7 運命
「それで、このあとはどのような展開が待っている?」
魔王はさっそく確認してきた。
私は記憶をさらう。一ヶ月と少し前に一度、全巻を読み直しているが、全編を細部まで記憶しているわけではない。協力すると約束した以上、慎重にいかなければならない。
「聖花ハイドランジェが復活して、一ヶ月くらい経ったということは…………」
「セイントローズ一行は今、アネモネ神殿に向かっている」
「『アネモネ編』…………」
思い出す。
「『アネモネ編』は、大きなエピソードはなかった。ローズマリーはアルタイルを、シリウスはダリアを失って、お互いショックを受けていて…………それで『これ以上、犠牲を出さないためにも、一刻も早く残りの聖花を復活させよう』と決意して…………」
本当は、それ以外にもある。端的には、大事な存在を失った者同士、ローズマリーとシリウスは『傷のなめ合い』というか、慰め合っているうちに、低学年向け少女誌としては少々過激な展開に入るのだが、そこまでこの魔王に伝える必要はないだろう。
「聖花が…………フローラの結界が復活しても、かまわないのよね? だったら、思いきってセイントローズ側にそれを伝えて、和解することはできない? もちろん、すぐには信用されないだろうけど…………少なくともローズマリーは、和解を申し込まれて無下に断るキャラ…………性格じゃないし、ローズマリーが言えば、シリウスも考えるだろうし」
「ふむ」
「和解できれば、それが一番、犠牲の少ない方法だと思うし」
「一理あるな」
魔王はかたわらの黒玉で縁を飾られた等身大の鏡を見て、手をふる。
すると平らな鏡面に、この広間とはまったく別の景色が映し出された。
『誰もいませんね…………』
『油断するな。どこから敵が出てくるか、わからない』
(おお!)
つい、感心してしまった。
フードつきの外套の下に、胸に薔薇の紋章をあしらった白の膝丈の巫女服を着て、ふわふわした金髪をツーサイドアップにした紫の瞳の少女。ポイントに青と金色をあしらった白の軍服っぽい衣装に外套をはおった、銀髪に明るい青の瞳をした青年。
(本物のローズマリーとシリウス…………!)
鏡面越しとはいえ、長年、好きだった作品の登場人物が動いてしゃべっている光景には、やはり興奮せざるをえない。
高位の魔術師の証であるカーディナルレッドのローブをまとった灰色の髪の少年と、無精ひげを生やして、よれよれの革ジャケットを着た栗色の髪の中年男もそろっている。
四人は、神官が逃げて廃墟のようになったアネモネ神殿の渡り廊下を進んでいた。
魔王が言う。
「すぐ、使いを出す。このまま、なにもせずに聖花の復活を見守れば、こちらに害意がない証明になるだろう」
「そうね」
とりあえずは、そんなところか。
「使者は、人間っぽいほうがいいかも。その方が警戒されにくいかも」
「それもそうだな」
うなずくと、魔王は一人の魔族を呼んだ。
誰もいなかった絨毯の上に、一人の男が現れる。
男は額に鬼のような角を生やしていたが、それをのぞけば普通の人間と変わらない容姿だった。
魔王は簡潔に部下に命令を伝える。部下は「本当にそれでいいのですか?」と戸惑うように確認してきたが、魔王が「いい」と短く答えると、頭をさげて姿を消した。おそらく、アネモネ神殿にテレポートしたのだろう。
私は『アネモネ編』の魔族戦を思い出す。
原作では、枯れた聖花を復活させないよう、すべての聖花は魔王の配下が見張っており、毎回、この魔族達と戦闘になる。
が、『アネモネ編』は喪失に耐えるローズマリーとシリウスの心情描写がメインで、戦闘シーンにはあまりページを割いていなかった。
魔族を統率していたボス魔族もいたはずだが、脇役扱いで、顔も名前も覚えていない。
「ひとまずは結果待ちだな。お前にはしばらく、この城にいてもらう」
私は魔王の計らいで、部屋と食事を用意される。
先ほど目を覚ました部屋に戻り、あたたかいパンとスープとステーキっぽい肉料理に舌鼓を打っていると、魔王に呼ばれた。
「来い」と告げられた次の瞬間には、先ほどの広間に立っている。
テレポートさせるなら、一言、断ってほしいと口を拭きながら思ったが、魔王の言葉にそれどころではなくなった。
「失敗した」
「え?」
「和解を申し込んだが、罠と誤解されたようだ」
ベールをかぶった魔王の顔は、玉座の隣の大きな鏡へとむけられている。
鏡の中では、セイントローズ一行と魔族達の戦いがくりひろげられていた。シリウスが王家に伝わる宝剣をふるい、少年魔術師リゲルが次々と炎の球を放っている。
「いったい、どうして…………」
「申し訳ありません、不運が重なりました」
先ほど、魔王の命令をうけて停戦を告げに行った魔族が、膝をついて悔しそうに説明する。右手で押さえた左腕からとめどなく緑色の血が流れ、顔にもいくつか傷を負っている。
使者はたしかに、セイントローズ一行に魔王の言葉を伝えた。「和解を呑むなら、聖花アネモネの復活は邪魔しない」と断言したのだ。
男子達は怪しんだが、ローズマリーは「一応、話は聞きましょうよ」と言った。
そこで、魔族は聖花のもとへローズマリー達を案内したのだが、変わり果てた聖花まであと一歩というところで、突然、石の天井が崩れ落ちてきた。
魔族はなにもしていない、完全な偶然による崩壊だったが、あやうく潰されかけたシリウス達は、もともと魔族を疑っていたこともあり、「和解を申し出て、油断させてから殺そうとしたな!」「罠だ!!」と解釈して、使者達に斬りかかってきたという。
私も思い出した。
そういえばたしかに、『アネモネ編』のボス戦は『罠が仕掛けられていた』という展開だった気がする。だが、はっきりとは思い出せない。
「配下には、手を出すなと伝えておいたのですが…………」
セイントローズ側が攻撃してきたため、魔族側も抵抗して、攻撃をはじめてしまったのだという。
鏡をみつめる魔王の表情は、黒いベールにさえぎられて判別できない。
「もしかしたら…………勝手に話を変更できないよう、設定されているのかも」
「なに?」
「あくまで原作の漫画と同じ展開になるよう、運命とか強制力が働いているとか…………だから、なにもしていないのに天井が落ちたのかも。物語的には、ここで魔族とセイントローズ一行が和解したら、話が変わってしまうから」
「そういうことか」
かすかな舌打ちが聞こえる。
「ひとまず、あちらにいる魔族は全員、引き揚げさせたら? これ以上、戦っても、犠牲が出るばかりじゃない?」
鏡が映す戦況はけっこう一方的で、明らかにセイントローズ側が優勢だ。むこうに強力な魔族がいない以上、この先はじりじりと魔族側が削られていくだけに見える。
「『アネモネ編』の戦いはあっさり終わっていたから、ここで魔族が退いても、物語的には大差ないと思う。だったらもう、一人でも多く生かすため、撤退したほうが――――」
私の言葉を最後まで聞かずに、魔王は鏡に手をついた。
「全員、撤退しろ」
鏡面にむかってささやく。
すると、鏡の中の魔族達は驚いたような反応を見せたものの、すぐに主君の命令に従った。
「これで、六つの聖花が復活。残るは、王都フィレンツェからこの城に移動させた、七つ目だけか」
魔王が鏡の反対側を向く。
ぶ厚い黒いカーテンの下に、枯れかかった一輪の花がひっそり、たたずんでいた。
『最後の聖花・ブルーローズ』だ。
今まで気づかなかったほど、存在感の薄れた無残な姿だが、セイントローズが聖歌を歌えば、『シリウスの瞳のような』と表現される青い薔薇が復活するはずだ。
「アネモネ神殿からこの魔王城まで、セイントローズ達の足なら、一月。その間に次の手を打つ」
魔王の言葉に、原作の記憶がよみがえる。
「駄目! そんなに時間はない!」
「なに?」
「たしか、聖花アネモネを復活させると、フローラの力の一部が回復したとかなんとかで…………ローズマリー達は『原初の島』にある『聖花神殿』に直接、テレポートするの。ほら、東の海にある、聖花神フローラがはじめに地上に降り立った伝説がある、小さな島。そこでフローラから傷や疲れを癒す聖水をもらって…………そのままフローラの力で、原初の島から直接、この魔王城の手前に送られるの」
「いつだ」
「このあと島に飛んで、一晩、休んで…………フローラと会うのが明日の昼。それから、また一晩、島で休んで、魔王城に着くのは翌日の朝だから…………」
「明後日の朝か」
魔王は押し黙った。
一ヶ月間と二日間では、できる準備に差がありすぎる。
私も必死で頭を回転させた。
どうにか魔王を、魔族を生き延びさせる方法はないだろうか。
魔族は基本的に人間の敵だけれど、物語ゆえに、なかば強制的に『悪役』を背負わされてしまった彼らに対して、私の中には同情の気持ちが生まれていた。たぶん、自分自身が似たような立場になってしまったから。
ダリアだって、好きで『かませ役』に生まれてきたわけではないはずだ。
でも、どうすればいいのだろう。私の仮説が正しければ、魔族や魔王が亡びるのは宿命、『既定路線』だ。
はじめから決まっていることを、ひっくりかえすなんて…………。
「…………そうだ!」
「どうした」
配下の報告をうけていた魔王が、こちらを向く。
「ひょっとしたら…………いや、確証はないけど…………」
だが、迷っている暇はない。
ローズマリー一行が到着するのは明後日の朝。
こちらは今から準備をはじめたとしても、一日半ほどしか余裕がないのだ。
「思いついた。賭けだけど、うまくいけば…………」
私は自分の考えを言葉にした。
アネモネの花言葉=儚い恋、恋の苦しみ、見捨てられた、見放された、など