣兵!」
大いなる風を受けながら、魔術陣を描き、詠唱を完了させた。ドレスの背中側が弾け、そこから一対の竜翼、腰からは棘の生えたしなやかな尾が生える。そして体のいたる部分が、蒼銀の竜鱗で覆われる。額からは蒼白の角が二本延びていた。
「貴様、その姿………」
「魔術に依る補強ですよ!」
大いなる風を振りほどき、魔力伴う羽ばたきで地を離れる。空高くまで舞い上がり、そして、そのままマルドゥクの真上に降下する。
弾丸のように降下してくる咲和をマルドゥクは戦斧を上に向けて待ち構える。
「甘い!」
構えられた戦斧を尾で弾き、その首を掴み地面に叩きつけた。
「カハッ!」
「これで終わりです!」
組み敷いたマルドゥクの心臓に絲剣を突き立てた。戦斧は弾かれて手の届く範囲にはない。この状況ならば、いくら大いなる水の盾が効力を発揮しようが、何度も刺せば殺すことは可能だろう。
「ふん。甘いのは貴様の方だ、獣風情が………」
「寝言は寝て――――――」
咲和は言葉半分に、何かに突き飛ばされた。立ち上がり、突き飛ばしたモノの方を見る。
金髪のロングヘアはシニヨンに纏められ、青色の瞳をした女性がそこにいた。
しかし、その女性は、
「貴女は、もしや―――――」
下半身が猛禽の物だった。そして、腰からは蠍の尾が生えている。
咲和は今まで考えていなかったことを思い出した。
召喚されてすぐに思い当たった疑問だ。
十一の獣は十一人いない。
それは、目の前の女性こそが答えだった。
咲和がいた、元の世界の「エヌマ・エリシュ」でのことだが、十一の獣は後に、様々な神の随獣となる。その神の中に当然「マルドゥク神」も含まれていた。そして、「マルドゥク神」の随獣とは――――
「――――十一の獣の九女、ムシュフシュ」
竜の上半身に猛禽の下半身、蠍の尾を持つ聖獣、ムシュフシュ。
「お待たせいたしました。ムシュフシュ、今ここに」
彼女は戦斧を拾い上げ、マルドゥクへと手渡す。
「遅いわ、たわけ」
「申し訳ございません」
「行くぞ」
「はい」
マルドゥクは戦斧を構え、ムシュフシュはどこから取り出したのか、一本の直刀を構えた。
「貴女が何故そちらについているのか、私にはわかりません。ですが、立ちはだかるというならば、私は貴女を倒すほかない」
絲剣を握り、ムシュフシュに向ける。それに彼女は視線を逸らせるだけだった。
言葉を返さないムシュフシュに咲和は小さく溜息を吐いて、一歩踏み出した。それにムシュフシュが地を蹴った。その手に持つ直刀を薙ぐ。しかしそれは絲剣で防がれた。彼女は咲和の後ろへ回る。
「貴方を殺す。他の誰でもない貴方を」
絲剣をマルドゥクに向け言い放つ。
「何をぬかす。殺されるのは貴様だ」
戦斧を振り上げるマルドゥク。後ろからはムシュフシュが斬りかかる。
「その為に私は呼ばれた。家族の為に貴方を殺し、世界を屠る」
絲剣で戦斧を、尾で直刀を受け止める。
「何ぃい!大いなる風よ!」
戦斧から新たなる風が吹き荒れる。その風は肉を断つ、かまいたち。しかしそんなものを咲和は気にしなかった。
「温もりは潰え、日常は崩終する。世界は立ち還り、人々は信仰を捨てた。我が心は母の為に、我が血潮は家族の為に、我が体は彼の者を屠る為に。転生者は解き放たれ、人々は彼の時を思い出す。狂喜せよ。今、原初は目覚める」
それは魔術ではなかった。
天は割け、そこから一筋の蒼黒の光が咲和へと降り注いだ。
「貴様………貴様はぁぁぁぁぁぁあああああああ―――――――――――――――ッ!」
それは詠唱を必要とするスキル。
マルドゥクとムシュフシュは弾き飛ばされる。
咲和の体には降り注いだ蒼黒の光が纏わりついた。
「騒がしい。汝は誰だ?」
その声はサナの物だ。しかし、その言葉は咲和の物ではなかった。
「ん? もしや、汝がマルドゥクか? 此度におけるマルドゥクなのか?」
コテン、と首を傾げるサナ。
「知っているぞ。その声、そのふざけた仕草、その魔力ッ…………!」
「やはり、汝がマルドゥクか………にしては矮小よなぁ」
信じられないと言わんばかりに、腕を組む。
「あ、貴女は………貴女様は………」
マルドゥクと向き合っていたサナはその言葉に振り返る。そこには這って近づいてくるムシュフシュがいた。
「汝、ムシュフシュか? 久しいの。元気にしておったか?」
と駆け寄り、その頭を撫でた。
「ああ、ありがたき幸せ」
ムシュフシュはその手を取って、頬ずりをする。
「貴様ら! 私を無視するな!」
戦斧を杖代わりに、マルドゥクは立ち上がる。
「汝のような塵蟲に用は―――――ん? 汝、もしや抜かれておるな?」
「何を言っている」
心底解せないと言わんばかりに、口角を歪めるマルドゥク。それに一人納得したように頷くサナ。
「やはりな。でなければ、あちら側に付くなんぞあり得ぬ。最も、奴のやりそうな手口ではあるがな」
「さっきから何を言っている!」
「なに、知らぬが仏と言うやつだ。おっと、これは咲和の世界の言葉だったな。ま、そんなことはよい――――――――――疾く、逝け」
パチン、と。指を鳴らした。
「ガァッ!」
叫び声と共にマルドゥクはその場に崩れ落ちる。
それもそのはずだ。突然、右脚の膝から下が消し飛んだのだから。常人であれば、激痛によるショックでそのまま死んでいてもおかしくない。
「おろ? 狙いを誤ったか。すまぬな。流石に慣れぬ体ではうまくいかなんだ。なに次はうまくやって――――おろ?」
「そう何度も、喰らってやるモノか!」
指を鳴らそうとしたサナの腕は、マルドゥクの放った大いなる風によって断ち切られた。その先からは血液が流れだす。
「ふん。まぁ、マルドゥクだしな。これくらい当然か。しかしだ」
描くことなく、腕の断面に魔術陣が現れる。既に流れていた血は止まっている。そして、そこから新たなる腕が再生する。
「再生ぐらい阻害してみせよ」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇえ! 大いなる風よ!」
右脚に大いなる風を纏わせる。それを新たな脚として立ち上がった。
「おー。すごいすごい」
ぱちぱちと拍手する。サナからすれば純粋な称賛だったのだが、傍からは煽っているようにしか見えない。マルドゥクにもそう伝わったようで、額に青筋が浮かぶ。
「なんだ? 気に障ることを言った覚えはないぞ?」
「ムシュフシュ!」
「――――御意…………『我が毒は勇ましき者の為に』」
マルドゥクの言葉に立ち上がり、直刀を自らの手首に押し当てる。そして彼女は自らの手首を半ばほど切り裂いた。切り裂かれた手首から流れ出た血液は、広がることなく、真っ直ぐにマルドゥクへと向かう。
「ほう………私の娘すらも汝の手足か」
「獣の力なんぞ使いたくはなかったが………出し惜しみしていられる状況ではないからな」
マルドゥクは大いなる風を纏った戦斧を構えなおす。その体は大いなる大いなる水の盾が表面に現れている。
「しかしな―――」
パチン、と指を鳴らす。
「なんだと!」
「なんで…………」
鳴らされた音と共に、マルドゥクへと伸びていた血の流れが寸断された。
「―――私が自らの子の力を把握してないわけあるまい」
ムシュフシュの『我が毒は勇ましき者の為に』はマルドゥクに対する専用のスキル。勇者たるマルドゥの受ける傷を肩代わりし、攻撃を行った者に毒を付与すると言ったものだ。
「そして、何よりだ。私が自らの子を手に掛けるわけがあるまい」
サナの瞳には一つの色が灯る。
それは愛ではない。
それは憎悪でもない。
それは、どこまでも純粋な闇色だ。
魔力を伴った羽ばたきで、雲よりも高く飛翔する。
「塵が多いな」
地を睥睨し、魔術陣を描いた。
それは、複数の魔術陣が幾重にも重なった複雑かつ巨大なものだ。
「九重の蛇焔は、天焼き、地焼き、その顎で世界を砕く。支配などあらぬ。あるのは強烈なまでの破壊のみ。―――――九重の星壊の蛇焔」
詠唱は完了した。
魔術陣からは咲和が今まで放った蛇焔など、比べるにも能いしないほど巨大な、九つの首を持った蛇焔が姿を現した。その背中からは天を覆うほどの翼が生えている。
「なんだ、アレは――――――――――あんなもの………規格外すぎる………」
戦斧を握る手に力が抜ける。
「ダメだ。あんなものに挑んではいけない」そう、マルドゥクの中の何かが弱音を吐く。「ダメだ。このままでは人類が終わってしまう」そう、マルドゥクの中の何かが警笛を鳴らす。「ダメだ。私がやらなければ全員が死ぬ」そう、マルドゥクの中の何かが叫んだ。
その何かを信じる。それが、勇者であるマルドゥクだった。
「ッ――――――――私が貴様を屠り、「ウェールス・ムンドゥス」を死守する! この命に代えても!」
戦斧を握り直す。
九重の蛇焔は天を覆い、その九つの首で地上の芥を焼いていく。
「原初降す決別の時。混沌は解かれ、秩序を新たに生まれ変わる。世界を成すは、我らが理。廻り、育み、営み、そうして世界は進んで行く。しかして、我らは原初を忘れることはないだろう―――」
握られた戦斧はその姿を、マルドゥクの身の丈すら超える巨大な弓へと変えた。大いなる水の盾と大いなる風はマルドゥクの体から抜け出し、空中で混ざり合って、一本の矢へと変貌する。
大いなる風が体から抜けたことによって、右脚の支えはなくなった。しかし、痛みを気にすることなく立ち膝になる。右脚の断面から血が滲み出る。
戦斧の変貌した弓に、自らの権能を賭して作り上げた矢を構えた。目標は、サナ。
「――――原初降すは我らが愛と知れ!」
矢は射られた。それは終焉を齎し世界を開闢する一射。その速度は空気の壁を破壊する。自身の体的損傷すら厭わないその一射にサナは気が付いた。
「ほう、やるではないか」
瞬間、魔術陣を描く。
「私は原初の名の下に、世界を睥睨し選別する。独断、偏見、自己愛とエゴ。誰も殺したくない、誰も傷つけたくなどない。ならば、元から無かったと、そうすれば傷つかず済むではないか。故に、汝などいなかった」
詠唱の完了し、左腕を「原初降すは我らが愛と知れ」へと突き出した。するとサナと一矢の間に十一枚の薄紫色の円形の壁が現れる。そして、一矢と膜は激突する。
ガラスが砕けるような音と共に壁の一枚目が砕かれた。しかし、一矢の速度は確実に落ちた。一矢は二枚目、三枚目と、その速度を落としながらも砕いてく。
「やるではないか………」
ふと、右腕を手繰るように振るった。
「何ぃい!」
その意図に気が付いたマルドゥクは咆哮する。
サナが手繰ったのは、他でもない、「九重の星壊の蛇焔」だった。蛇焔はその巨体をくねらせて抵抗するが、そんなものを意に介することなくサナは手繰り寄せる。
そして、六枚目の壁を砕きつつある一矢が、七枚目に到達する前に蛇焔がそれに衝突した。
天すら焦がす爆発が戦場の汚れきった空気を彼方へと吹き飛ばす。
「だが、この程度で防げるようではまだまだ、だ」
その言葉通り、「原初降すは我らが愛と知れ」は「九重の星壊の蛇焔」と共に消滅し、サナの目の前には四枚の壁だけが残っている。
「ふぅ」
サナは地面に降り立った。その視線の先には燃える大地がある。「九重の星壊の蛇焔」によって刈り取られ、焼き尽くされた人々の山。そこには生命の息吹などない。頬を撫でる風は熱を帯びている。
「何故だ……私の――――」
握られた弓は、その形状を保てなかったかのように砕け散る。そして、マルドゥク自身も力が抜けたようにその場に伏す。
「――――弱いからだ」
マルドゥクの言葉を遮り続けた。
「汝は弱い。きっと、私を降ろすことなくともサナが汝を屠っていただろ。魔王(キングゥ)としてまだ浅い咲和にすら汝は殺される。十一の獣と殺り合っては、嬲られた挙句、その首を王国の通りにでも晒されていただろうな。良かったな、私が相手で。なんせ、私は慈悲深い。そのような凌辱は趣味じゃない。よって、一撃で終わらせよう」
凌辱が趣味じゃない、と言ったものがするにはあまりに嗜虐的で、しかしいっそう優しいとまで言える笑みだ。それこそ、女神のようだと、そう言えるものだった。
「ティアマァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアトッ!」
地を這い、大いなる母の名を叫びながら手を伸ばす。
「ここは、一応言っておいてやろう。『これこの一撃を以て、人類終結とする――――「人類終結さえも私の愛と知れ」』」
パチンッ。
マルドゥクはその体ごと収束し、血の一滴すら残すことなく「トラウェル・モリス」から消え去った。
神代終結の勇者の最後は、このようにあっけのないものだった。
「ムシュフシュよ。汝はどうする?」
サナは自らを愛おしそうに見るムシュフシュに手を差し出す。言葉とは裏腹に、その行為に対する答えなど一つしかなかった。
「我が愛は大いなる母の為に」
差し出された手を取り、その甲に口づけを。
「よし。汝の愛、母は確かに受け取ったぞ」
その笑みは少女のようなサナがするには、あまりにも母性的だ。
「ああ、ありがたき幸せ。もう死んでも構いません」
手に頬ずりをする。
「いや、死んではいかんだろうに―――――しかし、まぁ、これからは咲和を頼むぞ」
「はい。この命に代えても、我らが王を守って見せます」
「いやだから………まあ、よい。ではな、皆にもよろしく伝えておいてくれ」
その言葉を最後に、サナの体から蒼黒の光は抜けていく。
光の抜けた咲和はその場に崩れる。それは、ムシュフシュによって受け止められた。
「ああ、私はまた貴女の為にこの命を振るうことができる。これがどれほどの幸せか。貴女にはお分かりにならないでしょう…………」
愛する娘を愛でるように、ムシュフシュは抱き留めた咲和の頬を優しく撫でた。その顔には、邪悪なほど純粋な笑顔が張り付いていた。
******
勇者の死後、咲和を抱きかかえたムシュフシュは帝都までやって来た。ココに来れば、十一の獣と合流できると考えたからだ。しかし、未だ帝都には誰も戻ってきていなかった。
彼女の腕の中で、咲和は小さく寝息を立てて眠っている。
静かな帝都を行くムシュフシュは、独り言ちる。
「姉さんたちに会ったら、なんて言えばいいんだろう………」
ムシュフシュは他の十一の獣から見れば裏切り者だった。勇者に与する反逆者。そんな者が、自らの王を抱いて戻って来たとなれば、その場で戦闘になりかねない。
気づけば、ムシュフシュは城の前までやって来ていた。そして、躊躇いなく扉を開ける。
「「お帰りな――――――――――ムシュフシュ、どういうつもりかしら?」」
扉を開けた先には、ラフムとラハムが手を繋いで待っていた。しかし、その表情は険しい。
「ラフム様、ラハム様。お久しぶりでございます。ムシュフシュが帰還いたしました」
「「貴女の帰還など、誰も望んでいない。サナを置いて直ちに去れ。さもなくば―――」」
「大いなる母の命により、私はココに帰還いたしました。大いなる母は私にサナ様を守れと言った。そして、皆にもよろしくと」
ムシュフシュは二人の言葉を遮って告げた。
「「母様? …………じゃあ、先の光は」」
二人の表情が崩れる。
先の蒼黒の光は「ウェールス・ムンドゥス」の全土から確認できた。当然、二人の目にも入ったことだろう。そして、そこから二人は答えを導き出す。
「「つまり、サナは母様を降ろしたと?」」
「そう言うことなりになります」
「「そう……そうだったの…………サナが…………」」
二人はその場に、力が抜けてしまったのかしゃがみ込む。その表情は安堵と驚愕の混ざった不思議なものだ。
「大丈夫ですか?」
「「え、ええ。大丈夫よ。問題ないわ。まずは、サナをどこかの部屋で休ませなさい」」
「かしこまりました」
小さく首を垂れて、ムシュフシュはその場を後にした。彼女の背中を見送った二人は、
「「私達も母様とお会いしたかった………」」
小さな嫉妬を言葉にした。




