五章 謁見
五章 謁見
「これは驚きですね……」
帝都へと侵入した咲和たちは外壁内の賑やかさに驚いた。
戦時中だというにも関わらず、そこは祭りの最中かと間違うほどに賑わい、行き交う人々の顔には笑顔が溢れていた。通りの左右には様々な店が立ち並び、まだ昼だというのに酒盛りをしている男性もいる。
「来る場所を間違えたか?」
ギルタブリルが心配そうに告げる。しかしここが帝都で間違いはなかった。通りの奥、帝都中心に聳え立つ塔のような城がそれを証明していた。
その他にも、空を碁盤の様に切り取る送電線や煙を吐き続ける巨大な煙突と鉄塔、時折目の前を走っていく自動車。その全てが「トラウェル・モリス」において、この国でのみ見ることのできる光景だった。
「……………行きましょう」
帝都を歩く咲和とギルタブリルの間に会話は一切ない。ギルタブリルは帝都の雰囲気に呑まれて、どこか浮ついているが、咲和が沈黙を貫いている為に口を開けないでいた。
そんな中、咲和たちの横を、咲和と背格好のかわらない女の子とその両親が手を繋いで通り過ぎた。それを見た咲和は小さく拳を握り締めた。
「え?」
ギルタブリルが握り締められた咲和の手を取った。
「さっきも言ったが、大丈夫だ。サナ様には家族がいる」
「………ありがとうございます。少しの間、こうしていてもいいですか?」
「ああ、構わないぞ」
******
城は深い堀に囲まれており、そこに掛けられた橋の前には左右に一人ずつ帝国兵が立っている。そして、当然のことだが、城門の前にも屈強な門番がいた。外壁にいた人数と同じ四人。
外壁の時同様に咲和たちは静かに近づいていく。
咲和は指を振るう。
「「止まれ! 何用か」」
橋の前の二人の帝国兵は同じ声で同じことを言った。
描かれるのは魔術陣。
「……… “普通”だ」
ギルタブリルは瞳の色を変えて小さく言う。
言葉と共にギルタブリルは自身の持つスキルを発動させた。
スキル『マーシュの眼』は、対象の戦闘能力を量るスキルである。対象の持つスキルや保有魔術までも把握し、自身の物として扱うことが出来る。しかし、扱うことが出来るスキルも魔術もギルタブリルの魔術適正や魔力量の及ぶ範囲と言う制約がある。
「「――――魔術師か!」」
二人の帝国兵の声に門の脇に立っていた門番四人も事態の重さを悟ったのか、持ち場を離れて駆けてくる。
二人の帝国兵は握った槍斧を突き出した。それは咲和を貫く間近でギルタブリルの尾によって弾かれる。
「此度、この戦場において我は不敗。敗北などありはしない。敗北などあり得ない。敗北など許されない。ならば、ここに誓いを立てよう―――――――獣に敗走などありはしない」
詠唱は完了し、咲和は指を鳴らす。魔術陣は光を灯し、それは現れた。
巨人すら屠らんとする鋭牙と、しなやかで強靭な筋肉のついた躰を持った怪犬。その恐ろしいまでに美しい白銀の体は、二本の錆び付いた鎖で縛られている。
【我が主よ、此度は何用か】
白い獣は、老齢の騎士のような厳かな声色で言う。
「殺してください」
端的にそう返す。
【御心のままに】
白い獣は首を垂れ、姿を消す。
「どこへ消え―――――」
「なにがお――――――」
二人の騎士は冗談のようにあっさりとその首を地面に転がす。気が付けば、白い獣は咲和の隣にいた。
「残りもお願いします」
【御意】
短く返した白い獣はまたもや姿を消した。
四人の門番がこちらに駆けてくる。瞬間、門番たちの隣を白い獣が通り過ぎた。ただそれだけのことで、四人の門番たちは泥人形のようにボロボロと体を崩壊させた。そしてまた、気が付けば、白い獣は咲和の隣にいる。
「ありがとうございます」
【では、これにて失礼する】
踵を返した白い獣は、白煙になり風に靡かれ消えた。
******
城内は町の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
それもそのはず。城内に侵入を果たした咲和とギルタブリルは、出会った人間を須らく殺していたからだ。誰一人として声を上げることもできずに死んでいった。きっと中には自分が死んだことにすら気が付いていない者すらいるだろう。
城内を歩き回り、ほとんどの部屋の人間を殺して回った咲和たちは、城の上層に位置する部屋までやって来ていた。
「さて、あらかたの部屋は見て回りましたね。ココが最後の部屋です」
「…………ん? ……… ”強い”」
咲和がドアノブに手をかけると、ギルタブリルが小さく呟いた。
「 ”強い”?」
ギルタブリルの言葉に咲和は体を強張らせた。何故なら、この先にいるものは十一の獣たるギルタブリルが強敵だと判断するほどの者だからだ。今まで通りの蹂躙とはいかない。
「では、気を引き締めるしかないですね」
ギルタブリルは『天冥の番』を発動させる。
咲和は扉を開けた。
部屋は城での咲和の部屋ほどの広さがあり、シンプルな装飾品で飾られている。天蓋付きのベッドは咲和の使っている物よりも幾分か大きい。部屋の奥、開けた扉の正面にもう一つ黒塗りの扉があった。
咲和が何よりも気になったのは、壁際に七体立っている、天井まで届くほどの大きな甲冑だった。
「「フィクティ・ムンドゥス」の者がこのような場所に何用か」
それは透き通る鈴の音のような、愛らしく、勇ましい声だ。
「この人が皇帝、イシュ・アッガシェル……………………………………………………違う」
ベッドに腰掛けていた皇帝と呼ばれたその者は立ち上がり、傍らにあった大剣と呼ぶにふさわしい機械仕掛けの怪剣を手に取る。
「全然違うじゃないですか!」
「どうした?」
「おろ?」
突然の咲和の咆哮にギルタブリルとイシュは目を見開く。咆哮によって、イシュは咲和の存在に気が付いた。これでは、部屋に入る前にギルタブリルがスキルを発動させた意味がない。
「これっっっっっっっっぽっちも違うじゃないですか! 何が、男装の麗人ですか! 何が私と変わらない背格好ですか! 何が私と似たような歳ですか! 意味が解りません、ズルです! そんなのズルですよ! 私だってちゃんとご飯食べてるし、ちゃんと寝てるし、ミルクだってたくさん飲んでるにも拘らず、ちんちくりんなのに! ズルいズルいズルいズルいズルい!」
地団駄を踏みながら咲和は吐き出すように続けた。ギルタブリルのスキルを無駄にしてまで咲和が吐き出したのは、皇帝イシュ・アッガシェルの容姿についてだった。
咲和と変わらない小柄な体、軍服に身を包み、その長い焦げた赤毛は後ろで一つに結ってある。強い意志の宿った、黄金色の瞳の切れ長の目。顔の一部と左腕は機械に置き換わっている。
そして、軍服の上からでもわかるほど豊かな胸。
一方で、咲和は細い線の少女そのものだった。つまり豊かとは言い難い。
「「フィクティ・ムンドゥス」が王、キングゥだと?」
「皇帝、イシュ・アッガシェル! 私がその邪魔な駄肉を削ぎ落してあげます!」
「よくわからぬが、余の体に駄肉なぞ存在せぬ! 見よ、この完成された肉体を!」
自身の体を誇るかのようにクルリと舞って見せた。その行為が咲和の嫉妬に火をつけた。
「決めました。骨すら残さず灰にしてあげましょう―――――焼く妬く厄。この災厄を以て、我が怨敵を焼き滅ぼす―――妬災の蛇焔!」
一瞬で、魔術陣を描き、指を鳴らした。魔術陣からは火焔の蛇竜が飛び出し、イシュを呑まんと口を開けた。
「流石は「フィクティ・ムンドゥス」が王、キングゥ! 余の相手に相応しい! 」
黒塗りの扉を背にイシュは握った大剣を振るう。それは余りにも巨大な鉄の塊で、小柄なイシュが振るうには過ぎる代物だ。しかしそれを難なく振るって見せた。
振るわれた大剣は蛇竜を真ん中ですっぱりと切り裂いた。切り裂かれた蛇竜はその形を保てず崩壊する。
咲和とギルタブリルの顔に驚愕が張り付く。
今まで咲和の魔術を打ち破る者は十一の獣のほかにいなかった。彼女らも無傷で消し去ることはできなかった。しかし、人間であるイシュは咲和の魔術を打ち破った。
「我が帝国の威光を見よ! 砕かれ、滅び、己が弱さを悔いるがいい。反逆者の首は断たれ、我らが帝国の悠久の繁栄は約束された! 皇帝謳いし星砕きの機兵」
それは詠唱だ。しかし、魔術陣はない。
キュィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイン。
イシュの体の機械に置き換わっている頬の歯車と大剣に填っている歯車が回転し、赤く熱を持った。その一瞬の出来事だ。
凄まじい剣戟の音と共に、咲和とギルタブリルは宙を舞った。
「我が傷は消え失せる……」
「……魔術?」
二人はクルリと体を捻って、着地を果たす。
咲和はイシュを見る。魔術陣を描いた軌跡はない。しかし、先ほどの祝詞は確実に魔術詠唱だった。ならば、どこかに魔術陣が存在する。
(―――まさか!)
赤く熱を持った歯車は未だに回転を緩めることはない。歯車を見た咲和は駆けた。その手には衝怒の絲剣を握っている。
咲和の行動に倣って、ギルタブリルも駆けた。そして、蠍の尾をイシュへと伸ばした。
「そのような細剣と細尾で、我が機械仕掛けの帝剣を受けきれるかっ!」
帝剣を高く振り上げた。その姿は断頭台の処刑人が如く。
「母さんの剣がそんな鈍らで砕けるものか!」
帝剣が振り下ろされる刹那、咲和は絲剣を振り抜き、ギルタブリルは帝剣の刀身に尾を巻き付けた。しかし、帝剣の熱が蠍の尾を焼く。
絲剣はリンゴの皮を剥くかのように、イシュの軍服を剥いた。軍服は剥かれ、露になったイシュの体に咲和とギルタブリルは愕然とする。
「貴女は……」
イシュの体がその半分以上が機械に置き換わっていた。そして、その体全てに無数の傷の様に、魔術陣が刻まれている。魔術陣は熱を持っているかのように赤く仄かに灯っている。
「皇帝である以上、余がこの国で最も気高くなくてはならん。そして気高き者は強くもあらねばならぬ。その為にこの身を削ることなど造作もない。余は誓ったのだ。もう、この手から何も溢さぬと!」
振り上げた帝剣を床に突き刺して、堂々とイシュは言い放った。その堂々たる様に咲和は一歩後退った。
「――――ッ王ともあろう者がこの程度で臆するか!」
その様子を見たイシュは怒りを露にする。自分が認めたものが自身の覚悟を聞いただけで退いたのだ。その事がイシュには許せなかった。皇帝としてそんな者を認めてしまった自分のことが心底許せない。
「魔力を廻せ! 全力で行くぞ!――――――此度、この戦場において余は無敗。敗走などありはしない。敗走などあり得ない、敗走など許されない。余の憤怒こそ絶対の刃である――――――皇帝率いる千歴の英霊」
床に突き刺した帝剣の柄を握り、一瞬で詠唱する。すると、イシュの体に灯っていた赤い魔術陣は消え、新たに青色の魔術陣が灯った。
「――――――――――――ッ!」
「うおぉ!」
咲和とギルタブリルは左右に跳び退いた。
二人のいた場所には帝剣を超える大剣が七本、深々と刺さっている。
「鎧か!」
見上げたギルタブリルが思わず溢した。
壁際に立っていたはずの鎧が大剣を振り下ろしていた。
「これも魔術ですか!」
「そうよ! その慧眼のまま余に迫れ! でなければ、ココからは生きて出られると思わぬことだ!」
(この人は強い………きっと、私よりも実戦経験は豊富だ……)
咲和をこれまで感じたことのない恐怖が支配する。足が震え、その震えが全身へと伝わる。目の間には自分のことを殺さんとする、イシュがいる。そのイシュは自分よりも遥かに実戦経験が豊富だ。しかもココは敵の本拠地。自分の味方はギルタブリルしかいない。
(………この人に勝つ?)
ふと、そんな疑問すら湧いた。
自分にイシュを倒すことが出来るのだろうか、と。
体の震えは止まらない。
「―――――!」
手を握られた。
「大丈夫。サナ様には家族がいる!」
ギルタブリルが咲和の手を両手で包み込んでいる。
「ギルタブリルさん………ありがとうございます」
小さく頷いて、ギルタブリルは手を放す。そして、咲和に背を向けた。その視線の先には七体の巨鎧がいる。
「こちらはあたしに任せろ。サナ様は皇帝に集中してくれていい」
「行きます!」
二人は同時に床を蹴った。
「奴だけで、余の皇帝率いる千歴の英霊が相手取れるものか!」
「彼女のなら問題ありません!」
衝怒の絲剣と機械仕掛けの帝剣とがぶつかり合う。
「あたしをなめるな!」
二人の後ろでギルタブリルが声を上げる。
ギルタブリルが蠍の尾を巨鎧の片脚に巻き付ける。
「ふん!」
そして、尾を引いた。バランスを崩された巨鎧はそのまま転倒する。巨鎧を中心に床に亀裂が走った。
残った巨鎧が、その手に握る大剣をギルタブリルへと振り下ろした。
「計算通りってやつだな」
巨鎧達の大剣に依る振り下ろしによって、床に入った亀裂は巨大な穴へと変貌する。当然、その中心にいたギルタブリルは落下する。その穴を作った巨鎧達も同じようにその穴に吸い込まれていく。
「ギルタブリルさん!」
その光景に思わず咲和は穴の方を見た。その隙にイシュは帝剣を振り抜いた。それを受け止めきれず、咲和は後退りをする。
「大丈夫、あたしたちがいる!」
その言葉を最後にギルタブリルは穴へ落ちて見えなくなった。
「いい家臣を持ったな」
「だから応えなければならない! 皇帝イシュ・アッガシェル。全力を以て、帝国をわが手に堕とします!」
衝怒の絲剣を握り直し、床を蹴った。咲和の言葉にイシュは目を見開く。
「余を前にそのような戯言を……。しかし、よいだろう。かかってくるがいい。この皇帝イシュ・アッガシェル、己が全力を以て、貴様の全力を打ち破って見せよう!」
機械仕掛けの帝剣を握ってイシュは床を蹴る。
空気を震わせるほどの剣戟。衝怒の絲剣と機械仕掛けの帝剣とを、お互いに削り合いながら打ち合っていく。衝怒の絲剣は紐解けていき、機械仕掛けの帝剣は歯車を溢す。宝剣と呼ぶにふさわしい怪剣は互いを削り合う。それは、二人の少女が行うには余りにも命を削りすぎている。
互いに一歩も引かず、前へ前へとだけ進んで行く。
一方が踏み込めば、もう一方がさらに踏み込む。
終わりなき剣戟。
そう思えた。
「―――――ッ!」
しかし、鍔迫り合いになるとイシュの機械化された左脚での回し蹴りが、咲和の鳩尾に深く突き刺さった。
そのまま穴ギリギリまで蹴り飛ばされる。
「その程度で終わりか! 「フィクティ・ムンドゥス」が王よ!」
絲剣を支えに立ち上がる。
「まだ……まだです………」
(しかし………一人できついのは事実ですね……)
それほどまでに皇帝謳う星砕きの機兵の効力は絶大だった。
本来、人間でない咲和との剣戟に人間であるはずのイシュが付いてこられるはずがなかった。その上十一の獣から戦闘と魔術の訓練を受けた咲和は、自身やギルタブリルが言ってきたように人間が敵う相手ではなかった。だというにも拘わらず、イシュは咲和との剣戟を制した。それは魔術による補助が大きいこと示している。と、咲和は考えた。
「新たな魔術か―――――――――貴様、いくつの魔術を使えるのだ!」
魔術陣を描く。それは、今まで描いたことのないものだった。
「私の世界の威光を見よ! 砕かれ、滅び、己が脆弱さを悔いるがいい。勇者の首を断たれ、十一の獣の栄光を約束された。凱旋の時は近い!原初謳いし世界砕きの獣兵」
それはイシュの魔術の模倣魔術。咲和が使う為に魔術を組み合わせて作った贋作に過ぎない。しかし、それでも咲和の内包する魔力と魔術適正が高ランクの魔術へと昇華させた。
ドレスの背中側が弾け、そこから一対の竜翼、腰からは棘の生えたしなやかな尾が生える。そして体のいたる部分が、蒼銀の竜鱗で覆われる。額からは蒼白の角が二本延びていた。
「その詠唱……その姿……」
「私だって、家族の為にこの身を削ることなぞ造作もありません!」
魔力を伴った羽ばたきで飛翔した。
「………よい! 余は貴様が気に入った!」
咲和は飛翔の勢いを殺すことなく、そのままイシュへと突っ込んだ。それにイシュも帝剣を振るって応えた。
再度、衝怒の絲剣と機械仕掛けの帝剣はその身を削る。
しかし、今回は咲和に分があった。
剣戟の中に、咲和は尾に依る攻撃を織り交ぜる。それによって、咲和の手数は純粋に一つ増えた。それだけの差が二人の勝負では圧倒的な差だった。
「――――――ンガッ」
咲和の尾に依る一撃がイシュの生身の部分である腹部に深く突き刺さった。短い嗚咽の後、イシュは気を失った。
「さて………問題はココからです、か」
咲和はイシュではなく、黒塗りの扉に視線を向けて小さく溢した。
******
イシュをベッドへと寝かせて、黒塗りの扉に向かう。
(―――ん?)
ドアノブに手を伸ばす。しかし、それを透明の膜が阻害した。柔らかくしなやかな布のような膜は、扉全体を覆う様に張られている。
(………機械化先進国に魔術防壁。しかも、触れるまで分からないようなものを)
「私は万象の鍵。汝解き放つ自由の輩――」
静かに詠唱を始める。同時に絲剣を使い魔術陣を描いていく。
「――世界を見よ。己が手で確かめよ。己が足で世界を踏みしめよ。さすれば、真なる己が見えてくる。私はそうして成った―――――万象開く束縛の鍵」
描かれた鍵穴のような魔術陣に絲剣を通し、回す。ガチャン、と言う音共に膜は薄れて消えた。
もう一度、咲和はドアノブに触れる。何にも阻害されることなくドアノブを捻り扉を開けた。
開け放たれた黒塗りの扉の先には、長く続く螺旋階段があった。
******
長い螺旋階段を上りながら、咲和は考える。
なぜこのような場所に魔術師はいるのか。
国民たちから、外界から隔絶された塔の最上層にいる理由。しかもそこは、皇帝の自室からしか行けない。皇帝のみが会うことを許される人物。
国民から遠ざけなければならないような危険な人物?
衆目に晒されれば皇家の名に傷がつくような人物?
前者であるならば、死刑、若しくは地下牢などで終身刑になるはずだ。少なくとも塔の最上階に幽閉するようなことはしないだろう。
ならば後者。しかし、こちらも傷がつくようならば殺してしまえばいい。生かしておいて、何かの間違いで脱走されるリスクは軽減できる。
では、三つ目の可能性。
衆目に晒されれば皇家の名に傷がつくような、愛された人物、であればどうだろうか。
この場合対象は誰でもいい。娘息子でも、母父でも、叔母叔父でも、祖母祖父でも、曾祖母曽祖父でも、その他でも。重要なのは、愛された、と言う点のみだ。
愛とは感情の中でも流転しやすいものだ。しかして、人間と言う生き物を縛るには十分すぎるものでもある。愛する人の為に人間は人間を殺し、愛する人の為に人間は死ぬことができる。であれば、愛する人を守るために、その人自身を監禁幽閉することだってできるのだ。
独断と、偏見と、歪んだ愛ゆえに、魔術師は塔の最上層へ幽閉された。
衆目に晒されることもなく、故に友人と笑い合うこともできず、空を仰ぎ見ることもできず、誰かと手を取って共に歩くこともできずに………。
気が付けば、咲和は黒塗りの扉の前に辿り着いていた。それ以上階段はない。ここが塔の最上層だ。
「きっとこの先に――――」
(―――――魔術師(噂の人)がいる)
イシュの部屋の物とは違い、こちらには魔術防壁は張られておらず、すんなりと開けることができた。
中は、イシュの部屋を小さくしたような空間だった。巨鎧こそないが、調度品はイシュの部屋の物とそのほとんどが同じだった。しかし、その中に異質なものはあった。部屋全体を使って描かれた奇妙な絵だ。天井、壁、床、その全てに渡って描かれている。それは、イシュの体に刻まれていた魔術陣に似ている。
「…………………………………綺麗」
それは自然と零れた言葉だった。
扉から向かって左側の壁際に置かれた天蓋付きのベッドで、上半身だけを起こし本を読んでいる一人の女性。扉が開いたことに気が付いて、咲和を見て、微笑んだ。
艶のある淡い赤毛のロングストレートヘア、黒地に小さな金色の刺繍のあるワンピース、黄金色の瞳の垂れ眼。日を拒絶し続けたかのような、死人じみた白肌。その線は余りに細く、風に吹かれただけで消えてしまいそうだ。
そんな、精巧に描かれた絵画のような美女は微笑んだまま、口を開いた。
「お初にお目にかかります。私はシュガル・アッガシェルと申します。「フィクティ・ムンドゥス」が主、キングゥ様がこのような場所に何用でしょう」
鈴の音は咲和の心臓を突き刺す。咲和にとってシュガルの言葉は余りにも想像を超えたものだった。
「なんで………」
帝国に流れるもう一つの噂。
それは、”皇帝イシュ・アッガシェルには盲目の姉がいる” と言ったものだった。しかしそれは、噂であって、国民のほとんどがそのことを信じていなかった。それも当然だ。シュガルは生まれてから、一度も家族以外とあっていないのだから。
「あら、間違えてしまったでしょうか? …………ああ、そうですよね。こうお呼びする方が適切でしたね。転生者「サナ」と」
「――――――な、何で!」
あり得ない発言だった。咲和が転生した者であることを知っているのは「フィクティ・ムンドゥス」の者だけだった。シュガルが監禁されていたように、咲和も数百年もの間、城から出たことはなかったのだから。
「何故? そんなもの簡単ではありませんか。見ていたからですよ」
優しさともとれる笑みを湛えてシュガルは言う。
「見ていたって……そんなこと……」
あり得るはずがない、と続けようとした言葉はシュガルによって遮られる。
「可能ですよ。では、僭越ながら、二つほど忠告しておきましょう。まず一つ、魔術防壁の一つでも張っておいた方がいいですよ? 私のような不埒者がいつ、貴女方の生活を除き見ているかわかりませんからね。
そして、もう一つ―――――――肉体からの解放、魂の牢獄、安然の世界。血を堕とし、今ここに冥府の顕現を。私は冥府の主人とならん。死者は須らく、その全てが私の物だ。死に、滅び、腐敗せよ。冥府の檻は死を内包する。この部屋へは立ち入るべきではありませんでしたね」
詠う様に言葉は紡がれる。そして、部屋全体が灯った。
瞬間、咲和は床を蹴り、魔力を伴った羽ばたきで飛翔する。
(魔術だ――――それも、私達の知らないもの)
咲和が元居た場所には卵のような形をした檻が出現した。檻と呼ぶには余りにも小さいそれは、もはや籠だ。
咲和がイシュの元まで行こうと飛ぶが、その先には檻が出現する。
「くそっ!」
「ふふ……がんばってください」
シュガルはベッドから動かない。しかして、床からは檻が生え続ける。咲和は檻を避けることに精一杯だ。シュガルの元へは辿り着けない。このままでは防戦一方だ。
「こんなもの!」
目の前に現れた檻を尾で薙ぎ払おうとした。
「―――ッ! 触れただけで」
尾が檻に触れた途端、尾に鋭い痛みが走った。それはまるで尾を割かれたかのような痛みだ。咄嗟に尾を引く。
「逃げているだけでは、私の下へは届きませんよ?」
シュガルはそんな咲和の姿を見てほくそ笑む。
「そんなこと――――ッ!」
尾の次は翼に痛みが走る。翼を下から檻が突いていたのだ。突かれた部分から翼が腐敗していく。骨も露出している。
(このままじゃ………仕方ないですね………)
「我は時駆けの獣。我が前には万里の門。砕き、綻び、割け、世界を晒す。我らが道は、栄光ヘと続いている――――世界繋ぐ獣の門」
檻を避け続けながら魔術陣を描き、詠唱を完了する。
一瞬で咲和は部屋から離脱を果たした。
「……逃げられましたか」
残されたシュガルは、駆除するはずだった害虫に逃げられたかのように、淡々と溢した。
咲和が移動した先は、イシュの自室だ。
(ギルタブリルさんは大丈夫でしょうか……)
未だにギルタブリルは戻ってきていなかった。穴からは何一つ音が聞こえない。
(もしかして――――)
最悪の予想をしそうになり、咲和は頭を振ってその予想をかき消して、ベッドへと歩を進める。
ベッドには先ほど咲和が眠らせたイシュが横たわっている。規則正しく上下する胸を見て、まだ息があることを確認した。
「貴女が必要です。こんなこと、したくはありませんでした」
(私は貴女たちの仲を割きたいわけではないんです………本当です。本当なんです)
世界繋ぐ獣の門をもう一度発動させ、イシュを抱きかかえた咲和は部屋を後にした。
「お帰りなさいませ―――――あら、イシュもご一緒なのですね」
シュガルの部屋に戻って来た咲和に抑揚の少ない声でシュガル入った。冥府の檻は死を内包する(クル・アルラトゥ)は解除されている。魔術陣の灯りもなく、卵型の檻もない。
「ええ………シュガル・アッガシェル。貴女に問います」
イシュを床に寝かせながら、声だけをシュガルに向ける。
「問い……貴女のような高貴なお方に、何を問われると言うのでしょうか」
皮肉めいたことを、心の籠った言葉で言ってのける。
「我々に、帝国を明け渡しますか? 明け渡さずに死にますか?」
「私にメリットは?」
コテン、と糸の切れた傀儡の様に首を傾げる。その姿は遠い日の誰かと重なった。
「ありません。ですが、断れば今ここで貴女を最愛の妹であるイシュ・アッガシェルを殺します」
寝かされたイシュの首元に絲剣を突き立てる。その行動に、シュガルの目は一瞬だけ見開かれた。しかし、すぐにその目は静かに伏せられる。
「問い………そんな強制力のある物を問いとは呼びませんね」
「仮にそうであろうと、関係ありません。貴女が「Trado」と答えればそれで済むのですから」
しかし、絲剣がイシュの首元から動くことはない。シュガルが「Morior」と答えれば、すぐにイシュの命は絶たれるだろう。
「城内の者を蹂躙し尽した魔王たる貴女の言葉を信じろと?」
「そうです。行動を度外視して、言葉だけを信じてください」
「無理を仰いますね。ですが………わかりました。貴女の言葉を信じましょう」
「いいんですか?」
断れるとは思っていなかったが、こうまであっさりと承諾されるとは思っていなかった咲和は驚いた。
「ええ。貴女を信じましょう、転生者「サナ」。ただ、私からも条件があります」
「んん………姉、上?」
最悪のタイミングでイシュが目を覚ました。イシュがそのまま起き上がろうとした為、咲和は絲剣を退けてしまう。
「国を明け渡す代わりに、私とイシュの命だけは保証してください。他の物はどうしてくれても構いません。国民を蹂躙しようが、我が国の技術を盗もうが好きにしてください」
シュガルはイシュが目覚めたことも構うことなく言葉を紡いだ。
「姉、上? 何を仰っているのだ? 国を明け渡す? 国民を蹂躙? あたしにわかるように言ってください」
咲和がいることに気が付かず、イシュはふらついた足取りでシュガルに歩み寄る。その声は皇帝としてモノではなく、妹としてのモノだった。
「そのままの意味ですよ。私と貴女が生き延びるために、私は国を売るのです」
「な、何を………姉上、母上の言葉をお忘れですか! 我ら皇族は誰よりも気高く、強くあり、民を、国を守ることこそが使命のはず! 仰っていることがどれだけ血迷ったことか、わかっているのですか!」
懇願のような咆哮は空しく部屋に響く。その咆哮に咲和は拳を握ることしかできない。
「ええ、わかっているわ。でもね、イシュ――――」
紡がれた言葉にイシュは崩れ落ちた。それは皇族たるシュガル・アッガシェルが口にしていい言葉ではなかった。そして、最もイシュが聞きたくない言葉でもあった。
「私はこんなガラクタや見ず知らずの屑共なんかよりも、唯一の家族であり、私のことを愛しいと言ってくれた貴女のことが大切なの。貴女の為なら、私は国を売り民を売り、自身すら売ることができる。そして、貴女に罵られようが憎まれようが構わない。私も貴女のことが愛しいから」
その言葉は、いつか咲和に向けられたものと似ている。大いなる母が愛しいと言った、それだけ理由で、咲和はラフムとラハムに愛しいと言われた。愛しい妹だと手を握ってもらった。そして咲和はそれを受け入れたのだ。
しかし、イシュには受け入れることなんてできなかった。そもそも、できるはずがないのだ。皇帝になるべく教育を受けたイシュと、幽閉されていただけのシュガルでは価値観が違いすぎた。
イシュは前皇帝である母からいかに国が尊く、国民とは庇護するべきものであるかを叩きこまれていた。皇帝でありながら国民たちのことを第一に考え、月に一度は町に下りて交流を交わしていた。そうすることで国民を身近に感じ、親しみを以て接することができるようになる。最終的には国民を家族と考え、行動することができるようになる、と。
一方でシュガルは、生涯ただ一度の外出を除いて、国民とは隔絶されて生きてきた。元々はシュガルが皇帝の座に就くはずだったが、幼少期より体が弱く、盲目であった為に早々に継承権を失っていた。その上、皇家では稀な魔力を持った体は、前皇帝から忌避されたのだ。そうして、自分の娘を手に掛けることのできなかった母によって、シュガルは城の最上層に幽閉された。幽閉されて以降は、妹であるイシュと、朝夕に食事を持ってくるメイドだけが唯一の話し相手であった。イシュとメイドだけには心を開いていたが、それが母の耳に入るとメイドはすぐに解雇された。そうして、シュガルの交友関係は断たれ、話し相手はイシュだけとなった。
二人では価値観も、見ている世界も違いすぎたのだ。
「姉上…………あたしは………余は――――――」
「シュガル殿、条件を呑みましょう。今後ともよろしくお願いいたします」
そこでようやく咲和の存在に気が付いたのか、振り向き、咲和を睨む。その目からは涙が溢れている。
「―――貴様……貴様が姉上を誑かしたのか! キングゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウ!」
立ち上がり、踏み出した。
パチンッ、と指が鳴る。
部屋中の魔術陣が灯り、イシュは卵型の檻に一瞬だけ閉じ込められる。檻と光はすぐに消えてなくなり、イシュは足元から崩れるようにその場に伏した。
「貴女とは、いい関係でありたいわね」
「ええ、私もそう思っております」
シュガルは笑み、咲和は目を伏せた。
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「どうかしたの?」
隣を歩く弟がわたしを見上げて言った。
「今、誰かが泣いたような……………」
雑踏の中、わたしは塔のような城を仰ぎ見た。




