二章 初陣
二章 初陣
咲和が召喚され、魔術訓練と戦闘訓練に明け暮れている日々から、数百年の時が経った。
それは人の身にはあまりにも長い時間だ。その永劫とも思える時間を生きることはかなわない。そう、人の身なら。
しかし、咲和は人間ではなく人形の体であり、十一の獣は文字通りの獣であり、ラフムとラハムは神話の体現者であり人間とは異なる人外である。つまり、数百年経とうが、城での咲和の暮らしに目新しい変化は起きなかった。
何より、咲和自身が時間経過を気にしていなかったことが大きかった。常夜の世界である「フィクティ・ムンドゥス」は常に月が上り、太陽が上がることがない。その為、陽光と月影の移り変わりによる日付の変化には、気が付くことができない。「フィクティ・ムンドゥス」での一日は、その者が起き、その者が寝るまでの時間なのだ。よって、時には数十時間の戦闘訓練を行っていたり、数百時間かけての魔術訓練を行っていた咲和にとって、日付の変化など既に気にするに値しなかった。
「サナ様、お食事の準備が整いました」
低めのアルトボイスが扉越しに咲和に呼びかける。
「はい、わかりました」
すぐに返事をして、咲和は開いていた魔術書を閉じる。
部屋を出るとムシュマッヘが前で手を揃えて待っていた。
「お待たせしました。行きましょうか」
「はい」
ムシュマッヘは短く返事をして、咲和の後ろに付いた。
ムシュマッヘに対して咲和の態度はだいぶ柔らかな物へと変化していた。言語授業や戦闘訓練を経て、一緒に過ごす時間が増えたことで、ムシュマッヘへの警戒心は解かれていった。勿論、他の十一の獣たちに対しても咲和の態度は柔らかいものへと変化している。
今では、咲和は自分と体格の近しい者には砕けたですます調を、大人の女性に見える者には敬語を用いて話している。そして、ラフムとラハムは対しては甘えてすらいる。咲和にとって二人はそう言った人物であり、二人にとっても咲和は甘えさせてあげるべき人物なのだ。
そして、気づかぬ間に、ラフムとラハムと十一の獣との間の溝も浅いものになっていた。それは咲和の働きによるものだ。できる限り二人と十一の獣との間を取り持ち、一緒に食事を取り、時には一緒に遊ぶことさえした。そうした時間を過ごした結果、城には笑顔が多くなっていった。
いうなれば、それは、家族のようだった。
愛しいと言ってくれた人たちがいて、尊いと思える人たちがいる。
そして、咲和は思うようになる。
ここに、母さんも一緒ならば、と。
******
コンコンコン。
咲和が自室で魔術書を読んでいると、扉をノックされた。
「「サナ、いるかしら」」
扉をノックしたのはラフムとラハムだった。二人だと分かるとすぐに魔術書を閉じて扉に駆け寄る。
「はい、姉さん」
「「本を読んでいたの? ごめんなさい、邪魔をしたわね」」
「いえ、そんなことありません!」
二人の手をぎゅっと握って、力強く抗議する咲和。そこにはやはり妹としての貌がある。
「「そう? ならよかったわ。少し、やってほしいことがあるのだけれど、いいかしら?」」
「はい、よろこんで」
ニカッと笑って見せる咲和に、二人も自然と笑みをこぼした。
二人に連れられてきたのは、城の入り口だった。召喚されて以降、一切近づいたことのない場所の一つだ。入り口はもちろんのこと、咲和は召喚されてから、一度も城から出たことはない。だから、咲和にとって「トラウェル・モリス」の世界は城内だけで完結していたのだ。
「「もうじきココに人間が現れるわ」」
二人は、ぎゅっと手を握ったまま言う。
「人間、ですか?」
コテン、と首を傾げる咲和。二人の姉と十一の獣以外の人物に会うのが初めてで、ましてや人間なんてものは、それこそ数百年、目にしていない。
「「そうよ。我らが怨敵であり、滅ぼすべき塵蟲」」
仇敵の名を口にするかの如く、その声色には闇色の憤怒が籠っている。今まで聞いたことのない二人の声にびくりと肩を震わせる。しかし、
「我らが怨敵………滅ぼすべき塵蟲………」
二人の言葉を反芻すると、その言葉は自然と咲和の中に溶けていった。何の違和感もなく心の奥にまで届く。それは、咲和がキングゥに近づいた結果だった。生前のままだったなら、その声色に嫌悪と恐怖を抱くことはあっても、共感を抱くことはなかっただろう。
「「「フィクティ・ムンドゥス」の月が時折赤くなっていたのは気付いていたかしら?」」
憤怒は霧散し、いつもの調子で二人は投げかける。
「………あ、はい。見たことがあります」
二人の言う様に、「フィクティ・ムンドゥス」では時折、月が真っ赤になる現象が起きていた。咲和はそれをかなり初期に見ていたが、元の世界でも月が赤くなることはあったために、特別なことだとは考えなかった。
「「赤くなった時、塵蟲どもがココにやってくるの。そういう風に私達がしたから」」
「そうだったんですね……知りませんでした。本にも載っていなかったので」
「「知らなくても大丈夫よ。今までは十一の獣たちが片付けてくれていたから問題ないわ。でもね、これからは貴女が殺るの」」
「私が、ですか?」
これまで、家族の為、姉たちの為に訓練を受け、勉強をしてきた。戦闘訓練は人間を想定して行われたし、その中で効率よく相手を殺す方法も学んだ。しかし、それでも咲和は自分がそれを実践できる気がしていなかった。
「「ええ、もちろん。私達の愛しい妹なのだから、なんだってできるわ」」
二人は躊躇なく言ってのける。心から思っているのだ。咲和にならなんだってできる。自分たちの愛しい妹に不可能なんてない、と。
「………わかりました。姉さんがそういうなら、私」
二人が断言したことで、咲和の中にも自信が生まれつつある。でもそれはまだ小さな灯火だ。風が吹けば消えてしまう程小さな火。だから、二人はその火を消さない様にと、断言する。自分たちの愛しい妹が塵蟲如きに遅れをとるはずがない、と。
「「これから頑張る貴女に私達からプレゼントがあるの」」
二人は、パチン、と指を鳴らした。すると、一本の純白の刀身を持つ長剣が二人の目の前に現れる。
「「元は母様が所持していた物よ。私達が使う予定だったのだけれど、私達よりも貴女が持っている方が正しいと思うわ。さぁ、手に取ってみなさい」」
言われるがまま、咲和は純白の長剣を手に取った。
「?」
それは首を傾げるほどに存在感のないものだった。握っているはずなのに、手の中には何もないような気さえする。試しに振るってみても重量を感じさせず、よもや振るっている感覚すら薄い。
「「衝怒の絲剣。その剣の名よ」」
「…………絲?」
名前を聞いてもピンとこず、首を傾げる。
「「ええ。それは何万何億と言う絲を幾重にも紡いで作られた剣よ。故に、絲剣」」
「………燃えそうですね」
「「そんな軟な物じゃないわ。炎熱耐性に衝撃耐性、その他様々な耐性を持つ宝剣よ。なんせ、私達の母様の物だから」」
「そっか……そうですよね。母さんの物だもんね」
欲しかった玩具をもらった子供の様にはしゃぐ。それを表現するように、衝怒の絲剣を円舞でも舞うかのように振るった。
「「喜んでくれて何よりだわ。―――――では、開錠するわよ」」
二人はそれぞれ片腕を前に出し、パチン、と指を鳴らした。すると、目の前の明らかに人間用ではない巨大な扉は、大きな音を立てながら開いていく。
「「さぁ、サナ。私達の愛しい妹よ。塵蟲どもにわからせてあげなさい。お前たちが侵さんと欲すは、大いなる母の領域であると」」
「はい! 姉さん!」
扉は開かれ、咲和は湖に浮かぶ城を飛び出した。
******
扉を飛び出した先は対岸まで続く長い橋だ。橋には深い霧が立ち込めており、数メートル先すら見ることができない。見上げれば、真っ赤な月が深い霧の向こう側から咲和のことを見下ろしている。
(これは……思っていた以上に難しそう……。と言うか―――)
どこにいるのかわからない。
聞こうと思い振り返る。が、扉は固く閉ざされていた。後戻りはできないらしい。二人は姉として少しは厳しくしようというつもりらしい。
(姉さんたちにも考えがあってのはず………あ、そういえば)
咲和は手に持った衝怒の絲剣で空を切る。その様は、空中に何かを描いているようだ。その実、衝怒の絲剣の軌跡には青白い光が残っている。それは、円と複雑な幾何学模様、文字のような何かを組み合わせた図形――――魔術陣。
「我は月、彼の者は陽の光。月影は陽光によってかき消され、深く闇を残す。乱れ、紐解き、我が道を示せ――――月影の道標」
魔術陣の完成し、詠唱は終了する。魔術陣は光を伴い、そこから一匹の獣が現れた。それは真っ白なふわふわの毛に包まれた兎のような生き物。頭からは一本の角が生え、尻尾は蜥蜴のように長い。目は通常の兎のように真っ赤だ。しかし奇妙な光を湛えている。
「思ったより可愛いのが出てきました!」
見た目の愛らしさに咲和は驚き、喜んだ。てっきり、おどろおどろしく恐ろしい外見の生き物が出てくるとばかり思っていたからだ。
【嬢ちゃんが、俺を?】
「…………!」
野太い男の声がどこからともなく聞こえた。その声に咲和は、数百年経った今でも忘れられない、どこかの誰かの声を思い出し、しゃがみ込んで頭を抱えた。
【なんだ、嬢ちゃんじゃねぇのか?】
未だその声は聞こえてくる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
薄れていたはずの「謝り癖」が再発した。
【おいおい、取って食おうってわけじゃねぇんだ。怖がるのはよしてくれ。こんなキュートな見た目なんだぜ? ちょっとは可愛がってくれてもいいと思うぜ?】
呆れたように男の声は言った。
「…………キュート?」
抱えていた頭を上げるが、目の前にはあの愛らしいふわふわの生き物しかいない。
(まさか……)
最悪の予想が頭をよぎった。しかしそれを、ありえない、と頭を振ってかき消した。
【残念ながら、お嬢ちゃんの目の前のが俺だ】
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!」
最悪の予想が的中してしまった為に咲和は壊れた。喚きながら衝怒の絲剣を振り回す。それは目の前の生き物の息の根を止めかねない勢い。
【お、おい! 嬢ちゃん、やめろ。そんなものが当たったら流石に死んじまう!】
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!」
尚をも振り回し続ける咲和。
【しゃーねぇ―――――――――――――――――――――――好きじゃねぇんだがな】
「―――――?」
振り回されていた衝怒の絲剣がその動きを止めた。
【これでいいか?】
声は口調こそ変わっていないが、野太い男の声から幼い少年の声に変わっていた。そして目の前にいたはずのふわふわの白い毛玉はいなくなっていた。その代わりに、声の主と思われる、燕尾服にハットという出で立ちの幼い――咲和と同じくらいの背丈の――金髪の少年が衝怒の絲剣を片手で受け止めた状態で立っていた。
「………………誰?」
【月影の道標だ。嬢ちゃんが呼んだんだろう? なのに話しかけた途端に暴れだしやがって、衝怒の絲剣なんかで斬られれば、流石の俺でも死んじまう】
「貴方が………さっきの?」
事態の呑み込みがうまくできない咲和はオウム返しに聞いた。
【そうだ。俺が嬢ちゃんの呼んだ月影の道標。呼び名はどんなんでも構わねぇ。それと、一応言っておくが、俺は雌だ。雄じゃねぇ】
「…………女の人?」
【人じゃあねぇが……まあ、そういうこった。よろしくな、嬢ちゃん】
そう言って、月影の道標は衝怒の絲剣を放し、咲和に握手を求めてきた。それに咲和はわけもわからず応じた。すると、月影の道標はニカッと笑って、咲和の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。
「…………は、い?」
******
月影の道標が先導し、その後を咲和が付いて行く。未だに橋の上。対岸は一向に見えてこない。
【なぁ、嬢ちゃんがキングゥなんだろう?】
先導しながら月影の道標は問う。その声はやはり少年の物だ。
「………一応」
月影の道標の一歩後ろを歩き、俯きがちに答える。
【一応ってなんだよ。我らが王がそんなじゃ、お先真っ暗だな、ハハハッ】
「………ごめんなさい」
咲和には月影の道標のことがよくわかっていない。自分が召喚した獣だということは間違いないようだけど、それ以上のことは一切不明だ。クサリクに教えてもらった魔術陣と詠唱で召喚できたのだから、信用できる相手なのも間違いない。しかし、先ほどの野太い男の声が咲和の心を揺らがせている。
【ジョークだ、悪かったな。ところで、この姿は嫌いか?】
「………え?」
それは考えてもいなかった問いかけだった。嫌いかどうか聞かれても、咲和には正直なところわからない。同年代のような姿の少年にいい思い出がないのは確かだが、それももう数百年も前の話だ。何より、もうその頃の記憶もおぼろげなのだ。覚えているのは、どこかの誰かへ対する、深い恐怖とそれすら超える憎悪と、どこかの彼女へ対する深い愛情に似た感謝だけだった。
【いやなに、男が嫌いなのかと思ってな? 湖に浮かぶ城の嬢ちゃんたちにはそう言うのが多いからな。まぁ、男と言うより、人間が、って感じもするがな】
咲和はそんなこと知らなかった。皆が男性を嫌っているように見えなかったのだ。確かに城内には男性は一人もいない。しかしそれは、単にいないだけで、嫌いだからだとは思わなかった。
「皆、男の人が嫌いなんですか?」
咲和が聞くと、月影の道標は足を止めて振りかえる。
【お、乗って来たな。まぁ、そうだな。あくまでも俺の見てる感じはだけどな。だってよ、嬢ちゃんたちは女同士でやることやってるだろ? 偏見でわりぃが、男が嫌いでもなけりゃあ、そんなことしねぇだろ。少なくとも俺はそうだぜ? 「ウェールス・ムンドゥス」から男の一人や二人攫ってこればいいだけだしな。嬢ちゃんもそうは思わねぇか?】
「やる、こ、と…………………………………………………………や、やややや、や―――」
咲和の頭の中では、桃色の妄想が次から次へと現れては泡のように膨らんでいく。ムシュマッヘとウシュムガルが……。ラフムとラハムが……。ムシュマッヘとウガルルムが……。ラハムとウガルルムが……。もしかしたら、三人でも………。四人でとか………。
【ちょ、嬢ちゃん? 大丈夫か?】
「や、ややや――――――――――」
遂に頭の中が桃色の妄想で埋め尽くされた咲和は、顔を耳まで真っ赤にして後ろにばったりと倒れた。
【嬢ちゃん? 嬢ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああん】
「もう、大丈夫です………ごめんなさい」
【いや、俺も悪かった。もうあの手の話はよしとくぜ】
数分が経ってようやく目覚めた咲和に、申し訳なさ全開の月影の道標が言った。
【まぁ、とりあえず、人間どもの元へ行こうぜ】
「はい、そうしましょう…………」
二人は立ち上がり、今度は横に並んで歩みを進めた。
未だ二人は橋の上。人間たちとの邂逅に至っていない。
******
【嬢ちゃん、そろそろ見えてくるぜ――――】
咲和の悶絶から一時間。月影の道標が視線を前に向けたまま投げかけた。
何が見えてくるのだろう、と、前方を注視する。すると、
【―――――対岸だ】
月影の道標の言葉通り、そこには橋の終わりが見えていた。が、それ以外に、三つの影も見える。
「あれ………人間?」
確かにそれは人間のような影だ。ムシュマッヘよりも大きな背丈から、成人男性だと、咲和は判断した。衝怒の絲剣を握る手に力が入る。
【だろうな。アレが、我らが怨敵、ってやつだろ?】
「アレが……」
目の前の影が人間だと分かった途端、咲和の中にふつふつと湧く感情があった。それは、大いなる母の仇への憎悪であり、戦闘への恐怖であり、人類に対する圧倒的な殺意だった。
気づけば、咲和は駆けだしていた。姿勢を低くして、三つの影に突っ込む。影たちもそれに気が付いて、臨戦態勢に移った。
【嬢ちゃん! 何やってんだ!】
月影の道標が叫ぶ。
「…………」
それに咲和は答えない。今や咲和中にはどす黒い感情以外なかった。
三つの影の目の前まで到達する。やはりそこには、武装した体格のいい三人の男性がいた。どこかの国の騎士のような出で立ち。銀色の鎧に、一人は剣を、二人は槍を携えている。その鎧は本で見たことのある物だった。見た目からは魔術を扱うようには見えない。
「子供? ………貴様、何者だ」
剣を持った騎士が咲和に問う。その声に、咲和は足を止めた。
「………」
咲和は問いに沈黙を返した。
「名乗らぬというか………。しかし、ココにいる以上、貴様もまた魔物の類だろう」
「………」
やはり咲和は言葉を返さない。
「沈黙を押し通すか。ならば」
騎士は静かに剣を構えた。すると、槍を持つ二人の騎士は咲和を取り囲み、槍を構える。その行動から剣の騎士が三人の中で最も地位が高いのだろう、と咲和は判断した。
「ココで斬り伏せるしかあるまい!」
その声に応えるが如く、二人の騎士が咲和の死角から槍を突き出した。それに合わせるように、剣も薙がれた。
「………」
瞬間、咲和は一切の予備動作無く空へと飛翔した。三人の騎士は咲和を見失う。
剣の騎士の後ろに音も立てずに着地した咲和は、これまた音も立てずに騎士の銀の鎧に、布に鋏を入れるかのように、抵抗なく衝怒の絲剣を突き刺した。
「んぐっ!」
苦悶の声を上げ、振り向く。しかし、咲和は衝怒の絲剣を薙ぎ、そのままの勢いを殺すことなく、体を捻って騎士の首を落とした。あまりにも滑らかなその動きに、槍の騎士二人は全く動けなかった。
そして、剣の騎士の首は橋の上に転がり、体は冗談みたいに血を噴き出しながら倒れた。
槍の騎士たちは自身の上官が殺されたことに、ようやく気が付き、咲和に突進する。
咲和は月影の道標を召喚した時と同じ要領で、空中に魔術陣を描く。
「焼く妬く厄。この災厄を以て、我が怨敵を焼き滅ぼす―――妬災の蛇焔」
魔術陣は完成し、詠唱は完了する。咲和は小さく指を鳴らした。
魔術陣から空気すら焦がさんとする蛇の形をした火焔が噴き出した。その炎の蛇は、突進してきた槍の騎士二人を飲み込み、空まで届く炎柱へと、その姿を変えて燃え盛った。
衝怒の絲剣を振るう。すると、燃え盛っていた炎柱は、蝋燭の火が消えるように小さくなり消えた。後には真っ黒に焦げた二つの肉が残る。
【やるじゃねぇか。流石は我らが王だ】
傍観に徹していた月影の道標が駆け寄ってきて咲和を激励する。
「………ふぅ」
体中に入っていた力が一気に抜けて、その場にへたり込んだ。
【おうおう……。まぁ、お疲れさん。じゃあ、城に帰るぜ―――――背中に乗りな】
「………え?」
月影の道標はまた姿を変えた。服装こそ変わっていなかったが、そこには少年ではなく、黄金の長髪を下の方で結った、大人の女性がいた。身長はムシュマッヘには届かないにしても、女性ならば高い方に入るだろう。
【こっちの方がいいだろう? 何があったか俺は知らねぇから深くは聞かねぇがよ】
そう言って腰を落とした。
「あ、え、………え?」
どうしていいのかわからず困惑する咲和。
【いいから背中に乗りな。疲れてる嬢ちゃんをそのまま歩かせるような、野暮な真似、俺はしねぇよ】
「……………ありがとうございます」
礼を言って咲和は月影の道標の背中に体を預けた。伝わってくる体温が緊張を解いていく。
【いいってことよ】
立ち上がって月影の道標は歩き出した。
咲和の初陣はこうして幕を閉じた。月影の道標に対する感情をうまく整理できないまま、咲和はその背中でまどろみの底へと落ちていった。
帰還した咲和は、ラフムとラハム、十一の獣によって盛大に出迎えられた。月影の道標の背中にいた咲和は、ラフムとラハムによって半ば奪い取られる形で、抱きとめられる。それに月影の道標は、やれやれ、と言った風に頬をかいた。
「ご苦労様」
クサリクが月影の道標に声を掛ける。
【いやいや、アンタの頼みだ。当然のことをやったまでだぜ。じゃあな、今後もご贔屓に】
踵を返し、空間に溶ける。
「全く……素直じゃないですね。―――――サナ様、お疲れ様でした」
クサリクも笑顔で咲和の元へと駆けよる。
【いい顔するねぇ………いやぁ、妬けちまうぜぇ】
そんなクサリクの姿を見た月影の道標は、誰に言うでもなく呟き、溶けるように消えた。




